本屋に寄っては買うて、ネットで気になったらクリックしとう内に、
買ってから手を付けてへん本が増えてきた。
山関係の本ばっかり・・・。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら/岩崎 夏海著」は、
よう考えたら、普通に
ドラッカーの「マネジメント」を買うべきやったわ。
○読書な日々
こん中で、特に気になるんがこの3冊・・・
①
岳人備忘録/東京新聞
【内容紹介】
現代登山の最先端で活躍し世界的にも著名な山野井泰史、平山ユージら、あるいはその発言や
活動が大きな影響力をもっている岩崎元郎や坂下直枝ら、さらにはかつて初登攀で勇名を馳せ
たクライマー、山岳写真家、出版社社長、山小屋主人、山岳救助隊員、山岳ガイド、山道具メ
ーカー社長など、日本の登山界のキーパーソン47人が語った、それぞれの「山」の世界。
その冒険の思想、登山と生活、登山界への提言などは、刺激に満ちており、ここに記録された
ものは日本の登山の側面史でもある。
山の専門誌 月刊『岳人』に連載され、好評だった「30の質問」「備忘録 語り残しておきた
いことども」を、一冊にまとめた。 (東京新聞より)
②
単独行者/谷 甲州著
【内容紹介】
彼はなぜ、単独行(ひとり)を選んだのか――。
昭和初期、案内人(ガイド)を連れて行なう登山が一般的だった当時、加藤文太郎は、ひとりで
冬の北アルプスを駆け巡り、数々の画期的な記録を残した。
彼が遭難したときには、新聞で「国宝的山の猛者、槍で遭難」と伝えたほどであった。
しかし彼は、決して特別な存在ではなく、超人的な力を持っていたわけではなかった。
ごく普通の人間的な弱さをもった加藤が、あえて単独を選び、苛烈な冬山に挑んだ理由とは――。
史実をもとにした真実の加藤文太郎像を、山岳小説の名手・谷甲州が、渾身の力で描ききる大作。
『山と溪谷』連載に大幅な書き下ろしを加えて、ついに単行本化! (山と渓谷社より)
③
空白の5マイル/角幡 唯介著
【内容紹介】
チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。
この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。
チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いったいどこ
に流れるのか、昔はそれが分からなかった。その謎が解かれた後もツアンポー峡谷の奥地には
巨大な滝があると噂され、その伝説に魅せられた多くの探検家が、この場所に足を運んだ。
早稲田大学探検部に所属していた私は大学四年生の時、たまたま手に取った一冊の本がきっか
けでこの峡谷の存在を知った。そして一九二四年に英国のフランク・キングドン=ウオードによる
探検以降、ツアンポー峡谷に残された地理的空白部の踏査が一向に進んでいないことを知った。
キングドン=ウオードの探検はほとんど完璧に近く、彼の探検によりこの峡谷部に残された空白部
はもはや五マイル、約八キロしかないといわれていた。しかし残されたこの五マイルに、ひょっと
したら幻とされた大滝が実在するかもしれない。
キングドン=ウオードの残したこの「空白の五マイル」は、探検が探検であった時代の舞台が現代
まで残されている、おそらく世界で最後の場所だった。私は空白の五マイルを含めたツアンポー峡
谷の核心部をすべて探検しようと心に決め、一九九八年に部の仲間と一緒にツアンポー峡谷に向
かった。
空白の五マイルを目指した探検家は私だけではなかった。
とりわけ米国の探検家たちは一九九〇年代以降、精力的にツアンポー峡谷に足を運び成果をあげ
てきた。一九九八年には探検家イアン・ベイカーの隊が、ある大きな発見も成し遂げていた。
米国の探検家に後れをとった私は二〇〇二年冬、もう一度ツアンポー峡谷を目指すことに決めた。
米国の探検家も行けなかった空白部の最も奥地に入りこもうと思ったのだ。しかも今度は無許可、
おまけに単独だった。この旅で私は何度か危うく死にそうな目にあったが、それでも執拗に峡谷の
奥地に何度も足をのばし、伝説的未探検地とよばれた空白の五マイルのほとんどを踏査すること
に成功した。
それから七年が経った二〇〇九年冬、私は再びツアンポー峡谷を目指すことにした。まだやり残し
たことがある、そう思い、私は前年に新聞社を辞め、自らの人生を賭けた探検に出発した。しかし
現地に入ると七年前には考えられなかったことが次々とおこり、旅はいささかスリリングなものと
なった。(集英社webサイトより)
はよ読みたいわ~。
Posted at 2010/12/25 04:06:08 | |
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