元住吉駅
関東随一の人気路線が陥った「事故の連鎖」
2014年06月20日

東急東横線および目黒線の駅。
東横線は東武東上線・西武池袋線・東京メトロ副都心線・横浜高速みなとみらい線と、目黒線は埼玉高速線・東京メトロ南北線と相互乗り入れを実施しており、この駅のホームに立つと東急を含め6社8路線の電車を眺めることができる。
元住吉駅に隣接して、電車の滞泊・メンテナンスを行う元住吉検車区が設置されていて、高架化されるまでは元住吉駅終着・始発の列車が設定されていた。
高架化に伴い駅舎が検車区敷地直上へ移ったため、元住吉検車区を出庫/入庫する電車は隣の武蔵小杉および日吉駅始発/終着となり、当駅発/行の電車は廃止されている。
なお当地に人が住み始めて以来、「元住吉」なる地名は存在しない。
この一帯は「住吉村」だった場所で、中原町(現在の川崎市中原区)への合併で喪われた「住吉」の地名を惜しみ、「元の住吉村」であることを遺すべく駅名を「元住吉」とした。
また現所在地名の「木月」は、住吉村発足前の「木月村」に由来する。
2014(平成26)年2月、関東地方を未曽有の大雪が襲った晩のこと、当駅で電車の追突・脱線事故が発生した。
衝突した東急線の電車も、衝突された横浜高速みなとみらい線の電車も、共に日頃利用している東武東上線へ乗入れて来る(ただし8両編成なので最遠で志木駅まで)車輌で、発生場所が神奈川県内と言えど私にとっては決して「遠方での事故」ではない。
状況としては1986(昭和61)年3月23日、やはり南岸低気圧の通過に伴い3月としては記録的な豪雪となった東京都内の西武新宿線・田無駅構内で、上り電車同士が衝突した事故との類似性があるように思う。
ここ数年で導入が進められた新しい車輌なので単純な故障は考え難いが、なぜ保安装置が働かなかったのかを含め早急な原因究明が待たれる。
(※本記事執筆時点では、運輸安全委員会の調査報告書待ち)
直接的な事故原因云々とは別に、私が非常に気に掛かったのが車輌の壊れ方である。
隣接する車輌が喰いこみ車端部の外板が折れて激しく捲れ、床板も屈曲し客室内部へ盛り上がっている。この部分で居眠り中の乗客がいたら致命傷を負っていたかも知れず、たまたま軽傷者のみで済んだのは幸運な偶然が重なっただけ……なのかも知れない。
ステンレスやアルミ等耐候性の高い素材を用い、コンピュータ解析に基づく緻密で無駄の無い設計が可能になったことで、昨今の鉄道車輌はどんどん軽量化が進んでいる。
その福音として沿線および車内の騒音や消費電力が大幅に低減され、環境に優しい電車となっていることは間違いが無い。
その一方で「軽量化=脆弱化」になっているのだとしたら、ここは一時立ち止まって設計思想の見直しを図るべきであると考える。
先に挙げた西武新宿線・田無駅での衝突事故の10日前、1986(昭和61)年3月13日に今回の事故と同じ東急東横線の横浜駅で脱線事故が発生している。
駅構内で速度が高くなかったため負傷した乗客は出ず、軽微な損害に留まったが、そのためか事故原因と対策が鉄道事業者間で共有されることは無かった。
この機会に脱線の主原因とされた車輪に掛かる荷重アンバランスの解消と、万が一脱線しかけた場合に有効な防護策となり得る「脱線防止ガード」(カーヴ区間でレールの内側に敷設されるアングル材)の普及が進んでいれば、死者5名・負傷者64名もの大惨事となった2000(平成12)年3月8日の 「営団地下鉄日比谷線中目黒駅構内列車衝突事故」は防げたのではないか……とも云われる。
その中目黒駅は東横線の駅でもある。そしてこの事故では、大きく抉られた車端部に居た乗客を中心に死者・重傷者が出てしまった。
関東圏でも随一の人気路線である東横線だが、こうして事故の履歴を並べてみると、因果が複雑に絡み合った迷宮に迷い込んでしまったようにも見える。
原因調査と対策を通じて、不幸な事故発生のループを是非とも断ち切ってほしいものだ。
住所: 神奈川県川崎市中原区木月1-36-1
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