日光市 廃線

田母沢 御用邸記念公園の近く
橋に挟まれて、ひっそりと隠れている鉄橋です。
この上に昔、日光軌道鉄道(路面電車)が
馬返駅まで走っていました。
馬返駅からは、日光鋼索鉄道(ケーブルカー)で
明智平駅まで繋がっていました。
路線総延長 10.6 km
軌間 1067 mm
電圧 600 V 架空電車線方式(直流)
最大勾配 60 パーミル
最高速度 35 km/h
1907年(明治41年)
4月1日 - 日光駅前 - 馬返間軌道法特許。
9月18日 - 日光電気軌道株式会社設立。
1910年(明治43年)8月10日 - 日光電気軌道により
日光停車場前 - 岩ノ鼻間開通。
1913年(大正2年)10月15日 - 岩ノ鼻 - 馬返間開通。
1932年(昭和7年)
8月28日 - 日光登山鉄道がケーブルカーを馬返 - 明智平に開通
電車の馬返駅を移転してケーブルカーの駅と共用化、接続の便をはかる。
11月30日 - 日光自動車と合併。日光自動車電車株式会社に商号変更。
1933年(昭和8年)
5月12日 - 日光駅前を線形変更しループ運転を開始。
11月3日 - 日光登山鉄道が明智平 - 展望台間にロープウェイを開通
軌道線、ケーブルカー、ロープウェイの接続が完成。
1944年(昭和19年)
8月1日 - 日光軌道株式会社に商号変更[6]。
9月15日 - 古河電工日光電気精銅所へ貨物列車直通のための専用橋が神橋のとなりに完成。
翌日、電気機関車使用開始。最大4両の貨車を連結して運行。
1947年(昭和22年)6月1日 - 東武鉄道株式会社に合併。
1953年(昭和28年)- 100形ボギー車10両就役。
1954年(昭和29年)- 200形連接車6編成就役、輸送体制が整う。
観光客も増加し旅客運輸実績が最大値を記録(551万人)するが
同年第一いろは坂が開通し、以降自動車相手に苦戦を強いられる。
1956年(昭和31年)2月1日 - 荒沢工場を開設。
1957年(昭和32年) - 女性車掌が入社、観光案内もおこなう。
1959年(昭和34年)8月1日 - 日光車両区(車庫)を荒沢工場に併設。
東武駅前の旧車庫は電車留置線として存置。
1960年(昭和35年)11月17日 - 駅・停留所7ヶ所を改称。
1964年(昭和39年) - 東武駅前 - 国鉄駅前間のループ線を運転中止
国道119号線の渋滞緩和のため。
1965年(昭和40年)10月6日 - 第二いろは坂 と金精道路が開通。
1967年(昭和42年)
5月 - 軌道運輸廃止を申請。
この年、旅客運輸実績が350万人を切る。
11月6日 - 軌道運輸事業廃止の許可につき運輸審議会件名表へ登載。
1968年(昭和43年)
1月19日 - 運輸審議会が、廃止を許可することが適当である旨を運輸大臣へ答申。
1月31日 - 本日限りで貨物運輸営業を終了。
2月23日 - この日から2日間、日光駅 - 清滝間で100形電車3両に
電飾200個やモールを取り付けた装飾電車を運行。
23日には東武駅前と清滝で地元小学生が 乗務員に花束と感謝状を贈呈
24日には東武駅前で栃木県知事、日光市長、市議会議長が出席して廃止記念式典を実施。
終列車の入庫ですべての営業運転を終了。
2月25日 - 全線廃止、神主により日光軌道の収納式が行われる。
住所: 栃木県日光市清滝
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