2012年10月11日
肌寒さを感じると父の命日を思い出す。次の命日で彼が他界して丁度10年のときが経つ。
思えば、私がクルマを好きなのは父の影響だろう。
父とクルマは切り離せない対の思い出。
沢山のクルマを乗り継いだ父。サラっと思い出すだけでも20台以上はある。
私の産まれる前、母を横に乗せて駆ったクルマも羅列すれば、一体どれくらいになるだろう。
写真には残るが残念ながら私は乗る事のなかったダルマセリカ、時々あった51クレスタ、
チョットだけ居たGZ10型のソアラ、それから430と330のセドリック…
その大抵はイワユル“詰め車”の、街道レーサーなラインナップ。
かと思えば、オールズモービルのカトラスクーペやシボレーコルベアなんてのもあったりして(笑)
メルセデス560SLのコンバーチブルをたいそう気に入って
『コーナリングで思いのほか張り付く感じがイイんだよ』 と言っていたのが耳に残る。
その中でも私の記憶の中に強く残っているクルマは2台。
6代目クラウンのロイヤルサルーン (家族でおでかけ用) と
SKYLINEのC110型をベースにKPGC110型として、僅か4ヶ月の間だけ販売され、総数197台の
2000GT-R 通称 「ケンメリ」 のGT-Rだ。
その二つは他のクルマが入れ替わる間もずっとあって、私も沢山乗ったのでよく覚えている。
後部ロールバー組みのケンメリRは2シーターで、父と母と私との3人で出かける時
私はいつも母の膝の上。そしてほんの時々父の膝の上だった。
当時にしてみれば完全な 「改造車両」 だが、私はクルマの基本がソレだと思って育った。
チャイルドシート標準装備的な今の時世
『自分の子供を運転してる膝の上に乗せるなんて親として失格!』
なんて声も聞こえてきそうだけど、いろんな意味で無菌で守られてなんていなかった当時には
そんな事もあったりしたもの。
そう、GT-Rを私はその時初めて運転(笑)したのだ。
物心ついた頃 「東名レース」 の事を父が話すのを聞いた。
ソンナ業界ではかの有名な東名レースを初めて知ったその媒体が、父親。
ソレは確かに公の場で話すような事ではないのは承知だ。
が…既に時効であることと、そういった背景があるからこそ、当時の日本のクルマ業界は
活気があって産業が栄えていた。
技術で喰ってきた我が国 日本としての原点のひとつでもあるように私は思う。
父は時々新○○のゼロヨンや、東名レースに出かけていた当時の事を話してくれた。
家庭の夫としての責任を問う声も聞こえてきそうだし
その思考は至極当たり前の感覚なのも理解している。
世相を揶揄・嘲弄するつもりではないが、しかしそんなカンカクとはいっそカテゴリが違う。
ケンメリを駆りながら、街でSA22CのサバンナRX-7を見かけると、父は決まって
『アレが欲しいんだよなぁ、ロータリーエンジンなんだよ』
と言っていたのが今でも鮮明だ。一度はロータリーを駆りたいと言っていた彼。
若い当時にしていた仕事柄、父はそれこそ様々なクルマに乗る機会があった。
しかしついぞ、マイカーとしてロータリーを駆るその思いは叶わずして他界した。
病室で父が 『手に入らなかったものがあるという人生も魅力的』 と言ったのをよく覚えている。
私が初めてのクルマRX-7(FC3S)を買った時、横に乗ってとても嬉しそうな彼を見た。
一緒に祖父の墓参りに行く助手席で、手にしなかったSAを思い出し
『あの頃のクルマはホント良かったよ』 と父は言ったのだ。・・・・そして、
『これからのクルマが良くなって行くためのベースであるべき』とも言った。
『あの頃は良かった』 当時の人は言うかもしれない。
私も、自分のクルマ人生を振り返ってそう思うことは多々ある。
だってさ、振り返らざるを得ない程に今の時世・時代があまりにも平たくて、右に習ってて
フラットで、本質を見る力が希薄で。
それは良く言えば、マイルドで扱いやすく統率感があるって事でもあるケド。
ケドさ、扱いやすくてイタレリツクセリすぎる。
今の「自動車」は便利だよ。何もしなくても自動車が全部運転してくれるんじゃね?って感じで。
勿論これからの世の中、快適な装備やハイテクなシステム機構も必要だし、
それらの一部に携わるオシゴトも大事。誰しも喰ってかなきゃならないから(笑)
けれど、飼いならされている感が否めない。
知らずにマインドコントロールされて、夜中にツウハン番組でモノを買ウ。みたいな感じだ。
マイルドに味付けられて誰にでも扱い易く、ヨソ見してても止まってくれる自動車で育ったら、
きっとハンドリングする事の本当の楽しさは知らないで育つんだと思う。
でもそれも時代だ。
誰のいう事も素直に受け入れる (私のような☆) 従順な女と、ワガママで自由奔放だけどここ一番は自分にだけまっすぐ向いてくれるオンナ。どっちを手に入れた方が楽しい?(笑)
私なら、誰にでもアタリのいい男よか、近寄るにはチョットひと呼吸置いてしまうような空気を醸し出すけど自分にだけなつくオトコ、がイイけどね。
クルマもそれと同じように思っている。例えがヘンだけど(笑)
昨今は、そんなオンリーワンに仕上げて寄り添いたい欲求に駈られるクルマが減っている。
後ろを振り返る事は、生産性には乏しいかもしれない。
振り返ってばかりいれば、前にはなかなか進めない。
前に進む力は常に強く強く必要で、それでもその 「回顧」 と 「懐古」 をベースに、
その中から未来に繋がる魅力的なナニカを発見できるかもしれない。出来るはず。
『これからのクルマが良くなって行くためのベースであるべき』
と言った父も、そんなふうに思っていただろうか。
もし、父が父ではなく 「今の時代を同世代で生きる別のオトコ」 だったら、
私は彼に出逢えただろうか。彼に惚れただろうか。
それだけはどうにも解からない(笑) 父はどうしたって、永遠に父 だから。
Posted at 2012/10/11 18:53:44 | |
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