2012年 5月1日 ブログカテゴリー 「古いもの」 タイトル 親爺の“dunhill”
文中に 「おまえがなぁ これ 使うてもええかな と 思えるようになったら 使え。」 と。
22歳 早や33年前となったが ちょっと遅い普通免許取得
初心者マークで所有したのは S45式のJeep J-54 3速 1.2速 ノンシンクロ
その後 33年間 代車として昭和のシーマ 機材車としてシグマバン 4灯キャラバン等があったが 一貫して ファーストカーは四駆ばかりであった。
順不同であるが FJ-56 FJ-55 FJ-60 BJ-41 PZJ-70MR HJ-47RV ダッジM-880 J3-R
Y-60 LWB 5MT Y-60 LWB AT Y-60 SWB 5MT これは現愛車である。
その他にも 乗らないと痛むからと 数か月から1年以上に渡り 友人から預かった車両は、G-60 HJ-60 BJ-71 ブリザード 故人となられた方のFJ-40 北米LHD FJ-40(F-155) 等など
実際には 所有した車両も お預かりしていた車両も もっとあったのではないかと思うが 思い出せないあたり おそらく 私の中では印象が薄かったのであろう。
全てがリジッドアクスルであり 全てがRV等とは縁遠い四駆 SUV?とは程遠い四駆である。
FJ-60を降り LCを語るにはY-60を知らねばならぬと 購入したのが Y-60 LWB 5MTであった
極悪路では 評判の高かった車両であったが 2F ファイナル4,556 リアLSDのFJと比較すると 正直なところ 全てにおいて落胆したものであり その辺りから 山遊びが遠のいた。
数ヵ月後 私の不注意で件のY-60は全損 その後 縁あって現在息子が乗っているY-60 LWB ATがやって来るのだが 油脂管理 日常メンテナンス等は機関に問題が起こらぬ前に行っていた
しかし それに愛情は無く 壊れたら困るからのものであり 決してLCの頃のものでは無かった。
5年? いや もっと長いか? Y-60にとって可愛そうな付き合いをしていた と 感じる。
そして 3年前 ひょんな事から 私の地元で 某クラブのイベントを行う事となり 事前に知り合う事になったのが お互いLC一辺倒 その後 互いにY-60を所有するGQDT氏である。
事前に と 記したが これには訳があり このあたりの事は互いの胸中に収めておこう。
その後も GQDT氏との付き合いは途切れる事無く続き ふたりで始めたのが かの「怪しい寄り合い」であり 参加取り纏めは 私とGQDT氏 サダ氏 であった
記念すべき 『第1回 山奥の怪しい寄り合い』 において 私はLC的呪縛を完全に払拭出来 愛機であるY-60で 再び 年甲斐の無い走りに戻る事が出来た訳である。
誰にでも 様々な “転機” は訪れる
親友が 高額な商品を海外から個人輸入したいと相談を受けたが 多少 彼より余分に生きている私は 経験上 今を逃すと厳しくなるのでは? 今を逃すと後悔するのでは? と判断し 後押しをした。
話しを戻すが 今となってはショップが逆輸入等を行っており 比較的簡単に逆車を所有出来るようだが 当時 HJ-47RV(リアルバリュー)を引っ張り 国内登録させるのは難儀であった
ナンバーが付いた時には 当時のメンバーと抱き合って泣いた 嬉しかった。
ある意味 「走り」 が好きだった私が HJ-47の購入登録に踏み切ったのも 転機であろう
しかし 別れの時は意外に早く 主たる理由は オフで使い物にならない為であった。
別れの夕方 確か 当時保育園の息子が思い切り泣いたのを つい先日の事のように思い出す
仕方ないのだが 今となっても 正直なところ未練が残る
音信不通 どうしているだろうか と。。
そして ごく限られた方には報告しているのだが・・
2月4日 午後 『転機』 は 訪れる のだろうか・・・
35年前 二十歳の誕生日 親爺のひとこと
『おまえがなぁ これ 使うてもええかな と 思えるようになったら 使え。』
今 手許には 4枚の写真
『おまえがなぁ これ 乗ってもええかな と 思えるようになったら 乗れ。』
Posted at 2013/02/02 18:04:15 |
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