
枝垂れた梅が咲きほころんだ民家と民家の間を抜ける、
すれ違うにはやや狭い、細い歩道を歩いていた。
梅を見上げて歩いていると、前に老齢のご婦人が歩いている。
少し弱々しく、それでいてしっかりと。
抜かそうか抜かすまいかと迷ったが、梅が綺麗だったので
それを楽しみながらゆっくりと後ろを歩くこととした。
しばらくすると、彼女は歩みのペースを緩め、少しばかり左に寄ったので、彼女の横を私は気持ち頭を下げながら通り過ぎた。
そのとき
彼女は後ろから私に 『いい音ね』 と優しげに (見えてはいないがおそらく) 微笑んで言った。
実は後ろを歩きながら、私自身少し気にしていたのだ。
ヒールのアスファルトを叩く音が、彼女を急かしはしないだろうかと。
少し申し訳なくて 『ありがとう。でも、急かしてしまったかもしれませんね』 と所在無げな笑顔を返すと、彼女は
『大丈夫よ。落ち着いた、きれいな歩き方のする音だから心地よかったのよ』 と微笑んでくれた。
『梅がもう、こんなに綺麗ですね。桜もじきに咲くのでしょうね』 と、沿道を抜けた先の梅を見て言う私に 『そうね、とても楽しみだわ』 と温かい笑顔を見せる彼女にとても温かい気持ちにさせられた昼下がり。
無機質に過ぎゆく、ともすると温かみのある会話など誰とも交わさぬ日もあるかもしれない殺伐とした日常の中で、たったささやかな1シーンがたまにあると、嬉しい。
歩く音には気をつける。
例えばだけど、良い靴は耳障りでない程度の良い音がするというけれど、
靴の良し悪しよりも、歩き方次第でその表情を変えるだろう。
時々若い子が忙しなく カッ!カッ!カッ!カッ!!と攻撃的にも甲高い音をさせていたり
かと思えば、
ス カーン
ス カーンと空気を含んだハスっぱな音をさせている、やや品格に劣る脚。
スッパスッパと引きずるように歩く音など聴こえようものなら、どういうワケだか気持ちが萎える。
批判も批評もするつもりはなくとも、やはり後ろを歩かれると気持ちがささくれ立つ場合もある。
特に先に述べたような状況では、前を歩く人への配慮も必要かもしれない。
若くはないので、普段から立ち居振る舞い・所作や四肢の置かれるべき形などには気を遣っているつもりだが、それでもこうして時々、改めて襟を正す機会を設けることも重要だ。
靴音に限らずも、そういう些細だけれども様々なことを 忙しない俗世から少し離れることのできた年輩の方とのちょっとした触れ合いで学べる事は多い。
蛇足だが、中年のオッサンに 『いい音だね』 と言われたら 『踏みましょうか?』 と返したほうがいいのだろうかとか思ってしまう自分(笑)
Posted at 2012/03/26 17:26:51 | |
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日常カナニカダ。 | 日記