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2011年09月15日

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その2)

なぜ日産はプリンスとの合併時にG7ではなくL20を選んだのか(その2) 図は2代目プリンスグロリアS40Dに搭載されたG2エンジン
1.9l OHV 鋳鉄製シリンダーヘッド、3ベアリング 91ps/4800rpm、15.0kgm/3600rpm
日産自動車エンジン博物館資料より借用




まずは日産とプリンスが合併する前後の出来事を整理してみます。
1962年10月   2代目グロリア(S40D)発表・発売 エンジンはG2型4気筒1.9l
1963年6月   2代目グロリアにスーパー6(S41D-1)が追加設定されG7が搭載された
1963年9月   2代目スカイラインS50発表・発売 エンジンはG1型4気筒1.5l
1964年3月   2代目スカイラインS50にGT(S54A-1)を追加設定
          第二回日本GP GT-Ⅱクラス出場のために100台を生産し販売を開始
          (FIAグループ6のホモロゲーション取得のため)
1964年5月2~3日 第二回日本GP(鈴鹿サーキット)
          GT-Ⅱクラス ポルシェカレラ904GTS優勝 
          スカイラインGT(S54) 2~6位独占
          レース後、ポルシェに負けたにもかかわらずスカイラインGTの人気は沸騰し、
          ホモロゲーション用に生産された100台はたちまち売り切れになる
1965年2月   スカイラインGT(後のS54B-Ⅱ)発表・発売(ウェーバー3連125ps)
1965年5月   日産とプリンスの合併発表
1965年9月   スカイラインGT-A(S54A-Ⅱ)車種追加(シングルキャブ105ps)
          同時に2月発売のS54B-ⅡはスカイラインGT-Bと呼ばれるようになる
1967年4月   3代目グロリアA30発表・発売
          スーパー6(PA30)にはプリンスのG7エンジンが、スタンダード(A30)には日産のH20が
          搭載された。
1968年8月1日 日産とプリンス合併
1968年8月   3代目スカイラインC10発表・発売 エンジンはG15型88psを搭載
1968年10月   C10にGTモデル追加(GC10) L20エンジン105psを搭載
1969年以降   GC10搭載のエンジンを旧L20→L20Aに変更 115ps
1969年2月   C10にGT-R追加(PGC10)
1969年11月   グロリアA30マイナーチェンジ スーパー6はエンジンがG7→L20Aに換装され、形式
          名がHA30に変更された
          G7エンジン生産終了 


こうして歴史を整理してみると、スカイラインGTのレースでの活躍が日産との合併に有利に働き、合併後もスカイラインのブランドを輝くものにしたことがわかりますね。しかも合併直後にGT-Rを発表し、初陣で優勝(悶着はありましたが)と文句なしの首尾でした。
それに比べるとグロリアはセドリックを凌駕する魅力に欠けていたということでしょうか。
直列6気筒を搭載しているのは同等だし、プリンス独自のドデオンアクスル(こもり音などの不具合が多かった)もやめてしまい、グロリアならではの魅力を演出できなかったのです。
G7エンジンは1960年に開発着手されました。1963年に生産を開始し、1969年で生産を終えているので6年間生産したわけで、エンジンの設備償却は通常6~8年に設定されるので、最低限の設備投資回収はできたと判断されます。
これに対して新しいG系の4気筒は1967年に生産を開始したばかりであることからもL系との統合は実施されなかったのでしょう。そもそも日産にもその気はなかったと思います。G系4気筒はクロスフロー吸排気で高性能、しかも2年間完全保証メンテナンスフリーの封印エンジンというのが決め手だったと思います。合併の発表があったのが1965年5月ですから、この時期まさにプリンスはG系4気筒の生産設備を手配しようとしていたはずです。その投資を日産は止めることなく合併交渉を進めました。ですから日産とプリンスの両社はこの合併発表までに、合併後にG7はL20に統合し、G系4気筒はそのまま残して新型スカイラインに搭載することを決めていたに違いありません。この話が伊藤修礼さんの合併発表時の談話「L20エンジンの方がショートストロークで7ベアリングなのでよりGTに相応しい」に繋がってきます。プリンスとしては「名よりも実を取る」思いだったのでしょう。名(充分活躍したG7)を失っても実(最新鋭のG15)は残すということです。この判断は全くもって全うだし、日産としても良い判断だったと思います。その理由はこの後、追々メカニズム比較の中で展開していきたいと思います。
合併の果実として象徴的であるエンジンの統合をG7とL20で具体化したのです。グロリアA30のエンジンを、従来の1.9lG2から日産のH20に換えたのもその一環です。ある意味ではG7は合併の犠牲者といえるのかも知れませんね。

今回は歴史的、政治的な話が中心でしたが、次回からは技術の話に入ります。

第二回終了
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Posted at 2011/09/15 11:48:29

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この記事へのコメント

2011年9月15日 18:15
>プリンスとしては「名よりも実を取る」思いだったのでしょう・・・・この判断は全くもって全うだし、日産としても良い判断だったと思います。
→ 仰る通り、よく理解できる説明ですね。

多分、今後の技術論でも触れられるのかもしれませんが、G7もL20も、「元ネタ」はベンツの6気筒エンジンにあるように思われ、技術的系譜としては実は類似したところがあるかもしれないと勝手に想像しているのですが如何でしょうか? 
コメントへの返答
2011年9月15日 18:45
私はG7やL20を設計した本人に直接には聞いていないので本当にベンツの直6を手本に設計されたのかどうかは確認できてはいません。
しかし、以前友人のベンツのタペット調整を頼まれてカムカバー開けたときに、シリンダーヘッドの形状があまりにL20に似ていてびっくりした覚えがあります。
少なくともシリンダーヘッドとカムシャフト、ロッカーアームあたりの設計はL20もG7もベンツに似ていますね。
状況証拠としてはベンツを手本にしたことは間違いないと思います。1960年以前はそれが当たり前のようになされていたようです。
時代は変わり、隣の国が同じようなことをやっていますね。まあ、日本メーカーが少し違うのは真似をしておいて独自技術だと言い張ったり、事故を起こしたクルマを埋めたりはしませんでした。
2011年9月15日 22:14
初めまして
家の最初の車がスカイラインのG18型でしたので懐かしく拝見させていただきました。
エアコンをつけていないこともあったかもしれませんがよく走った記憶が残っています。
コメントへの返答
2011年9月15日 22:34
コメントいただきありがとうございます
G18エンジンということはハコスカPC10ですか、それともケンメリPC110でしょうか。
G系エンジンは1.5、1.8、2lとどれも良いエンジンでしたね。
我が家では410(J13)→S50(G1)→S50(G1)→C10(G15)と車検ごとに乗り換えてました。
ブルーバード410からS50に乗り換えたときの衝撃は大きかったですね。まだ小さな子供でしたが、まるで軽自動車からスポーツカーに乗り換えたくらいの加速感の差を感じました。

プロフィール

「旧L20の重量」
何シテル?   09/18 17:17
yoshi-sennaです。エンジンをこよなく愛するエンジニアです。 2002年初めから4年半ほどRenaultにいた関係でParisに住んでました。 20...
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