• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

nakamachoのブログ一覧

2022年08月10日 イイね!

好きな音楽の話16 「盲信」

好きな音楽の話16 「盲信」ECのアルバムは彼自身のバンドのものからゲスト参加したものなど1970年代にとても大量に出ました。同じ三大ギタリストのジミーペイジの場合は有名になる前にスタジオセッションマンとして無数のレコードに参加していたようですがECの場合は売れてからいろいろなミュージシャンのアルバムに参加しています。
今までもEC自身のアルバムについて何回か書きましたがまだ取り上げてないものがいっぱいあります。
今回は1968年にクリームを解散してから翌年の1969年にブラインドフェイスというバンドを結成して最初に出した「スーパージャイアンツ」という邦題が付けられたアルバムについて書きますが、改めてウィキペディアで調べたらまた自分の知らなかった事がいろいろわかりました。そもそもこのアルバム名は日本の特撮ヒーロー映画の題名で日本側で勝手に付けたもののようです。
alt
これと同じ例にクリームの2枚目「カラフルクリーム」があります。当時はこういう乱暴な事が結構あったようです。
また、アルバムジャケットに少女の裸の写真を使った事が問題になり、アメリカではジャケットが差し替えられて売られましたが、このジャケットを提案したのがECの友人だった事は今まで知りませんでした。alt
オリジナルジャケット
alt
アメリカ盤
アメリカではなぜか暴力的な描写はOKな割に性的な事柄には厳しいのはこの頃からずっと変わらない気がします。この辺は日本とは逆な感じです。
ブラインドフェイスというグループ名は訳せば盲目的信頼かとずっと思っていましたが盲信、転じて愚行というネガティブなニュアンスまである事も今回知りました。
そもそもこのバンドの成り立ちはクリーム解散後ハッキリしたビジョンもないまま
時の勢いに流されるようにできてしまったような側面があったように思います。
その結果1枚のアルバムで解散しています。

それはそうとアルバムの内容について書きます。
クリームが解散してそのあとできたのが4人組のブラインドフェイスでした。
エリックによると全く別のメンバーでやりたかったがドラムのジンジャーが一緒にやりたいと申し出て彼も入ることになったようです。
ジンジャーはもともとエリックが好きだったようでクリーム結成も彼が誘ったのがきっかけだったし、クスリでヘロヘロになっていた時も彼を助けようと砂漠に連れ出そうとした事もあったようです。
凶暴なイメージが定着しているジンジャーですが、実際にはそういう熱い部分もあったようです。
クルマが主体のブログなのでそれについても書くとクリーム結成の時、ジンジャーはローバーに乗ってエリックのところにやって来たとの事でエリックはその時の事を振り返って感心したと言っています。多分当時でもローバーは一目置かれるクルマだったのではないかと思います。想像では4駆だったのではないかという気がします。しかし、どういう車種だったかまでは書かれていないのでわかりませんでした。

バンドの事に話を戻すと、ヴォーカルとキーボードはトラフィックというグループで天才少年と言われたスティービーウィンウッド、ベースはリックグレッチという人です。この人については情報が少なく、40代で亡くなっています。

ブラインドフェイスも生で観ることが出来なかった幻のバンドで、2011年になってECとスティービーが組んでやって来た時は震えるほど驚喜したものです。

ブラインドフェイスでECが作った「プレゼンスオブザロード」は彼の代表曲のひとつになっていますが凄い名曲だと思います。日本語に訳せば神の御前でという意味だと思いますがいかにもその雰囲気に合うゴスペル的な感じの曲です。しかしこの時はスティービーのボーカル力が優っていたためか、彼にボーカルを任せていました。その後は彼自身か歌うバージョンで聴く事ができるようになったので、結局ふたりのボーカルの違いがわかってファンにとっては逆に面白い結果になりました。(デレクアンドドミノスでのECのボーカルは泥臭くて魅力的)

来日公演でもこの曲を演ってくれて、その時はふたりが交互に歌って最後は一緒にハモるという大サービスで結成から40年以上経ってからの生のブラインドフェイスがようやく観れた喜びでいっぱいでした。

ブラインドフェイス時代も他のバンドとは違ったテイストでその時だけしか演らなかった曲が多く、とても興奮しました。

ブラインドフェイス以降のスティービーの経歴はとてもユニークで、打楽器奏者ツトムヤマシタのバンドでまだソロになる前の若いアルディメオラと一緒になったりその後はソロでヒットを飛ばしたりしましたが日本ではあまりポピュラーにはならなかったように思います。(私もあまり知らない)

ついでに言えば、デレクトラックス、ドイルブラムホールという若手ギタリスト2人を従えて来日した時は、(こちらはデレク&ドミノスの再現のようだった)彼らのソロの後、まるで腕利きの老ガンマンのようにバリバリ弾きまくった場面では思わずのけぞって声が出そうになるくらいの感動でした。
…しかし、ついこの前観たと思っていたら2006年との事で今から16年も前と知ってまたのけぞることになりました。ECのキャリアはどれだけあるんだ…。

ECは過去にもプロコルハルムのゲイリーブルッカー、オーティスクレイ、フィルコリンズ、エルトンジョン、マークノップラー、スティング、それに親友ジョージハリスンなどを引き連れてツアーを行なっており、交友関係の広さはロック界でも随一です。
近年では車いすに乗った写真が掲載されたり、コロナにかかってかなりひどい目にあったりとあちこち衰えが見えていますが彼の年齢を考えると仕方ない事とも言え、クリームの残ったひとりとして少しでも健康でいてほしいとねがっています。

1969年ロンドンのハイドパークで行われたブラインドフェイスのライブ。ECのプレイはどこか自信なさげで精彩に欠けるような気もするが、ファンの私はそこがかえってハラハラしてイイ!ギターの神といえど、12万人もの観客を前にして緊張しているようにもみえる。よくぞこの映像を撮ってくれましたと当時のスタッフに感謝!です。

Posted at 2022/08/10 17:40:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽 | 音楽/映画/テレビ
2022年06月09日 イイね!

新記録22.5キロ/リットル♡

今まで燃費記録をアゲた事がないのでどこにアゲようか迷いましたが結局いつも通りブログにしました。みんカラは機能が豊富で私には未だに使いこなすのが難しいツールです。

ちょっと前初めての水戸までの一泊旅行に行ってきました。
そこで少しの間ですがこの記録が出ました。(走行中なので写真は撮れませんでした)alt
22.5キロ達成の少し前守谷サービスエリアで撮りました。

この前のオイル交換(コバックで車検を受けた特典で無料)と空いた常磐道でずっと渋滞無しの好条件が重なってだと思います。
ついでにしみったれの私は奮発して少し良い目のタイヤに交換した効果も少しは含まれていると思いたいです。(走行性能と燃費を両立させたと謳っているアドバンフレバなら燃費性能も良いはずだから)
普段の地元買い物走行では10キロそこそこしか走ってくれないウチのキューブで20キロ以上出るとは思ってなかったのでとても嬉しい記録です。
帰宅時のトータル平均も18.5キロとまずまずの燃費でした。

ドライブコースはウチ(横浜市の田舎)から横浜新道→首都高→常磐道で竜神大吊橋alt
→日立海浜公園(ネモフィラで有名)alt
→ホテル一泊 大洗磯前神社で日の出を待って撮った一枚alt
→水戸の偕楽園→大洗の魚市場で昼食alt
→帰宅 途中あちこちの道の駅に寄り道しました。
※写真が入ってなかったので追加しました。


Posted at 2022/06/11 11:06:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | Z12キューブ | クルマ
2022年06月08日 イイね!

好きな音楽の話15 読むCREAM

好きな音楽の話15  読むCREAMクリームのメンバーで一番は?と考えて思い浮かぶのは…結局全員リーダー、全員主役なので誰と全く言えないのが凄いバンドです。
同じ時代の同じスリーピースバンドのジミ・ヘンドリックスのエクスピエリエンスはどうしてもジミに圧倒的に主役感があります。
ジミヘンと言えば名前だけなら誰でも聞いた事があるくらい凄い知名度のある人です。
ECも彼に衝撃を受けてジミもクリームに衝撃を受けて、ふたりは互いに一目置く間柄で、ジミは自分のプレイの途中で曲をやめてクリームのサンシャインラブを演り、ECはクリーム後何度もジミのリトルウイングを演り…そして一緒に写真を撮るくらい仲が良くて…とこれだけでも凄い人だったんだなとわかります。alt

ジミは才能がありすぎて自分をコントロールできなくなって若くして亡くなってしまったというのが真相のようです。
クリーム以前のECのキャリアはヤードバーズから始まりましたがその頃から既に主役のボーカルで甘いマスクのキースより人気があったそうで、「ファイブライブヤードバーズ」ではガンガンに弾きまくっています。alt
そして彼のテクニックの凄さを逆に言って「スローハンド」と呼ばれていたことでも存在感が凄かったんだな…と想像できます。そのバンドのコマーシャル化(アイドルの様になったビートルズ的方向か?)に嫌気がさしてブルース色どっぷりのブルースブレーカーズに加入、すぐに自分の名前を看板にしたアルバムが出るという、コマーシャルとは逆の漢的硬派な生き方を貫いてハタチそこそこで既に圧倒的な大物感を示しています。alt

その大物をもってしてもジャックブルースとジンジャーベイカーの存在感が凄いのです。
ジャックのベースとボーカルは、特にライブではグイグイ前に出てきて、ベースなのにまるでリードギターのようです。
ジンジャーはスタジオ盤では軽いタッチのドラムですがライブだといきなり手数が増えて同じ曲とは思えないハードな叩き方になります。「荒れ果てた街」などを聴くとぶっ飛んでしまうくらい強烈な叩き方をしています。これは向こうっ気の強いジャックに煽られた結果なのではないかと思います。
もともとこのふたりは同じバンドにいましたがずっと犬猿の仲だったらしくある時ジンジャーはジャックにナイフを突きつけたこともあったそうで、その激しい気性がプレイにモロに表れているようです。
ある人はジャックを嫌な奴と言っていたそうで、その性格がジンジャーの逆鱗に触れたんじゃ無いかと想像します。またある日本人ミュージシャンはジンジャーの楽屋に入る機会があったそうですが、あまりの怖さについに近づく事ができなかったそうです。そのジンジャーを怒らせたのだから、ジャックも相当なものですがそんなジンジャーはエリックがとても好きだったようで、だからエリックとバンド(クリーム)をやりたかったのだし、クリーム解散後も同じバンドに入ったりと(ブラインドフェイス)私が知る限りではエリックの悪口を言ったことが無さそうです。(ジンジャーは他の多くのミュージシャンをケチョンケチョンに貶しており、自分を尊敬していたツェッペリンのジョンボーナムのことすらボロクソに言っていた)
ともかく、そのジンジャーがいなかったらクリームは無く、エリックがいなかったらジャックがクリームに入ることは絶対無かったのでこれは音楽史上最大の奇跡だと思います。
ECのキャリアの中でもクリームだけが突出した感じで、クリームの時だけド派手なサイケデリック(幻想的でカラフルなアート)な衣装を着ていました。alt
その前はトラディショナルなアイビールック、後はひたすら渋めの路線をファッションでも貫いています。クリームの時代はちょうど世の中にサイケデリックが流行った頃でジミヘンも他のロックスターもみんなサイケな格好をしていました。日本にもその流行が飛び火して、イカれたファッションのGS(グループサウンズ=今のアイドルグループのようなバンド)が流行りました。でも日本のGSは海外のロックとはだいぶ差があって歌謡曲の作家が作った曲をマッシュルームカットのメンバーが演奏するというもので、外見だけロックっぽく装って中身は歌謡曲という、よくある表通りに面する部分だけビルのように見せて裏側は木造のバラックの建物のような即席感が強くてかなり安っぽい雰囲気のものでした。
ところが、チャラいGSのひとつだと思っていたゴールデンカップスというバンドは、テレビでは「長い髪の少女」という歌謡曲調の甘ったるい歌を歌っていたのに、ライブではクリームなどの洋楽ばっかりやっていたという事をかなり後になって知り驚きました。
長い髪の少女が流行ったのは僕が小学生の頃で、もちろんクリームなどの進んだ洋楽は知りませんでした。alt

もし彼のキャリアにクリームが無かったらどういう活動をしていたのか気になります。クリームの活動時期とサイケデリックが流行った時がちょうどダブっていた事も奇跡が起きた一因かも知れないとも思います。
それはジンジャーやジャックにも言えることで、そういう事が無かったら私もクリームに出会う事は無かったのですからとても不思議な感じがします。

Posted at 2022/06/09 10:07:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽 | 音楽/映画/テレビ
2022年05月24日 イイね!

約20年ぶりのダルセパクト設営記❗️

約20年ぶりのダルセパクト設営記❗️ダルセパクトのマークは我が家と同じ4人家族構成になっている♡

はるか昔にキャンプを初めて実に35年超❗️最初はずっとテントで、子供が大きくなり夫婦だけになると👩がもう地面に石がゴロゴロのテントはいやだ…というので自然にロッジ(バンガロー?)つまり木の建物に移行してきました。
それまで僕のイメージのバンガローはペラペラの板でできた質素な家だったのですが、初めてPICAというキャンプ場で泊った「コテージ」は頑丈な太い丸太で出来ていて清潔で冷暖房完備で虫もいなくてとても快適でジメジメした山小屋の印象を一掃しました。
それ以来ずっとウチの定宿になったPICA西湖にまたやって来て2泊し、念願の思い出深き「ダルセパクト設営」を久々に行ったのです。
念願のというのはもうずっと使って無くて、ヘタしたら一生建てずに終わってしまいそうだったのでどうしてももう一回建ててこの目で見たかったのです。
ダンロップの今は亡きテント「ダルセパクト」はキャンプを初めてまだ何もわからないでいろいろ歩きまわって調べるなか、これも今は無き鶴見のIBS石井スポーツという大型キャンプ用品店で実物を張った状態で見て気に入ったのです。
他のテントと違って屋根が湾曲していてカッコ良く、中も快適そうに思えたのです。色も山吹色っぽいメインの部分とグレーの側面の組み合わせがとても気に入りました。
他のテントは直線で構成されたそれまでイメージしていた通りの無骨な家型で、ダルセパクトの新しさスマートさが余計に目立ちました。
ダルセパクトにも数種類あってその中で5人用(A-613)と4人用がほぼ同じサイズで、4人家族だった我が家は4人用の方に決めました。(A-508)
ダルセパクトを建てたかったもうひとつの理由はもうテント場でもほとんど見ることができなくなった事もあります。そこでなんだか不安になってダルセパクトの記事や写真をネットで漁りました。
それでいろいろなことも思い出しました。
A-508でも初代(ウチのタイプ)は山吹色+グレーだったのが、やがて明るい黄色+明るい緑色に変更されました。それを見て内心山吹色の方で良かったなと安心したものです。自然の中で見てもやはりウチのタイプの方が風景に溶け込んで見えるからです。
また、バリエーションとしてA-508をふたつ組み合わせてL字型にしたようなユニークな形の大型のタイプもあり、以前はキャンプ場でもよく見かけたのですが、いくらネットで調べてもそのタイプの情報が見つかりません。

だからというのもありますが、自分が生きているうちにできるだけダルセパクトの事を残しておきたいのです。
実はもう去年からこの考えが徐々に浮かんでいて、去年PICAに来た時もやろうとしたのですが、その時はキャンプサイト脇に適度なスペースが無くて泣く泣く諦めたのです。
そこで今年こそはという意気込みで2泊とって臨んだのです。ラッキーな事に今回のサイトは余裕があって大き目なダルセパクトも十分張れるスペースがありました。
遂にダルセパクトを張れる時がやって来た!

超久しぶりに張ってみて驚いたのは、テント生地もポールもほとんど傷んで(劣化して)なかった事です。ずっと倉庫に入れっぱなしだったのに、カビなど全く生えてなかったのです。また、気になる何か所かあるファスナーも全く痛みがなく、買ったときと同じくらいスムーズに開閉できました。
いつもテントを使ったあとは、晴れていればその場で、雨だったら家まで持ち帰った後、後日晴れた日に家の前の道路に拡げて必ず乾燥させてから仕舞っていました。当たり前の事ですが、毎回そういうめんどくさい事をやっていて良かったと思います。アウターは折ジワはついていますがヘタリはほとんどありません。インナーの壁にあたる部分はとても柔らかく薄い生地で、網戸にあたるメッシュ部分(ダンロップのマークの図柄がパターンで入っていてなかなかオシャレなデザイン)も砂利のゴロゴロ当たる床面も穴や傷は全く見られません。ジュラルミン製のポールもひび割れなどの兆しも全くありません。たださすがにポールとフレームに通って繋いでいる伸縮性のゴムのコード(ロープ)は伸びていました。ずっと使わないで折りたたんで保管していたのだからそれぐらいは当たり前の事です。つくづくこのテントの品質の良さに感心しました。当時の日本製のテントだったからこんなに高品質なのかどうかはわかりませんがとても素晴らしいと思います。足腰が弱ってきた持ち主よりもよっぽど若さを保っています。
ちょっと誇張して言えば、驚異的な品質と言ってもいいと思います。値段から考えても凄い事だと思います。(7〜8万円くらいだったと思う)
ダルセパクトの良さはそれ(品質)だけでなく、家としての快適さも充分追求されている事です。
アウターテントとインナーテントの両側にはダンロップマークをあしらったメッシュの網戸が装備されていて、快適さと優雅さを感じます。全方位手抜き無しの造りのいいテントだと思います。
ダルセパクトを買った後、もうちょっとラクに建てられる安いコンパクトなテント(たぶん海外製)を試しに買ったのですが、それは生地もペナペナで頼りなくすぐにオシャカにしてしまいました。(ダルセパクトは大きくてしっかりしている分、設営はそれなりにめんどくさいです)これは安物買いの銭失いでした。
しかし、その後もダルセパクトを使い続けるのは設営がちょっと大変(どうしても2人必要)なので、コールマンのその時点で最新型のドーム型を買って何度か使いました。確かに設営はポールが勝手に広がる感じで機能的にはこっちが勝ちだと思います。
でも、愛着のあるテントは断然ダルセパクトの方です。ダルセパクトは創った人が楽しみながら造ったんじゃないかと思わせる部分があります。また、作られた時代のせいか、十分にコストをかけている感じがあります。(レースのカーテンなどの装備)

せっかくなので、ダルセパクトのすべての変身パターンを収めようという意気込みで臨んだのに散々な結果になってしまいました。だからところどころ写真がありません。
冷静になって考えればぶっつけ本番でうまくいくわけがありませんでした。
できればいつかもう一度リベンジしたいです。

alt
ダルセパクト+伸縮ポール(スポルディング)
alt
アウターとインナーがひとつの袋に、屋根のフレームと骨組みのポールがもうひとつの袋に分かれている。
オプションのインナーテントを張らないでアウターテントだけを建てる時に使うグランドテープ、サイドタープと屋根延長タープ(オプショナルタープ)、張り綱のロープとペグ類は持ち運びに便利なようにプラケース(スーパーのカゴのようなもの)にひとまとめにしている。

altalt
A-508のはずなのになぜかA-506になっている。それと、ずっと4人用だと思っていたが5人用と書かれている。自分の勘違いなのか?どっちにしても506の5は5人用の事だったのかと今頃やっとわかった。(A-613というのもあって、それは6人用だから)


設営手順
1.グランドテープを敷く。(普通は不用)※標準装備のインナーテントのグランドテープとほぼ同じものだが材質がもっとしっかりして色分けもされているので敷く方向がわかりやすい。
(このグランドテープはオプションで、このテープのおかげでインナーテントを外した状態でもアウターテントのみで使うことができる。つまりテント内を全部ただの空きスペースにすることができる。
alt

2.インナーテントを敷く。※本来はこれが最初の作業で1.は不用(グランドテープの上に重ねて敷く)
3.ポールを組み立ててグランドテープの穴に刺していく。
4.屋根のフレームにポールを刺していく。(2人作業)
5.インナーテントのフックをポールに掛けていく。(2人作業
alt
alt


6.アウターテントをフレームに被せて屋根の両端の穴の内側からフレームの先端を通す。
(2人作業
alt
7.アウターテントの布テープをポールに縛って固定する。(10か所くらい)
8.ペグを打ってテントを固定する。(15か所くらい)
9.完成

ダルセパクトのアウターとインナーテントは天候の変化や用途によって様々な形に変えることができます。これによって快適なテント生活ができます❗️次に写真で説明していきます。
その場で考えられる限りのパターンを撮ったつもりだったのに、家に帰って確認するとまだやってないパターンがまだいっぱいありました❗️後悔❗️残念❗️その部分は文章だけ書いておきます。
できればもう一度リベンジしたい❗️


テント全景
相変わらず自然の景色に溶け込むいい色❗️そして柔らかい曲線のスタイルもイイ❣️
1.全閉状態(夏を除く就寝時)
alt
altalt

2.リビング側の出入り口を開いた状態
alt

4.アウターテントのタープを斜めに開けた状態。ファスナー1ヶ所で留める(朝起きてトイレに行く時などの出入り用)
alt

5.アウターテントのタープを全開した状態
ファスナー3ヶ所で留める。
alt

ダルセパクトの特長としてアウターテントの出入り口と反対側も大きく開けてオプションのタープを使って更に様々な形に変えることが出来ます。また、インナーテントも伸縮してリビングルームを拡大することも出来ます。これによって雨の日などの居場所を確保することができます。家の場合は雨が降ってなおかつ寒い日などは、そうやって拡張したリビングルームにブリキでできた時計型ストーブを置いて薪をくべヤカンや鍋を上に置いて4人でストーブを囲んでキャンプ用の折り畳みのチェアに座って毛布をかぶって暖を取ったり食事をしたりしたもので今では懐かしい思い出です。次にリビングルームを延長する方法を説明します。

1.アウターテントリビング部のタープになる部分の両側のファスナーを開く。
2.伸縮性のポール(別売り)を両側に刺してロープとペグで固定する。(好天時)
3.風を防ぎたい時は左右にオプションのサイドタープ(A-600ST)をファスナーで取り付ける。
alt

4.タープを更に延長したい時はオプションのオプショナルタープ(A-600T)をタープの先にファスナーで取り付けてその先をロープでクルマ(ワンボックスなど背の高いクルマ)の屋根などに固定する。
5.もうひとつのパターンとして、オプショナルタープを垂直に垂らして全閉状態にしたり、ロープとペグで斜めに張ったり様々な形にすることができる。
alt

altalt
ホントはポールをロープで張ってペグで固定するのでもっと四角くピンとかっこよく張れるのだが、キャンプ3日目の朝で帰る日だったので時間があまり無くてひとりで2本のポールを👩に両手で支えてもらいながら必死で撮ったのでこんなショボい張り方になってしまったが、絶好のテント日和(涼しくて好天)だったのはラッキーだった。

オプショナルタープはこの他、斜めに張ったり天候に応じて自在に変身できる。
天気の良い時は有り難みをあまり感じないが、いざ雨が降ったり風が吹き始めると途端に必要性が身に染みてわかる装備です。
ダルセパクトの快適さを追求する多機能はホント凄い❗️(他のテントは知らないが)

アウターテント装備
1.リビング側面透明窓内側メッシュカーテン(開いた状態。ヒモでカーテンを縛って開けておくことができるのが優雅でスキ)
alt

2.小物収納ポケット
alt

次にインナーテントの様々なパターンを説明します。
インナーテントの出入り口はメッシュとの二重構造になっていて、それぞれ縦横のファスナーで単独に開け閉めできます。

出入り口側の開閉パターン
1.メッシュファスナー出入り口ファスナー
alt

2.メッシュファスナー開+出入り口ファスナー
alt

3.メッシュ開+出入り口※虫のいない時だけ
alt
4.メッシュファスナー出入り口ファスナー開 ※写真無し
メッシュも出入口も左だけ、右だけでも開閉できて便利。それぞれフックで固定できる。

寝室側窓の開閉パターン
1.メッシュ窓閉(+アウター窓閉)
alt

2.メッシュ窓閉(+アウター窓開)
alt

3.メッシュ窓開(+アウター窓開)※虫のいない時だけ
alt

インナーテント縮小(リビングルームを拡大したい時)
各フックを外してインナー部分を縮めて付け替える
alt
インナーテントは左側一面のフックを外し右から2番目のポールに付け替える事によってリビングルームを拡げる事が出来ます。(その場合は寝室は最小になって使えなくなりますが床面積は約2倍になる)痛恨の写真撮り忘れ!

装備
1.インナーテント内網棚(着替えなどを載せる事ができる)
alt

2.メッシュポケット(メガネなどの小物を収納できる)
alt
以上ダルセパクトA-508はおよそ考えられる限りの機能を持たせた夢のようなテントだったと思います。
今回建ててみて、最初は嫌がっていた👩も、やっぱり災害用に置いておいてもいいかもねと言ってくれました。

ここまで書いてもう一度テントを収納する袋を見たら、なぜかA-506と書かれていました。(アウター、インナーの袋とフレーム、ポールの袋の両方とも)
なんでだろうと思ってネットで検索すると、ダルセパクトの歴史を詳しく追った人の記事が見つかりました。今更わかった事が多くて驚きました。それによると残念ながら1990年代後半、オートキャンプブームの終焉とともにラインナップも消え、ダンロップは小型テントに専念することになりますと書かれていました。そして、ショックなことにこのダルセパクトシリーズは市場ではあまり人気がないようで、たまに見かけるととんでもない安い価格のことが多いんですとも書かれています!しかしこの記事のおかげでダルセパクトには長い歴史があってとてもいろいろなバリエーションがあったことがわかりました。どうやらA-508の前身はA-506だったようです。A-508の色は初め山吹色+グレー(ウチのタイプ)でしたが、もっと明るい黄色+明るいグリーン、次に明るい黄色+濃い目の黄色になったようで、それらもあちこちのキャンプ場で見かけたことがありますが、ウチのが一番イイと思っていました。
そのほか、ダルセパクトふたつをL字形に合体させて合体させて更に大型化した変わり種もあって当時もキャンプ場で何度か見かけた事がありました。とてもユニークでカッコよくて使いもしないのにいいな…と憧れたものです。これはA-901というモデルで9人用ということもこの記事でわかりました。しかしこの記事を書いた人は現物を見たことがないと書かれていました。そしてこの記事を読んでもうひとつの変わり種A-640というモデルを見つけました。これはA-508のヴァリエーションA-613(6人用)を2列にして少し重ねたフレーム構造でとても広いリビングを備えたモデルですとあります。どっちにしても大昔のテントですが、どこかで見れないものかと思います。

またA-508は今までずっと4人用だと思っていましたが、5人用と書かれていました。
子供2人が小さい頃は4人で寝ていたのでそう思い込んでいたのかも知れません。
しかし実感としてはやはり大人2人子供2人がいっぱいいっぱいなのではないかと思います。それ以上だと寝る時はぎゅうぎゅう、起きてリビングで過ごす時も、雨が降ったら大人ではスペース的にかなり厳しいと思います。(ウチは雨の日や寒い時はサイドタープとオプショナルタープを使ってスペースを拡張したリビング内にテーブルと椅子を置いて入り口付近にブリキ製の時計型ストーブを置いて過ごしていました。)
ダルセパクトにはまだ書き忘れた事や書きたい事があるので思い出したら続きを書くつもりです。
テントと同じ時期に買ったダンロップ製寝袋は今も家の掛布団として現役で活躍しています。ところどころ穴が開いていますがわれながら物持ちの良さに感心しています。
当時は寝袋と言えばミノムシのようなタイプしか知らなかったので、封筒型のこの寝袋を見たときは凄いなと思ったものです。この寝袋は拡げてふたつをファスナーで合体してふたり用にもなるのでその事にも感心しました。
alt

ダルセパクトのイメージは昔からあるこういう形の山小屋風の家をベースにしたのではないかと思います。

※間違って未完の状態で投稿してしまったので手直ししました。

なお、書き忘れましたが、今回もコテージに泊まって脇の空き地でテントを建てました。




Posted at 2022/05/24 10:32:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | アウトドア | 趣味
2022年05月16日 イイね!

好きな音楽の話14 メチャクチャ感動したD&B with E.C

好きな音楽の話14 メチャクチャ感動したD&B with E.C例によってECをあまり知らない人も読んでくれたら…と思って書いてます。もっともそういう自分もそれほど詳しく知っているわけではないので過去のいろんな記事などたくさんから寄せ集めて知っている範囲で書きます。
これもECを知り初めた中2頃(1971年)に買ったアルバムです。
この頃はどのアルバムを聴いても知らないECに出会える夢のような時期でした。
なにしろECの活動は隠遁生活に入る1971年くらいまでは物凄く多くて武者修行のように手当たり次第に他流試合していたような感じでアルバムをどんどん出していたのでいろいろな側面のECを聴くことができました。
もうちょっと早く2年くらい前に知っていれば最も頻繁に活動していた1969年に間に合ってリアルタイムで聴けたのに…と悔しい気持ちもありますが、そうするとまだ小学生だったのでさすがにECのファンだった小学生なんていなかっただろうな…などという想像もします。
もう50年以上前の話なので、ほんの数年遅れでECファンになれたことが今となってはラッキーだったと思います。

1969年録音のアルバム
「デラニーアンドボニーオンツアーウイズエリッククラプトン」
というタイトルからもECの名前が入っていることがウリになっているのがわかります。
ただのECミーハーオタクの私は1965年のブルースブレーカーズウイズエリッククラプトンの時もそうでしたがいかに彼がビッグネームだったかがわかるこのタイトルを見ただけで嬉しくなってしまいます。
デラニーアンドボニーの夫婦デュオは有名ミュージシャンの間で評判になっていたヴォーカリストでそのおかげでビッグネームになったとの事でこれもECの音楽放浪の時期に出会った人です。
まだ無名のリタ・クーリッジやレオン・ラッセルらが加わったスワンプ(アメリカ南部の音楽)的要素のあるアルバムです。
ECは客演という立場ですがグループの一員として全面的にバリバリリードギターを弾いています。
デラニーアンドボニーは白人ですがとてもソウルフルな歌がそれだけで感動的ですがそこにECのギターが加わって何倍にも聞き応えのあるパフォーマンスになっています。
EC自身のヴォーカルとは全く違って力感溢れるヴォーカルとECのギターの組み合わせはこのアルバムでしか聴けません。
その中で特に私の好きな曲はゴスペル調の「ザッツ・ホワット・マイ・マン・イズ・フォー」という長ったらしいタイトルのナンバーです。
奥さんのボニーが唄うこのナンバーは黒人以外のヴォーカリストで最高なのでは無いかと思えるパフォーマンスです。
この夫婦の唄にはゴスペル、いわゆる黒人の教会音楽的要素がかなり入っているように思いますがとてもソウルフルかつエモーショナルです。
あまりに素晴らしいのでEC自身がヴォーカルのアルバムを聴くと物足りない気分になるほどです。残念ながらこの二人はECに無いものをたくさん持っていると感じます。
しかしここでのECのギターは緩急自在といった感じでノリも最高で最高の歌と最高のギターのコラボレーションです。
できればこのメンバーでの躍動感溢れるライブを一度でもいいから観たかった❗️
デラニーアンドボニーのような歌心のかたまりのようなアーティストはこの後も出てこないのではないかと思います。(少なくとも自分は知らない)


ECが若かった頃音楽の放浪をしていた時の音源がとても貴重で、(1960年代〜73年)再起した1974年以降は安定した活動になりその代わりに他のミュージシャンとの他流試合が少なくなったのが残念です。

ついでにこのバンドの驚くべき貴重なライブ映像が残っているのでそれについて触れます。(カラーじゃないのが惜しい!)
「Delaney & Bonnie & Friends: Copenhagen December 10, 1969」
alt

クリームを解散したあとの1969年(24才)には特に精力的に活動しています。
ひとつはパーマネントグループのブラインドフェイス、ジョンレノンのプラスティックオノバンドへの参加、そしてデラニー&ボニーのツアーへの参加と大活躍でした。
そしてそのどれもがライブ映像に残っているのです❗️今と違って映像を残すのは大変だった時代です。これらの映像を撮って残してくれた人達全員に感謝!です。
三大ギタリストのジェフベックやジミーペイジやほかのロックスターたちと比べても映像作品の多さは群を抜いて多くECファンとして嬉しい限りですが、それだけ精力的に仕事をしていたとも言えます。
それと、彼だけ歌が歌える事(一際目を引く端正なルックスも含めて)もスター性で頭ひとつ抜きん出て映像が残る一因になっていたのかもしれません。
歌が歌えることによって彼の活動範囲はこの後も広がってとても多彩な人たちとの共演につながっていきます。それらについては改めて触れようと思います。
その中で今回取り上げるのは、デラニー&ボニー夫妻のツアーに参加した時のものです。
それまで無名だった彼らはジョージやエリックなどビッグネームのミュージシャンがこぞって賞賛した事で脚光を浴びるようになったそうでこのツアーも自らの意思で参加したとの事で説明するまでもなく観ればその素晴らしさが体感できます。
白黒なのがちょっと残念ですが45分ものライブ映像で何とこのライブにはジョージもギターで参加しています。
ジョージとエリックが黒いカーテンを背景にプレイしている写真やポスターがだいぶ前からあってずっといつの時の物かわからなかったのですがこの映像を見てD&Bのライブ時のものと知って驚きました。
あとのメンバーはその後デレク&ドミノスのメンバーになるボビーウィトロック(ピアノ、バッキングヴォーカル)カールレイドル(ベース)ジムゴードン(ドラム)の他、「あなたしか見えない」で有名になる前の若いリタクーリッジや2人のホーンセクションがいます。これらの人たちは1970年ECの初ソロアルバムにも参加した人たちです。
記事を書くにあたって改めて見てて久しぶりに感動し直しました。
レコードになった「オンツアー」とダブった曲が多いので、比較しながら観ると更に感激ひとしおです。
しかも…ECのソロアルバムに入っている「アイドントノーホワイ」(邦題 なぜか知らない)もECのヴォーカルで演ってくれています❗️ECはまだヴォーカリストとして自信がもてなかった時期の照れ隠しなのかこの曲を歌う時はサングラスをしています。このステージが1969年でソロアルバムが1970年ですからこっちがプロトタイプ(原型)でアルバムの方が完成形なのかな?とも思えますがこの曲、他のライブでは聴いた事が無いので超貴重な音源が映像付きで残っていた事になります❗️
同じくらい大物のビートルズのジョージさえ一曲も歌って無いのでこれはかなり凄い事だと言っていいと思います。(しかもジョージはずっと地味にバックでギターを弾いているだけ)もっともジョージの音楽性(ブルースというよりロカビリー)ではデラニー&ボニーのステージにはフィットしなかったとも言えます。逆に言うとECの音楽的柔軟性、いろいろな音楽を取り入れようとする姿勢や貪欲さに感心します。その事実が図らずもこのヴィデオで証明されたとも言え、ふたりのファンの私にとってもとても興味深く貴重なものです。
ジョージはビートルズの中でも三番手の存在だったからとも言え、ECとジョージの世間的な大物度は微妙な線だったとも言えると思います。少なくともこの場面ではECの扱いが上になっています。この事からもツアーメンバーの一員とは言え、ECのネームバリューは相当なものだったのが分かります。
ただECの控えめな性格がよく表れていてステージの一番端っこにいるので、画面から切れている事が多いのが残念ですが全面リードギター担当で存在感を示しています。
彼女のパンチが効いたソウルフル&パワフルなヴォーカルはECに無いものを全て持っているような気がします。もっと彼らと一緒に活動して欲しかった。そしてジョージがバングラデシュコンサートにまで引っ張り出して欲しかった…と切実に思います。
(なお、ジョージもずっと地味にリズムギターを弾いているがリラックスしてとても楽しそう。)
メンバーはデラニー&ボニーの他ECソロアルバムにも参加したリタクーリッジホーンセクション2人、後に結成するデレク&ドミノスの3人、ジョージハリソンとまさにECの歴史絵図を見ているような超豪華メンバーです。
1.Poor Elijah / Tribute To Johnson
2.I Don't Know Why  デラニーに紹介されてこのステージでECがボーカルをとった唯一の曲。ソロにも収録された曲の原型でちょっと頼りない歌い方が初々しい。バックコーラスのリタとボニーに助けられて一生懸命唄っている感じがイイ。
3.Where There's A Will, There's A Way
4.My Baby Specializes
5.I Don't Want To Discuss It
6.That's What My Man Is For  ボニーの黒人顔負けのパワフルなボーカル全開!特にラストのシャウトは圧巻!この後夫婦は別れてしまいデラニーは既に亡くなっているが、ボニーは近年もスーパースターを唄っている姿をユーチューブで見ることができる。
7.Comin' Home
8.Tutti Frutti / The Girl Can't Help It / Long Tall Sally / Jenny Jenny  ダイナミックなロックンロールメドレー。他のミュージシャンたちがこぞって絶賛したのも納得の超強力なボーカル!!



Posted at 2022/05/17 11:06:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽 | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「気に入りました http://cvw.jp/b/1309032/42873871/
何シテル?   05/20 04:07
nakamachoです。よろしくお願いします。クルマの他オーディオビデオも好きです。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

リンク・クリップ

キューブのミニカーをまた手に入れた 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/01/28 03:55:04
ポップシンガーとしてのEC 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/12/29 09:39:59
好きな音楽の話15 読むCREAM 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/06/29 11:31:47

愛車一覧

日産 キューブ 日産 キューブ
キューブ15Gビターショコラに乗っています

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation