楽しみにしていた息子の入隊式がありえない
地連のミスで残念ながら見る事が出来なくなりましたが無理して有給を取り宿も予約しているし息子に渡したい物もあったので予定通り9日の午前5時に両親と共に出発しました。
高速道路で呉を目指しますが車中の話題は一生に一度しかない息子の晴れ舞台が見れなかった悔しさと哀しみばかり・・・
気持ちを切り替えようと努力しますがやっぱり残念無念です(涙
そんなこんなで広島県まで来て
呉の大和ミュージアムへ到着。息子との面会時間まで呉の街を観光します。とりあえずお腹が空いたので
山本五十六も食べたカレーを再現したという海軍カレー(ホンマかいな?)を
美味しくいただきました。
食事後は大和ミュージアム海側の芝生広場を通って
大和波止場へ。ここは戦艦大和の前甲板の左半分を
実寸大で表現した公園です。
公園を散策しながら先端まで歩いてみます。
沖合いに停泊しているこの艦は・・・ひゅうが?
追記:艦影からおおすみ型輸送艦で間違いないようですが後に息子が乗る事になる
輸送艦をこの時偶然に撮影してたんですね~
左側にはかつて戦艦大和を建造した造船所が見えます。
ぽかぽか陽気にサイクリストもくつろいでました。
レンガパークを歩きながら戦艦陸奥の引揚品であるスクリューや主舵
主砲身を見ながら
大和ミュージアムへ
おまけ
特別企画展が開催されていたので見学してみることに。
まず現れるのは大和ひろばに展示されている全長26.3メートルもある10分の1スケールの
戦艦「大和」です。
とりあえず記念撮影しまして(係員にカメラを渡すとヤ・マ・ト♪と言いながら撮ってくれます)
開催中の特別企画展へ
戦艦大和の艦橋内部を
再現してあり
CGで主砲を発射する様子が再現されておりしばらく見入ってました。
その後は
以前じっくりと見る時間が無かった
ミュージアム内を
じっくりと見て回ります。
大和には宮崎県出身者が5名乗っていたようです。
大和の現在は
水深約350メートルの海底でこのような状態にあるそうで・・
これが以前
枕崎から眺めた沖合いの沈没地点です・・・(涙
呉では133隻もの艦艇が建造されていたんですね(驚
これは石坂浩二さんがなんでも鑑定団に出品された戦艦長門の軍艦旗を即金(評価額の1000万円!)で購入しここ呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)へ寄贈したもので、お陰で私達は当時使われていた実物の軍艦旗を見ることが出来るようになりました。石坂浩二さんに感謝です。
ちなみに戦艦長門は終戦後の1945年8月30日に連合国軍の1国であるアメリカ軍に接収されアメリカ海軍による詳細な調査の後武装解除され、1946年3月18日にクロスロード作戦(アメリカ軍の核実験)に標的艦として参加するためマーシャル諸島のビキニ環礁へ出発、二度もの核実験(空中爆発と水中爆発)にて被爆してなお4日後まで沈まなかったことは、当時の日本では「米艦が次々沈む中、最後まで持ちこたえた」「長門が名艦だった証拠」「日本の造艦技術の優秀性の証明」と喧伝されたそうです。
特殊潜航艇海龍(後に特攻兵器人間魚雷となる)
我が日向市にも配備されていた特攻兵器人間魚雷回天。
戦艦の主砲弾いろいろですが左の3本は
戦艦大和が誇る世界最大の46センチ主砲弾です。このバカでかくて重い(一発約1・5トン!)主砲弾を当時40kmもぶっ飛ばしていたとは凄いものですね~(驚
去年しまなみ&とびしま海道サイクリングの時に来た時は時間かなかったのでゆっくり見れませんでしたが・・
改めて大和の姿を眺めてみると 「大和は美しいフネだった。青春を犠牲にして悔いのないフネだった」といわれる通り、その外見も実に美しい艦ですね。
今回はじっくり時間を掛けて見て回る事が出来たので大満足でした。
次は前回時間が無く見る事が出来なかった てつのくじら館 へ。
潜水艦を真下から眺めてみると丸いANAがありまして・・・
何だろう?と思っていたらこの潜水艦ならではの形をした錨を収納する所だったんですね。
早速入ってみますが
ここは初めてなのでワクワクです。
係りの方に撮影可能か確認して内部へ。
機雷です。
中には狭く閉鎖された潜水艦内部で働くサブマリーナ達の生活の様子や
掃海作業(機雷除去作業)の様子や歴史、潜水艦の資料が多数あり
掃海作業に使用するフロートには
何だか
面白いペイントがされていますが
実際には
このように命がけの危険な作業である事が判ります(汗
潜水艦の内部構造を見たりしながら
実物の潜水艦内部へ。
内部は狭い空間を出来るだけ有効活用できるような構造になっており
艦長室でさえこの狭さです。
操縦席や
潜望鏡で外を見たりしながら
見学させて頂きました。
陸揚げの様子がビデオで放映されてましたが凄いものですね~
次は歴史の見える丘へ移動しまして。
大和を建造したドッグ跡や
建造中のタンカー(去年の10月のサイクリング時に見た時はタンカーのパーツ群でしたがそれが今タンカーの形になっているようです)や呉の街を眺め
すぐ近くにある
噫(ああ)戦艦大和之塔を見て
アレイからすこじまに移動して
海上自衛隊の艦や
潜水艦
あちこちに当時から残るモニュメントや
戦時中からそのまま残る魚雷の上げ下げ等に使われていたというクレーンを見たり
呉の巨大なクレーン群を眺めたり
赤レンガ作りの建物を眺めたりしながら時間になったので
今回自衛隊側のミスで父兄が入隊式を見る事が出来なくなったので特別に外出許可を貰い教育隊まで息子を迎えに行きまして
一緒に広島焼きのお店へ。
息子は飲めませんがジュースで乾杯~
入隊式は残念な事になってしまいましたが息子と会う事ができたのでとりあえずホッとしました。
10日振りの再会でしたがまるで別人のような立ち振る舞いに成長と自衛官としての自覚を感じました。これから更に厳しい教育期間がスタートしますが苦難を乗り越えて立派な自衛官になってもらいたいものです。(画像は息子に正しい敬礼の仕方を教えてもらい緊張している様子です:笑)
予定の時間になったので息子を教育隊まで送って行きお別れしました。今回のトラブルは日向地連のミスが原因でしたので教育隊には直接関係無いにも関わらず入隊式の時にも私達父兄が来ていない事に気付き色々と気を使って頂き、本日も厳しい規則のある中で入隊式が見れなかった父兄の立場を考え柔軟に対応して下さいました教育隊の方々へ感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。息子を宜しくお願い致します。
そしてホテルに戻り一人2次会開始。
広島と言えば個人的にこのご当地名物のせんじ肉が楽しみなんですよね♪
息子と会えた事で入隊式が見れなかった哀しみも多少癒えて吹っ切れてきましたが今回のとんでもないトラブルの原因を作った張本人である日向地連からは未だに謝罪の連絡もなにもありません。一体どういう神経してるんでしょうかね?
明日は予定していた入隊式が無い分時間があるのであちこち観光する予定です。
2日目へ続く
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