先日レンタルバイクを借りた話を、会社の先輩にしたら、
「バイクが好きなのならバイク買えばいいのに、なんで独身なのに買わないの?そんなに貯金したいの?」と言われました。
この先輩とはいつもボケ&ツッコミをしあっているような関係なので、上記の発言も別に悪意を持って言ってきたわけでなく純粋にそう思って言ってきたようでした。
さて今回は「物を所有する」事に対して書こうと思うわけですが、私は「
所有する喜びはあるが、所有しない気軽さもある」という自論を持っており、
なんでもかんでも所有するのはスマートじゃないと考える人間です。そんなヤツの文章を読む気になってくれる方は以下読み進めてください。
いきなりですが、血液型と性格などの話があります。
A型はきちょうめんだとか、O型はおおざっぱだとか。
私はわりと理屈っぽい人間だと思っていますが、実はこういう血液型の話は結構好きです。学問的な根拠があるのかは甚だ疑問ですが、ひとつのカルチャーとして、会話のネタとして盛り上がれる良い材料なのです。
血液型よりは信憑性があると思うものに「
いつ生まれどんな時代を生きたか」というのがあります。いわゆる「最近の若者は~」といわれるやつですが、今回の件に関しても、私はそれがある程度影響していると思っています。
具体的にいうと、私の先輩はあと数年で40歳になろうという年齢で、私は最近30歳になった位。
同じ昭和生まれではあり、仕事では共通のネタがあるので問題ありませんが、例えばカラオケに行くと歌う曲で年齢差を感じたりします。
年齢だけで括るのは良くないと思いつつも、私の感覚では
年齢が高い方の方が、「物を所有する事」に対してポジティブに思われる方が多いように思えます。例えばその先輩は(家族がいる事もありますが)マンションもローンで買っていて、要は家を所有しています。今の私には家を購入するという選択はあまり考えられません。都心の駅前に買うならまだしも、家を「
所有することのリスクやコスト」を考えてしまうからです。
さて先の先輩の話に戻りますが、
その先輩からすると私がバイクをレンタルしてお金を払うという行為には首傾げのようです。
だったら買えばいいんじゃん?何で買わないの?と。
私はバイクを買おうと思えば買えますし、別にお金を貯めたくて買わないわけではありません。
あえて買わないのです。それは「所有するネガ」があることを知っているからです。
あるいはその先輩はこう言いました、
「レンタルってことはバイクが”わ”ナンバーって事?そんなのかっこわるいし、ありえないわ」と。
ガンガン言いたいことをおっしゃいます(笑)
まぁ私も相手が先輩なので別に面と向かって反論などはしません。ただ心の中で「この人は周りから自分の車がどう見られているかという事を大事にする人なんだな」と思いました。我ながらちょっと嫌な奴です。
言い換えると、私としては「わ」ナンバーに乗っている自分が、他人に見られることなど、どうでもよいのです。もし「わ」をネガティブに思う人がいるとしては、それは外人と同じように、別の世界の人間なのだと思うだけなのです。極論すれば先輩は周りの目を気にする見栄っ張りであり、私は自分さえよければそれでよい世捨て人なのです。
さて分かり切った事ですが、物を所有する事としない事には一長一短があります。
バイクの例でいれば、前回の房総ツーリングでは、一泊した翌日の夕方に返却しなければならなかったので、その日のスケジュールはそれに縛られていました。これは「時間的に豊かではない」と思いました。もし所有していればそんな制約などないのだから、寄り道を楽しんだり、高速のPAでダラダラ(私の好きな時間)したりできたわけです。返却時間を延長すればできないことは無いですが、時間当たり1000円以上の延長料金がかかることを考えると、あまりそういう気分にはなれません。
この一点のネガを考えただけでも、「バイク買っちゃえよ」という声の理由は十分に理解できるのです。もちろんそれにとどまらず、やはり毎回同じバイクに乗っていた方が愛着も沸きますし、そのバイクの乗り方に慣れることもできてより快適です。あるいは自分好みに車体をカスタマイズする楽しさもあるでしょう(みんカラはまさにコレですよね)。
一方で所有しない事のメリットはそのまま所有する事のデメリットの裏返しになります。
私の場合は、個人的な価値観もありますが、「
物は稼働していてなんぼ」という考え方があります。つまり使用頻度が高い事こそ、その物を使う上で最も満足を覚える状態になります。
以前は一年中バイクに乗っていた私ですが、現在の生活はバスと電車で完結する都心型の生活であり、バイクも車も基本的に必要がありません。仮に所有しても乗るのは週末だけ。ましてバイクであれば春は花粉症、夏は脱水症、冬は極寒&凍結の恐怖という事になfり、秋以外にはあまり乗らない事が目に見えているのです。実際に少し前に所有していたヤマハFZ6は一度も車検をすることなく手放しましたが、その理由は単純に乗ってあげることができず、乗ってもらえなバイクがかわいそうになって売ったのです。
この使用頻度の考え方は若干私個人の価値観によってしまっていますが、先の年齢の話に戻せば、おそらく
平成生まれの年齢層も、物を所有する事に対する価値が相対的に低いと感じます(私は昭和末期生まれ)。これは私の周りを見ていても思いますし、書籍などを読んでみても同じような事が書いてあります。以前よりも娯楽の選択肢が多く、中でもインターネットなどはお金をかけずとも無料で楽しめてしまうので、わざわざ高額な車やバイクを買おうという食指が向かないという意見もありますし、生まれた時から物のあふれた社会にいるので、物に対する枯渇感がなく故に興味がないというという声もあります。あるいはずっと不景気の中を生きてきており、それが当たり前になっているので、お金の消費も慎重であるというのもあります。
こんな風に書くと反論もありそうですが、私は
最近の若者が物に興味を持たなくなってきているのは、日本が先進国として成熟を深めてきている結果なのではないかと思います。少し前に『フランス人は10着しか服を持たない』という本がヒットしましたが、まさにこれに合致する考え方です。
例えば有名なブランドだからと短絡的に飛びつくのではなく、その物の本質的な価値(自身自身にフィットするかいう観点も含め)を見ようとする風土ができているような気がするのです。この辺は私の感覚的な要素が大きく、客観性に欠ける部分もありますが、良くも悪くも社会の価値観は変わってきており、これまでのビジネスモデルをそのまま日本市場に適用していては、団塊世代の方々がいるうちは良いかもしれませんが、その先は厳しいように思えます。
そうは言いながらも、少し前にホンダから発売されたCBR250RRは、車両本体価格が80万に迫る高額バイクでありながら(通常250ccの価格は50万前後だと思います)、非常に売れ行きが良く、なかでも20代の購入割合が多いという事です。
https://response.jp/article/2017/08/17/298653.html
自身の考えに異論を唱えるようですが、必ずしも最近の若い奴が物に興味がないという事もないのかもしれません。ただ、同じ「物を買う」という行為でも、そこに至る経緯や背景はこれまでとは異なっているのかもしません。
なんだか話を広げすぎましたが、ここまで読んでいただいた方に、何か考えるキッカエを提供できたなら幸いです。ありがとうございました。
Posted at 2017/10/08 00:04:23 | |
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