
俳優 菅原文太さんがお亡くなりになりました。
訃報を知ったのは一日中外回りに忙殺されて、夕方に帰社した時のことでした。
その時は何がなんだかわからなくて、ただ驚いて呆然としていました。
でも少し経つと、何かこう、心にポッカリ穴が開いたような感じになって、何をしても実が入らずに、ぼんやりとした感じでした。
自分と文ちゃんとの出会いは、やはり映画「トラック野郎」です。
トラック野郎との初遭遇は、小学校に入るか入らないかの頃に見た、映画館の「度胸一番星」の立て看板でした。
初めてトラック野郎を見たのは、テレビで見た「天下御免」でした。

爆走するギンギラギンのトラック、面白くてカッコいい星桃次郎に、小さかった自分は衝撃を受けました。
その後、テレビで放映された「突撃一番星」
「一番星北へ帰る」
「故郷特急便」。
「男一匹桃次郎」
完全に自分は「トラック野郎」「一番星」「星桃次郎」「菅原文太」のとりこになってしまいました。
入院した時に同じ部屋の2つ上の子が持っていたポピニカの光るトラック野郎。

とても欲しくてたまりませんでした。
初めて作った一番星のプラモデルは「熱風5000キロ」
おもちゃ屋さんの一番上の棚に鎮座する8000円の一番星をいつも眺めていました。
レンタルビデオ店ができた時、60分ダイジェスト版の「御意見無用」と「爆走一番星」がありましたが、まだ自分の家にはビデオデッキはありませんでした。
中学生になるとトラック専門誌が創刊。そして、トラック野郎が10作品あることを知りました。
そしてついにトラック野郎が待望のビデオ化。

ようやくここで10作品全てを見ることができて、幼き日の記憶とリンクしました。
レンタルするに飽き足らず、中古で全巻購入しました。
毎日何度もそれこそテープが擦り切れるほど見ていました。
その後、思春期を終え、趣味や興味が多岐に渡ったり勉強や部活が忙しくなったりで、自然とトラック趣味からは離れていきました。
ちょうど昭和の終わり頃でした。
そして大人になりました。
小さい頃からの夢であった「トラック野郎になる!」はかないませんでした。
それから数年経ったある時DVDが発売されたことを知り、自分のトラック野郎への思いが再燃しました。
そしてこの情報化社会で、昔雑誌だけでは知りえなかったトラック野郎についてたくさんの事を知り、子供の頃よりものめり込む事になりました。
もちろんブルーレイも購入しました。
今までたくさんの映画を見てきましたが、何度も繰り返し見ているのは「トラック野郎」だけです。
それだけこの映画には影響を受けました。

トラック野郎・一番星・星桃次郎は永遠に自分の憧れであり続けます。
文太兄い…ありがとうございました。安らかにお眠りください。
Posted at 2014/12/02 21:00:43 | |
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