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2011年09月23日 イイね!

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その4)

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その4) 図はC32、R31などに搭載された直列6気筒SOHC RB20Eエンジン




 
 今回はG系6気筒エンジンとL系6気筒エンジンのポテンシャルを比較してみたいと思います。
G系6気筒とL系6気筒の比較(1965年当時)
            G系6気筒       L系6気筒      得失
動弁機構       SOHC2V        ←          △
燃焼室形状      ウェッジ型       ←           △
排気量レンジ     2~3l      2~2.4l(当時の計画)   ●
ボアピッチ(mm)    100          97-95         ▲*1
デッキハイト(mm)   233*         207.85         ▲*1
クランク軸受数     5            7          ○
シリンダーヘッド材質   鋳鉄         アルミ合金       ○
動弁駆動      Wローラーチェーン2段 Wローラーチェーン1段     ○
生産ライン規模  S41D、S54用      130用         △
エンジン原価    生産開始後2年  生産開始直後      ●*2

*印寸法は図面からの計り取りによる
*1:排気量拡大には大きい方が有利だが寸法は不利
*2:テクニカルコストの比較であり、実際のエンジン原価の比較ではない
○:L系が有利 ●:G系が有利 △:同等 ▲:どちらともいえない

動弁機構と燃焼室形状は同等です。(両者ベンツの直列6気筒を参考にしていると思われる)
ボアピッチ、デッキハイトともにG系の方が寸法的に大きく、大きさや重量面では不利になりますが、排気量拡大の余地はその分G系の方が有利です。これは実際に大排気量を作るならば有利というだけで、必要なければ何の役にも立ちません。
G系はボアを大きくしてG11(2.5l)を作りましたが、ポテンシャルぎりぎりまで拡大した3lは作りませんでした。L系の場合は2.4l→2.6l→2.8lと拡大したのでポテンシャルを使い切っています。本音を言えば2.6lと2.8lは無理をしてストロークを伸ばしているので、ベストといえる排気量は2.5lでした(ボアストロークは84.5×73.7)。
構造について見てみましょう。G系とL系の大きな違いは次の3点です。
クランク軸受け数、シリンダーヘッドの材質、動弁駆動
この差はすべてG系6気筒のベースとなった1950年代の設計であるG1エンジンの構造を引き継いだことから来ています。つまり、G1エンジンは3ベアリング、鋳鉄シリンダーヘッド、OHVの構造を有しています。
クランク軸受けはG系は5ヶ所で、#1~#2シリンダー間、#5~#6シリンダー間に軸受けがありません。これは前述のようにベースとなったG1エンジンの3ベアリング構造を引き継いでいるのです(G1は#1~#2、#3~#4間に軸受けがない)。因みにモーリスミニなども同様な構造で3ベアリングです。
最高回転速度が5000rpmそこそこであれば5ベアリングでも何とかごまかせますが、6000rpm以上となるとベアリングの負荷もそれだけ厳しくなるし、音振的にも不利は免れないのです。1970年代の主力エンジンとなるには、これはかなり致命的です。
次にシリンダーヘッドの材質です。1960年代に設計された高性能エンジンはほとんど例外なくシリンダーヘッドはアルミ鋳造で作っています。アルミ材は鋳鉄に比べ放熱性が良いので高性能化しやすく(燃焼で発生した熱をより速く冷却水に放熱できる)、比重は鉄の約半分なのでそれだけエンジンを軽量化することができるのです。G7エンジンの整備重量は約195kg(dry重量+7kg)で、L20の整備重量は178kgと17kg差がありますが、この内の10kg+αはシリンダーヘッドの重量差から来ています。
最後に動弁駆動です。G系6気筒はG1エンジンのシリンダーブロックにあるカムシャフトホルダーにジャックシャフトを置き、このシャフトを介してクランク軸から2段減速でカムシャフトを駆動しています。つまり、1段目のチェーンはクランク軸とジャックシャフトを繋ぎ、2段目はジャックシャフトと各軸を繋いでいます。L20はクランク軸から直接1本のチェーンでカム軸を駆動しています。G系はブロックにあるカムホルダーやジャックシャフト、それにチェーンも2本使っている分重くなるし、全長も長くなります。この駆動方法はFJ20やトヨタの18RG、2TGといったOHVエンジンベースのDOHCでは常套手段ではありますが、SOHCでは設計が古いイメージでしょう。
このようにG系6気筒エンジンはG1エンジンをベースに設計されたために1970年代を生き抜くには見劣りがしたのです。もし目先の性能に目が眩んで実際にL20ではなくG7を選んでいたら、間違いなく早々に根本的な設計変更が必要だったはずです。
でも考えてみればL20も1965年に世に出てから早くも1969年にはL20Aに換わっているので、G7を選んで1969年にG7Aにするという手もあったのかもしれません。
もちろんこの場合、L20→L20Aの変更よりも大幅は設計変更や設備変更が必要となりますが、L20の設備を生かすG7エンジンも作れたでしょう。
今考えると、G7エンジンの生まれ変わりが1984年に世に出したRBエンジンなのかもしれません。というのは、このRBエンジンを設計するに当たっては、旧プリンス系の先輩達の英知を少なからず集めて作っているからです。つまり、ボアピッチやボアストローク寸法はL系6気筒と同じであっても、作り込んだ性能にはG7エンジンの知恵が生きているということです。G7ではないですが、RBエンジンの横流れ冷却方式やベアリングビームなどの発想はS20エンジンからヒントを得ているのです。

第四回終了
Posted at 2011/09/23 17:54:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2011年09月19日 イイね!

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その3)

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その3)図はGC10に搭載されたL20エンジン 
直列6気筒2l SOHC 最高出力105ps/5200rpm 最大トルク16.5kgm/4400rpm
日産自動車エンジン博物館資料より借用




まずはG7とL20エンジンの性能を比較してみました
              G7       L20
排気量(cc)      1988      1998
ボア×ストローク(mm) 75.0×75.0 78.0×69.7
圧縮比         8.8      9.0
最高出力(ps/rpm) 105/5200 105/5200
最大トルク(kgm/rpm)16.0/3600 16.5/4400
燃料供給     シングル   シングル
重量(kg)    188(dry)*1  178(wet)*2
全長(mm)*3    758        752
全高(mm)*4    621         583
*1:wet(水、油込み)では7~8kg程度重くなる
*2:L20の重量が手元にないためL20A 230搭載用(1972年)で代用した
*3:全長はクランクプーリ前端からブロック後端まで(図面からの計り取り)
*4:全高はカムカバー上端からオイルパン下端まで(図面からの計り取り)

見ての通り、出力性能的には互角で寸法、重量ではL20の方が有利ですね。
数字だけ見ると性能は互角に見えますが、実際の性能はどうだったのでしょうか。
G7エンジンは1800~4900rpmの範囲で15~16kgmのトルクを持つ、非常に扱いやすいエンジンであると同時に高速も良く回ったということです。
一方のL20はというと2000rpmトルクは14kgm程度で高速域も5500rpm以上は回すのが苦しかったと言われているので、実際の性能ではG7エンジンの方が優れていて、よりGT向きだったかもしれません。
C10の開発ではG7エンジンを搭載した試作車を作っていたので、G7搭載車とL20搭載車の性能比較結果があればはっきりするのでしょうが、残念ながら自分の手元にはありません。多分性能的にはほぼ互角だったので仕様的にはより新しいL20を採用したのではないかという気がしています。(性能的に明らかに劣るものを採用するほど日産もバカではなかったと思うので)
このようにしてみてみると、旧プリンス出身の人達が、日産にL20を押しつけられたというイメージを持つのは心情的には理解できます。
次回は単なる表面上の性能比較ではなく、そのエンジンの持つポテンシャルや拡張性について比較してみたいと思います。

第三回終了
Posted at 2011/09/19 19:09:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2011年09月15日 イイね!

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その2)

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その2)図は2代目プリンスグロリアS40Dに搭載されたG2エンジン
1.9l OHV 鋳鉄製シリンダーヘッド、3ベアリング 91ps/4800rpm、15.0kgm/3600rpm
日産自動車エンジン博物館資料より借用




まずは日産とプリンスが合併する前後の出来事を整理してみます。
1962年10月   2代目グロリア(S40D)発表・発売 エンジンはG2型4気筒1.9l
1963年6月   2代目グロリアにスーパー6(S41D-1)が追加設定されG7が搭載された
1963年9月   2代目スカイラインS50発表・発売 エンジンはG1型4気筒1.5l
1964年3月   2代目スカイラインS50にGT(S54A-1)を追加設定
          第二回日本GP GT-Ⅱクラス出場のために100台を生産し販売を開始
          (FIAグループ6のホモロゲーション取得のため)
1964年5月2~3日 第二回日本GP(鈴鹿サーキット)
          GT-Ⅱクラス ポルシェカレラ904GTS優勝 
          スカイラインGT(S54) 2~6位独占
          レース後、ポルシェに負けたにもかかわらずスカイラインGTの人気は沸騰し、
          ホモロゲーション用に生産された100台はたちまち売り切れになる
1965年2月   スカイラインGT(後のS54B-Ⅱ)発表・発売(ウェーバー3連125ps)
1965年5月   日産とプリンスの合併発表
1965年9月   スカイラインGT-A(S54A-Ⅱ)車種追加(シングルキャブ105ps)
          同時に2月発売のS54B-ⅡはスカイラインGT-Bと呼ばれるようになる
1967年4月   3代目グロリアA30発表・発売
          スーパー6(PA30)にはプリンスのG7エンジンが、スタンダード(A30)には日産のH20が
          搭載された。
1968年8月1日 日産とプリンス合併
1968年8月   3代目スカイラインC10発表・発売 エンジンはG15型88psを搭載
1968年10月   C10にGTモデル追加(GC10) L20エンジン105psを搭載
1969年以降   GC10搭載のエンジンを旧L20→L20Aに変更 115ps
1969年2月   C10にGT-R追加(PGC10)
1969年11月   グロリアA30マイナーチェンジ スーパー6はエンジンがG7→L20Aに換装され、形式
          名がHA30に変更された
          G7エンジン生産終了 


こうして歴史を整理してみると、スカイラインGTのレースでの活躍が日産との合併に有利に働き、合併後もスカイラインのブランドを輝くものにしたことがわかりますね。しかも合併直後にGT-Rを発表し、初陣で優勝(悶着はありましたが)と文句なしの首尾でした。
それに比べるとグロリアはセドリックを凌駕する魅力に欠けていたということでしょうか。
直列6気筒を搭載しているのは同等だし、プリンス独自のドデオンアクスル(こもり音などの不具合が多かった)もやめてしまい、グロリアならではの魅力を演出できなかったのです。
G7エンジンは1960年に開発着手されました。1963年に生産を開始し、1969年で生産を終えているので6年間生産したわけで、エンジンの設備償却は通常6~8年に設定されるので、最低限の設備投資回収はできたと判断されます。
これに対して新しいG系の4気筒は1967年に生産を開始したばかりであることからもL系との統合は実施されなかったのでしょう。そもそも日産にもその気はなかったと思います。G系4気筒はクロスフロー吸排気で高性能、しかも2年間完全保証メンテナンスフリーの封印エンジンというのが決め手だったと思います。合併の発表があったのが1965年5月ですから、この時期まさにプリンスはG系4気筒の生産設備を手配しようとしていたはずです。その投資を日産は止めることなく合併交渉を進めました。ですから日産とプリンスの両社はこの合併発表までに、合併後にG7はL20に統合し、G系4気筒はそのまま残して新型スカイラインに搭載することを決めていたに違いありません。この話が伊藤修礼さんの合併発表時の談話「L20エンジンの方がショートストロークで7ベアリングなのでよりGTに相応しい」に繋がってきます。プリンスとしては「名よりも実を取る」思いだったのでしょう。名(充分活躍したG7)を失っても実(最新鋭のG15)は残すということです。この判断は全くもって全うだし、日産としても良い判断だったと思います。その理由はこの後、追々メカニズム比較の中で展開していきたいと思います。
合併の果実として象徴的であるエンジンの統合をG7とL20で具体化したのです。グロリアA30のエンジンを、従来の1.9lG2から日産のH20に換えたのもその一環です。ある意味ではG7は合併の犠牲者といえるのかも知れませんね。

今回は歴史的、政治的な話が中心でしたが、次回からは技術の話に入ります。

第二回終了
Posted at 2011/09/15 11:48:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2011年09月14日 イイね!

日産とプリンス合併に至る原因について

 一般には自動車の輸入自由化に備えた国内自動車メーカーを強化するために通産省が主導して合併交渉を進めたといわれているが、当事者の一人であった元プリンス自工機関設計部長の故岡本和理氏は違う考え方を自著の「エンジン設計キーポイント探求」で述べている。(非売品)
ここに引用すると「新グロリアのモデルチェンジは大失敗でプリンス自工の命取りになり、日産との合併につながることになる。しかしプリンス自工、自販の歴史には大成功であったとは書いてあるが失敗であったとどこにも書いてない。しかし、一般社員の投稿の各種思い出集には失敗を裏づける記事があり、また当時モデルチェンジの総責任者で常務取締役技術本部長は失敗であったとし、その理由もあげていた。」この話は初めて聞く大いに興味深い話である。
確かにS40Dは発表時こそ、その斬新なスタイルで大好評だったものの、販売は尻すぼみで、目標販売台数には届かなかったようだった。
岡本氏によれば、日産と合併する直接の原因となったのはプリンスの失敗による自滅が原因で、資金繰りに行き詰まり、当時会長であった石橋幹一郎氏も経営に嫌気がさしたことで日産との合併に繋がったということである。
絶好調の会社であれば、例え通産省がなんと言おうとホンダのように自主独立の道を頑張れたであろう。どうも日産が資金繰りに行き詰ってルノーと資本提携したのと同じ轍を踏んだように感じる。
惜しまれるのは、もし新型スカイラインC10が発売される1968年まで我慢できればこのスカイラインの大ヒットで生き残れたかもしれないということだ。C10の発表が合併したのと同じ1968年8月というのはあまりにも皮肉な巡り合わせだ。日産としてはスカイラインという得難いブランドを手に入れることができ、しかも合併した途端にそのスカイラインが大ヒットしたのだから最高に良いタイミングで合併したと思ったであろう。
Posted at 2011/09/14 22:15:08 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2011年09月12日 イイね!

プリンスとの合併時になぜ日産はG7ではなくL20を選んだのか

プリンスとの合併時になぜ日産はG7ではなくL20を選んだのか日産自動車は1966年8月1日にプリンスと合併しました。
日産はL20、プリンスはG7という直列6気筒2lエンジンを持っていましたが、効率化という名のもとにL20に統合化され、G7エンジンは消滅しました。一方、直列4気筒エンジンは排気対策でL型に統合されるまで併存していました。
伊藤修令さんは、「G7よりL20の方がショートストロークで7ベアリングと高性能だからGTに相応しい」ということで説明されたが、苦しい説明に聞こえたと言っています。一度、なぜ6気筒が統合されたのか、なぜL20が選ばれたのかを設計者の立場で客観的に判断してみてはどうかと思い、このテーマを思い付きました。したがって、実際にどのような議論を経てL20が選ばれたかを調べるのではなく、性能比較、採用技術、拡張性、寸法・重量、ライン設備などの観点で比較をして自分なりの判定をしますので、異論があるかもしれませんが、そこはお許し願います。
テーマが少し大きいので何回かに分けて連載にしていきます。

尚、図面はG11(2.5l)エンジンです。
日産エンジン博物館の図面から借用しています。
Posted at 2011/09/12 23:44:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ

プロフィール

「旧L20の重量」
何シテル?   09/18 17:17
yoshi-sennaです。エンジンをこよなく愛するエンジニアです。 2002年初めから4年半ほどRenaultにいた関係でParisに住んでました。 20...
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