自動車会社のプレスリリース,自動車雑誌,あるいは数々のネット記事でも。
未だにしょっちゅう見かける表現がこれである。
「高張力鋼板を多用することで軽量高剛性なボディを実現」
……う~む。
実のところ,開発ストーリーをかいつまんだのであれば,この表現は間違いではない。
制約あふれる市販車で,軽量高剛性なボディを作るのに高張力鋼板が欠かせないのは事実だ。
が,そういった行間読み一切抜きでこの表現を見た時,貴方ならどう思うだろう?
「鉄板を高張力鋼板ってのにすると軽くなって剛性上がるんだ!」
文系の諸兄は多分こうなるだろう。
無理もない。
時々
理系の技術者でもこう思っている人がいるくらいだ。
私も「剛性足らんから板厚盛って」と言ったら「ハイテン化じゃダメ?」と言われたことがある。
……まぁ,塑性はしてないんすよ,って絵の説明を若干端折った私も悪いのだが。
さて,一部愚痴を交えつつ問題提起をしてみたが,今回の話題は高張力鋼についてである。
早速だが,高張力鋼とは何か,皆さんは正しく理解できているだろうか。
高張力鋼は,開発職の間ではハイテンという呼び方をされることの方が多い気がする。
私としては,高張力鋼という誤解を招きやすい呼称より,原義に近いハイテンの方が好きである。
ハイテン……High Tensile Strength Steelの略だ。
本当はHigh Tensile Strength(高引張強度)であって,High Tension(高張力)ではないのだ。
重箱の隅つつきのようだが,ここは意外と大事だと私は思っている。
悲しいかな「高張力鋼にすると剛性が上がる」と思っている人が多い。
強度と剛性の区別がついていない人が,技術屋の中にもいるのは事実だ。
剛性とは,ある重さをぶら下げた時にバネがどれだけ伸びるかの話。
強度とは,バネにどれだけ力をかけたらビヨビヨになって戻らなくなるか,または切れるかの話。
ざっくりした表現だが概ねこんな感じだ。全然別物であることが分かるだろう。
そして高張力鋼は,一般鋼(レトロニム)に対して,強度は高いが剛性は基本変わらない。
重いものをぶら下げてもダメにならないだけで,伸びにくくなるわけではないのだ。
よって,高張力鋼に変えただけでポンと剛性が上がるなんてことはない。勘違いである。
あるのだが,昔の誰かさんが「高張力」と訳してしまったせいで勘違いは絶えない。
高張力と言われたら,なんとなく伸びにくいのかな?と思ってしまうのも無理はないと思う。
そもそも張力と引張強度は,文字が似ているだけでさっぱり別物だ。
張力をWikipediaで調べると
こんな感じだ。ただの力である。強度要素は皆無だ。
いっそ高強度鋼って書いてくれりゃいいのにねぇ。
(と思ったら高強度鋼って表記もちゃんと存在する……統一しろよややこしいな~もお~)
とまぁ,こんな感じでハイテン(以下ハイテンで統一)とは何ぞやというのは分かったと思う。
次に,何ゆえ自動車にハイテンが使われ,使用範囲が拡大されているか見てみよう。
といっても,高強度と言っている時点で分かるだろう。強度を上げたいからだ。
なぜ強度を上げたいか。理由の多くは衝突安全性能向上のためだ。
どういうわけか分からないが,自動車に求められる衝突安全性能のレベルは年々高まっていく。
人間って年々強度低下していってるんだろうか?と最近真剣に疑っている。
ともかく。
衝突時に乗員を守るためには,運動エネルギーを吸収してやる必要がある。
金属に限らず物体は変形することで内部にエネルギーを吸収できるが,限度がある。
上で,バネを引っ張りすぎるとビヨビヨになって戻らなくなると言った。これを塑性という。
金属は,この塑性状態になるとエネルギー吸収能力がガクンと低下するのだ。
形状その他が同じでも,塑性しにくい材料を使ってやればエネルギー吸収量は増える。
というわけでハイテンのお出ましとなる。
逆に,材料をハイテン化することで,エネルギー吸収能力をそのままに板を薄くすることができる。
板を薄く出来るということはすなわち軽量化につながる。
昨今の自動車は装備が雪だるまのように膨らむ一方,排ガス他の規制で重量は制限される。
その上で衝突安全性能を維持したいなら,ハイテン化して薄板にするしかない。
引張強度を更に上げれば,もっと薄板に出来る(単純計算上は)。
そんなわけで今では超ハイテンに超々ハイテンにウルトラハイテンと絶賛インフレ中である。
じゃあどんどんハイテンにしてどんどん薄くすればいいのか,というとそんなわけはない。
というより,薄くすることで悲鳴を上げ始める機能はゴマンとある。
基本的に,鋼板の薄板化は剛性の低下にストレートにつながる。
断面積は減るし断面モーメントは下がる,メンバーがグニャグニャして操縦性はがたがたになる。
屋根が薄けりゃ雨音は煩いし,床が薄けりゃ路面振動で地震のごとく揺れる。
挙げればキリがないくらい弊害だらけだ。
メンバーの剛性なんて,断面形状で工夫すりゃいいんじゃないの?
構造力学を知っていればそう思うかもしれないが,ここでハイテンの特性が邪魔をする。
ハイテンは強度が高い分,延性が低い。要するに成形が難しいのだ。
生半可なプレス機では,狙った形状にならずうにょ~んと戻ってしまう。
何度かプレスを繰り返せば狙いのカタチになるかもしれないが,下手すると今度は割れる。
複雑なプレスラインなどもってのほかで,プレス機上げてみたら裂きイカになっていたりする。
最近は,特に国内サプライヤはこの辺の対策に熱心で,かなり解決はされてきている。
が,外国,とりわけ技術途上のASEAN他の工場には関係のない話だ。
つまるところ,ハイテンの多用は高剛性ボディになるどころか,間違えると剛性低下を招くのだ。
それでも技術屋は,適材適所にハイテンを使って軽くしつつ,肝は押さえて剛性を出している。
強度と剛性,コストと重量,複数の要目をバランスさせて最適化する地道な作業だ。
「高張力鋼板を多用することで軽量高剛性なボディを実現」なんて1文では済まない。
この文章を見て「高い材料使って良くしたんでしょ」と安易に思わないで欲しい。
最後に,ハイテンを使った軽量高剛性ボディの作り方を紹介しておこう。
一番の正攻法は「剛性は要らないけど強度は要る部品を薄板ハイテン化する」ことだ。
そして,薄板にして浮いた分の重量を振り分けて,必要な箇所の剛性を出していく。
発想としてはオーソドックスだと思うが,効果も微妙でやや時代遅れ感がある。
「剛性は要らないけど強度は要る」なんて妙ちくりんな部品はそんなにはない。
せいぜい270MPa~440MPa級の部品を590MPa級にするくらいのレベルの話だ。
ミラージュの作り方なんかまさにそんな感じである。
上記の文章もこの作り方を前提にして書いてある。
そうした地道なプラスマイナス法に代えて,最近にわかに流行っている手法がある。
ダイハツのDモノコックというのがまさにそれである。
なんと,通常270MPa級で作られるサイドアウターパネル(最外板)をまるっとハイテンにしたのだ。
そしてさらに,ハイテンにして板厚を下げたのかと思ったら,逆に厚くしてある(1.5倍)。
従来ただの板だったサイドアウターパネルを,剛性部材かつ強度部材にしてしまったわけだ。
結果,サイドストラクチャーの内部から補強部品を排除することに成功。
おかげで,アウターが厚板化で重くなったにも関わらず,トータルでは見事軽くなったそうだ。
自動車設計の常識からすると突飛だが,構造力学的には極めて理にかなった方法だ。
これを思いついた設計サイドもすごいが,実現しカタチにしてみせた生産技術サイドも大概だ。
ちなみにマツダの場合,似たようなことをフロアあたりでやっている。
フロアの場合,材料強度上げても振動問題で薄くできないから無駄,と思われていた。
そこをマツダは「板厚そのまま強度上げて衝突時に頑張らせよう」と考えたらしい。
そうしたら乗員区画の骨格はそんなに頑張らなくても良くなったそうだ。
当然,ボディ剛性に関わる部分は部分でマツダらしくちゃんと配慮されている。
どちらの例も,やっていることは本当の意味でのモノコック化だ。
無理に骨を通して継ぎ接ぎするより,高強度の外殻でぐるっと包んでしまう。
あるいは,これこそがハイテンの正しい使い方なのかもしれない。
こんな感じで,どこの自動車メーカーの技術者もとにかく頑張って頭を捻っている。
もはやハイテンなくしてクルマは作れない時代に突入しているのだ。
そのハイテンも決して万能ではなく,付き合うには高い知見と発想力が求められる。
強度と剛性を混同している場合ではない。