ECがカムバックした1974年当時は新宿に輸入レコード店が数軒ありました。(今でもある)
この時私は高1くらいでレコードを買うのは新宿か自由が丘のソハラレコードか秋葉原の石丸電気、後はたまに渋谷道玄坂のヤマハ、銀座山野楽器といったところでした。
後は都立大学駅近くの目黒通り沿いにあった中古レコード店「ハンター」にもたまに行きました。「ハンター」はテレビCMもよくやっていたので覚えている同年代の方も多いかと思います。
つまりレコードとはそれだけ儲かる商品だったのです。(一時、小学校の同級生の文房具屋でもレコードを扱っていた)
レコード屋が最も繁盛する直前くらいの頃です。今ではCDショップすら少なくなっているので隔世の感があります。レコードがいかに商売になったかの一例としてヤマハのレコード用ビニール袋があります。それはダブルジャケット(見開きのあるもの)を全部カバーできるようにジャケットを開いた状態ですっぽり覆うサイズの透明な袋です。ジャケット自体に触れることなく開く事ができるので大事なレコードは今もこれに被せてしまってあります。この袋は有料だったと思います。
輸入盤を買うか日本盤にするかはいつも悩むことでした。輸入盤(本国盤)はオリジナルなので当然1番いいのですが、歌詞付き解説文がないのです。
音質も輸入盤の方が優れていると当時から言われていました。それと、ジャケットも日本盤はオリジナルからコピーして作るせいか、写真がボケボケになっているヒドいものがありました。(レイラは最初日本盤を買ったが本国盤を見て、あまりの違いに唖然として書い直した。)
値段は日本盤がだいたい2000円が定価で、ジャケット本体かタスキに印刷されていました。(レコードのタスキは日本だけのものらしい)
輸入盤はそれより安い場合と高い場合がありました。
もうひとつ悩むのは日本盤を買った場合、特典としてポスターが付いたりする事もあったことです。(予約特典の場合と先着の場合があった)
そういう状況で461〜の時も悩んだのですが、どっちにしても輸入盤を一度は目で確かめてからでないと後悔するので輸入レコードのメッカ新宿に行き数軒のレコード屋をハシゴしました。当時世田谷の深沢というのどかなところに住んでいたので新宿までは結構距離がありました。
その中で、どの店かは忘れましたがジャケットが少し違う461〜を発見し、何だこりゃ?と思って手にとって確かめると、通常盤の四方に薄い緑の枠があって「Quadra disc」と書かれているのです。しかもあったのは一枚だけでした。ミュージックライフや音楽専科にもこの情報は載ってません。
珍しい盤を見つけてやった!と思って喜んでそれを買いました。
しかしこのディスクはCD-4方式の4チャンネル盤で、ウチにある4チャンネルステレオでは正しく再生できないものでした。(一応聴けるが4チャンネル再生にならない)
一応と書いたのは、普通のプレーヤーでかけると針の種類が違うのでレコード盤を痛めるらしいのです。しかし高1の私にもう一枚買う余裕は無いし、持っていて聴かないでいられるはずも無く、普通に聴いていました。
確かに音質はやや線が細い印象はありましたが聴けるからいいか…と溝が痛むという事は諦めて聴いていました。
実際のところは、日本ビクターが開発したCD-4(ディスクリート4チャンネル)はマトリックス4チャンネルに比べてより高級な規格で4チャンネル音の分離が優れていると言われていましたがあまり普及しませんでした。
それより少し安いマトリックス方式(ウチのタイプ)でもメーカーの思惑が外れてすぐに廃れていったのですから当然の成り行きだったと思います。
中学時代に友人の家に行った時、4チャンネルステレオがありましたが、リアスピーカー(薄くて小さい)はステレオの対面の天井付近の鴨居の上の壁に取り付けられていました。つまり不自然に高い位置だったのです。
多分多くの家ではそういう置き方だったと思います。6畳くらいが平均的な日本家屋では聴く位置の後方の床面に置くのは困難な事でそれが普通だったと思います。
肝心の461オーシャンブールバードですが、3年間の沈黙を破ってリリースした事だけはあるインパクトがありました。クリームの呪縛(ギターの名手)から逃れたような、ギターをあまり弾かないECがそこにいました。
ギタリストのレコードというよりは歌も歌いギターも弾けるミュージシャン(アーティスト)が作ったもっと大きなサウンドという印象で、3年間の沈黙が無駄ではなかったと多くの人が納得するような感じに仕上がっていました。
肩の力が抜けた感じを表す「レイドバック」という言葉が流行ったのもこのアルバムがきっかけではなかったかと思います。
そもそも彼の音楽的嗜好が変わったのが、ザ・バンドの「ミュージックフロムビッグピンク」(1969年くらい)との事で私もつい最近になってようやく聴いてみたのですが、どのあたりにどうハマったのかイマイチピンときませんでした。どうも私の嗜好は著しくEC自身だけに凝り固まっているようです。
尤もこういう事ができるのもYouTubeのおかげで、それ以前にタダで聴きたい音楽を聴く手段は無かった(聴きたければ買うしかない)のですからそういう意味ではいい世の中になったと思います。
カムバックに伴って初の日本公演も開かれ、当然大興奮して観に行きました。
記憶によると、ウドー音楽事務所がチケットを発売して予約の日に事務所に並んで券を手にした時からドキドキが始まっていました。場所は青山だったと思います。
自分にとって何かのコンサートに行くのも初体験で、もちろん武道館に行くのも初めてで何から何まで初づくしの体験でした。
興奮しすぎてコンサートの内容をあまり覚えていないのですが、一方で少し醒めて観て(聴いて)いる自分もいて、新譜(461)からのレパートリーが多かったので、つまりあまりに弾かないのでイライラもしていました。
461オーシャンブールバードは確かに家で聴くと誰しも感動する名作だと思いますがライブ、しかも武道館のような大きいホールで演るようなタイプの音楽では無いような気がします。その時の周りのみんなも私と同じ思いだったのではないかと思っています。
つまり大多数の人はギターをガンガン弾くECを観に来ているのに、目の前にいるのはどこまでもバンドメンバーのひとりに徹する感じでなかなかソロをやらないのです。
髪をショートカットした風貌と共に内面もかなり変わってしまったのか…と思いました。
正直な感想を言えば、ギターをあまり弾かなかった落胆と本物を見た感動との間で揺れ動いている感じでした。
内容が薄い割には高いパンフレットも買いました。やたらとサイズが大きいのでコンサートを観ている間は邪魔なものでした。彼のパンフレットは観に行くたびに買っていましたが、規格外のサイズなので置き場所に困りいろんなもののコレクターでもあるM君に預けて(あげて)しまいました。ガキの頃からの友達だった彼に託せばこの先もずっと大事にコレクションとして残して貰えるとすっかり安心しきっていたのですが、世の中そうそう自分の思い通りにはいかないことをその後思い知らされました。
※次回作「安息の地を求めて」もCD-4盤がありました。(両方とも日本は未発売)
CDになってから海外で4チャンネル音源が聴けるものが出たようですが私はまだ聴けてません。この記事を書いてから急に聴きたくなってきました。
ディスクリート4チャンネルレコード専用のジャケット。黄緑色の枠は4チャンネル盤だけ。新宿でこれを見つけた時は何だ?と思った。
ヤマハのダブルジャケット用のビニール袋に入れた状態。折り返し部分まで付いている。
2500円のシールが貼ってある。
ビニール袋の表面には日本楽器という文字とヤマハマークが2カ所印刷されている。