
そんなにテレビっ子ではない自分ですが、テレビ朝日で放送している
「お坊さんバラエティぶっちゃけ寺」っていう番組はなかなか面白いと思ってます。
深夜番組時代からずっと見ているのですが、身近なのになかなか知らない事の多いお寺や仏教について、楽しくわかりやすく解説しているのが画期的だなと。
ゴールデンに進出して多少バラエティに振り過ぎなのと構成が長すぎるのは致し方ないですが、できれば長く続いて欲しいかな(*^-^)
さて、出張では福島県にもよく行きましたので、ちょこちょこ神社も巡ってきました。
福島県石川町の「石都々古和気神社(いしつつこわけじんじゃ)」です。

階段が長くて急でキツかった…15分くらいかかったかな。
ステッカーです。よく目立ちます。
ふもとにある石川町役場は、昭和な映画やドラマに出てきそうな感じの建物でシブいなー。
福島県白河市の「南湖神社(なんこじんじゃ)」です。

白河市民のレジャースポットである南湖公園の中にあるので、とても賑わっています。
ステッカーです。
福島県白河市の「白河鹿島神社(しらかわかしまじんじゃ)」です。

ここも次々お参りする人でに賑わっています。
交通安全のお守りを購入すると小さなステッカーが付いてくるのですが、ステッカーだけ分けてもらえました。
福島県南相馬市の「相馬小高神社(そうまおだかじんじゃ)」です。

南相馬市の小高地区は現在、東日本大震災による避難指示解除準備区域に指定されていますので、立ち入れるが泊まれない地域です。
当然街には人が住んでる気配がなく、ほぼ静まり返っています。
神社の方も日中だけ来て、あとは市内の方へ戻るとのことでした。
動いてないですがシブい柱時計。昭和43年に寄贈されたものですね。
ステッカーです。安かったので4色購入。
反射板もありました。
福島県南相馬市の「相馬太田神社(そうまおおたじんじゃ)」です。
ステッカーです。
ふもとの廃商店の隣に併設されていた廃スタンドがありました。

「出光」の新しいロゴといい新しめの計量器といい、わりと最近廃業されたと思われますが…
このような昔ながらの計量器がありました。

この太ってる(?)タイプの計量器は、田舎のスペースの少ない小さなガソリンスタンドの隅っこにハイオク用として置かれてることが多いですよね。
「金アポロ」は「出光100」の名称が復活する以前のハイオクの名称でした。
小さな計量器。灯油やガソリン混合油の給油器として使われることか多いようです。
福島県南相馬市の「男山八幡神社(おとこやまはちまんじんじゃ)」です。

男くさい名前に反して、安産の神社です。
白黒ネコちゃんが迎えてくれました(=´▽`=)ノ
ステッカー色々ありました。
一つだけ残っていた吸盤タイプのお守りも何となく買ってみました。
それにしても、電話帳とか看板が「男山八幡神社」なのに、のぼりやステッカーが「男山八幡宮」なのはなぜ??
福島県相馬市の「相馬中村神社(そうまなかむらじんじゃ)」です。
学問の神様「北野天満宮」の分社もありましたので、より頭が良くなるようお参りします(今さら遅いか!?)。
ステッカー各種です。左上の反射板は最後の1個をゲットしました!

社務所に全種類並んでいないので、購入時はご注意を。
福島県相馬市の「相馬神社(そうまじんじゃ)」です。

「相馬中村神社」のすぐそばにあります。
ステッカーです。眩しい色使いです。
福島県新地町の「奥之相善宮 子眉嶺神社(おくのそうぜんぐう こびみねじんじゃ)」です。
「確かまだあったはず…。」と、ステッカーを探してもらうと…

黄色の反射板が出てきました。
福島県新地町の「諏訪神社(すわじんじゃ)」です。
反射板がありました。
お守りを頂いた後ふと思い立ち、ここの宮司さんに聞いてみました。
「又屋水産ってどうなったんですか?」
福島県新地町といえば釣師浜港、釣師浜港といえば伝説の水産会社である「又屋水産」が思い起こされます。
「ヒラメの相場は又屋が決める!」とまで言われたほど高級魚であるヒラメに強く、ボディいっぱいに髭文字で書かれた「福島県釣師浜港 又屋水産魚問屋」の看板文字と共に全国の街道を疾走し、ヒラメに限らず全国の港から集めた魚を養殖して成長させ「相馬ブランド」で出荷するという商法で、東日本でも最大手の水産会社でありました。
そんな栄華を誇った又屋水産も近年の水産不況の影響を受け、平成16年にこれ以上利益が上がらないとして事業停止、その活動に幕を下ろしたのでありました。
自分は幼少の頃から、下北半島の港に毎週のように訪れていた又屋の、あの迫力の看板文字を書いたトラックを間近で見ていたものでした。
普通の箱車かと思ったら、中に生け簀があって活魚を運んでいた…というのに驚いた記憶があります。
テレビや雑誌の同乗ルポでは、時間と相場に支配される追っかけ便の厳しい仕事を知りました。
そんな又屋水産ももはやありません。
東日本大震災では、又屋の旧倉庫群がすべて流されてしまいました。
在りし日の又屋水産社屋。
しかし3億円をかけたといわれる「ヒラメ御殿」と呼ばれた社長の住まいは、住人が代わっても今なお健在だそうで…。
実は釣師浜港に行こうとしたのですが、津波による工事で道路が変わってしまった状況なので行き方がよくわからず今回は断念しました。
今回訪れた諏訪神社に又屋の社長がよくお参りに来ていたそうで、又屋水産に関する当時の話をいろいろ聞くことができました。
又屋の社長ご夫妻は事業を辞め御殿も手放したものの、今もお元気だそうです。
そしてとてもここでは書けないような、当時のオペレーター諸氏の様々な武勇伝もあり…。
それこそその仕事ぶりは、映画「トラック野郎」以上の激しく厳しい航海であったことが伺えました。
時代が良かったというか味方していたのもありますが、又屋水産はまぎれもなく街道の華であり、伝説だったのだなーと思いました。