2代目の(†|ξ)です。これも最終生産型(arrivederciモデル)でした。シリアルは0190/250です。当時の155オーナーのネット板「さんまの無責任大辞典」の中でも、「最終型155を2台乗り継いだヤツ(お変態さん)」として、希少経験者だったかもしれません。
家の事情で不本意ながらAudiを乗り継ぎましたが、家の事情を考慮する必要がなくなったので(1回目(涙))、ネットで探して、当時あった二子多摩川のお店で買いました。
155TSを買う時、(エイギョウ的都合かもしれませんが(汗))販売員の某元牧師から、「155V6は高根の花だから」的な事を言われていたので、狙えるものなら、とその真価も理解しないまま、V6を探しました。当時確か乗り出しで150まんえん、程度はかなり良かったと思います。
今の様にネットやSNSの(†|ξ)乗りの交流がなかった時代だったので、リアルの(†|ξ)談義はもっぱら近所のDらーさんだけでしたし、誰かとツルんで走る事もなかったので、もっぱら普通に乗ってました。今もそうですがデヴ症...出不精なので、結局累計で2万キロも走らず、1/1スケールミニカーとして愛でるのがメインだた気がします。
かすかな記憶で走りに行ったというと...当時の仲間内を乗せてモテギにMoto-GPを見に行った事、Dらーさん主催の本庄サーキットの走行会に参加した事、千葉の奥地のラジコンサーキットに通った事...くらいですかね(;^_^A
記憶に残っている故障と言えば...燃料センサーが磨滅して車が不動になり、道の真ん中で停まっちゃった事、前記の本庄サーキットの走行会中にマフラーが錆びて脱落+クラッチ磨滅で交換、位だったと思います。「エアコンは壊れるから」と言われていたので、可能な限りエアコンは使いませんでした 。
当時は「改造」など全く眼中になかったので、ほぼ無改造でした。’93DTMを意識して、フロントのメッキグリルを赤のものに交換、リヤスポイラーを黒に交換、前期のトラブル後にマフラーを(現在違法認定になってしまった)カチアゲ型の物に交換、ステッカーチューン位でした。
TSは、回り始めると「前から引っ張られる」様な感じの加速でしたが、V6は「後ろから押される」様な印象でした。最後の純潔アルファロメオ製エンジンであるV6エンジンは元気モリモリで、あの体感は今でも忘れられません。
リーマンショック後に気を失いそうなほどボーナスが減ってしまったので、泣く泣く手放しました。手放す時にDらーで何だか担がれる様に買い叩かれての悲しい別れでした。