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貫太郎.のブログ一覧

2011年05月29日 イイね!

日中戦争一兵士の証言

日中戦争一兵士の証言あまり血湧き肉躍るような歴史でもなさそうなので、これまで特に大戦末期の中国大陸での戦記ものは多く読んではきませんでした。
体験者投稿などのちょっとした文章で、概要は理解していましたが、こうして1冊丸々当時の体験を読むと、知識として身に付く気がします。


筆者は旧制中学出身で、本来幹候として士官学校受験資格があるのですが、それを断ったため二等兵で昭和18年末からの軍歴をスタートしており、こうして前線で戦う一兵士の興味深い手記が残りました。
所属した第58師団は大陸打通作戦に参加していますが、新兵訓練のしごきや、飢えや食糧確保の苦労、湘桂作戦での活躍、退却戦での苦難、終戦後の収容所生活や住民との交流などが描かれ、ドラマにすれば日本版バンドオブブラザーズにでも出来そうな戦記です。

以下読んでいて思ったこと。

・当時でも拠点や後背地での補給や休養はしっかりしていて、治安も維持されていた。
 しかし、軍事行動中の補給は全くダメで、インパール、ニューギニア、フィリピンなどと同じ状況。
 進発時に各兵が携行した糧食が切れたら、あとは現地調達しかない。

・ジャングルの密林だと、現地調達しようがなく、仮に行っても野草や爬虫類や虫なので現地住民とのトラブルは起きにくい。
 ところが進軍の途中、中国の多くの農民が住んでいる地域で現地調達を行い、家庭に備蓄してある食料、飼っている家畜を略奪し、家財を燃料代わりに燃やし、金品を奪い、逃げ遅れた若い男は苦力にし、女は犯す、と言った具合だから、住民が恨まない筈がない。
 そう言う記憶が残る世代が多い内は親日とはなりにくいだろう(ベトナムのアメリカに対する感情と同じ)が、過去を知らず今の日本を知る若い世代は親日的傾向にある。

・盧溝橋事件後、結局7年近く中国大陸で戦争をしてきた(支那事変)が、最後まで点と線の支配に過ぎず、当時国力の消耗に繋がると支那事変拡大に反対していた石原莞爾らの主張通りとなった。
 この状況で兵力の集中の原則を無視して対米英戦に突入した以上、結果は明らかだった。

・捕虜になった中国軍将校の話で「日本陸軍は強いため、一般部隊なら5倍、九州の部隊だと10倍の兵力が必要であり、兵力が対等だと中国軍からは攻撃を仕掛けない。しかし時々勝つ事があり、調べてみたら大阪の部隊だった。」とある。
 「またも負けたか八連隊」と謳われるが、実は風評被害だったともいわれる。
 ところで中国の軍隊はこれまで兵力は多くても強かった試しがなく、他国への侵略も殆ど見られない。
 それなのに中国脅威論を唱え、故に米軍基地は必要と主張する向きが多いが、歴史や軍事を知らないのか、いったいどうしてなのか。
 「我に仇なす国あらば」、自らの持てる力で正々堂々と迎え撃てば良いと思うのだが、なぜにその覚悟もなくジャイアンにひたすら頼ろうとするのか理解できない。

・銀行券とか軍票の貨幣価値が信用されていない世界では、タバコが物々交換では有効であったようだが、今だとどうなるのか気になる。

・太平洋の島嶼戦と異なり、捕虜にならないとか、降伏した敵兵を捕虜に取らないような凄惨な場面は少ないように思える。
 全体に日本が勝ち戦だったのもあるかも知れないが、戦域の広さや人種偏見がない理由も考えられる。
 実際、匪賊に加わる脱走兵もいたらしい。

・終戦後の待遇がアメリカやソ連の捕虜収容所とは全く異なり、ほぼ放置に近い。
 国共内戦への動きもあり、余裕がなかったのかも知れないが、色々な意味で興味深い。
 ただし、そのため食糧医薬品が不足しており、筆者らは所外の村を訪ねて医療を施す代わりに、それらを求める活動を行った。 (このような活動が出来た自由も驚き)


Posted at 2011/05/29 13:31:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2011年05月29日 イイね!

WSJインタビューと陸山会事件

昨日少し書いた「栗田艦隊退却す」などにもありますが、学徒動員された当時の大学生達は実際にはかなりの知的エリートだった訳で、その殆どが大本営発表もマスコミ報道も信じておらず、最終的には日本は勝てないと解っていながら死地に赴いて行ったのです。

さて、未だに大本営発表的なマスコミ報道は変わらない、と言うか形を変えてますますひどくなっているように見えます。

WSJの小沢一郎インタビュー、実は多くの意味ある発言がされているのですが、大手マスコミで取り上げるのは政局につながる部分だけで、ホントどうしようもないなぁと感じてしまいます。
興味ある方は是非リンク先の全文をお読み頂きたいのですが、ポイントだけ引用すると、

【原発問題】
「原発の放射能汚染の問題は、ここまで来ると、東電に責任を転嫁しても意味がない。政府が先頭に立って、政府が対応の主体とならねばいかん」

「衆智を集めて、こうだと決まったら政府が責任を取るからやってくれと、そういうのが政治主導だ。」

「だいたい、原発で食っている連中をいくら集めてもだめだ。皆、原発のマフィアだから。あなた方もテレビを見ていただろう。委員だの何だの学者が出てきて、ずっと今まで、大したことありません、健康には何も被害はありません、とかそんなことばかり言っていた。原子力で食っている人々だから、いくら言ったってだめなんだ。日本人もマスコミもそれが分からないのだ。日本のマスコミはどうしようもない。」

「決断したら決断した者の責任が生じることは当たり前だ。責任のない決断はない。」

【政治とカネ問題】
「これは官憲とマスコミによるものだ。旧体制の弾圧だからしようがない。調べてほしいのだが、私は何も不正な金はもらっていない。ただ、報告書の時期がずれていただけだ。」

「なぜ、私だけが強制捜査を受けるのか。そこを全然、マスコミは考えない。  これは民主主義にとって危機だ。政府ないし検察の気に入った者しか政治ができないということになる。」


何度か書いてきましたけど、僕はこれまで小沢と言う政治家を好きでも何でもありませんでしたが、「政治とカネ」としてマスコミが騒ぐようになっておかしいと感じ、結構丹念に情報に当たるようになりました。

最近も、ニュースではマスコミは自分たちにとって都合が良い部分しか取り上げませんでしたが、水谷建設元会長と元運転手のかなり重要な証言がありました。

要約すると、
元運転手は現金の受け渡し場所に送ったと調書を取らされたが、日報や日記には記載がなく、自身の記憶にもないため、そう主張したにも関わらず、事情聴取で検察に強引にサインさせられたそうです。
村木事件でも明るみになった、検察の強制によるもの、です。

元会長の方は更にインパクト大でして、胆沢ダムの幹事社は取りたかったので元社長に営業を指示し、元社長から成功したと言ってきたので裏金を用意した。
だが、実際には幹事社は取れておらず、会社のルールである、成功報酬として渡す、証人として他の人間も同行させる、などが守られていない事に驚いた、そうです。
また面識も連絡先も知らない石川元秘書に渡したと言うのは考えられない事で、小沢事務所に渡ったかどうか解らない、と証言しているそうです。

要するに、1億円もの大金ですから、水谷建設側でも相手にしっかり渡り、効き目がある事を目的としているのにも関わらず、そうなっていなかった、そもそも元社長は渡していない可能性が高い、と言う事です。
元社長の懐に入ってしまったか、もしくは元社長が100%真実を語っているとすれば、石川元秘書を語った全くの別人に渡してしまった訳ですが、背任、横領、窃盗、いずれかの罪に問われるので、検察と取引した可能性があり、元社長が必死になって渡したと主張している可能性もありますね。

マスコミは「元会長が裏金用意」しか伝えないのですから印象報道もいいところで、この体たらくぶりときたら…
Posted at 2011/05/29 11:45:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 政経 | 日記

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