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ゆーりっく2のブログ一覧

2014年12月14日 イイね!

民主主義は上手くいかない

さて、民主主義をテーマに掘り下げた第2回目の記事です。

前回では、政策圧力というものを考えた時に、それを越えないと政策は変えられませんよという提起と共に、
民主主義の本質とは、当時の経済膨張を背景にした立法府の機能不全、これを従来のトップダウンからボトムアップに変える事によって解決しようとしたのが本質であり、ボトムアップこそが民主主義の本質ですよとしました。

今回の記事はボトムアップの欠点、そして数の論理の欠点から、民主主義が上手くいかない理由を掘り下げてみましょう。

・ボトムアップが上手くいかない

ボトムアップ型の統治制度(ガバナンス)の欠点は、いくつか挙げることができます、まず、ボトムアップしようにも、人は専門外の事はそもそもまともな問題提起さえできない、そして専門外の人はとんちんかんな事を主張し始める。
前回でも書きました、アメリカの知的財産権の裁判ですね、裁判官は現場の問題提起を無視して判決を下してしまいました。
これ実はトップダウン方式でのミスなんですが、ボトムアップの定義という物は調べてみた所、非常に曖昧な物です。
本来の定義は、問題提起を最前線からしますよという物、つまり、現場主義。
ボトムアップは現場主義です。
この現場主義をですね、組織図という物があるんですが、組織図上で、権威的に下から提起された問題をボトムアップだと勘違いしてる層がある一定数居るようです、つまり反権威主義と言えるような訳の解らない物をボトムアップと定義し、反権威主義と現場主義を混同して定義として使っているから、ボトムアップは訳の解らない物に成り下がっているようです。
えーと、現場主義というのは最前線からの問題ですから、例えば経営、経営の最前線に立ってるボトムは誰ですか?
経営者でしょう、自分が最前線に立っている自覚が無いから経営におけるボトムアップで、自分をトップだと勘違いするのです。
こういう事を本気で言う経営者は経営者としての才覚が無い。
トップダウン方式での成功例と言われる地球温暖化対策、これね、問題提起したのは学者で権威が国民より上に見えるようだからトップダウンになるんですか?
最前線に立ってる専門化がボトムアップしたんでしょう?
だから導入に至ったんでしょう?

このような混同から、トップダウンはボトムアップに間違えられ、ボトムアップはトップダウンに間違えられているようです。
では、定義をしっかりした上で、ボトムアップが失敗視する例を挙げてみましょう。

・ボトムアップがまともかどうか判別がつかない

えーと、立法では無いんですが、というか立法でないからこそ問題になってるように見えますが、前回挙げたYouTubeですね、ボトムアップは透明性や公平性を担保にしないとまずまともに機能しないんだと。
これは立法に置き換えると、専門外の人間の立場からすると現場から挙げられた問題提起は実は妥当かどうかも解らないことが多々あるんだと。
大きな問題ですが、社会が複雑になるにつれ避けられない問題になります。

・ボトムアップするような問題提起が見つからない

昨今のリベラルで批判されてることですが、リベラルのかつての理想は既に現実になってしまっていて、問題提起の力がなくなっていると、私からすれば財政問題に負けてるだけのように見えますが、その時、民主主義はどうなるのでしょうか?
この論理を持って民主主義を最高のガバナンスとしてる主張もありますね。
もっともボトムに問題を見つける力が無いだけかもしれません。

・ボトムアップ同士で対立する

経営というボトムと人権というボトムで、時おり起こる賃金対立は、双方のボトムが利害の上で決定的に対立しております、実は中間集団同士で利害の決定的な対立がある場合、異なるアプローチが強力に作用しなければ民主主義は機能しません。
機能すると仮定した上で採決をとる、そう、これが数の論理です。
多くの人が民主主義の本質と勘違いしてる論理ですね。
この数の論理を持って、トップとボトムの対立だと主張してるのは愚の骨頂です。
ボトム同士の対立です、定義を勘違いしてるんです、権威主義もしくは反権威主義の立場を取っているから、トップとダウンに見えるだけです。
民主主義の機能しないボトムとボトムの対立それがアラブの春でした。
中間集団同士が経済問題、宗教問題で利害を乗り越えられなかったのです。
この中間集団も掘り下げてみたい所です。

話しは横に逸れますが、皆さん、民主主義の対義語をご存知でしょうか?
これ調べてみると、民主主義の対義語は権威主義なんですね。
トップとボトムの対立構造に見たがる層が、権威を持ってボトムをトップだと定義する。
面白い事ですが、民主主義を否定してるように見えるんですね。
ボトム(現場)同士の問題提起を権威を持つ側がこちらの方が権力は上だよ、だから俺は民主主義はやらないよと言っているのです。
まあ専門外なんでしょうから、とんちんかんな事を主張するのは当たり前の事と言えるんですが。

ではついでに、ボトムから出た問題提起を立法に押し上げる中間集団、これを掘り下げなければなりません。

長くなりましたので分けましょう、次回の記事では、民主主義の鍵を握る、中間集団、そして数の論理ですね。

以上
Posted at 2014/12/14 15:41:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2014年12月12日 イイね!

民主主義って何だろう?

長らく放置して居ましたが、民主主義というテーマを少し掘ってみましょうかね。

という記事になります。
前の記事を放棄してですが。

切っ掛けというのが、政策圧力というものを考えた時に、政権交代でも変わらない事案、つまり政権交代でも変革させるのに政治的な圧力が足らない事案があるとします。
例えば労働基準法の尊守ですね、出来ていなけれどという話、これは政権交代程度の政治圧力で変わりません、政党政治の限界でもありますが。
つまり意思決定に至るまでの必要な圧力が政策毎に違うと仮定したんですね。※以降当圧力を政策圧力とする
これね、至極当たり前の話なんです、反対する人が少ない法案は簡単に通りますよ、反対する人が多い法案は通りませんよと、政策毎に違うんですよと、そういう事を書いてます。
ところが誰も個々の政策圧力について評価されてませんよね、我々の政治体制は民主主義で政策圧力は重要な論点になるにも関わらないなのにです。
さて、この政権交代でも変えられない事案は、政策圧力において数の論理を超越することになりますが(※時に政権維持を考えない場合になりますが)、ではこの事案、政権交代でも変わらないなら、一体何で変わるのでしょうか?

本来の命題はこちら、いったい何と交換なら政策圧力は意思決定と釣り合うのか?

政権交代でも変わらない事案は、何と引き換えなら変える事が出来るのかです。

これは類推によって力学的な観点から、ある種の仮説が立てられる事になります。
それで、当然やってあるであろう力学的な政治圧力を軽く探してみたんですが中々見つからないんですね、埒があかないので民主主義の原理についてを調べた所、そもそも民主主義って一体何だろう?そんな疑問にぶち当たりました。
とにかく、納得出来るようなまともな事を書いてる人が居ない。
これが今回のテーマ民主主義とは何だろうの動機です。
リベラル内のイデオロギーで定義される民主主義ではなく、ガバナンス(統治制度)における民主主義の本質とは。
ここら辺に迫ろうと思います。

・ガバナンスにおける民主主義の定義とはなんなのか?

私みたいな考え方の人間は、他の制度に対する優位性と差異から定義を抽出します。
先に書きましたが類推的に言えば、民主主義でよく言われる数の論理は圧力関連を当てはめるのが通例なんですが、恐らく、力学的政治圧力というのは、軍事力学が当てはまる分野になるかと思います。
えーと、政権交代を越えるような個々の政策圧力にも越えてる上でさらに差異がありまして、その圧力を受け止める弾力性のある部分が人となるからですね。
そこで圧力の最前線となる議員が、責任を取らなくて良いなら任務は果たせず、圧力は瓦解する。
与えられてる役割は軍隊と同じでしょう?
この圧力に対する弾力性において、軍事力学を類推に当てはめられるであろうと、まあこれまた肝心の軍事力学が見つからないんですが。
民主主義の採決においての数の論理とは、利害の戦争であると仮定した訳です。
よく秘書等が死んでる世界なので戦争と変わらない世界なのかもしれませんね。
ここまでは誰でもたどり着けるような比較的単純な類推。
普段民意民意と言いながら、今、ガバナンスの定義として政策圧力の差異をベースに考えないで、何故、民意の反映が何故されないのか、どうこう言われてないのはもう謎としか言いようがない。
民意が反映されないのは、政策圧力に釣り合うような圧力が加えられてないからです、そして政権交代でなしえないならその圧力は既存の選挙、政治体系では得られない。
こういう事になりますね。
政策圧力という物にたどりつけた人からすればですが。
この政策圧力の概念をうやむやにしてる事が、昨今の日本における世間の政治不信に繋がっている原因なのです。

・歴史背景からする民主主義のガバナンス(統治制度)としての特徴的な優位性

リベラル的なイデオロギーから定義しようとしてこれを考えない人が多すぎる、要は他の制度と完全に違う部分での民主主義のメリットです、旧支配層が権力闘争から敗北して出来た制度が民主主義です。
敗北した理由は、被支配層の経済拡大による支配層の相対的な経済的敗北による物だと勘違いしがちですね。
これね、私も勘違いしてました。
有りましたよね、一人辺りの生産性が何ドルを越えると、その社会では民主主義への転換が起こるんだと。
演繹の弱点なんですが、仮に旧支配層の経済的敗北が現実に起ころうとも、統治機構の概念(三権)からして、単なる支配者層の経済的敗北だけでは権力の移譲される確たる理由にはなりません。
何故なら三権が上手く機能してさえいれば、統治制度として権力の移譲はしなくても良い、世の中は上手く回るからです。
では、何故支配層は被支配層に政治の分野で敗北したのか?
この何故の部分が民主主義の本質となるハズですね。

私自身、納得出来るような物を探しておりまして、これは決め手だろうなというものを見つけました。

選挙前ですべきでは無いかな?今何をされてるかは存じあげませんが
録な資料が見つからないので、YouTubeで遊んでた時にですね
https://m.youtube.com/watch?v=NaQXMXmxXIY&itct
題は透明性です、透明性なんですが、ボトムアップの公平性が社会を良くするんですよと、そういう事を言ってます。
えーと、発言されてる方は片山義博さんですね、取り上げさせて頂きましたので一応紹介しておきます。

このボトムアップですね、先ほど書きました支配層敗北した理由は、被支配層の経済拡大による支配層の相対的な経済的敗北、これは論理上、明確な理由にはなりえませんよと書きました、でもですね、背景にはなるんです。
経済膨張が背景にあるんですね、当時新しい産業が世の中に凄い勢いで増えたんだと、そういう時に間に合わなく物が現代でも三権の中にありますよね?

そう、立法だけは、経済膨張の世の中では確実に間に合わないんです。
支配層というのは封建制度下の貴族ですね、専門外の、というか世界に生きる全員が専門外ですが、何故なら新しい産業に対する立法に専門も何もないからですが、新たに産まれ続ける問題に対処できるような立法はまずトップダウン方式では産まれようがありません。
問題提起自体が出来ないからです。
何も解らないまま差配を決めるトップダウン方式の立法は、問題を何も解決しないどころかむしろ大きくするだけという事が多々あります。
これはそう、共産圏の失敗ですね。
共産圏の失敗を持ってトップダウン方式は民主主義に敗北しました。
今はその共産圏は立法をコピーして都合良く使って巻き返しています。
立法には確実に現場の意見が必要になります、これはアメリカでも知的財産権の裁判において、現場の意見を無視して判決を出したりしていますが、これは民主主義の特徴的な優位性とはかけ離れてますね、民主主義の新たな象徴的な問題にもなりますが、それは置いておいてつまりはボトムアップ方式。
御用聞き(ボトムアップ)がガバナンス(統治制度)としての特徴的な民主主義の優位性になりますよと。
リベラル的なイデオロギーではなくね、これが民主主義の本質なりますよと。
支配層は経済的敗北によって権力を放棄したのではなく、経済膨張によって不可能になった立法をボトムアップ側に委託したのです。
フランス革命もその過程の混乱と見て良いでしょう。
ろくに統治出来ないのであるなら統治するなという事ですが。
その上でですね、初めて数の論理を取り入れなくてはなりません。
まあ、同じようにボトムアップは民主主義で良く言われる事ではありますが、経済膨張における立法をボトムアップでサポート出来るからとにかく強いんだ、他とは違う民主主義の強みであり強みであるからこそ民主主義の本質なんだ、問題はそれ以外にあるんだと理解して頂けたら幸いです。
因みに、取り上げた動画で言われてるのは行政に近い司法的なボトムアップによるサポートです。

さて、このボトムアップ、民主主義ではボトムアップから中間集団を通して多数決によって、その問題提起を立法にまで押し上げるんですが、強みの性質から上手くいかないケースがいくつか考えられます。
では、ボトムアップが上手くいかないケースとは何でしょう?

次の記事は、民主主義は上手くいかない、そんなテーマで書こうかと思います。

以上
Posted at 2014/12/12 19:01:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2014年07月28日 イイね!

因果推論とシメントリー(対称性)、論理のお話続き

経過報告の記事になります、論理構造の上下層の優位性についての議論は探してみたところ、皆無、未踏破かと思われます、絶対にしてるハズなのにな?
今は見つからないと

適当な理由を考えれば、論理構造における上下の優位性というのは、自然科学においては自明であり、社会学においては度々都合の悪い論理であり、哲学においては同列とする事が多くその優位性に意味がないから、かと思われます、残念、必然的に対称性に焦点が当てられる事となりました。

・因果推論と対称性(シンメトリー)

シンメトリーと論理で検索するとまず出るのが「因果推論」となります。
つまり、対称性を中心に調べれば、自ずとそれは論理ではなく、因果推論が先に出てくると。

因果推論に反証可能性をいれれば、それは科学となります。
そして、因果推論の初歩は、分類学となります。
えーと、対称性の要素を積み上げていき、非対称性を排除していくのが分類学。

例えば
犬と、チーターと、ヤマネコと、アメリカンショートヘアと、三毛猫はどう違うの?ですね

非対称性を探してみましょう、すべてを対称と見なせば、つまり、非対称の物は無いよと考えれば、ほ乳類、犬に非対称性を見いだすならネコ科、犬とチーターに非対称性見いだすならネコ属、犬とチーターとヤマネコに非対称性を見いだすなら、イエネコ。

小さい頃にやった、仲間で囲おうです。

つまり、不明領域における、対称性を持つ最小かつ最大の領域階層を確定していくのが分類学。
ピラミッド状になるハズです。

そして、最小単位まで分類をくり返して非対称性を無くしてしまえば、必然的に最小の対象はそれ以上分解出来ない固有の物、固有の概念になりますから、構造上非常に強固な論理になりますよと。
因果推論とは、対象の要素を出すために、領域を仮定して帰納なり演繹なりで、非対称性の部分の角を丸くし新しい領域を仮定確定していく作業です=言語分野における真を得る作業。

そして、反証可能性を因果推論の前提条件にいれれば、それは科学となる訳です。

論理は因果推論の逆も行えます、何らかの仮想のシンメトリーを見つけて仮説を広げるですね。
シンメトリーを得るためには単純なロジックが良い。
よって、因果推論と論理は厳密には、違う物と。
論理⊃因果推論
この片方通行。

ということで、まず、因果推論のやり方を覚えましょうというのが、論理のスタート地点になる訳です。

さらに、言えばこの論理構造は多面的もしくは、横軸の階層を増やしても機能しますよと、というか実際に言語分野を因果推論で分析すれば、難しい構造のモノなんて多々ありますよと。
社会学で、その階層における優位性について、議論されてるか調べたかったのですが、まあまた今度という事で。
次は、論理構造における階層の確定についてかな。

以上
Posted at 2014/07/28 20:59:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2014年07月16日 イイね!

頭をすっきりさせよう、論理学

えーと久しぶりの書き込みになります。

今のテーマなのかな、減価ベースの製品世界=現物及びコンテンツ
失業率と需要(通貨)世界の乖離というのを、構造的に出しちゃいましょうと。

ここら辺頭をすっきりさせて、取り組むために、解りやすい論理学とは?という色の違う記事を書こうかと思います。

というのは、権力構造に取り付かれて、方向性が狂ってたのを修正しないといけません。
最近個人的に流行ってるロジカルシンキングというか、階層型の論理的思考の構造的な学術論というのを探してみまして、左右対称性を担保に階層の上下の優位関係はあるのか。

この単純な思考ツールは例えば、政策の是非を考えるのに凄く役にたつんですが、実際の所根拠はあるのかな、今学術的にはどう考えられているのかなと、そういう話になります。

例えば平たく言えば、1階層内の論理というのは、

演繹「えんえき」(前提+前提から導き出せる仮説)と
帰納「きのう」(客観的な複数の根拠から導き出される仮説)を
何かしらの考えたい事柄に対して、上と下からサンドウィッチパッケージさせて、事柄の重要ないくつかの要素を、導き出そうというもの。

そして、その要素を要素毎に経営に必要な変動パラメーターで見るのが、流行りのロジカルシンキングです。

えーと、得られた要素が正しいのかは、このサンドウィッチパッケージから得られる仮説要素から、左右対称性が得られるか、最小単位かを検討して、その仮説要素がおおよそ正しいとなった時に、左右対称性と、帰納(過去にあったデータベースに反しない)を、絶対的な担保として正しいとして扱いますよと。

ようは、得られた仮説の左右対称性を確認した後に、(確認出来たなら最小単位である事が多い)反証可能性を付属させて、頭の辞典もしくは、資料にに乗せておきますよというもの。

何故、この論理が堅固なのか、学術的にどう言われているのかを調べてみましょうかねと。
まあ堅固なのは個人的には自明なんですが、政策面で論理的な思考というのをやりますと、これが最低、2階層以上の構造になります。
上下の2階層ならに上位の階層がある程度の優位性を持つのが普通なんですが、何故それが上位になるのか、今、感覚的にやっていますので、実は全く根拠が解らないと。

そのような根拠がどうなっているのか、ちょっと面白いので、論理的な思考の類いの本を探してみまして、テクニック探しついでに確認してみましょうかねという記事になります。

というかそこから書いてもらった方が、論理学って解りやすいと思うんですが。

以上
Posted at 2014/07/16 17:06:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2014年03月30日 イイね!

えーと?

思考がまとまらないというか、個人主義下のエリート主義と集合もしくは共同体主義?
相対的な思想の分布によって、3すくみ構造に対して何かしらを落とし込もめるかなと思ってるんですが、方向性的には恐らく今の3すくみ構造に対して無駄だと気づいてます。
そもそも、固まってないんだもの、3すくみ構造(笑)
それで、インセンティブ関係からエリート主義の構造と歴史的な特徴でも出せるかな?とは思ってるんですが、それこそ(社会循環の仕組み)が3すくみ構造論の要点で、エリート主義の構造論と3すくみ構造論の結論は同じ事ですし、モチベーションがどうにも上がらないという事情がありまして
これは順が違うからという確信があります。

軽く考えると、3すくみ及びイノベーション理論が長期相関(もしくは歪みの割り出しには役にたつかもしれない)、需給均衡が短期相関で、貨幣価値及び物価は本当に何れかで均衡するのかな?しないのかな?という所。
しかも、デフォルト含めると、その時の背景に合わせて、適当に国家(まあ、3すくみの内の国家が外部要因に置き換えられるのはわかりました)の都合の良い均衡(というか地点)に落ち着くだけですよ、完全競争も現実と相関してるとは到底思えないし、仮に解明した所で貨幣価値と物価は、マクロ経済学と擬似相関なんじゃないのかな?としか思えません。
要は、相関性の高い注目すべき概念ではあるんだけれども、肝心の貨幣経済側がどうも完全な世界じゃないから、短期的な相関以外に注目するのはどうにも無駄と。
例えば、貨幣数量説だとか、例えば、国家通貨のデフォルトだとかですね、完全に相関すると仮定したら、何故、デフォルトして次の通貨や次の擬似通貨に置き換えられるのという事になります。
これハイパーインフレに関する注目すべき論点ですよね。
誰かにお聞きしたいですね、都合よく相関及び均衡してるように見えるだけじゃないのと。
むしろ、完全でないからこそバブルが崩壊(デフォルト)するんですよね?
違うのかな?
やだな、ソロスよりだなという。
それで、今の世の中は、デフォルト側を否定する事によって、ある地点で安定的に均衡することを前提としていますが、それ言ってるのに国がお金を刷ったらね、デフォルトとどう違うの?という事になります。
しかもデフォルト自体さえも、無いことを前提にとか言いながら、よくしてますし(笑)
これでよく、通貨の世界は完全であると主張出来るもんだと関心さえします。
しかし、何に対してもインパクト不足ですよねぇ。
個人の限界かな?

3すくみ構造論からすると、成長国との交易条件からして、停滞国は、通貨面から貧乏になると、ここら辺突き詰めていくと世界不況でデフレ通貨が得をする理由が解るかもしれませんね。

以上
Posted at 2014/03/30 21:36:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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