治水橋
東にソニックシティ・西に富士山
2012年04月22日

埼玉県道56号「さいたまふじみ野所沢線」が荒川を越える所に架る道路橋。
基本的にさいたま市は荒川左岸に広がっているが、この橋の両側は何れもさいたま市西区(旧大宮市)となっている。
現在の荒川は、大正時代に始まった河川改修工事で新たに開削された川筋で、行政の境界とは無関係に引かれている。右岸側で荒川と並行する「びん沼川」が旧荒川の川筋で、行政の境界は現在でもこちらになっているため、荒川で隔てられた離れ小島状態のさいたま市域(当時は大宮市に編入される前の馬宮=まみや村)が残されてしまった。
新しい荒川で分断されてしまった馬宮村は、当初は県営の渡船で結ばれていたが、もともと地続きだった地域同士、当然に架橋での連絡を望む声が強まる。
地元住民の要望を請け、昭和9年に完成した橋が初代の「治水橋」だった。
「治水(じすい)」は、荒川の拡張工事と水害撲滅に尽力した地元馬宮出身の県会議員、斉藤祐美(ゆうび)が自ら名乗った号で、治水事業を政治活動のライフワークとして取り組み一生を捧げた、斉藤裕美の強烈な自負が伝わってくる。
地元住民も斉藤祐美の功績に感謝を惜しまず、その証として新しい橋の名に「治水」の号を選ぶのは、成り行きとして当然のことだったのだろう。
その治水橋も、幅員の狭さから来るキャパシティ不足と老朽化には抗えず、1993年に新しい治水橋に架け替えられた。それが現在供用されている治水橋である。
橋そのものの架け替えで、馬宮第一横堤の北側(上流側)に本堤防と同じ高さの新しい堤を築いたが、長さは短縮。引換えに橋梁部分は旧橋に比べ200m以上長い833.5m、幅は旧橋の倍以上を確保し12.5mとなった。
橋の名は古い橋のものがそのまま流用されたが、橋の構造については、最もスパンの長い荒川流路上部分だけワーレントラス橋となっていた旧橋と異なり、ほぼ一定スパンの鋼桁構造となっている。
ただし旧橋に敬意を払い、橋の2箇所に「治水橋」の銘を掲げたプレートと共に、ワーレントラスを模したオブジェが飾られている。
現在の橋の親柱部分にある照明柱も、かなりクラシックかつ豪華なデザインとなっているので、もしかしたら旧橋備品の流用もしくは原寸レプリカなのかもしれない。
道路面が嵩上げされたため、橋からの見晴らしは非常に良い。
右岸側はゴルフ場、左岸側はグラウンドや県警機動隊の基地・自動車教習所等が広がっているが、その向こうには広大な農地が続いている。その緑多き景色は、川を渡る風の爽やかさと相俟って通る者の気持ちを和ませる。
東方面に向かう際は、進行方向真正面に大宮駅前のソニックシティ高層ビルが聳え立つ。逆に西へ向かう際は外秩父の峰々に加え、冬場の空気が澄み切った時期であれば、左斜め方向に富士山の姿が望める。
西方面に進み右岸堤防を越えると、直ぐに新しい治水橋と共に整備された「びん沼川架道橋」に入る。眼下のびん沼川を見下ろすと、かなり高い地点を通過していることに驚く。
緩く右カーヴする道の頂点部分は、僅かに川越市に掛かっている。右岸地域はさいたま市西区のほか、川越市・富士見市・ふじみ野市の境界が複雑に入り組んでいる地域でもある。
普段何気なく通行していても、春夏秋冬朝昼晩360°何時でもどちらを向いても景色を楽しめる橋だ。
更に橋の名や、そこに飾られたオブジェの由来に想いを馳せると、度重なる水害に沈み治水事業で分断された地域の苦悩と、堤防・橋の完成を喜ぶ様子が甦ってくる。
住所: 埼玉県さいたま市西区西遊馬
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