2007年09月13日
安倍さん。。。13.September.2007
おはようございます。
昨日の安倍首相の唐突過ぎた辞任会見に対するメディアの報道に関して。。。
日本人気質って、こんなにキツイものだったのか!?と改めて実感しました。
あくまで、ボク個人の感想であって、意見ではありません。
横綱朝青龍のことにしてもそう思っていましたが、非難轟々で、それはそれなりのポジションにある人物だから公には厳しい見方がされて然るべきでしょうが、あまりにも【個】を鑑みていないように思われて仕方ありません。
彼らが精神的に限界に達している様子は、誰の目にも明らかだったと思います。
横綱に関しては、生い立ちやら育ってきた環境等解らない部分もあるので、ちょっと意味合いが違いますが、それでも彼も精神的な傷を負ってしまったことに違いはないでしょう。
本来、彼の場合は放っておいてあげる(見守ってあげる)べきであって、周囲が何だかんだと騒ぎ囃し立てるなどもっての外です論外です。(持論です)
彼の首相にしても、参院選惨敗から昨日までを振り返ってみれば、正しく針の蓆であっても虚勢を張らねばならなかったんでしょう。
それは、個々人の小さな家族単位(セル)においても同様の営みが毎日されていることだと思います。
確かに、それと国政を預かるという立場では、全く異なってくるものがあるのも解りますが、それと【個】とはまた別物でしょう。
日本という国では、長年【恥】の文化がその根底にあったと言われています。
顕著なところでは、武士の切腹ですね。
【恥を忍んで生きては行けぬ】という、ある意味自殺的な行為だったんでしょうが、当時は家督の存亡に関わることでもあったので、一概に判断することはできないでしょう。
でも、その当時は守るものは【家】だった。
それでは、今なら?
自分自身という【個】でいいのではないかと思います。。。
何を以って【潔し】なのか、それは様々な考えがあっていいでしょう。
今回の安倍首相の引き際は、決して褒められたり、ましてや格好のいいものでは到底なく、逆に余りにも惨めな退陣劇ではありました。
それでも、昨日行われる予定だったという代表質問に、彼が耐えられなかったことは明白です。
裁判でいえば、被告人として登壇せねばならない心境だったでしょう。
犯罪者が裁かれることは、今の社会構成から見て当然と思いますが、自分の功績をないがしろにされ(日中関係の改善・国民投票法の成立等)、今の精神状態でその場に赴くことは出来なかったのでしょう。
赴いたら自己が破滅すると判断した、あるいは親族なりが諌めたのかもしれません。
これは、けっして格好のいいものではありません。
それでもボクは、そんな心境が理解できてしまいます。
むかし日本史で学んだ【平沼騎一郎】(だったかな?)内閣を髣髴とさせますが、彼よりは格好いいかな?
ボクはカトリックでもプロテスタントでも、無論仏教徒や敬虔なイスラムでもありませんが、一番の【寛容さ】を備えているのがカトリックだと思います。
そんな【寛容さ】って、もう少しあってもいいのでは?
そんなことを思ってしまった昨日今日なのです。。。
ブログ一覧 |
所感 | 日記
Posted at
2007/09/13 08:48:19
今、あなたにおすすめ