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宮崎のR31大好きおじさんのブログ一覧

2016年07月04日 イイね!

がんばって咲いたんだなあ…。

がんばって咲いたんだなあ…。

昨年末の我が家のごたごたで、馬鹿姉より「早く出て行け!」とまで言われている小生でありますが…。

昨年までは、この家や庭、家の周りのことは自分なりにきちんとメンテナンスしてましたけどね、「な~んかどうでもいいや」って思うと、ほんと何もする気になりませんね。



ま~それでも、”とげとげの葉っぱ”の柊(ひいらぎ)っていう庭木などは”伸び放題になる”と、それこそ触るとえらい目にあいますのできちんと剪定しましたが…。


また庭の草むしりのほうは、春先には一度頑張ってきれいにしたんですけどね。
梅雨に入る前には復活してました。

なので・・・今年はこの家に住んで初めて”ラウンドアップ”っていう「除草剤」を使ってみました。



今まではワンコが居ましたし、たまに庭の草を食べていましたので「ワンコの体に良くない」と判断して決して使うことはなかったのですけどね。

ですが・・・薬にも強い?雑草は「除草剤など何のその」って感じで伸びたままです。・・・雑草恐るべし。


・・・さて、毎年花を咲かせる”鉢植えの花”があるのですが・・・、正直名前は解りません。



私の記憶間違いではないと思うのですけど、昨年位までは”ピンクの花”が咲いていまして、母が好きだったんですけどね…、そのピンクの花は近所の野良猫が食べちゃうことがしばしば。

そ~んな鉢植えの花が今年はなんと、きれいな”白い花”で咲いてました。




目が見えなくなってしまってますから「叶うことのない思い」なのですが、「この白い花を母に見せたかったな~」と思うと、ちょっと涙が出てしまいました。

しかしながら・・・な~んにも手入れなどしていないし、ほったらかしで雨水以外は与えていないのに・・・ほんと植物の生命力ってすごいですね。




↑  ↑ この花なんかも、柊のそばに勝手に生えてきてまして、隣との境のブロック塀沿いにまで株を増やしてしまいました。

かわいい花を咲かせてしまいましたので、今更ながら引っこ抜くことも出来ず…です。

自分もこのくらいの根性がないとだめなんでしょうね(笑)。


Posted at 2016/07/04 19:54:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 我が家のこと | 日記
2016年02月04日 イイね!

「もうめちゃくちゃ。」・・・姉弟の確執(その2)



昨年末の我が家内のごたごた…まったく終了しておりません。

母親はショートステイだった施設より、居宅型の施設のほうへ転所となりました。


それも姉が出しゃばって、仕切り始めて勝手に何やかんやされて、私はないがしろ…でした。

二年もの間、僕に母の面倒を押し付けておいて、今度は勝手に施設に入れてしまい・・・。

あたしゃ・・・ね、「以降、姉が苦労しながら母を病院へ連れて行ったりしてるもの」だと思ってまして・・・、

なので「きついならば、ぼくが連れて行ってもいいよ」と、兄弟間の確執も収めようかと歩み寄ったんですがね、施設の方に内容を聞いてびっくり。

「病院関係への搬送は、施設の方が連れていく」そうなんです。

何のことはない。結局は「自分は苦労をせず」の”丸投げ”状態でした。


・・・心配して損しましたわ。


んで・・・前からもめてる、自分への慰労金等の話をしますと、相変わらず「あんたには一銭たりとも出さない、今の家にいられるだけましだと思えば?」だそうです。

そして、「今度弁護士に入ってもらってこの件は決着付ける」・・・そうですわ。

結局のところは「出て行け」ってことなんだろうけど・・・。

ふ~ん、「弁護士に払う金があれば俺に払えば?」っていうのが当たり前の考え方だと思うんだけどねえ。

まったくもって”守銭奴”のお金の使い方は意味不明。

んで、「金がないなら”生活保護”を受けるように」とも言われてしまいましたわ。

いったい何を考えてるのか??

いったい誰のせいで僕が介護離職し、”文無し、仕事なし”状態になったというのか。



・・・「もうめちゃくちゃです。」



しょうがないんで、本日自分なりに役所の福祉課を訪ねて話だけは聞いてみましたが・・・

「生活保護を受ける」・・・となると、今持ってる車両等は手放さないといけないそうですね。

家は家族所有なので、家賃補助は出ないそうですが・・・。



自分が住んでいる田舎のほうでは、車なしで就職活動など到底できません。
バスは2時間に一回来るか来ないかってとこなのに・・・・。



こんな苦労をしないといけなかったのなら、3年前の自身の大病の際、無理して元気になんぞならなかったのに…。

・・・いっそのこと死んだら楽かなあ?





Posted at 2016/02/04 21:57:11 | コメント(3) | トラックバック(1) | 我が家のこと | 日記
2016年02月02日 イイね!

・・・「怪我の功名」なのかな。

・・・「怪我の功名」なのかな。
本日は叔母の月一の診察日。

朝から40分かけて叔母の家まで迎えに行き、車に乗せて25分、来た道を戻る形で診察していただく病院へ。



受付をしてから診察終了までが大体1時間40分~2時間半。

それから20分ほど待合室で待たされて清算。

処方箋が出ているので、別屋の調剤薬局へ。

処方箋を受付へ出してから、薬をいただくまでが大体20分~1時間。

本日は患者さんが少なかったようで、最短の2時間30分程度でした。
(先月は3時間以上かかりましたが…。ま、ここ約10年以上毎月のことなので(笑)。

んで、その待ち時間に私が何をしていたかといえば・・・?

ある時は昼寝(午前中ですが。) またある時はDら~さんへR31もしくはプレオ君の件で。またある時はプレオ君の電装品の”自家製ハーネスの作製”などなど。

待ち時間が2時間あると…暇で暇で(笑)。
「月に一度・・・」とはいえ、寒い日、暑い日ももちろんありますので待合室にて・・・とも考えますが、な~ンとなく”あそこ”にいるだけでこちらも病気になりそうで…。

実際、「院内感染」は起こりえますからね。



・・・「必要としないときは寄り付かないのが一番。」かな。



ま~あんなこんなをして時間をつぶすわけですが、本日は病院駐車場の隅にてプレオ君の前席部へ「フットランプを取り付けよう」・・・と”ごそごそ”としてました。


解体車より入手したケーブルやユニットASSYを配線図をそばに置きながら作業を行っておりましたが、何度確認しても”ランプ”が点灯しません。


「あれ?あれ?」・・・2セットあるので、どちらもチェックしましたが写真のように「緑色のランプが点灯しません。」(画像はイメージ)

「電球自体が切れてるのかな?」と交換用のLED電球を取り付けても点灯しませんでした。

どうしようかな?と思い悩んでましたが、そろそろ叔母のほうが気になり待合室を覘きに行きますと、ちょうど診察室から出てくるところでした。
「もう終わった?」と聞きましたらば、「終わったよ。今日は早かった。」と言ってたので、すぐに駐車場へ戻り、やりかけてた回路配線を外して後片付け。

清算後、処方箋をもって薬局に行きお薬をいただきましたが、病院自体に患者さんが少なかったので、薬局も同じくスムーズに処方していただくことができました。


本日の検診は早めも終わったので、叔母が「タイ焼きが食べたい」というので、病院近くの「日本一たい焼き」屋さんで”白あんと黒あん”を一個づつ買って一路叔母の家に戻りました。


「日本一たい焼き」につきまして、購入店は下記のURLにて。

25分間の帰りの道中、すでに一個食した叔母は「餡子がたくさん入ってておいしい!!」と喜んでました。

「病気すると、おいしいものが食べられなくなるからね。ホント元気が一番だね」と話しました。

叔母を送り届けた後は、自宅に戻り、テスター等を使って回路等を点検を行いましたが、どこかが断線してるようで、テスターの針はピクリとも動きませんでした(笑)。

なので、思い切って以前より考えていた「オーバーヘッドコンソールのマップランプをルームランプとの連動させる]作業を行うことにしました。

詳細としては、通常の場合、”ドアが開こうがスポットランプは点灯しません”が、「連動化」することにより、ドアオープンで、スポットランプも点灯するように・・・と配線の入れ替えと、それに伴う安全回路の取り付けです。

結構ばたばたでしたが、以前から部材を用意してましたので日が落ちる前には完成しました!!


いや~「夜間の室内が思った以上に明るくなりまして…これなら”フットランプ”は必要なかったみたいですね。」

結果的に、本日は「怪我の功名」というべきでしょうかね(笑)。

乗り降りの際に足元が明るくなって・・・安心して乗り降りができるようになりました。

一番は・・・施設に入所した母に見せてあげたかったです。


今回の作業内容は、みんカラID「ケンコー」さまの作業内容を参考にしました。ありがとうございました。
ケンコー様の作業ページです。https://minkara.carview.co.jp/userid/688550/car/1393673/2330933/note.aspx




・・・追記です。

もう一度回路点検をしたところ、”不点灯”の原因がわかりました(喜)。

白熱球のほうは玉切れ・・・でした(笑)。
LEDのほうは極性(プラス&マイナス)間違いが原因でした。

さすがアナログ回路。「結局、な~んだここかぁ」ってことでした。
「異常なし」と分かったので、捨てずに済みました。

「これは今度、R31君に取り付けよう…」と思ったおじさんでした。

・・・めでたしめでたし。


Posted at 2016/02/04 10:16:49 | コメント(3) | トラックバック(0) | 我が家のこと | クルマ
2015年12月25日 イイね!

母の「姥捨て山」問題。・・・姉弟の確執(その1)



同じ母親の胎内より生れ出た、同じ血の流れる「姉と弟」でしたが、時の流れやその場の状況、挙句は些細なことから起きる「確執」は、修正できないままでいると困りものとなります。


恥ずかしながら、先日の「母を姥捨て山に置いてきた…」における原因。

兄弟間の確執についてと、さらに書きながらでも、もう一度自身の姉への思いなどを”覚えている範囲”での「ノン・フィクション」を書き込んでいきます。

当面車の内容はありませんので「興味のない方はご遠慮なくスルーしてくださいね。」




ではでは・・・。
時は94年の秋口…だったかな?

姉より、「お母さんの面倒は私が見るから。結婚する気はないから家を買って、家族みんなで暮らそうよ。」・・・と。

家は姉名義で購入…であり、必要であれば”自分が保証人に”…ということでしたが、保証人不要でローンが通過。

引っ越しの際には、自分の当時組んでいたJAZZバンドのメンバー総出で行ったので、朝9時ごろから始めても3時の”おやつ時”に荷物の搬入はほとんど終了。

ただ・・・当の名義人の姉は仕事(看護学校教諭)で不在でした。


引っ越しのその際に不在だったので、姉の荷物等は整理がつかず、新居の部屋に置いたままとなってまして…帰宅後”それ”が気に入らなかったのか、「他人に引っ越しなど頼むのが悪い」と言い出す始末。

実際には引っ越し当日になっても荷物など「まったく」と言っていいほど「まとまっていなかった・・・」というのがほんとのとこなのに、そのことは棚において「業者を使わなかった」ことで自分と言い合いに。

つまり姉は、引っ越し後にみんなにお礼がてら、食事をふるまうことで生じる”別のお金”を使うのが嫌だった見たい。

みんなが手伝ってくれたから、「一日もかからずあっという間に引っ越し作業が終わった」ことなどはどうでもいい…・のだそうでした。

ま、お金の使い方は人それぞれの価値観ですがね、「業者さえ使えばお礼などしなくてよかったのに・・・」と、その後2年はぶつくさ言ってました。





この問題…引っ越しは借家も含めて実は2回目。過去にも同じことで揉めてるんです。その時にも当の姉本人は仕事で引っ越しには参加してませんし、荷物もまとめておりませんで苦労したんです。

ま、すべて丸投げ・・・、「自分自身が苦労を知らないので、他人の苦労はわからず」…なんですね。

これが、「今回の私が母の介護中、どんな思いでいたかなど理解していない(できない)」考え方の一つみたいですよ。





さてその後・・・ですが、
我が家の姉・・・かたくなに「結婚はしない…」と言っていたんですが・・・ね。

90年代の終わる頃、”見合い結婚”しました。

その当時の私は、前職の楽器店より独立開業し「楽器修理の仕事」を行うため、家族とは別居し生活をしておりました。

社会人ともなると”ある程度の考え方”が凝り固まるので、ほんの些細なことからも”姉弟喧嘩”は起こるもの。

それを含めても別居したのですが・・・”身内が結婚する”ともなれば、「祝ってあげるのが当然」と小生は考えておりました。



しかしながら・・・その当時より我が姉は私を”ないがしろ”にしていたようで、結婚前の”親戚間の集まり”でさえ、私を列席させることを拒んでの内緒ごと。

・・・あの手この手で、相手側を収めていたようでした。


私自身も、親戚となる相手側家族(特に親)からの、「私を含めた会合やあいさつなどないの?」と母に聞いてみますと、「もう終わったよ」と…。
「あんたは”忙しいから列席できない”ってお姉ちゃんに言ってたそうなんじゃないの?」と言われ、「そんな話は聞いてないよ」と返事してました。

その後何度か相手の男親から私に「会いたい」と話が合ったそう(私は知らんけど)・・・なのですが、姉と旦那がかたくなに合わせようとはしなかった・・・と言うのが、今度は親戚を含めた「確執」の始まりです。


その”内緒ごと”が発覚したのは結婚式当日。

カメラマンとしても列席していた私と友人が、式前に少しの休憩をロビーにて取っていたところ”初老の紳士”が近づいてきてこう言ったんです。

紳士 : 「君が○○君かね。」

私 : 「はい、そうですがあなたは?」

紳士 : 「本日あなたのお姉さんの相手となる●●の父だ。」・・・と。

私 : 「あ~そうでしたか、初めまして。姉をよろしくお願いします。」と、改めて起立したうえで”きちんと挨拶”しましたが・・・、

紳士 : 「よろしくだぁ?ふざけるんじゃないよ君。」「私は何度も君に会いに延岡まで出向いてきていたというのに、一度も顔も出さないなんてどういう了見なんだ。」・・・と。

いや~いきなり”初めて会ったおっさん”に頭ごなしに怒られちゃいましてね~。

びっくりしたのなんのって。

んではっきりと、「私はその話は聞いておりませんし、私のほうこそ、”親戚間の結婚前の顔合わせも無い”なんてどういうことなのか?と思ってましたけど…。」と返事をしたのでした。

つまりは、相手の男親も私も、この馬鹿夫婦に”はめられていた”んですね。

なので、式、披露宴が始まっても口もきかず、コップにお酒を注ごうとしても無視されたままでした。





・・・あれから約20年、私は相手の義親父、義弟夫婦ともに「お会いして話をした」ことが全くありません。

・・・変な話ですよね。
こんな「親戚関係」ってあるんかいな?

・・・つづく。





Posted at 2015/12/25 13:16:18 | コメント(2) | トラックバック(1) | 我が家のこと | 日記
2015年12月21日 イイね!

「姥捨て山」に母を置いてきた気分です・・・(涙)。


先日の日曜日・・・ついに私は「最愛の母親を見捨ててしまいました。」

大げさに言えば…「楢山まいり」、「姥捨て山」に母を置いてきた気分です・・・(涙)。





母は2年ほど前から”認知症”を発症しています。

ですが私的には、「”症状”は大したものではない」と勝手に思い込んでいました。

しかしながら・・・、”症状”は日に日に悪い方向へ進み・・・ついには記憶障害?、徘徊、などが頻繁に起きるようになってしまいました。

なので、夜間にしっかりと眠ってもらう為に昼間は、できるだけ眠らさず、お仕事だろうが買い物だろうが母を横に乗せて出かける日々…でした。

私には実の姉がいる…のですが、兄弟間の「確執」・・・まあ、「くだらない意地の張り合い」なのですが、数年前から別居状態となっており近くには住んではいるものの、母の状態など何度か連絡を入れても、一度たりとも来てくれることはありませんでした。



結果”助け”を当てにすることも出来ずで・・・、こちらのブログにはそんな母の詳しい症状など書き入れることもしませんでしたが・・・ここ最近は夜に眠らせてもらえず、正直自分が変になりそうだったんです。

実際何度「母親を殺して楽になりたい・・・」と考えたかもわかりません。

ひと月くらい前には、自分を他人(よその人)と言われてしまい…心が折れました。



そしてついに・・・先日の大雨の中、家を飛び出してしまい、目の見えない中で彷徨った挙句に転倒し、左上腕部を複雑骨折、折れた傘の芯で”左ほほ”を突いてしまい血だらけ・・・。


・・・病院のほうからは全治2か月の診断が出ました。





あの日以来、寝床より自力で起き上がることが困難になった母に、毎夜約1時間おきには起こされて排泄の手伝いをしないといけなくなり、ここのとこ以前以上に睡眠がとれない状態が続いてました。




約3週間後、ちょうど母の内科の受診日が2~3日後でしたので、すこし早くですが母を連れて検診に行きましたが…そこで、私のほうが睡眠不足と過労から倒れてしまいまして…。


病院内で倒れたからよかった?ですが、もしも運転中だったりしたら…と考えると恐ろしくなりました。





お医者様の手配もあり「地域包括介護センター」の職員さんがお手伝いをしてくださり、姉へ直接連絡を取ってもらえたり、母を施設のほうへ入所させ、そこで介護していただく…ということになりました。

しかしながら”名前”は変われども、「僕の行なった行為は”姥捨て山”そのもの。」


「自分の母親の面倒を見る事を放棄した事実」はぬぐえません。



なので、『よかった』・・・と安心する半面、いつもそばに置いていた「母親を”他人に預け、ほったらかしにしてしまった・・・」”という罪悪感、自責の念にかられてしまい、かえって夜眠れなくなりました。






実際にはショートステイ?らしく、来年の1月4日には戻ってきます。

ということは、それ以降は私、また”ただ働きの24時間在宅介護ヘルパー”に戻ってしまうんです。



んで、2年越しでやって来た姉に、金銭的な面や今後のことを言えば、「母親と、ワンコにかかった経費は出すが、あんたには一銭たりとも出す気はない。
それが嫌なら前から言ってたようにすぐにでも家から出て行ってくれ」・・・と。

母の件は施設に申請して「居住型へ変更してもらうので、あんたがいなくても困らないから」・・・だそうです。



わたし・・・姉から母へ仕送られた少額のお金をやりくりして生活してましたが全く足りず、それでも「姉も困るだろうな」と文句も言わず、自分の貯金を切り崩して生活してましたが・・・、昨年から母の数度の入院治療などがあり、もう底ついてしまいました(困)。

このように毎日が”母の介護中心の状態”となった私は、今まで細々と行ってたPCのメンテのお仕事でしたけど、お客様のところへも行けなくなって無収入状態。

貯金もない、住むところもない、ですが姉は「僕が困っても知らない」…とのことでした。

以前、僕が”脳梗塞”で倒れた際にも、援助やお見舞いは一切ありませんでした。

・・・精神的にも体も、もうボロボロ。

今更再就職のあてなどない…僕のような”介護離職者”って世間では悪者なんでしょうか。



自分の家族・・・、メインは「姉弟間の確執」もあって、ここ15~6年の間は私が母と伯母を見てました。


しかしながら今回の件で、苦労が報われるどころか、更に追い詰められてしまうとは思ってもいませんでした。

このような事態も含めて、その母を施設に入れるようになった経緯と、今まで自分が胸の内に入れて表に出さずにいた”家族間の確執”等あらためて書き込んでみようと決意しました。





・・・長くなりますので数回に分けてアップしようと思います。



「自分の家族のことを暴露する」ということは、自分を含めて公に”恥をさらす”ことに他ありません事は十分に承知しております。


なので他人様に「ご理解してください」とも言えません。

まさに”暴挙”のようですが、今まで自分が置かれてきた立場、今後の自分の生活など「介護離職に陥った者の胸の内」を明かさせていただければ…と思います。










Posted at 2015/12/22 15:46:26 | コメント(11) | トラックバック(2) | 我が家のこと | 日記

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