ようやく選挙が終わったので、久しぶりに政経ネタを書いてみようと思います。
少し前ですが、
「文藝別冊 白洲次郎」を読み終えました。

色々感じるところはあったのですが、先日逝去された宮沢元首相のインタビューが載っていて、ひときわ感慨深いものがありました。
僕は子供の頃から天邪鬼なのか反権威と言うか判官贔屓と言うか、何せ強く大きく威張ってる物事が嫌いで、「巨人大鵬玉子焼」(今の人は知らないでしょうが(^^ゞ)なんて悉く嫌いでした(笑)
なので当然自民党も大嫌いで、成人して以降、必ず選挙には足を運んでますが一度たりとも自民党に投票した事はありません(笑)
なんですが、自民党の中では割と主張に好感を感じていたのがリベラル派たる旧宏池会でした。
さて、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と評された白洲次郎ですが、若い頃からのカーマニアで、ケンブリッジ留学中にレースをし、最晩年までポルシェを飛ばしていた事でも知られています。
吉田茂、池田勇人、宮沢喜一と言った、保守本流、宏池会の面々とも交流が深く、当時のGHQとの交渉は吉田茂の意を汲んだものだったはずですし、ロサンゼルス講和会議で外務官僚が作った吉田茂の演説原稿は、英語、かつ占領してくれてありがとう的な(笑)自虐的な作文だったそうですが、これに目を通すや、これではダメだと、全文日本語で尊厳を持った原稿に書き換えたんだそうです。
現憲法がGHQからの一方的な押し付けであり、当時これに相当抗したそうですが、一方で相当に現実主義的でもあったので、その後朝鮮戦争や冷戦を経てアメリカからの再軍備圧力が強まる中、それに巻き込まれないためには戦争放棄条項が有効と考え、それを盾にして抗ってきた経緯があります。
ハト派、リベラル派と聞くと軟弱そうに感じますし、吉田茂、白洲次郎ともイギリス滞在経験が長く、戦前からの対英米非戦・反戦論者でもあったので、親英米派、対英米迎合路線のように思えますが、実際はそうではなく、あくまで日本の国益を考えていた事が良く解ります。
一方、現首相が声高に主張している、戦後レジュームからの脱却、自主憲法制定ですが、結局は今のアメリカが要求している海外派兵や集団的自衛権への道を開くためだけであり、むしろ国益を考えていると言うよりも、アメリカの主張に屈しているだけのように思えます。
押し付けの憲法を改正するとの言葉は勇ましいですが、改正し直そうとする内容もまた半ば押し付けられている臭いが紛々としますね。
3代続いている清和会出身の首班、主張からして一見タカ派的に思えますが、郵政民営化、グローバリズム、規制緩和などなど、実態はアメリカのいいなりになっているだけに感じます。
白洲次郎はGHQのホイットニー准将に英語が上手いと言われ、「あなたももう少し勉強すれば上手くなりますよ」と言い返し、
宮沢喜一も通訳が全く要らないほどの達人だったそうですが、一方前首相と言えば、ブッシュの前でプレスリーの物まねをして踊るのが関の山、いかに対外的にモノを申せていなかったかが良く解ります。
宮沢喜一は
「平和、自由、繁栄と、目指してきた3つのものがほぼ達成できたから、これからは『社会的公正』を実現することが目標だ」と語っていたそうですが、私利私欲ばかりで『社会的公正』を誰もが考えなくなったのが問題であり、戦前のあり方に戻る事が「美しい日本」を実現する訳ではないはずです。
教育の問題もそうで、今は教育にも競争原理を持ち込もうとしていますが、白洲次郎は戦前のケンブリッジに留学していただけあり、教養主義が大事なのだと言っています。
ちょうど
日下公人氏のコラムにもあったのですが、将来何の役に立つか解らないけど必要なのがアカデミズムであり、プラグマティズムだけではダメなのだと。
最近のMBA礼賛、大学を就職予備校にするような動きは何と言うか底が浅いと言うか、とても近視眼的に感じます。
社会全体がそうですが、懐の深さを感じさせなくなってしまっていますね。
直接実利には役立たない学問を4年間ばかり勉強して社会人になったとしても、その後の人生は10倍近くあります。
その4年で全く関係ない事を学んだとして、社会的にいくらの損失になるのか、いやむしろそのような人間的な幅を広げる事をかっての社会は学生に望んでいたのではないか。
視野が狭く、そろばん勘定しか出来ない人間がマネジメントのトップに立つ事は、逆に弊害が多いのではないか、と。
かっての帝国陸軍が幼年学校、士官学校、陸軍大学と言う純粋培養のエリートコース出身者で上層部を固めた結果、視野狭窄で精神論だけ、現実を見られない昭和陸軍を作ってしまったのと同様の轍を踏むように思えます。
ちょっとネットでのニュースソースが見当たらなかったのですが、御手洗経団連会長が新卒者から給与格差を設けるべきだと発言しているとの記事を新聞で読んで、なんと馬鹿な事を、、と感じました。
何でも競争!のこの社会は間違いなく狂ってますね。
なぜ昔の人は桃源郷、シャングリラを目指したのでしょうか。
ちょっとタイトルからずれましたが、ずれついでに(笑)
今のグローバリズムやら、色々海の向こうのあれこれをそのままありがたがって日本に持ち込む事にすごく抵抗感があるのですが、日本の独自性について軽く書かれたテキストがあったので、御紹介しておきます。
こちら。
久しぶりなのであれやこれやと取りとめがなくなってしまったので、この辺りで止めておきますが、最後に白洲次郎の占領時代の回顧を引用して終わりにします。
「あの時分にいちばん残念に思ったのは日本人というものがほかの東洋人にはえらそうなことをいうけれども、西欧人に対してはからきしだらしがないということを痛感したことです。僕は反対なんだ。いわゆる西欧ずれしているのでしょうね。『アメリカ人なんてどぶ鼠のいうことを聞いてたまるか、この野郎』と思うからけんかになっちゃう。けんかになってやめさせたこと、ずいぶんあるんですよ。
結果論ですけれども、僕の主張したことが正しいかどうか証明されたから、いくらか気が楽なのです。もっとあけすけにいう日本人がいるかと期待したけれども、いなかったですね。内閣の閣僚で毛唐に平気でものをいって、一歩も退かなかったのは石橋湛山ですよ。だからいまだに好きです。『まさか殺すとはいわんじゃろう』なんてすましていたもの。」
Posted at 2007/07/31 00:54:23 | |
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