
今年度もじき終わりだね…こんばんは!生きています。
今回の地震の被害、被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。
地震のあったあの日、私は仙台市内にいた。
横浜市民がそんなタイムリーに仙台に?!
と思うかもしれないけれど、出張だったのだ。
今年度に入ってからの私の担当する仕事の出張エリアが東北方面と岐阜・名古屋などで、その中でも東北にはかなり頻繁に出張していた。
その日は仙台の事務所に寄ったら、金曜だしちょっと早めに切り上げて、楽しみに用意してあったエシレのフィナンシェとクロワッサンで夜は家女子会の予定だったの。
そして、あの地震だ。
揺れではあまり騒がない性質の私だが、体験した事のない揺れで、その瞬間は何がどうなったのか即座には解からなかったよ。
「揺れた!」 というよか、単純に 「え?!何なの?!」 という感じだ。
クルマに乗っていた。現地の事務所の人に、駅まで送って貰う途中だったのだ。
当然の事ながら、家には帰れなくなった。( ´Д`)エシレ…とか言っている場合ではない。本気で。
女子会を予定していた友達とは連絡がつかず…その日は仙台に留まり、明けが土日なのは幸いだったか、日曜には現地の事務所の人が山形まで送ってくれた。
山形からバスに乗り新潟まで行くと、親戚が出迎えてくれ長岡へ、そして列車で帰ってきた。
大変なのはその後だった。
担当している出張地の事務所は東北にいくつかあるのだが、まず連絡がつかない。
件の原発の第一と第二の丁度間の町にある事務所に自分は仕事で行っていたが、そこの事務所の方とは、当たり前なのかもしれないが、未だに連絡がつかない。
1年、一緒に仕事をして来た人々なだけに心配だ。
当然の事ながら、仕事の予定も全滅だ。そんな事言っている場合でもないし。
納入予定の機器を用意するはずの某メーカーも、用意していたものは全滅。
それでも悲しいかな仕事というのは無情にも進んで行くもので、その為の代替プランを即座に設計しなくてはならなかったりと、なんというかナントイウカな感じだ。
約2週間駆けずり回って、自分の人生ではかつて無いのではないか?!というくらいに多忙に仕事をした気がする。それでも、被災地の人の大変さに比べたら微塵でもないと思うけれど。
そして3月も末…異例の1年帰還の辞令が出た。
長くて5年、短くても2年と思っていた出向だが、1年で本体に戻ることとなった。
岐阜・名古屋はもとより、東北に行く機会も格段に減る。
ともに仕事をした人々のその後は、それでも心配なのは言うまでもないが、来週いっぱいで後任者に引継ぎをしなくてはならない。無情というか、時間というのは本当に忙しないものだな、と思う。そんな今日この頃。
お気遣いのメッセージなどをくれた方には、本当にありがとう。
まぁ、がんばらなくっちゃね!何事も。
被災地で頑張っている人にはもう、これ以上「頑張って」なんて言い難いけれどほんと…。
余談だけれどさあ。首都圏なんかで買占めすんの、やめて欲しいよね…マジで。
トイレットペーパーが本気で無いんだが、今うち。あと一個だよぉお!
さっきもだね、出張から早め切り上げで帰って来た。
横浜駅のクイーンズ伊勢丹でカラになったトイレットペーパー売り場を前に愕然としていたら、横にいたオバはんが誰ぞと電話で
「こっち無いわよ!そっちは?え?5個?…一人2個まで?!…だったら3回並んでよ!」
とか言ってんの。死んで、本気で。
←そうとう毒吐いていますね、私。
長文でごめんね。
Posted at 2011/03/25 22:47:22 | |
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