
世界的な野球選手として活躍された松井秀喜が引退を表明しましたね。
20年間、お疲れ様でした。
σ(^^;)はあまり野球には詳しく無いのですが、松井選手とはあるひとつの想い出があります。
ちょっと悲しい話です。
それはまだ松井選手が巨人時代、MVPを獲得して若手のホープとして多忙な選手生活を送っていた1996年のこと。
埼玉県の岩槻に、難病に苦しむ9歳の男の子がいました。
愛称は
”マーくん”
マー君にはひとつの夢がありました。
それは
巨人軍の松井選手に会いたい
そんなマー君の話を聞いて、難病と闘う子どもたちの夢をかなえるお手伝いをする
メイク・ア・ウイッシュ オブ ジャパン
というボランティア団体が動きました。
超多忙を極める松井選手のスケジュールを調整し、11月3日に何とか時間が取れることになりました。
場所は東京ドームの控室。
その日程が決まった頃、既にマー君の病状はかなり進行し、寝室で寝たきり。
移動しはストレッチャー(寝台)が必要なほど悪化していました。
ここで困ったのが、岩槻から東京ドームまでの移動です。
当時はまだ今ほど介護タクシーなども普及しておらず、ましてはストレッチャー対応の車両を貸してくれるようなところはまだまだ少なかった時代。
たまたまσ(^^;)の所属していた車いす送迎のボランティア団体に日産キャラバンのストレッチャー対応車があり、メイク・ア・ウイッシュから搬送の要請がありました。
そこであちこち走りまわってストレッチャーとリクライニング可能な車いすを手配し、σ(^^;)がドライバーとしてお手伝いすることになったわけです。
当日は朝早く岩槻の自宅までマー君とお父さん、お母さん、お姉ちゃんを迎えに行き、ストレッチャーに寝かせてキャラバンを走らせました。
東京ドームの控室に通されてしばらくすると、松井選手が登場。
その時、寝たきりだったマー君が、ニッコリ笑って起き上がったのです。
これにはお父さんもお母さんもビックリ。
松井選手は実際に試合で使ったバットにサインを入れてマー君に手渡し、一緒に写真を撮ったり、いろいろ話をしたり・・・
この時、松井選手はマー君と
「今日の試合でホームランを打つから」
と約束して別れました。
実際にその日の試合では、松井選手はホームランを打ったそうです。
きっとマー君に捧げたホームランですね。
残念ながらマー君は、松井選手と会った6日後に病気がもとで亡くなりました。
最後に夢をかなえられたことがご家族の支えにもなりました。
あの時、気さくにマー君に接してくれた松井選手の笑顔が忘れられません。
ありがとう、松井選手。
そして20年間、お疲れさまでした!!
Posted at 2012/12/28 21:53:37 | |
トラックバック(0) |
遠い日の想い出 | 日記