2012年05月12日
観察科学
観察をもって良しとする考察方法。
理論を構築し、それを再現、実験し、理論通りの結果が得られるかどうかを検証する。
主に化学的な実験の考証に用いられる事が多い。
また、既知の現象ではなく、新しい現象及び確率論が関係するものが対象となる場合が多い。
既知の物に関しては既に「そうなる」と証明されているため、再度観察の必要が基本的には無いが、学校の化学実験等で教育のため再現される場合がある。
要すれば、誰がやっても、同じ論理で同じ実験をすれば同じ結果が得られないとおかしいという事。
再現性があればそれは理論として確立される。
再現性がない場合は全てを見直すしかない。
理論に抜けがないか?実験は同じ環境で行われたのか?そもそも理論構成の段階で不足の要素はないか?
化学に限らず、観察したモノはそれを事実として認めるしかない。
理論と現実が違ったのであれば何処かに違いか見落とし、隠れたモノが存在することがあると言う事。
是か否かは観察結果を受け入れてからの話。
当たり前に思うかも知れないが、これが出来ない人間は山ほどいる。
アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と捨て台詞をいうまでもなく、シュレディンガーの猫が死んでいると観察されても「いや、猫は生きている。何かの間違いだ。」と主張したい人間は山ほどいる。
定期演奏会
先日の事であるが、母校吹奏楽部の定期演奏会に行って来た。
何年ぶりかは不明。たまたま同輩に誘われたのがきっかけ。
会場に入りパンフレットを見る。
自然と現役当時との「違い」を探している自分がいた。
アンケート、「この演奏会を何処で知りましたか?」の欄から「風の便り、虫の知らせ」が無くなっていた。
違いを探す事自体は悪い事ではない。
違いを見つける事は、思考を喚起し、問題提起を促す。
ただし「違う」事に感情論はいらない。
感情は事実を偏光させる作用しかない。
別にいれても構わない。
結果違っても良いなら。
結論から言ってしまうと、正直某達が現役のころより上手かったと思う。
B部門ながら、東関東で金賞というのも伊達ではないだろう。
音量も某達の3分の2から半分程度の人数ながら同等の音量を出す。
各セクション毎のアンサンブルが入れられるというのも大したものだと思う。これはある程度技能的に慣熟しないと出し物にできない。
同輩には怒られるかも知れないが、現役時代の某達では出来ないだろう。理由は技量不足。
現在の現役生に感じたのは何よりも、吹奏楽が好きな人間が集まって一生懸命練習しているのだろうと言う事。
演奏が、呼吸、音感共によく鍛えられているのがわかる。
これは演奏が「指導」だけではどうにもならない領域だった事が理由だ。
もう、某達が所属していたバンドとは思えない。
様々なモノが全然違うものなのだ。
「違い」を見つけていた某は非常に馬鹿馬鹿しい事をやっていたことになる。
某達はもう要らない兵士なのだ。
ブラックロック★シューター
言語によって傷つけられた心はどの程度の痛みを味わうかを視覚的に表すという、何とも愉快かつ画期的なアニメだ。
表世界で主人公に投げつけられる言葉は、裏世界で主人公の分身をこれでもかと痛めつける。
轢かれたり、でかい針で刺されたり、ドリルで貫かれたり。
それでも主人公の分身は傷つかないし、血も出ない。
心だからね。
表世界でカウンセラーの先生が「自分の心の痛みは誰かが変わってうけてくれていると思えばいい」と宣う。
自己の外で起こる不快な刺激に対し、全て自分に起こっている事では無いとし、精神的な防衛を図るのはよくある話だが。
そんなに人間の精神は器用ににゃ出来ていない。
デメリットを無視すれば可能な戦術ではあるだろう。
パワーポリティックス
政治的強制力、とでも訳せば良いだろうか。
国家間の力関係をバランスとして表す場合によく使われる。
国家間の力関係を決める物。軍事力、市場経済力、資源。
日本人の大好きな技術はこの中には入らない。
何故か。
うちの言う事を聞かないと、軍隊使って攻撃するぞ。
うちの言う事を聞かないと、うちの中で経済活動させないぞ。
うちの言う事を聞かないと、うちにある資源を売ってやらないぞ。
それに対し、
うちの言う事聞かないと、うちの技術使わせないぞ。
さて、相手に言って一番効きそうなのはどれだろう。
最近は何処も景気が悪いので両得な2番目のやり方が流行っている。
3番目はやりすぎると本当に戦争に発展するから。今はこれでつり上げるのは得策ではない。
だから中国をG8から外せない訳だ。
技術は、経済力が身に付けば自国でも何とかなる。
軍事力があれば資源の確保も経済力の拡大もある程度可能だ。
資源があれば軍事と経済の両方に干渉出来る。
技術は、能動的に他国に干渉しうる(他国を動かしうる)外交カードでは既にない。
というか寧ろ、有効な外交カードになった事が実はない。
みんカラの土俵で話をするなら、ふた昔前の貿易摩擦時の対応を見ればいい。
アメリカは日本との貿易摩擦を解消するための、電子戦機を購入することで手を打った。
大変愉快な話である。
問題はそこで日本が拒否しようと思えば拒否出来たのか考えて見ればいい。
ゴメン、うち技術あるから儲けても良いよね!当たり前だよね!とアメリカに何故言えないのか。
技術成長が単純な一国の努力だけで成る訳がない。資源も何もない東洋の小さな島国なら余計だ。
近年の歴史でそれをやってのけた大国は大戦中のアメリカくらいだろう。
今の日本は非常に幸運な偶然の先にいる。
その幸運を保つバランスが崩れかかっていだけだ。
それでは、「国同士の力の掛け合い」の中では何も出来ないのだ。
Posted at 2012/05/12 22:09:55 | |
トラックバック(0) |
カオスの欠片 | その他