子供達、みんな寝たな・・・と思っていたら、下の娘(小4)が突然起きてきて泣き出しました。
「おじちゃんに会いたいよ・・・」と。
「おじちゃん」とは子供等から自分の父への「あだ名」です。
「おじいちゃん」のことですね。
丁度1年半前に他界しています。
慢性の腎不全でした。享年71歳です。
夢でも見たのでしょうか、突然可愛がってくれた頃の思い出が蘇ったのでしょうか・・・・・・
下の娘が何故突然泣き出したか解かりませんが、急に自分も涙が止まらなくなりました。
生前の親父の姿、亡くなる時の親父の姿、最期に送る時の親父の姿を思い出す。。。
人は本当に悲しい事、辛い事の記憶は、脳の深い所にしまい込むらしいです。
常時、悲しい事辛い事を受け止めると、心がもたないんでしょうね。
でも何かの拍子に思い出すこともあるのでしょう。
今日の自分がそうだと思います。
父は新潟県から一人栃木にやってきて、定年まで警察官をしておりました。
嫁(母)を娶り、自分が生まれ、妹と弟が生まれました。
一人で栃木へやってきたのに、今は子孫8人の血筋を残しました。
現職当時の父は「刑事二課」の勤務が多かったようです。(窃盗・泥棒捕まえ専門)
幼少から腎臓が悪かったことと、警察官としての激務もあり、早逝してしまったのかもしれません。
でも職を全うした満足感があったことは、定年後によく聞かされました。
(私、車に関しては追われる立場に近い気がしますが・・・)
色々残る自分の記憶の中で、「車」に関する記憶が意外に強いです。
子供の頃に親父に乗せてもらった車、家族で出かけた思い出の車が記憶に残ってます。
写真はいずれもイメージですが、
(スバル 360)
自分が3歳位まではこれでした。
(日産 サニー)
このサニーが幼少の自分の記憶に一番多いです。
(スバル レオーネ)
自分の兄弟3人揃った頃にはこの車でした。
この後も当然、車歴は続くのですが、親父の趣味の車はこの辺までかなと。。。
後は家族構成とか経済的事情で、本当に乗りたかった車には乗っていなかったと思います。
基本MT主義でしたが、自分の趣味以外の車に乗るようになってから「AT」のが楽だ・・・と気付いたようですが。
自分が幼少の頃にあった家の車って、結構記憶に残るんですよね。
「子供の時、親と一緒に車で行った・・・」ってたどると、一番が目的・二番が車で記憶に残るんですね。(この考え方は北関東だけかもですが・・・)
当初の車歴を考えると、親父、本当は車大好きだったんじゃないかな・・・?
本当に乗りたい車はもっと違う車だったのかな?
と、思う時はありますね。。。
・・・・・・もう今は、それさえも聞けないですが・・・
・・・・・・・・・・・・何故か、今日の下の娘の行動と自分の邂逅を思うと、「小さな木の実」のフレーズが頭をよぎります・・・・・・
父を思い出す子供を歌う歌ですが、大人になった今の自分を重ねてしまいます・・・・・・
人生ってそんなに長いものではないし、まして本当に車の運転楽しめる年数はせいぜい40~50年くらいでしょうか。
父の本当はしたかったであろう車趣味を引き継ぎ、決して豪華でなくとも自分が満足できて、出来れば子供達の記憶に残るような車に乗れたらな・・・と思います。
子供達の記憶にポルシェもヴォクシーも残ると思います。
「小さな木の実」の歌のように、子供達の記憶・思い出に何か残せたらと思います。
亡き父が自分にしてくれたように・・・・・・
Posted at 2014/02/10 02:21:25 | |
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