
年度が替わる…アっと言う間だ。
出向先だった場所の辞令は1日付け。
本体の辞令は15日付け。
因って約2週間のニートな私が開始する。今から。
せっかくだからね、この期間に桜を見に行こうと思うのだ。この時世になにを…と思う方もいるかもしれない。
都内の公園でも、花見客の自粛を呼びかけているところもあるのだが、宴会様の騒ぎを自粛しろという事であって、純粋に 「花見」 をするのは、それはそれで良いと思う。
ははのんきだね。自分でも思わなくもない。今、桜どころじゃない人は沢山いるのに。
買い占めたり、かと思えば贅沢品や嗜好品を買い控えたり、レジャーや野菜を敬遠したり。
計画停電の影響もあるかもしれないけれど、首都圏の観光地では閑古鳥が鳴いているっぽい。
なんだか極端だなあとも思う。人それぞれ思うところがあるだろうけれど。
帰りがけ、少しだけ呑みながらそんな話をしていたら、人それぞれの考え方の違いを思い知る。
「君はちょっと冷たいし、お気楽でご気楽で、少し能天気なところがある」 と言われてしまった。
おそらくその通りだろうが、知人に言われるのは、正直ちょっと凹む。
私の家は計画停電対象外のエリアで、それは実にありがたいが、勿論電力は無駄には使わないようにしている。
普段より少しだけだけれど、こまめに電気を切るとかそんな程度になってしまうけれど。
「出来ることをする=自分を犠牲にする」 ではないと思う。
カサディとルパートサンダーソンとロッシを買おうと思っていたのを 1つやめて募金にした。
微々たる額かもしれないけれど、自分の楽しみを全部こらえてまで…というのは、違うと思う。
関東にもいずれ大きな災害はくるだろうけれど、その時、何か些細な事でも力になってくれる人が居たら、勿論うれしい。
だけれども、その人の何かを犠牲にしてまで…とは思わない。
誰かだけがずっと不幸なままで誰かだけはずっと幸せ…というのは有り得なく、人それぞれ大変な時も来て、幸せな時も来る。サポートできる事は、すればいい。
幸も不幸も、少しだけ分け合う事は出来ても、取り替える事はできない。だからどうやっても、最後は自分で前に進まなくてはならないのだと思う。でもこれって冷たい考え方なのかな。
桜のライトアップをやらないのなら、それはそれで勿論、賛成だ。
灯りの無かった古のときも、桜は変わらず綺麗だっただろうから。
普段と違う暗い街、普段と違う生活のリズム、それを敬遠して出かけないよりも、いつもと違う日常を楽しむ…と言ったら不謹慎に映るのかもしれないけれど、それもまた有りだと思う。
街が暗いと、夜空の星が少し、多く見えるような気がするよ。キノセイかもしれないけれどさ(笑)
書いてから読み返すと、やっぱり自分、冷たいヤツなのかな…と思ったりもした。(;- -)...
そして、私は野菜は買う!だって好きだし、そんなに神経質な性質じゃないもんねーだ。
Posted at 2011/04/01 00:44:05 | |
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