
目頭にハンカチ当てながら 読む人無しの当ブログ
誕生日の 備忘録的内容に なるかと。。
御覧のとおり 腕も細くなりましたが繁盛の気配はナシ
夜毎の晩酌 お相手は「酒のかみさん」と「貧乏神」か
ではでは 今宵 駄文だらだら お付き合いを・・・
この時計セイコーのダイバーウォッチで 34年前の誕生日に両親が記念にプレゼントしてくれたもの
その名のとおり 実際に北陸方面や太平洋では串本 南方では沖縄でも本来の使い方でした
当然 日常でも使っていますが、この34年間 1度たりとも 止めた事がありません。
時は過ぎ 7年前の5月に母が 追うように8月には父が帰天 命日に覚えがありません
ふたりが死を迎えるまで 妹(Reiko)がまさに身を粉にして世話をしましたが 事ある度に 私には心配をかけるような事は言うな! と きつく言われ続けていたそうです。
笑われるかもしれませんが それも結構 18歳で京都を後にし やりたい放題の一人暮らし
じゅうぶんに 心配も掛けましたが 同時に親の有難さを痛感し また かけがえの無い存在である と実感 そして そんな私が無条件に還ることができる「ところ」でした こころもからだも。
両親を亡くし 翌年の春 「なにか」を振り切るように 家族でグアムに行き 思い出と共に戻って来ると 体調の異変 思考は定着堂々巡り 悪いのは全て我にあり 会話の苦しさ 理解 判断を求められることへの恐怖 並行して行動もおかしくなり 重い腰を起こし庭の草むしり バケツ1杯で止めるつもりが止められず押し込み押し込みてんこ盛り バケツを見詰めると その目線はそこから外せなくなり なにかが 凍りついていく こころもからだも たましいも。。。
診断後 お利口さんに ちゃんと薬も飲みましたが たましいに効く新薬なんぞ ある訳も無く 数え切れないほど 両親の待つところへ還ろうかと試みましたが 何故か断念ばかり
原因はふたつ わかっているのですが 今さら両親がゾンビの如く蘇る訳も無く 苦しい日々は4年に渡り続き 自分自身との悪戦苦闘 とある昼下がり 酒に安楽逃避をしていたところ 突然の発汗 まさにその文章に表せない感覚は たましいをもみくちゃにされているように感じました。
それは 誰かが 私の魂を ぐいぐいと 練り上げているような感じであり のたうちまわるほどに苦しく辛いのだが 流れ出る涙とともに 一条の光? 降り注ぐなにか? が見えたのは確かでした。
今となっては 鬱になって良かったと思い ならないに越した事は無いが 克服出来たおかげで 以前よりも感性は豊かになったと思うと あながち 『鬱』も 両親が残したプレゼントかもしれません
金銭的財産 不動産的財産は一切残してはくれませんでしたが もっと もっと大切な 残された兄妹の強い絆 そして 今の私があることに感謝しています。
そして この歳で ここを通じて「ステキな皆様」と出逢えたことが嬉しいです。
間もなく 午後7時15分 産まれた時間です
生んでくれた 親爺 おふくろ ありがとう♪
Posted at 2011/09/12 19:17:52 |
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