• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

貫太郎.のブログ一覧

2011年05月28日 イイね!

海軍記念日オフ

海軍記念日オフ昨日5月27日は海軍記念日でした。
106年前(明治38年)、連合艦隊がバルチック艦隊を日本海海戦で破った記念日になります。






GILLESさんが海軍記念日に横須賀を訪問されると言う事で、本当は当日夜にオフる予定だったのですが、仕事でどうしても都合がつかなくなったので、一日遅れの今日に変更してもらいました。

お詫びになるかどうか解りませんが、横須賀に残る海軍史跡巡りのドライブにお連れしました。

横須賀通信学校跡
 ↓
第二横須賀航空基地跡
 ↓
井上成美大将旧宅
 ↓
武山海兵団跡
 ↓
料亭「小松」

と言うコースです。


残念ながら井上記念館は中が見れず(まぁ、ここは色々曰くがあるようなので…)、「小松」も本館の方は二日前に予約が必要なので、残念ながら新館の遊雅亭の方になりましたが、どちらも前から一度は行ってみたいと思っていたところだったので、むしろGILLESさんに付き合ってもらった、と言う表現の方が正しいかも知れません(^^ゞ

ちなみに、ちょうど今読んでいる「栗田艦隊退却す」の著者が学徒出陣の予備士官なんですが、この方は武山海兵団を出て、通信学校から暗号士と言う経歴でして、ちょうど今日のコースの二校を卒業されていました。


この本とその前に読んだ、「日中戦争 一兵士の証言」との対比が中々興味深いのですが、こちらはその内書いておきたいと思います。


ところでご存じない方も多いと思いますが、「小松」と言えば海軍ではパインの名で知られ、数々の将官御用達の料亭で、トラックに支店があった事でも知られています。
当時の井上第四艦隊長官の依頼で出店したそうです。
ところが米艦載機の空襲で焼け、4人の死者が出て店をたたんだのですが、井上大将はこの事を非常に申し訳なく思っていて、戦後初めて「小松」を訪れた時に敷居に手を突いて、そのことを詫びたそうです。
あまたいる海軍将官の中で、このような提督をこれまで見た事がなく、小松のおかみの井上大将に対する敬愛の念は一層強くなったと、阿川弘之の「井上成美」にエピソードが書かれています。
それもあって、小松の芸者達に英語を教えた際に、謝礼は一切受け取らなかったそうです。



GILLESさん、どうもありがとうございました。
また次回、軍港巡りの機会があったらよろしくお願いします。
Posted at 2011/05/28 20:59:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | なんでも | 日記
2011年04月25日 イイね!

我レ烏ノ奇襲ヲ受ク

昨日は良い天気にも関わらず在宅で仕事していたのですが(>_<)、ちょっとだけ買い物して帰る途中、自宅マンションの階段での出来事です。



3階の踊り場で、後ろからバサバサっと音がして、カラスが二羽僕の肩越し近くを飛び過ぎて行きます。


え!?カラス!?
こんな人のすぐ近くを飛ぶなんて、珍しいなぁ。。
何かあったのかな?






4階の踊り場まで上がったところ、また背後からバサバサ…

え!?また!?

と、今度は後頭部に軽い衝撃を感じます!



あ~!

これはカラスの意図的な攻撃だ!!

思わず「痛てぇ!」と声が出ます。



明確に相手の意思を理解できたので、次回は持っていたバッグで反撃しようと、5階まで上がってカラスが飛んできた方向に向かって身構えましたが、20mほど離れた電柱に停まって、もう襲ってくる気配がありません(~_~;)

しばらく様子を見ていたところ、全然飛んで来なさそうでしたが、僕のような大人はともかく、子供が同じように襲われたら危ないので威嚇しておいた方が良いだろうと思い、部屋まで電動ガンを取りに戻りました。

でも、普段使わないので、バッテリーがあがっていて、うんともすんとも言いません(^^;)
仕方なく、射程は短くなりますがガスガンにガスを注入して、応射してみる事にしましたが、ピストル片手に再び外に出た時には、既に電柱の上にはおらず、遥か離れたところを飛んでいたので、諦めた次第です。


これ、以前に子育て中のカラスは人間を襲うって見たことがあって、それじゃなかろうかと思っていたのですが、ちょっとググってみたところ、結構該当するサイトが見つかりました。

ポイントとしては
・4月から6月が子育てシーズン
・襲う時期は、子育て期に限られる
・襲ってくるのは、つがいの2羽だけ
・巣や雛から人間を遠ざけようとする威嚇行動
・威嚇行動をとるのは
  巣の位置より高い場所から巣をのぞいた場合
  巣立ち直後の雛が、地上や低い場所にいて、そこに近づいていった場合
・後から飛んできて後頭部を足で蹴り、蹴った直後上昇していく
・帽子を被る、傘を差す など、直接襲撃を受けないよう注意する
・警戒中の親ガラスから離れる時は背を向けない
みたいな感じでしょうか?


マンションの隣に少し茂った木立があるのですが、その中に巣を作っているのかも知れませんね。

自宅マンションは普通に街中にあるのですが、まさかこんなところでこんな体験をするとは思いませんでした(^^;)
貴重な体験?でしょうか。

特に小さなお子さんをお持ちのみなさんはご注意くださいね(^^ゞ
Posted at 2011/04/25 23:45:07 | コメント(10) | トラックバック(0) | なんでも | 日記
2011年04月16日 イイね!

デモと報道

1万人を越える反原発デモが、マスコミで報じられなかったそうですが(そりゃそうですよね、電力会社は大スポンサーですから)、それで去年の尖閣問題の時のデモ報道で疑問を感じていたのを思い出しました。

Wikipediaのまとめで、当時僕が抱いていた印象が正しかったと改めて感じました。


この当時、嵐のように毎日反日デモが報じられ、混乱した世相がいっそうざわつき、中国って酷い国だと感じられた方は多かったのではないかと思います。

日付     都市        参加人数
10月16日  四川省成都市  約2,000人
       陝西省西安市  約7,000人
       河南省鄭州市  不明
10月17日  四川省綿陽市  10,000人以上
10月18日  湖北省武漢市  約2,000人
10月23日  四川省徳陽市  約1,000人
10月24日  甘粛省蘭州市  数百人
       陝西省宝鶏市  数百人
       江蘇省南京市  数百人
10月26日 重慶市       約1,000人
11月14日 湖南省長沙市  約10人


これらの報道を見ていて、僕は違和感を覚えてました。
例えば、23日の徳陽市のデモ、現地に日本人の記者が取材に行っていて、拘束されたそうですが、北京、上海、香港はともかく、こんな地方都市に特派員がいるのは不自然じゃないかと。
インターネットでデモを呼びかけていたから取材に出かけたのかも知れませんが、そうすると実はかなり稀だったのではないかと思います。
(あちこちで同時多発的に起きていたら、取材に行けない)

徳陽市は人口381 万人(2005年)だそうですから、その地方都市で約1,000人のデモが起きたと言う事は、日本で置き換えれば人口38万人の長野市で約100人のデモが起きたのと同じようなイメージだと思います。
逆に置き換えて考えると、そのデモを中国のメディアが取材に出掛けて報道している感じですね。

ただ、この記事、さすが産経と思わせるのが、これらのデモが起きているのは貧しい地方ばかりなんですが、その理由を「(北京や上海では)反政府デモに転化したら取り返しがつかないから、当局がやらせないのだ」といった訳の解らない結論に導いています。
これは普通、Wikipediaにあるような、「この反日デモの背景には都会との経済格差と学生の就職難があり、表向きでは政府に対抗できないので反日デモに参加しているのではないかと言われている」と言う方が素直な見方だと思いますけどね。

また、17日の綿陽市(529 万人)のデモについては、「大半の若者は反日というよりも面白がり、興奮した先頭のデモ隊を追い掛けているようだった」とあります。

実際、僕も色々中国の知人から聞きますが、都市と地方の格差(これは経済だけでなく、戸籍など多くの問題がある)はとても深刻で、内政では様々な歪みがあるようです。
でも、インターネットや携帯は普及していますから、誰も政府発表や御用新聞など信じてなくて、(仮に反日教育を受けているとしても)日本がどう言った国かも良く知っているって事です。
そうじゃないと、買い物にしろ観光にしろ仕事にしろ、あれだけの人は来日しませんからね。
ただ、政治的自由はありませんから(これもみんな不満に思っている)、表向き反日デモだとしても、内心は反政府デモに近いようです。



一方、同じWikipediaのまとめに、日本における反中デモも載っています。
日付     都市         参加人数
10月2日  東京都渋谷区   約2,700人
       愛知県名古屋市  約400人
10月3日  沖縄県那覇市   約1,500人
10月16日 東京都港区    約6,000人
       沖縄県宜野湾市  約700人
10月22日 大阪府大阪市   約1,000人
10月23日 香川県高松市   約300人
10月31日 愛知県名古屋市  約650人
11月6日  東京都千代田区  約4,500人
11月13日 神奈川県横浜市  約3,500人
11月14日 神奈川県横浜市  約1,600人
11月14日 兵庫県神戸市   約450人
11月20日 大阪府大阪市   約3,300人
12月1日  東京都千代田区 約1,700人
12月18日 東京都渋谷区   約4,000人


中国側は「不明」とかありますから、もちろん正確な比較は出来ないのですが、デモ参加者について、日本はだいたい3万人強、中国は2万5千人くらいとみて良いかと思います。
純粋な参加者数だけでも日本の方が多いですし、人口比を考えれば約10:1、参加動機や野次馬などを考えれば信念が強いのも日本側でしょうから、それらを加味すると、日本における反中傾向者と中国における反日傾向者は、人口率で考えると30:1から50:1くらいになるのかも知れません。

あれだけメディアで騒がれた反日デモよりも、反中デモの方が先に始まって、後に終わっているのも興味深いですね。


で、これだけ実態として明白な違いがあるのにも関わらず、反中デモが報じられなかった事について、「日本国内における報道寡少問題」としてWikipediaにあります。


でも、こんなのは簡単な話で、単純に平和で穏やかな日常生活を営む多くの国民には、「中国は反日国家」であり、日本はフラットで反中デモなど起きない国、と思っていて欲しい誰か、がいるからだと思います。

これも印象報道の一例です。
あと、最近だと、米海兵隊のNBC特殊部隊CBIRFが「世界最強」だと持て囃された報道がされてましたが、これは自衛隊の中央特殊武器防護隊と同様、汚染地域の偵察能力や除染作業が出来るだけで、その地域で戦闘したり、ましてや福島第一原発のような未だに放射線が出まくってるようなところで、放出を停めるような能力も装備も訓練もないでしょう。
(そんな事は世界中誰も経験してない作業ですし)

おそらく訓練兼ねて経験値を積むために来日したのではないかと推測しているのですが、あたかも救世主であるかのような報道はどうだろうと思います。
実際、もう来日後何日も経ちますが、作業しているのはこれまでと同じ日本人ばかりでしょうし、劇的に状況が改善した訳でもないでしょう?
本当に今の報道ってひどいですねぇ。
Posted at 2011/04/16 01:42:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | なんでも | 日記
2011年04月15日 イイね!

中華街を調べてみる

先日のブログに、中華街は閉まってる店が多いとコメントを貰ったのですが、中華街と言えば、関東大震災や空襲を耐えて残ってきた華僑たちが経営してると以前何かで読んだ記憶があるので、まさか?と思って少し調べてみました。

するとやはり、1980年代以降に来日した「新華僑」の一時帰国であって、元からいる「老華僑」ではないそうです。
「老華僑」の親戚筋くらいは大陸や台湾にいたとしても、もう近親者はいないでしょうから。

「コックや接客係など約400人が帰ったもようで、臨時休業や閉店時間を早める店が激増」だそうで、みんなが逃げ帰って、閉店している訳ではなさそうです。

ちなみに、中華街でも義援金募金チャリティバザーをしているそうです。



さて、「新華僑」の反応についてですが、僕はごく当たり前だっただろうと思います。
僕の勤め先の海外現地法人子会社から、ウチの会社に何人も出向や研修に来てますが、彼ら彼女らは全員一時帰国しています。
それは現地法人の社長が決めたことですが、すべて出向している日本人ですしね。

以前も書いたように、世界で最も情報を握っている国が先頭を切って避難を勧めて、他の国はそれに追随しただけですから。
(ただし、これは想定によるものだったとの情報もありますし、逆の立場-日本が米政府の避難指示を上回る避難指示をした場合のメンツ-を考えたらどうだったのか、と言った意見もあるそうです)

実際、もしロシアやアメリカに長期出張や留学していて、チェルノブイリやスリーマイルのような事故が起きても、自分がその国に留まるかどうか、家族はどう言う反応をするか、を考えれば解ると思いますけど。


僕がこの件に関連して、ネットを見ていて気になっている点です。
・世界中の人々が離日し帰国しているにも関わらず、アジアの隣国にだけ異常にこだわる人が多い
・上に書いた通り、いの一番に判断し、行動したのはアメリカであるにも関わらず、それに触れる人は少ない
・民間人はまだしも、同盟国で多くの基地を置いているにも関わらず、その軍隊がさっさと避難しているのに、それに触れる人は少ない(第七艦隊は横須賀から佐世保に移動しているそうです)


ご参考までに、韓国在住の日本人のブログに興味深いものがありました。
Posted at 2011/04/15 22:51:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | なんでも | 日記
2011年04月13日 イイね!

住民の避難誘導中に ―妻からの手紙―

思わずジンとくる記事で、ご紹介したいと思ってネットを探してみたんですが、見当たらなかったので書き起こしてみます。




東日本大震災で、住民を避難させている最中に津波に巻き込まれ、亡くなった岩手県警の警察官の男性がいた。震災の4日後に別の署で、あこがれだった刑事課の課長になる予定だった。男性の同僚から「責任感にあふれ、誰からも愛された人物。少しでも記録に残してほしい」と聞かされた私は、家族を訪ねた。話は聞けなかったが、しばらくして警察官の妻から手紙が届いた。了解をもらって紙面で紹介することにした。


時が経ち、ようやく私達家族も、まだまだ不安定ですが、落ち着きを取り戻しました。
でもまだ、話をするのはこわいし、夫の死を認めたくない気持ちで一杯です。
夫は、誰もが認めるいい警察官でした。(テレビドラマの)「踊る大捜査線」が大好きで、一緒に映画を見た時は「自分と(主人公の)青島は似てる」というような事を言っていましたし、私もそう思っていました。
だから、停電後、初めて津波の映像をTVで見たとき、夫の性格を考えると絶望的な気持ちになりました。
(夫は)3月15日から転勤予定でしたので、私は引っこしの手伝いで、8日から11日まで、子供たちをおばあちゃんにお願いして(単身赴任の夫のもとに)来ていました。11日の朝、主人と朝カレーを食べました。いつも「死ぬ前は腹いっぱいカレーを食いたい」と言っていました。(夫は)毎日仕事と飲み会でほとんど一緒に過ごせなかったけど、1日だけ飲み会を断ってきてくれて、5時間くらいは一緒に引っこし準備をしました。
11日、学校から、子供がお腹いたがっているとのTELが入りました。私は夕方帰る予定だったけど、(午後)2時前に出ることにしました。
3時頃、大きな地震を車で体験しました。夫からすぐメールあり。「気をつけて」とかいてあり、夫は大丈夫なのだとほっとしました。おばあちゃん、子供たちの方には連絡とれず、夫へ「信号全部消えてる。連絡とれません」とメール。夫より「気をつけて 気をつけて メールしかダメです」。
これが最後のメールでした。
最後まで私をきづかってくれました。
夫はできる限りの人を逃がし、自分はぎりぎりの所までやれることをやろうとしていたそうです。
見つかった財布には、私が作った家族の写真付き「がんばれカード」が入っていました。
きっと最後には家族のために生き残ろうと懸命にがんばったはずです。子供たちにも申し訳ないと思ったはずです。それがかわいそうでとてもつらいです。
夫は、「自分はいざという時は仕事でいなくなる。何か起きた時、家族の顔がちらついて、目の前にいる人を助けられないような警察官にはなりたくない。もし自分に何かあったら子供たちを頼む」と、このような事を折に触れるたび言ってきました。
私も夫は家族だけのものじゃないと意識するようにしてきましたが、やはり家族にとっては頼れる大きな存在でした。
「お父さんはもう痛くないし、寒くないし、つらい気持ちもないから大丈夫」と子供たちとも話し、できるだけ楽しくいつも通りの生活を送っています。
順番が逆になったり、何を書いたかよく分からないのですが、夫にはありがとうとしか伝えられません。
小さい時から温かい家族の中にいて育ち、私と出会ってからは至らぬ所も多かったと思いますが、おいしいものを食べる時の幸せな笑顔は忘れることはできません。
他にも、たくさんの人に愛されてきたでしょう。
今、私達を支えてくれる人はたくさんいて、びっくりしています。しばらくはそんな温かさを断ることなくいただいて、がんばっていきたいです。
                                          4月8日付 朝日新聞より




故人のご冥福をお祈りすると共に、残されたご家族がこれからの人生を光り輝く幸せな道を歩まれますよう、心から祈願致します。
合掌
Posted at 2011/04/13 00:51:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | なんでも | 日記

プロフィール

「ソフトウェアアップグレード http://cvw.jp/b/139909/45493244/
何シテル?   09/26 11:31
過去レス大歓迎ですので、お気軽にどうぞ(^^)/ あまり自由になる時間はありませんが、興味と好奇心の対象に空いた時間を注いでいます。何事にもポジティブに取り組...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

リンク・クリップ

個人ブログ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/04/28 00:23:37
 
広島フォーク村新しい海へ 
カテゴリ:音楽
2005/07/21 01:51:51
 
Can-am 
カテゴリ:くるま
2005/07/05 13:31:51
 

愛車一覧

BMW 2シリーズ グランクーペ BMW 2シリーズ グランクーペ
以前からリアウィンドウの寝たクーペスタイルが好きなので、外観にはほぼ一目惚れです。 ボデ ...
マツダ アクセラセダン マツダ アクセラセダン
初めて同一車種をMC前後で乗り換えました。 初めてのディーゼルエンジン、4WDです。 2 ...
マツダ アクセラセダン マツダ アクセラセダン
4代続けてのマツダになりました。 ボディカラーも久しぶりに赤、新車で黒以外は初めてです。 ...
マツダ RX-8 マツダ RX-8
2代続けてのアテンザから卒業ですが、3代続けてのマツダになりました。

過去のブログ

2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2008年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2007年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2006年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2005年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation