すでに横浜がなにも関係ない話になってますが・・・
1/15で完全閉店する小名浜タウンモールリスポへやってきたヤマザキ、店内を一回りします。
まあ、明日で閉店ですからほとんどの店は品物がない状態ですが・・・
そんな中、2階の広場では昔の小名浜・泉地区の写真展が行われていました。
その写真からいくつか
そうそう、以前ここには小名浜名店街とショッピングセンターという2つのショッピングモールがあったのです。
リスポは当時の名店街の方の建屋を改装して使っていました。
小学生当時、小名浜のイーブンスイミングスクールに毎週土曜に通っていたヤマザキは、帰りにここへ行くのが楽しみでした。
名店街とショッピングセンターには、植田にはない大きなおもちゃ屋と模型屋が入っていたんです。
名店街にはおもちゃのオオコシ、ショッピングにはサイトーモケイがありました。
サイトーモケイは本当の模型専門店で、スケールモデルのプラモやNゲージが売っておりました。
ここに売られていたKATOの201系常磐色は現実には存在しない、いわゆる「ウソ電」だったのですが、欲しくて欲しくて行く度にずっと眺めていました。
しかしいつの間にか売れてしまったようで、模型自体が生産中止になってしまったのもありそれ以後再び店頭にそれが並ぶことはありませんでした。
しかし、ヤマザキはその201系常磐色と奇跡の対面を果たすのです。
震災の数年前でしょうか、たまたまみん友であるきっしん氏と話していた時、ウチに何で買ったのかよくわからないけど電車あるんで今度持ってきますよ、とのこと。
それから少し経って見せてもらったもの、それがまさに201系常磐色だったのです!
ほとんど走らせていない程度極上のそれはサイトーモケイで買ったとのことで、まさにあの時高くて手が出なかった201系そのもの。
しかもきっしん氏のご厚意により「無期限移籍」という形で我が家へ来ることになり、今に至ります。
震災でそのほとんどが津波被害を受けて走行不能になったNゲージですが、この201系は奇跡的にほぼ無傷でした。
一方、オオコシはガンプラなどのプラモデルや超合金、Nゲージのほか、時期になると雛人形や五月人形が並び、そしてファミコン全盛期の当時、取扱い店が非常に少なかったSEGAのゲームが売られていました。
ファミコン+スーパーマリオが売り切れで買えず、当時錦町にあったおもちゃのうえので勧められるまま買ってしまったSEGAのSG-1000Ⅱ、買ったはいいけど他にSEGAユーザーがおらず、まったく話題についていけなかったのですが、なぜかヤマザキはその後もファミコンを買うことはせず、マークⅢ、メガドライブ、SC-3000、メガCD、ドリームキャスト、マスターシステム、サターンとSEGAばかり買い続けました。
思えばこれがヤマザキのマイナー好きのルーツだと思います(笑
話は逸れましたがこのオオコシでは上記のSEGAに加え、ガンダムやクルマのプラモ、Nゲージと、誕生月とクリスマス、年末年始にはだいぶ買い物させていただきました。
ところがある日、オオコシは忽然と名店街から姿を消してしまったのです。
その理由はわかりません。
空きスペースとなったその場所で、ヤマザキはただただ呆然とするしかありませんでした・・・
だいぶ話がぶっ飛んでしまいました。もう少し写真を並べていきましょう。
ちょっと小さくて見えないかもしれませんが、下に「小名浜字上町、中島商店街沿いに西方を見る 昭和43年3月」とあります。
「磐城信用組合」や「金星座銀星座」の看板が見えるので本町通りでしょうか。
今と違って活気が感じられます。
「昭和50年、中島商店街を西方より見る。天狗おどり」とあります。
塀の上やら電柱に登って写真撮ってる人がいますね・・・
天狗おどり、聞いたことありませんが今はもうやってないんでしょうかね。
こちらは昭和52年8月の天狗おどりの様子。
磐洋信金の看板持った人たちが踊っています。
今は夏に「いわきおどり」という大きな祭りがありますが、天狗おどりがルーツになっているんでしょうかね?
昭和61年2月 小名浜ショッピングセンター 大のみの市
そうそう、ショッピングセンターにはこのカモメみたいなロゴマークがありました。
多分頭の部分が小名浜の「O」、羽根がショッピングの「S」、センターの「C」でOSCと略されていたような気がします。
平成3年10月 小名浜岡小名、鹿島街道沿いに北方を
今は道幅も広がり、右手のココスの手前にはカインズホームとマルトが、左の花畑薬局のあたりはCOCO壱だったかな?
薬局の奥のYOKOHAMAの看板、ここのタイヤ屋さんはまだありますね。
カラーだけど先の写真よりちょっと古い、平成元年10月の鹿島街道。
先の写真よりちょっと小名浜寄りの交差点から撮ってますね。
昭和44年10月 三崎公園に集うバス
昔の三崎公園ってこんなだったんですね・・・
今のどのあたりか、ヤマザキにはまったくわかりません。
昭和53年5月 三崎公園展望台の子どもたち
この展望台はもしかすると、先ほどの写真に小さく映っていた展望台でしょうか。
下に売店を付け足したのかな?
今のようにスマホや携帯ゲーム機などなかったこの時代、たまに連れてきてもらう三崎公園のようなところは非日常を味わえる最高の遊び場でしたねぇ・・・
ほとんど写真だけですが、長くなってきたので一旦ここまで。