
本日もワタクシは、
大変仕事熱心に16時間労働休息1時間をやり遂げて、
大変に疲れきっておりますので、
E3 2014の時期なので、去年のE3の時に書いた記事。
以外にもPV数で見ると大好評だったゲームの未来を再掲載しました。
各みん友さんの所には、
ブログを更新されててもパパッと見れれば見ても、
読むだけの元気が無い為足跡残っててもイイね付けてません。スミマセン。
得ろ画像自動収集アプリのtwitterも全くチェックできず、
得ろ動画満載のYoutubeも見れないわ、
得ろフィギュア満載のフィギュア系サイトも見れないわで、
この苦行も明日で終わりですが、ヘッロヘロなんです。
流石に去年の記事なのでいささか時代遅れな考察や、
時代に取り残された言い回しがあるかもしれませんが、
1年経ってみての技術の進歩を噛み締めながら、
改めて読んでみるとヘェーって事も書いてあると思います。
長いですが、どうぞ。
昨日はゲーム業界のゲーム製作の考え方と技術力で、
なぜこんなにも日本と欧米で差が開いたのかの理由を書きました。
今日はそれの補足と言うか掘り下げて、
ちょっと長いですが、書きたいと思います。
前回記事の
ゲームの未来を先に読んだ方が解り易いです。
欧米って昔のゲームはトテモ意味不明で、
日本人には理解できる物が少なく、
遊んでいても大雑把過ぎて、
一部の良質なゲーム(シムシティやWizやポピュラス等)を除いて、
クソゲーの宝庫といえば海外ゲームでした。
ファミコン時代の初期にカラテカというゲームがありますが、
あのスプライト方式のドットキャラの時代にあんなヌルヌル動くキャラで空手を表現するなんて、
凄いと思いますが、昨日のブログの欧米の現実をゲームにするはこの辺からも見て取れます。
ただし、その当時は非常にクソゲーの代表格として名を馳せましたが。
シムシティなんかと同じくPCで現実を再現したいってゲームですから、
ゲームの世界に現実を盛り込んでくる欧米の手法が非常にわかりやすいゲームです。
海外のゲームはその黎明期からすでにゲームに現実の世界を持ち込む、
現実+αをゲームにしています。
再現度はその当時の半導体の性能の限界もあり、
完全には再現なんてトテモできず、結果意味不明な物になっていますが、
現実に『もし』を付加したものを形にしてきています。
ただ、海外ゲーム=クソゲーは、
ゲーム機のスペックが欧米メーカーの考えにまだ追いついてない時代の話。
で、日本はその昔からやっぱり空想・想像力が凄く、
独特の世界を持ったゲームをやはり昔から製作しています。
誰も考えた事のないような世界、誰も思いつかなかったような事をゲームにするのが非常に得意です。
日本のゲーム製作は∞+αです。
これらは、海外の人からも評価を得、未だに根強い人気を持っています。
色数の少なくスペックがあまり高くないゲーム機の時代は、
日本メーカーの製作するゲームは非常に上手くいった。
これは、日本人は物体の形を簡略化してそれを表現するのが上手だから、
その空想した世界とロースペックは非常に良い状態で機能していたんです。
で、今まで日本のゲームが売れていたのに、
海外のゲームメーカーが、
有る時点を機に立場が逆転してしまいます。
今では日本のメーカーが、
海外のメーカーに過去のタイトルの続編を製作してもらっているという状況です。
何故か?
ゲーム機の性能は演算性能の向上です。
数多くの判定処理、多くの入力処理、多くの色の変化を処理するなど、
すべて計算の結果です。
ゲーム機の性能が上昇し、
今まで海外メーカーがやってた、現実の世界をゲームにするって事が、
徐々に形になってきた時に、
海外でFPSのゲームが流行しだします。
ちょうど、イイ感じにPCやゲーム機の処理能力も上がり
いよいよゲームが現実に近づいてきた。
ゲームの世界を現実+αで再現してきた欧米メーカーにとっては、
非常にいい環境になってきました。
となると欧米人にはとっつきやすい、
これらのゲームにドンドン移行していくんですね。
現実+αをゲームにしているんで解りやすい。
言語の壁や習慣・文化の壁も簡単に乗り越えてしまいます。
日本のゲームの様に独特の世界観や用語、
世界の空気感を理解する必要がない。
色数の少なかった8ビット時代では、
全てが記号化されていましたが、
キャラのパターンや色数が増えてくると、
日本独自のキャラ文化が色濃く出てきます。
性能が上がって益々日本色が強くなり、
ゲームの面白さと言うよりキャラクター中心になるので、
海外の人が理解できなくなってしまった。
途中からもうユーザーが追いついてこなくなった。
ただ、これはこれで、日本の市場では受け入れられるので、
問題は無かったのですが、
さらにゲーム機の性能が向上した時に、
問題は発生します。
現実の壁と言うか不気味の壁にぶち当たるんです。
日本のゲームの中身は∞+αの架空の世界で現実の世界とはかけ離れた別の世界。
しかし、グラフィック能力の向上によって、
キャラの挙動、光や影の処理など、
今まで気にしていなかった部分に違和感が出始めます。
どうしてか?
これは、今までは架空の世界で現実の世界とは違いすぎて、
比べる対象では有りませんでしたが、
架空の世界とはいえ、色数の向上やグラフィックの緻密さが上がってくると、
どうしても人間は現実とのギャップが気になり始めます。
所謂CGの不気味の谷って言うやつです。
アニメ調の顔は別に鼻の位置や目の大きさなどは現実離れしていても、
あまり気になりませんが、
中途半端にリアルなCGだと、なんか変、気持ち悪いって思います。
有る一線を越えると急に現実の事象と比較し始めるんです。
それから、システム面での不気味の壁。
架空の世界でも、グラフィックがリアルになると、
水に濡れているのに全然湿った感じが無い。
風が吹いているのに全く木々が揺れない。
見えない壁で移動できない。
出来そうな事なのに、ゲーム製作者の意図でできない。
壊せそうな物でも傷一つ付かないなどなど。
これらにユーザーはおっかしいなぁと思うわけです。
ここまでリアル(な架空の世界)なのに、
なんで出来ないの?って。
そう、日本のゲームはシステムの不気味の谷と、
グラフィックの不気味の谷に嵌ったんですね。
これは、日本のゲームメーカーが全く手を付けて来なかった部分です。
昨日のブログでも書きましたが、
脳内の空想世界でそこまでリアルに考えるなんて無理。
脳内で物理法則なんか事細かく想像できません。
日本のメーカーが放置していたこれらの技術を補うには、
相当な時間が必要です。
また、ゲーム製作者がこれらの問題点を認識しているか否かにもよります。
で、日本のメーカーも海外メーカーで導入されている技術やツールを導入し始めます。
が、どうも上手くいかない。
参考する対象が無いから余計に難しい。
バトルフィールドやアサシンクリードなど、
ゲームとは言ってもほぼ現実(だったような事)に+αでゲームが成り立っています。
広大な砂漠に眠る遺跡やリアルなジャングルや中東の街並み、テロリストの居そうな雑居ビル、
中世のアサシンが暗躍していそうなイタリアやイスタンブールの遺跡など、
その参考にする対象が実際に存在する物が多い訳です。
ところが、日本のゲームの場合、その参考にする対象があまりない。
架空の世界なんですが、妙に表面上だけリアルになってるので、
何かオカシイ、ちょっと目の前に丘があるのに行けない、
砂漠があるのに普通に歩けちゃうなど。
なんだか、機械文明が発達してるのに剣で戦ってる主人公たちとか。
で、時々日本の都市や風景を舞台にしたゲームも登場しますが、
渋谷や新宿などを舞台にしたものは、
参考にする対象が身近過ぎて、ちょっと違うよなぁと不気味の谷になる。
とまぁ、日本のゲームメーカーにとっては、忠実に作っても何かオカシイ、
中途半端に作れば、もっとオカシイという、なんだか良く解らない状況になりました。
じゃぁ、どうすれば良いのか?
現実+αの欧米のゲームに擦り寄るんではなく、
何処も真似できないオリジナルな物なら受け入れられると言う事です。
たとえば、カプコンの大神の様な表現やワンダと巨像なんかもそうです。
こちらは、海外ゲーを比較参考の物が無い為、
風景描写などを簡略化していても、さほど違和感はありません。
こう言う世界なんだなぁと、現実との比較を止めちゃうからです。
*手抜きしろって意味ではありません。
ただ、これには今まで以上に凄い想像力と労力が必要になるので、
日本のメーカーが出来るかどうかは判りませんが、
やっていかないと、生き残っては行けないと言う事は確かでしょう。
日本のゲームメーカーは、
海外メーカーの後追いを無理してせずに、
もっと『これが想像力無限大な世界か』っていう世界を丁寧に構築するべきだと思います。
あと、正義だか愛だとか友情だとか、FFテイストな台詞とか設定とか、もういいですって感じ。
E3 2013