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じゃっきーのブログ一覧

2006年10月20日 イイね!

突然の出来事

ちょっとくらーい話になるので、あまり好きじゃない方は素通りして下さい。

10日の夕方に姉からの電話があった。「親父が倒れた」と。しかも意識もなく昏睡状態だと。その日は夜勤だったので仕事へ行き、次の日に帰ることにしたが、名古屋-大分間は1日2便しかなく朝の便は夜勤中のためにムリ。夕方の便で帰って病院へ直行した。病室に入ると目の前に居たのは、酸素マスクをし下顎呼吸(最後の最後の呼吸状態)をする父の姿だった。

すぐに先生の説明があり、俗に言う脳梗塞らしい。しかも脳幹とか言う場所で詰まっているらしく、99%回復する可能性はないと。奇跡的に回復したとしても意識は戻らないと。そんな話を踏まえて、兄弟、親戚一同で人口呼吸器は付けず自然に任せるという決断をした。

病室に戻ると、心拍数・血中酸素量などすべてが低下していた。自分が到着したあたりから急激に下がっているらしい。酸素量などは通常ではありえない10L。それでも酸素量は低下していく。姉の1人が看護婦をしているので、大体の状況はわかるらしい。

到着してから3時間後、呼吸が止まり、心臓も止まった。父の67年の人生が終わった。

話によると、熊本へ1泊ぐらいの遊びに行き、家に帰り着いてトイレに行ったところで倒れたらしい。一緒にいた従姉妹がすぐに救急車を呼んだらしいが、30分程の空白の時間があるのが謎。しかも実家から病院まで40分ぐらいかかるので、搬送されるまでに1時間半もかかっているのが致命的。今年のお盆に帰った時もいたって元気で、元々大工だったため土台から何から1人で作業小屋を作っていた。その作業小屋は完成までトタン3枚のところで終わっていたのを見ると涙が出てきた。真夏にそんなことをしているのも良くないとは思うが、動脈硬化などの症状も出ていなかったので予防もできなかったのだろう。それよりも30分も空白の時間が悔やんでも悔やみきれない。

で、ここからが大変で、すでに0時をまわっていたがすぐに実家へ搬送。そんな夜中に坊さんを呼んで、枕経をあげてもらう。その後も線香を絶やさずにしなければならないのだが、流石に夜勤明けで寝てなかったからか途中から記憶がなく、後は姉がやってたらしい。その日は実家で通夜なので朝っぱらからバタバタ。準備やらなにやらがめちゃ大変。しかも、田舎なので昔の風習があるらしいが、そんなことはさっぱりわからないので更に大変。通夜自体も名古屋とは違い、来た人(たいてい3~5人で来る)となんらかの会話をする。なぜか自分が喪主になってしまったので、その全員の相手をするのだが、何を話していいやら・・・。

次の日は葬式。実家の方では葬式の前に火葬する。なので朝から火葬場へ行き、あの点火スイッチを喪主である自分が押すことになる。もーこの瞬間はとめどなく涙が溢れる。2時間には集骨。そこでも喪主がのど仏を納める等の役目がある。その後に葬式になり、喪主は何かと大変。最後の挨拶は姉に頼んだので少しは楽だった。初七日も同時にやった後、区の人たち(無常さんと言うらしい)から御もてなしを受けて、坊さんと一緒にお食事。それをとっとと済ませてから、今度は無常さん達に御もてなし。それが済むと、区長さん、藩長さん、無常さん宅へお礼回り。もー倒れる寸前。それでなんとか葬式関係は済ませることができた。

だが、次の日からは、父の遺産相続のための手続きやら、色々な物の停止手続きやらであちこち駆け回り、葬式から1週間たった今でも何も終わってはいないのである。心労からか風邪引いてしまい、もーかなりの限界。田舎の葬式&喪主がこんなにも大変だとは思わなかった。

とりあえず、父が完成できなかった作業小屋は、姉の旦那(大工)が完成させたので、父も心置きなく成仏してくれたのではないかと思っている。最近やっと一緒に酒を飲める仲になったと思っていたのに、残念で仕方がない。親孝行もロクにしていないのに、まさに、孝行したい時に親はなしと言う言葉を実感することになった。
Posted at 2006/10/20 04:28:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 不幸 | 日記
2005年12月10日 イイね!

不幸は続く・・・

最近身の回りで不幸が続いている。

2ヶ月前、突然先輩が帰らぬ人となった。入社当時には仕事も教えてもらい、休みには遊びも連れて行ってもらった大変お世話になった先輩。出先から帰った途端に倒れてそのまま。死因は脳卒中らしい。まだ40歳という若さで。2人の子供の成長を見届ける事無く。

その数週間後、この先輩と同じ仕事をしていた人も、まったく同じような状況で亡くなった。年も同じぐらい、死因も同じ。皆こぞってこの2人がたずさわっていたホストコンピューターに原因があると言出だし、数日後には御札が付けられた。

年始からこのホストが稼動し、自分もたずさわることになるので不安な日々を過ごしていた。

が、その数週間後、別の先輩の奥さんが亡くなった。この先輩も昔は世話になったことはあるが、奥さんとは面識がなかった。しかし35歳と言う若さ。あまりにも若すぎる死。

そして一昨日、友達の子供が亡くなった。若干5歳で。仲のいいツレだったが、早朝にメールが送られて来た時はなんて返信すればいいのかもわからなかった。生まれてしばらくして脳腫瘍がみつかり、ずーっと闘病生活を送っていたのだ。以前、子供の病気のことで夜中まで語り合った事もあるが、何の手助けもしてやれなかった。

もう周りの人が死ぬのは勘弁してもらいたい。
俺も辛いがその数倍も悲しいだろう家族の顔を見るのはもっと辛い。

Posted at 2005/12/10 00:45:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | 不幸 | 日記

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昔からひたすら峠を走っていたが、今は違う楽しみ方で峠を彷徨い中。
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