2006年10月16日
ハイラックス・(サーフ)
高度なる居住性・(波) とは如何なる事か・・・w
拙者、乗っておった時には考えてもおらなんだ。
豊田自動車製造所という所は時々失敗をしてしまう事が
ござる。 豊田自身にとっての失敗がその製品そのもの
の失敗とは限らぬ事に気づいておらぬのぢゃ。
不安であるが故にパクり・・・否・・他社の作品を参考
にするという習い性がついてしまったのやも知れぬ(笑
この初代ハイラックスサーフは米国豊田のデザインにて
豊田内にては「失敗作」と思われておった。 陸地巡洋
艦六十式にしても国内では売れないであろうが、とりあ
えず売っとけ、とばかりに売り出してビックリ!
えてして売れる時とはこの様なものぢゃ。
さて、涙で見送った拙者の初愛機に入れ替わり拙宅にや
ってきた折に、拙者の古くからの友も聞きつけてやって
来ておった♪♪ この者は光画の撮影技師でのう、拙
者の出た大學において助教授をもやっておるのぢゃ。
この者は本田自動車製造所の作品の愛用者で、このカー
ビュー等を閲覧しようものなら、頭から湯気を立てるの
は必定ぢゃ(爆
この友人には後々、拙者の愛機にオプションなる事をす
る場面において多いに世話になるのぢゃ。 この者は自
らの愛機に音響装置を自分で取り付けたり、濃霧時灯火
を取り付けたり、という工作が好きなる男で拙者の新た
なる愛機にも同様の作業をしてもらったのぢゃ。
また、濃霧時灯火を取り付ける土台やら後部の筒状防御
装置などの取り付けも手伝ってもらった。 これが重
いものでのぅ。 誰か一人が抑えて、他の一人がネジを
まわすという具合ぢゃ。
さてさて、長々と前振りになったが、次愛機の納入に立
ちあっていただいたが、彼の者も目をまるくしておった。
なにしろ、当時は『泡景気』
の真っ只中で、拙者のごときビンボーーー人ですら、金
回りがよかったほどぢゃ。
現金一括払い!!
むぅ!! いま考えても拙者にとっては驚愕の出来事ぢゃ♪
さぁ、働かねば! と思うたものぢゃ。 その友人を乗せ
て丁度、打ち合わせに六本木に向かう予定であったので、
感傷にひたる間もなく、発動機に火をいれ急ぎ出発(しゅっ
たつ)いたした。 六本木まではほんの四半時。
おのれっ!、なにやら舵が重いと思うたら・・・(汗
彼の者が信号にて停車したおりに副変速機をいじりおった
のぢゃ!!(笑
暫時四輪駆動にて、普段は後輪のみの駆動。 いざとなっ
たら前輪も駆動して総輪駆動となる仕掛けぢゃ。 直結さ
れておるが故に「小さき曲がり角制動現象」が起こ
ったのぢゃった(汗
なに、前脚の接地面に鳴いてもろうただけぢゃった。
その後、この新しき愛機にも【ジンクス】が起こりおった。
つづく
Posted at 2006/10/16 16:16:47 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月15日
イヨイヨ、セリカ編最終章ぢゃ♪
六年間、愛用しておったのぢゃが、車検に出した時に
豊田花冠自動車販売所にて愛情なき対応に合うたのぢ
ゃ!(怒) まぁ、販売してから十四年半もたったも
のの面倒もみたくなくなったのかも知れぬ。
曰く「お客さん、もう消耗品の在庫も無いんスよぉ、
どうします?」・・・・と・・・・
つまるところ、早く次を買わぬか、このタワケ!とい
う思いがこちらに伝わってきおったのぢゃ。 当時は
セリカGT-FOURなる拙者の愛機の子孫の時代ぢゃった。
もはや、三百両を越えるありさまでのぅ。 手が出ん
ぢゃった。 拙者の愛機は1974年当時で二百五十両し
ておったが、なに、資金を出したのは兄上であった故
拙者の懐具合にては・・・涙をのんだのぢゃ。
しかし、花冠販売所を青山通りを隔てた反対側に王冠
自動車販売所なる豊田一門がござって、その中に初代
ではあるが、一部手直しを施したばかりのハイラック
スサーフなる、荷車をムリヤリ乗り合いに設定したる
四脚が大地を掴む仕様の自動車を販売しておった。
実は近所の拙者の同級生がこれの 初代、それも極
初期のものに乗っておった。 もともと前後とも金玉を
ぶら下げた、漢くさいものぢゃった。 それを一部手
直しで前脚のみ自在関節になっておったのぢゃ♪♪
ここで、語源ぢゃ。
ハイラックスと申す天竺鼠の一種がおるが、これとは
まったく関係はないそうぢゃ。 なんと、つまらぬ事
よ。 大いなるモノに、小さき者の名をつけたとあら
ば、機知に富むものを・・・・
ハイ・ラグジュアリーを縮めて呼称したるものにて、
またしても豊田語である(笑
色は暗い灰色にアルミ粉をまぜたる色ぢゃ、一般にガ
ンメタリックと呼ばれておったそうな。 これで強化
プラスチックとやらで後付けの屋根がのっておった。
これの色が黒であるがゆえ、遠目にみると西洋の霊柩
車の様であった(大笑
この屋根が取り外し可能であったのぢゃが、とうとう
一回もとらなかったのぉ!! 今にして思えば惜しい
事をしたものぢゃ。 幌に替える事もできたのに。
拙者の初愛車からこれに乗り換えた時には不覚にも涙
が一滴落ちたものであった。 拙宅は急な坂の途中に
あってな、豊田の担当の者に鍵を渡し、その者が発動
機に火を入れ、18-RGの咆哮とともに坂の上に姿が消え
るまで見送った・・・・・・・
初愛機は前日に手洗いにて全身を身綺麗にし、ワックス
を丹念にかけ、ピカピカにしたものぢゃ。 拙者は週
に一回はワックスがけをしておったので、最後には塗装
面が薄くなって、角など地金が見えておったわぃ(笑
しかし、顔が砲弾型であって、下あごに水が溜まりやす
く油断すると錆が浮きやすかった(遠い目
写真にも撮影したのぢゃが、リバーサルと申す、幻燈に
かけるものにての撮影で原版が今となっては行方不明な
のが唯一の心残りぢゃな。 ただし、工具袋と中身の工
具は次々と引継ぎ、今の愛機に搭載しておる(禿笑
つづく
Posted at 2006/10/15 15:19:18 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月15日
セリカのオーディオは8トラックでした(汗
あたしゃ、音響関連には興味が薄いので、スカ~リ
忘れてましたが、でっかいカセットをガチャンと
入れてましたねぇ。 その中にコマソン特集が
あって、セリカのコマーシャルソングも入って
ました(w
何度も聞きましたョ テープが擦り切れるまで♪爆
Posted at 2006/10/15 01:23:34 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月15日
さて、セリカの持ち主たる次兄は南方のゴムの
取れる島方面へと駐留することと相成り、暫し
の間、愛機と離れる事となりもうした。
三年間、長兄の屋敷へと引き取られる事となり
拙者も寂しい思いをしたのぢゃ(涙
拙者が相模原にある大学へと行っていた間であ
った。 四回生の時に自動車の免許皆伝となっ
たのぢゃ。 準備万端でござる(笑
イヨイヨ、拙者のもとへと来た日にやらかしてしも
うた。 拙者、大学を卒業しその昔「天上桟敷」
なる芝居小屋の本拠のあった五本木なる所へと
操縦の練習にて立ち寄ったおりの事ぢゃ。
拙者、壁際ギリギリに寄せる癖がござってな。
左前方、方向指示灯の付近を「ガリガリ」
とやってしもうた(滝汗
それがケチの付き始めかのう・・・・
乗り初めて、数日間の内にかすり傷をつけると
その後は不思議と、大事故も起こさず、人身事故
も起こさず、という『ジンクス』がつき申した。
拙者自身はこの愛機に六年間 お世話になった。
友人と犬吠埼へ初日の出を見に行ったおり等は浜
へと入り、四輪駆動でもないのに、走り回ったり
したものぢゃ♪♪
雪道での走行と同じコツを使うのぢゃな。
ソロリソロリと輪を乗せるようにと動かすのぢゃ♪♪
アノ当時は、東京モーターショーは晴海でやって
おってな、会場の回りが駐車場になっておった。
ここで、ほんのささいな段差で腹をすってしもう
たのぢゃ。 いやぁ、あれは驚いた。 スポーテ
ィーカーとやらは段差の大きな所、荒地には向か
ぬという事を思い知らされた。 これが後に腹を
すらぬ愛機への変遷へつながったのかのぉ~~?w
つづく
Posted at 2006/10/15 00:47:05 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月14日
セリカの語源はスペイン語でして
「天上のもの」という意味だそうで。
CMキャッチフレーズは「恋はセリカで」でした。
Posted at 2006/10/14 14:20:35 |
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