先日とある友人との会話で、「英語はとかく低俗な言語であり、アメリカはADHD大国である」っていう論議に花が咲いてむちゃくちゃ楽しくて、ちょっとADHDや自閉症スペクトラム、アスペルガーあたりの権威的書物に興味が湧いているこの頃、H-TECでございます。
昨年より言い続けてきてようやくですがベルヌーイの定理とマフラーの話、いきたいと思います。
ちょっと走り屋なクルマ乗りなら誰しも、マフラー交換っていうのは検討するファクターだと思います。
こだわりたい部分はそれぞれあると思うのですが、ときどきこんな話を耳にしませんか?
「直管にするとスカスカで抜けすぎちゃうからさー、トルク無くなるんだよねー。」
ふむ。
確かによく聞く話です。いわゆる「ヌケ」を良くするとトルクがなくなる。その理論です。
かく言う私も数か月前までこのよくわからない理屈をさも当然のように受け入れていましたが、じゃあロジック的に抜けすぎるとはどういうこと?トルク損失はどこで生まれるの?と、考えたことは特にありませんでした。
しかしよくよく考えてみると、排気効率を良くしてトルクが損失するってのは理論的におかしくないかなと。まして、どんなに非力なエンジンでもどん詰まったほうがトルクが出るのであれば、何も高回転でトルクを搾り出すような設計しなくてもいいのでは?
謎が深まってきてしまいました。
そんなわけで、初心に戻って考えてみます。そして、参考になりそうなソースを探してみます。
「マフラー 抜け」でググるといくつか似たような記事がヒットするのですが、それらの情報を咀嚼して私が出した結論をかいつまんで説明すると、
低速トルクを失う要因は、必ずしも抜けすぎているわけじゃない。むしろ、排出ロス(抜けにくい)が起きている。
というものです。
小難しい話はできるだけ端折る方向ですが、要するに大口径の排気管に替えた場合、それは
排気速度が速すぎて吹き戻し効果がないのではなく、
背圧が低下しているのです。
これを理解するのには流速と圧力の関係を感覚的に理解する必要があるのですが、
まずベルヌーイの定理から
径が小さいほど流速が高い。これは容易に理解できると思います。2枚の紙を平行に垂らし、間に息を吹き込むと紙同士が吸い寄せられるという原理によって証明できます。
じゃあ低回転で極力流速を上げるには細く長い排気管を使えばいいじゃないか。と思うのですが、マフラーの効果を考えるにあたって必ずしも流速だけが結論を導くファクターではないということも理解しなければなりません。次に圧力の理解に関して考えてみます。
仮に、細くて長いストローと太くて短いストローがあるとイメージします。
ここで人が吸い込む力を背圧とし、ジュースを飲み込む速さを流速と仮定します。
ちょっと考えればわかることですが、細くて長いストローはさほど吸い込む力をかけずにたくさんのジュースを吸い込むことができ、逆に太いストローでは吸い込む力がかなり強くないとジュースを吸い込むことができません。
しかし、この「吸い込む力」が仮に強大な場合はどうでしょうか?掃除機のようなバキューム装置で同じことをしようと思ったら、できるだけパイプ(ストロー)は太くしたいと思うことでしょう。
すなわち、この
吸い込む力が弱い状態が
背圧の低い低回転、
吸い込む力が強大な状態が
背圧の高い高回転とすることができます。
そうすると、低回転状態ではエンジンの排気圧力及び発生流速が低い状態にあるにも関わらず排気管が太いので、排気管の及ぼす外へと押し出す力(=背圧)はエンジンの発生正圧を低減させてしまいます。(負圧状態)
いわば、エンジンはうまく排気できずに次工程へと向かうため、事実上の酸欠状態をおこしていると言えます。
これが低回転でのトルク損失の端的な原因と言えます。
とすれば、やはり細くて長い排気管を用意すれば万事解決。となりそうなもんですが、そうすると今度は高回転状態において、エンジン内排気圧が排気管内圧より高くなり、ここで事実上の「抜けにくさ」が発生してきます。
つまり、
エンジンの排気圧と流速はリアルタイムで変化するもので、変化状態において理想的排気を行うのはとっても難しい。ということなんです。
それで、「下を犠牲にして高回転に振るか」或いは「高回転を犠牲にして下を確保するか」などという議論が生まれてくるわけです。
そう。美月ちゃんよろしく「なーにがスッカスッカよ!」状態なのです。
私がいつも提唱しているのは、
走るステージに合わせたチューニングということですが、排気理論一つにしてもそれを見極めなければおかしなことになるってのは理解していただけると思います。もっともクルマをいじる歓びっていうのは、もっとフィーリングとか気持ちの部分が大きいのかもしれませんが、こんな観点で自動車を眺めてみるのもたまにはいいんじゃないでしょうか。
これはまたいつかブログに書こうと思っていることですが、私自身チューニング至上主義だった時代がありました。で、何のためにチューニングするのかってとこを突き詰めていくと、自分のコンセプトって何なんだろう?っていう疑問にブチ当たったりします。割り切りでもいいからそういうコンセプトのはっきりした人のクルマってのは、なんだかカッコいいなと思えてきたりするもんです。そんな風にして、カッコいいクルマ乗りが増えてくれたらな…との一抹の期待を込め、記事を認めた次第であります。
それでは次回は頭D的峠バトルのレポートでも書いてみようと思います。では。
Posted at 2014/01/03 21:38:35 | |
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