2006年10月15日
イヨイヨ、セリカ編最終章ぢゃ♪
六年間、愛用しておったのぢゃが、車検に出した時に
豊田花冠自動車販売所にて愛情なき対応に合うたのぢ
ゃ!(怒) まぁ、販売してから十四年半もたったも
のの面倒もみたくなくなったのかも知れぬ。
曰く「お客さん、もう消耗品の在庫も無いんスよぉ、
どうします?」・・・・と・・・・
つまるところ、早く次を買わぬか、このタワケ!とい
う思いがこちらに伝わってきおったのぢゃ。 当時は
セリカGT-FOURなる拙者の愛機の子孫の時代ぢゃった。
もはや、三百両を越えるありさまでのぅ。 手が出ん
ぢゃった。 拙者の愛機は1974年当時で二百五十両し
ておったが、なに、資金を出したのは兄上であった故
拙者の懐具合にては・・・涙をのんだのぢゃ。
しかし、花冠販売所を青山通りを隔てた反対側に王冠
自動車販売所なる豊田一門がござって、その中に初代
ではあるが、一部手直しを施したばかりのハイラック
スサーフなる、荷車をムリヤリ乗り合いに設定したる
四脚が大地を掴む仕様の自動車を販売しておった。
実は近所の拙者の同級生がこれの 初代、それも極
初期のものに乗っておった。 もともと前後とも金玉を
ぶら下げた、漢くさいものぢゃった。 それを一部手
直しで前脚のみ自在関節になっておったのぢゃ♪♪
ここで、語源ぢゃ。
ハイラックスと申す天竺鼠の一種がおるが、これとは
まったく関係はないそうぢゃ。 なんと、つまらぬ事
よ。 大いなるモノに、小さき者の名をつけたとあら
ば、機知に富むものを・・・・
ハイ・ラグジュアリーを縮めて呼称したるものにて、
またしても豊田語である(笑
色は暗い灰色にアルミ粉をまぜたる色ぢゃ、一般にガ
ンメタリックと呼ばれておったそうな。 これで強化
プラスチックとやらで後付けの屋根がのっておった。
これの色が黒であるがゆえ、遠目にみると西洋の霊柩
車の様であった(大笑
この屋根が取り外し可能であったのぢゃが、とうとう
一回もとらなかったのぉ!! 今にして思えば惜しい
事をしたものぢゃ。 幌に替える事もできたのに。
拙者の初愛車からこれに乗り換えた時には不覚にも涙
が一滴落ちたものであった。 拙宅は急な坂の途中に
あってな、豊田の担当の者に鍵を渡し、その者が発動
機に火を入れ、18-RGの咆哮とともに坂の上に姿が消え
るまで見送った・・・・・・・
初愛機は前日に手洗いにて全身を身綺麗にし、ワックス
を丹念にかけ、ピカピカにしたものぢゃ。 拙者は週
に一回はワックスがけをしておったので、最後には塗装
面が薄くなって、角など地金が見えておったわぃ(笑
しかし、顔が砲弾型であって、下あごに水が溜まりやす
く油断すると錆が浮きやすかった(遠い目
写真にも撮影したのぢゃが、リバーサルと申す、幻燈に
かけるものにての撮影で原版が今となっては行方不明な
のが唯一の心残りぢゃな。 ただし、工具袋と中身の工
具は次々と引継ぎ、今の愛機に搭載しておる(禿笑
つづく
Posted at 2006/10/15 15:19:18 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月15日
セリカのオーディオは8トラックでした(汗
あたしゃ、音響関連には興味が薄いので、スカ~リ
忘れてましたが、でっかいカセットをガチャンと
入れてましたねぇ。 その中にコマソン特集が
あって、セリカのコマーシャルソングも入って
ました(w
何度も聞きましたョ テープが擦り切れるまで♪爆
Posted at 2006/10/15 01:23:34 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月15日
さて、セリカの持ち主たる次兄は南方のゴムの
取れる島方面へと駐留することと相成り、暫し
の間、愛機と離れる事となりもうした。
三年間、長兄の屋敷へと引き取られる事となり
拙者も寂しい思いをしたのぢゃ(涙
拙者が相模原にある大学へと行っていた間であ
った。 四回生の時に自動車の免許皆伝となっ
たのぢゃ。 準備万端でござる(笑
イヨイヨ、拙者のもとへと来た日にやらかしてしも
うた。 拙者、大学を卒業しその昔「天上桟敷」
なる芝居小屋の本拠のあった五本木なる所へと
操縦の練習にて立ち寄ったおりの事ぢゃ。
拙者、壁際ギリギリに寄せる癖がござってな。
左前方、方向指示灯の付近を「ガリガリ」
とやってしもうた(滝汗
それがケチの付き始めかのう・・・・
乗り初めて、数日間の内にかすり傷をつけると
その後は不思議と、大事故も起こさず、人身事故
も起こさず、という『ジンクス』がつき申した。
拙者自身はこの愛機に六年間 お世話になった。
友人と犬吠埼へ初日の出を見に行ったおり等は浜
へと入り、四輪駆動でもないのに、走り回ったり
したものぢゃ♪♪
雪道での走行と同じコツを使うのぢゃな。
ソロリソロリと輪を乗せるようにと動かすのぢゃ♪♪
アノ当時は、東京モーターショーは晴海でやって
おってな、会場の回りが駐車場になっておった。
ここで、ほんのささいな段差で腹をすってしもう
たのぢゃ。 いやぁ、あれは驚いた。 スポーテ
ィーカーとやらは段差の大きな所、荒地には向か
ぬという事を思い知らされた。 これが後に腹を
すらぬ愛機への変遷へつながったのかのぉ~~?w
つづく
Posted at 2006/10/15 00:47:05 |
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2006年10月14日
セリカの語源はスペイン語でして
「天上のもの」という意味だそうで。
CMキャッチフレーズは「恋はセリカで」でした。
Posted at 2006/10/14 14:20:35 |
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自動車記 | クルマ
2006年10月14日
当時は「セリカ」という登場したてのブランド
は物凄い人気がござってナ♪ 今日の醜き
豊田叩きからは想像も出来ん程でござった(笑
仏蘭西国などに於いては、厳しき輸入障壁を設
けておったにも関わらず彼の国の人々はアノ手
この手で並行輸入しておったそうな。 その通
称「ダルマセリカ」に鼻面と尻を延ばし、後部
の扉が上方向に開き肺活量の大きゅうしたる亜
種を設定したのじゃな♪♪
コレが又信じられぬ程の人気でな、当の豊田の
社員ですら、入手困難という状況でござった。
拙者の父はお城づとめにおいて車輌課という騎
馬を扱う係であったので、大江戸にては困難な
入手も遠く石川の出城の手引きにてようやく入
手とあいなった次第ぢゃ♪
当時、豊田自動車製造所にては『フルチョイス
システム』と申して、色・外回りの付属品・内
装の細かな設定・ギァ形式・等々・・・
注文書に書き込み「自分だけの一台」が
創れるという触れ込みでござった♪♪♪(喜っ!
これは後にルーズな客が多すぎて破綻してしも
うたのぢゃが・・・(涙
兄上は拙者と違うて生真面目でござった。
全ての項目にキチンと答えておったようぢゃ。
拙者も相談を受けておった。 色→豊田語によれ
ば「シビリアン・パープル」という小豆色に。
触覚は自動飛び出し触角に、これは釦一つで上げ
下げが出来るというだけのしろものでござる(笑
窓はまだまだ今日のように信頼性が高くなかった
故、自動揚げ下げ窓は見送りて、手動に♪
当時、変速装置は自動より手動が圧倒的大多数
でござった。 仕様書の『オールシンクロメッシ
ュ』という言葉が新鮮でござった。 それまでは、
歯車を合わせるに名人芸が要求されておったのが、
変速取っ手を操作する事のみにてキチンと歯車が合
うようになったのぢゃ(喜っ
我が家にやって来たのは夜になってからぢゃった。
兄上がお城勤めから帰る時間に合わせての納品で
ござったのでな。
遠くからでもそれと分かる 18RG-R発動機の咆哮
が拙宅に響き渡ったものぢゃ。 それから、数年
後に【油恐慌】になって発動機にきつい縛りが課
せられ力を弱められる事になるのぢゃが、我が愛
機はいわゆる「野放し時代」のモノでござった。
当時でいう グロス:145馬力、軸トルク18.5kgと表記
されておった。 今日では何割引きだそうな(涙
兄上が使うのは拙宅とお城のあった川口との間の
通勤というこれまたこのカービューにて批判の的
となっておる事を実行してござった(爆
つまり、走行距離がそれ程伸びないという事でご
ざるな。 体力の温存ぢゃ(爆
つづく
Posted at 2006/10/14 12:39:12 |
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