2012年05月16日
隠者のリハビリ カオスの欠片 過給圧-0.51kgf/cm2
アメリカ海軍
第二次世界大戦、太平洋戦線において何故日本が負けたのか?
こう聞くとだいたい、「国力の差」「暗号解読の差」「工業生産力の差」「技術力の差」。
あとは日本の将校がヘボだった。
この辺が出てくる。
間違ってはいない。
ただ、100%の回答か?と言われればそうでも無い。
少なくともアメリカ海軍の将校であれば、こんなずさんな情報分析はしない。
一つ確実に言えるのは、高度な技術開発も、高性能な兵器の運用も、高度な作戦立案も全て人間がやっているという事。
「国力の差」「暗号解読の差」「工業生産力の差」「技術力の差」。
それらを優位たらしめるのは扱う人間である。
もし、日本の将校がヘボだったというのなら、何がどのようにヘボで優秀な将校とは如何にあるべきか?という問いがセットでないとただ単純に当時の人間を罵倒して終わる。
それだけで終わるのも良いだろう。
簡単だ。
取り合えず馬鹿じゃないの、と言っておけば良いのだから。
対するアメリカ海軍将校はどうだったのだろう。優秀だったのだろうか。
少し時間軸を整理してみる。
ハワイ真珠湾 1941年12月
珊瑚海海戦 1942年5月
ミッドウェイ沖 1942年6月
第一次ソロモン海戦 1942年8月
マリアナ沖海戦 1944年6月
比島(レイテ) 1944年10月
坊の岬沖 1945年4月
単純に並べて見て気が付くのが二つ。
ハワイ~珊瑚海までの6ヶ月間とソロモン海~マリアナ沖までの1年10ヶ月。
よくTVで取り上げられる大きな海戦を並べただけだが、この二つの期間が目に見えて空いている。
次に投入戦力を見てみる。
開戦時
日本海軍
戦艦 6隻 巡洋戦艦 2隻 空母 6隻 巡洋艦 32隻
アメリカ海軍
戦艦 9隻 巡洋戦艦 0隻 空母 3隻 巡洋艦 21隻 (太平洋艦隊のみの戦力)
このうちアメリカ海軍の可動戦力はほぼ正見だが、日本海軍は軽空母を含めれば空母の数は倍、戦艦も、大和、武蔵は入っていない。
珊瑚海海戦
日本海軍
空母 3隻 巡洋艦 7隻
アメリカ海軍
空母 2隻 巡洋艦 8隻
ミッドウェイ沖
日本海軍
空母 4隻 戦艦 11隻 巡洋艦 15隻
アメリカ海軍
空母 3隻 戦艦 0隻 巡洋艦 8隻
ミッドウェイ沖でアメリカ海軍が勝利したのは知っての通りだがそんなに戦力差があった訳ではなく、寧ろ日本海軍の方が戦力は大きかった。
この後決戦戦力として圧倒的な差がつくのはマリアナ沖海戦まで待たなくてはいけない。
マリアナ沖
日本海軍
空母 9隻 戦艦 5隻 巡洋艦 13隻
アメリカ海軍
空母 15隻 戦艦 7隻 巡洋艦 20隻
このうち数としては日本海軍空母数が9となっているが、このうち空母としての性能でアメリカと張り合える参加兵力は、翔鶴、瑞鶴の2隻のみ。(両艦とも80機程度の展開能力がある。)
残り1隻は大鳳で新鋭艦だが航空機の展開能力は翔鶴級の半分程度。残りの6隻は軽空母と搭載機数50機程度の中型空母。
対するアメリカ側は、殆どがエセックス級(航空機展開能力は100機程度)であり、ヨークタウン級エンタープライズが入る位。
筑波2000でGTカー相手にノーマルのプリウスがレースするくらい絶望的な戦力差だ。いやもっと酷いかもしれない。
ここで分かるのは、上に上げた「国力に差」「工業力の差」というのが効いて来るのは以外と遅いと言う事。
視点を変える。アメリカから見てみよう。
開戦劈頭、アメリカ海軍は主力の戦艦7隻を真珠湾で失う。
結果から見れば太平洋戦線は「航空機の戦い」と言われるが、開戦前からその考えが支配的かと言われたらそんな事は決して無い。
何故そんな事が言えるのか。
開戦時のアメリカ兵力は戦艦の数が圧倒的に多い。
もし空母が主力だと本気で考えるなら、戦艦数と空母数は同じか空母の方が多いはずだ。
費用や建造資源が戦艦の方が圧倒的に安く、数が揃えやすいなら話は分かる。
だがそんな事はない。
ペンシルバニア級戦艦で基準排水量が33000t、ヨークタウン級空母で基準排水量が19900t。
ワシントン軍縮条約の申し子、戦艦改造空母のレキシントン級でも36000t。
排水量は海に浮かべた時どのくらい水の容積を排すればその艦が浮かぶのかという基準だが簡単に見るならその艦の重量である。
浮力設計等の絡みがあるので、イコールとは言えないが排水量が多ければ重い(それだけ建造資材が沢山必要)という事で考えればいい。
費用に関しては、ワシントン、ロンドン両軍縮条約がなぜ締結されたか考える。
軍事予算(主に主力と考えられていた戦艦の建造費)が国家予算を圧迫するまでに肥大していたからだ。
余談だが。
当時の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将が戦艦長門の甲板上で模擬対空戦闘を見ている最中、その様子を眺めながら「航空機で真珠湾をやれないかな。」と呟いた時の幕僚の反応は「はぁ!?意味わからん!」だった。
「いくら長官が博打に強いからと言ったって戦争まで博打でやられたらかなわん。」
そのくらい航空機が主力という発想は当時非常識だった。
真珠湾の作戦立案担当は「海軍一の変人」と称された黒島亀人参謀。
そういえば今度映画化するらしいのだがちゃんと描くのだろうか?まぁいいや。
話がずれたが、真珠湾で主力戦艦を戦闘不能にされたアメリカ海軍司令部は今まで補助戦力と考えられていた空母と巡洋艦で暫くの間戦線を維持することを迫られたのだ。
広大な太平洋で、圧倒的戦力を誇る日本海軍相手に。
手持ちの戦力は3隻の空母と巡洋艦。
大西洋からワスプ、ホーネット、ヨークタウン(いずれも空母)が回航されてくるまでこれだけである。
ここでアメリカ海軍の将校はほぼ一から、海戦に対する認識を改めなくてはならなかった。
何故それがアメリカ海軍の将校に可能だったのか?
同じ事には実は航空機にも言える。
開戦当初、艦上戦闘機の主力は日本、零式艦上戦闘機、アメリカ、F4Fワイルドキャット。
単純に空戦をやったら零式艦戦の圧勝である。
腕の問題ではなく性能の問題で。
零式艦戦はカタログスペックで急降下性能を除く全ての性能でワイルドキャットに勝っていた。
手持ちの戦力は空母だけ、肝心の艦載機も性能が劣っていると来た。
技量は言及するだけ野暮だ。
にも関わらずアメリカ海軍は戦線を維持し続けた。
残る要素は扱う人間の問題だけだ。
レーゾンデートル
存在意義の事だ。
自身が存在する意義は何か。
ある見方をすれば人間の致命的な弱点でもある。
何故弱点かと言われれば質問されれば絶対に決定的な返答が不可能だから。
目に見える、耳に聞こえる、人から必要だと言われれば意義なんか関係ない。
それも一つの回答だ。
身も蓋もなく言ってしまえばこんな事は考えなくてもいい。生きていける。
ただ疑う余地がいくらでもあるのも確か。
人から必要だと言われたのであるなら、その人が嘘をついている可能性は。
また、何か理由があってそう言っている可能性は。
視覚、聴覚から入って来る情報は電気信号に変換されて脳が認識するが、入力と脳で受け取る情報が同一であると何で証明するのか。
もっと簡単に疑問を呈するなら、何で人間は自分を否定される事を嫌う?
人生でも意見でも何でもいい。なんで否定を嫌うのか。
本質的に疑う余地の無い事柄だったら、否定されようが罵られようが関係ない。それは単なる外部入力に過ぎない。
もっと言えば自己を主張する必要も無い。
何で人間は外部の入力無しでは自分の存在を認識出来ないのか。
「目に見える、耳に聞こえる、人から必要だと言われれば意義なんか関係ない。」
では逆に外部から否定されればその人間に存在意義は無いのか。
まったくをもって不思議な話である。
十余年前どこぞのインチキアニメが「おめでとう」なんて解決策をもってきたもんだから言いたい事だけ言えればそれでいい、なんて話になってしまった。
自身を省みる必要もなく言いたい事が言えればいい。
それでもおめでとうなのだ。
まったくをもって愉快な話。
自身が気持ちよければそれでいい。
それさえあれば自身の存在意義は考えるまでもなく安泰だ。
なんだ、その気持ち良いってのは。
要すれば存在意義の充足。
充足するのは別に構わない。
ただ何が充足たらしめているのか。
それはただ言いたい事を言っていれば永続的に供給されうるものなのか。
それは自分のメシの種を永続的に満たしてくれるモノなのか。
まったくをもって愉快な話である。
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Posted at
2012/05/16 20:24:05
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