㈱IHIエアロスペース(旧日産自動車㈱航空宇宙事業部)川越事業所跡
「中島飛行機」直系のロケット・兵器工場
2013年02月09日
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/spot/000/000/674/972/674972/674972.jpg?ct=9145a721ac3b)
埼玉県川越市の中心市街地から西に向かう川越線が的場駅を過ぎ、関越自動車道と交差する地点からほど近い場所にあった工場および研究施設。
大手自動車メーカー・日産自動車の一事業部門としてかつて存在していた「航空宇宙事業部」は、元々は吸収合併した「プリンス自動車工業」が手掛けていた固体燃料ロケット生産を引き継いだ事業。更に遡れば旧軍の戦闘機を多数開発・生産した「中島飛行機」の直系事業である。
私は高校生時代の3年間、ほぼ毎日この事業所の正門前を通り自転車通学していたのに加え、正門前の市道を挟んで反対側の住宅地に部活の後輩が住んでいたので、とても思い出深い場所だ。
高校の「政経」の授業でも、航空宇宙事業部が手掛ける自衛隊向けの「ミサイル生産」を盛り込んだ日産自動車の定款改定プレスリリースを資料にして、企業の定款とは何ぞや?というテーマで先生が話をして下さったことをよく覚えている。
定款改定前までは、日産自動車経営陣としては平和産業のイメージを大切にしたいがために、敢えて兵器生産を事業として明示してこなかった。
当時の防衛予算は国民総生産(GNP)の1%以内という箍が嵌められながらも分母(=GNP)の伸びに伴って拡大傾向にあり、更に時の中曽根政権が1%枠の撤廃を閣議決定。自動車分野以外で収益が見込める重要な事業であることを見越しての定款改定だったのだろう。
しかし日産自動車本体の事業は、その後急速に悪化。
売れ残った新車が本来自動車生産・販売とは無関係の航空宇宙事業部敷地内に大量にストックされ、ユーザーに引き取られる宛もないまま列を成し放置されている光景がしばらく続いた。
そしてついには、フランス資本のルノー傘下に入り、抜本的な再建を目指すことになる。
ところがルノーが日産自動車に資本参加するに際し、この「航空宇宙事業部」が障害となってしまう。
同事業部には、ミサイルやH-Ⅱロケットのブースター開発・生産を通じ、防衛機密や大陸間弾道弾にも転用可能なロケット技術が蓄積されている。日産自動車が外国資本傘下となれば、これらが国外に流出し安全保障を脅かし兼ねない。
このような事態を怖れた国の意向を請け、航空宇宙事業部は日産自動車から切り離され、石川島播磨重工業に譲渡。2000年に「アイ・エイチ・アイエアロスペース」(譲渡当時はアルファベットの商号が認められなかったのでカタカナ表記)が発足した。
古くから県道や鉄道路線が整備された地域ながら、この事業所のすぐ北側で長らく日本油化の広大な爆薬工場・保管庫が操業しており、なかなか住宅開発が進まなかった。
航空宇宙事業部では相当の爆音を発するロケットの燃焼試験を実施する必要があり、ロケーションとしては好都合だったのだが、日本油化の敷地は関連会社の日油技研工業を残し殆どが売却され「いせはら団地」となるなど住宅や商業施設が増加。航空宇宙事業の国際競争力向上を懸けた事業合理化も影響し、川越事業所は2011年に廃止。敷地は住宅地およびヤオコーをキーテナントにした商業施設「ザ・マーケットプレイス川越的場」に生まれまわっている。
住所: 埼玉県川越市的場新町21-10 ザ・マーケットプレイス川越的場
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