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masaru3のブログ一覧

2010年02月14日 イイね!

重要文化財。

重要文化財。少し前に赤穂の坂越へ牡蠣を買いに行った際に、風情のある古い街並みを見つけました。これはいい撮影スポットを見つけたとばかりに、さっそくシャッターを切ってみました。数枚をモノクロームに処理してフォトギャラリーにアップしてみましたので、お暇な方はどうぞ。

播州赤穂、坂越の大道にて。


ユーノス・ロードスターのデザインは日本離れしているようでいて、どこか和風なテイストを持っていると思いませんか?それもそのはず、ロードスターは当初MANA(北米マツダ)で生まれ、本社スタッフの手によって現在のカタチになりました。

賢明なロドマニアの皆さんにはご周知のとおり、デザイン主査だった田中俊治氏は彫刻家でもあり、当時没頭していた能面の「若女」にヒントを得たと云われています。我々日本人には外車のように見える造形は、外国人の目から見るとオリエンタリズムを強く感じるようです。

ノーズからテールエンドまで切れ目なく流れる絶妙なライン。何度見てもハッとさせる美しさ。磨き込まれたボディに映る景色がより一層、その流線美を増長させます。

町屋の風景に違和感なく溶け込むユーノス。これはもう美術工芸品の国宝・重要文化財だと思いませんか?
Posted at 2010/02/14 00:24:13 | トラックバック(0) | ロードスター・ヒストリー | クルマ
2009年06月15日 イイね!

ユーノス・ロードスターを最初にデザインしたひと

ユーノス・ロードスターを最初にデザインしたひとユーノス・ロードスターの美しいデザイン、何年経っても色褪せることのない曲線美。いったい誰が生み出したんだろう?田中俊治氏、林浩一氏の名前は知られているけれど、最初にデザインしたのは誰なんだろう。

「ユーノス・ロードスター~日本製ライトウェイト・スポーツカー開発物語」によると、林浩一氏はこう書かれている。


<以下引用>
・LWSデザインスタディモデル 1台目(May'84~July'84)
モデル製作の担当デザイナーは本社から出向中の八木正雄があたり、トム俣野、マーク・ジョーダン両デザイナーのサポートを受け推進した。

<引用終わり>

八木正雄氏の事はネットで検索しても見つからなかったけれど、トム俣野とはどんな人物なのか?こちらはすぐに分かった。以下ざっと略歴を記す。


俣野 努(Tom Matano)

長崎出身。成蹊大学を中退後、車への興味が捨てきれず単身渡米。1974年、GMに入社。その後BMWに移籍、1年後に3シリーズを担当。その後カリフォルニアMAZDAに招かれる。米国社屋のデザインを手がけたのち、チーフデザイナーとしてLWSプロジェクト、つまりロードスターのデザインを手がける。


調べていくにつれ、彼がどういう存在だったのか分かってきた。RX-7も彼のデザインだったとは。こんなページも発見。そして先日見つけた本。いのうえ こーいち氏著の「名車を生む力~時代をつくった3人のエンジニア」。いのうえ氏がトヨタ2000GTとシビック、そしてユーノス・ロードスターの開発者にインタビューする形式で書かれている本だった。

インタビューの相手は立花啓毅さんだった。平井敏彦さんじゃないのか、と少々がっかりしながらも、とりあえず購入。そして先のページには目もくれず、立花さんの話を読み進んでいくうち、こんな記述を発見。

「ああ、ユーノス・ロードスターのオリジナルのデザインは俣野努さんですよ。もう書いてもいいんじゃないかな」

思わず本を取り落としそうになった。よく見ると、クレイモデル1号の元となったデザインスケッチには、彼のサインが記してある。日付は7-3-84。

少し前に、トム俣野氏が出てくる動画を見つけていたので掲載。



彼はアメリカでこう呼ばれているそうだ。"Miata's Dad, Tom Matano."時間があれば、もう少し彼について記してみたい。
Posted at 2009/06/15 22:15:05 | トラックバック(2) | ロードスター・ヒストリー | クルマ
2007年08月14日 イイね!

ミアータの父、ボブ・ホール氏について。

ミアータの父、ボブ・ホール氏について。Miata/MX-5の事を知りたくて、アメリカのWebサイトを眺めていると、Bob Hallという人の記述をよく目にします。Miataを創ったのはボブだ、彼こそ世界にLWSを甦らせた真の偉人だというのです。

いったいボブ・ホールって誰?Wikipediaを見ると、アメリカの元自動車ジャーナリストで、現在はマレーシアの自動車会社勤務、となっています。ロド乗りのバイブル=ロードスター開発物語にも彼の記述を見つけました。元MANA=北米マツダで最初のアドバンスド・デザインを林浩一氏らと共に行っています。3台のクレイモデルがMANAで造られ、その3台目が広島へ送られて平井主査、田中デザイン主査らと共に熟成されていったのは皆さんもご存じのとおり。

米国のあるサイトによると、'82年にマツダ本社にLWSの基本構想を提案したのは彼であると記されています。もしそれが本当だとすれば、我々はもっと彼のことを知ってしかるべきだと思います。

彼の座右の銘は「ikigai」だそうです。まさに生き甲斐を与えて下さった彼に感謝の辞を捧げます。
Posted at 2007/08/14 23:49:40 | トラックバック(0) | ロードスター・ヒストリー | クルマ
2005年12月18日 イイね!

ロードスターにロータリーEgが載らない理由

ロードスターにロータリーEgが載らない理由Artvinredsの全国ミーティングDVDを観ました。これで5回目くらいでしょうか。J58G=NAロードスターの平井開発主査の講演を拝聴するわけですが、何度観ても飽きないんですわ、これが。

その中のエピソードをひとつ。NAがMX-5として米国で発売されて間もないころ、アメリカのメディア向けに会見を行った時のこと。質疑の最後に米国記者のひとりが手を挙げて、こう言ったそうな。

「マツダさんでは既に準備を進めておられる事と思いますが、この車(MX-5)にはいつ、ロータリーエンジンを積まれるのですか?」

それを聞いて平井主査「来たな。」と思ったそうな。そしてこうひと言。

「MX-5には今も、そして今後も永久にロータリーエンジンを積む事はありません。」

一瞬、40人を越える記者のいる会場が水を打ったようにシーン、となった。当時よりマツダと言えばロータリー。それは日本以上に米国ではマツダが支持される理由だった。こんな素晴らしいスポーツカーにロータリーを積む予定がないなんて…耳を疑う事実に、誰もが言葉を失った。

「それはナゼですか?」質問した記者が、やっとの事で訊ねた。

さぁ、どう答えよう?マツダ本社から来た開発者の言動に、メディアが固唾をのんで見守るなか、ヘタな事を言ってしまっては売れ行きにもかかわる。しかし平井主査、堂々たる口調でこう言った。

「私はロータリーエンジンがどうしても好きになれないのです。好きでないエンジンを、この車に載せる訳にはいかんのです。」

直後、会場から割れんばかりの拍手が湧き起こった。平井さんはこう思ったそうだ。「彼らはよく分かっていると感じた。この手のスポーツカーにどんなエンジンがふさわしいかをね。」

平井語録、まだまだ沢山の名言があります。それはまた次の機会に。
Posted at 2005/12/18 19:57:16 | トラックバック(0) | ロードスター・ヒストリー | クルマ
2005年10月29日 イイね!

センティアとそのデザイナー・田中俊治氏について

センティアとそのデザイナー・田中俊治氏についてマツダの生んだ美しい名車のひとつに、センティアがある。今でもすれ違うたび、思わず振り返ってしまう、美しい後ろ姿。ノーズからリアバンパーまでの、流れるような曲線は「能面」をイメージして作られたそうだ。当初はジャガーの真似と酷評されたが、よく見ると全く違うディテールに気づくだろう。日本人にしか生み出せない繊細なライン。静と動、そして寂。

開発デザイン主査は田中俊治氏。J58G=NAロードスターの生みの親だ。J58Gとデザイン主査を兼任したため、センティアの登場が遅れる理由のひとつになったのは有名な話でもある。当時傾倒していた能面作りからヒントを得て、センティアは能面「べしみ」から、ロードスターは「若女」のイメージを具体化したそうだ。

田中氏は驚くべきことに、インテリアデザインの開発も同時に行っている。我々が毎日眺めているインパネの造形は、ごく初期のデザインスケッチと大差ない。厳しい予算制限の中でこれだけの仕事をやってのける氏の力量がなければ、ロードスターはこの世に日を見ることなく消えていったかも知れない。ここでもインテリアのアイデアを「茶室」に見いだしたと著書の中で語っている。狭く、質素な空間にもぐり込んだとたん、非日常の世界が開ける。五感を研ぎ澄ますLWSに、余計な飾りは必要ない。

ロードスターという車は、ボディの造形を含め、パーツのデザインひとつひとつにデザイナーのこだわりを強く感じる。だからこそ、こんなにも長い間、多くの人に愛され続けているのは間違いない。自分は愛車のモデファイにたぶん、大きな冒険はしないと思う。初代センティアと同じく、NAの美しいボディラインは生まれた時、すでに完成されているから。

(参考文献:マツダ/ユーノスロードスター 日本製ライトウェイトスポーツカーの開発物語)
Posted at 2005/10/29 18:35:56 | トラックバック(0) | ロードスター・ヒストリー | クルマ

プロフィール

「キーボーティスト、佐藤博さん急逝 http://cvw.jp/b/132483/28149509/
何シテル?   10/27 14:56
ユーノスロードスター VRリミテッド・コンビネーションA(長い!)というワインレッドのクルマに乗っています。以前は初代Vスペに乗ってました。やっぱオープン最高っ...
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