“デザイン”で企業価値が変わる ~数々のイタリアの名車を手がけた奥山清行氏がデザインを語る~
投稿日 : 2013年02月24日
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どれだけの長文がアップロードできるのかテスト。
下記は、2005年11月29日に行われた、当時ピニンファリーナのクリエイティブデザイナーだった奥山清行さんの講演会「日本SGI ソリューション・キュービック・フォーラム 2006 基調講演 “デザイン”で企業価値が変わる ~数々のイタリアの名車を手がけた奥山清行氏がデザインを語る~ 」での講演内容をPCにひたすらメモ書きしたものです。PC速打ち、得意技。
なにかのときにこの話を書こうと思っていたのですが、まとめるのがめんどうなのでそのままアップロードできるかテストですw
つまり手抜きです。
今回の講演では、次の4つについて話をしていく。
1)日本のビジネスアイデンティティ
2)各国のビジネスアイデンティティについて。アメリカ、ドイツ、イタリアの例。
3)クリエイティブクラス(最近注目のキーワード)という分類
4)創造性のメカニズム
話をする前に、自分がデザインしたフェラーリエンツォの話をしましょう。
フェラーリエンツォは、349台の限定生産、売価7500万円いうプロダクトだ。
なんでそんな半端な台数であるか。
リサーチ会社のJDパワーズでリサーチしたところ、フェラーリのフラッグシップモデルならば7500万円の売価設定で、350台売れると結果が出た。
フェラーリには社訓があって、「売れる数の1台少なく作るべし」というのがあり、349台という数になった。
イタリア人はとてもビジネスモデルを作るのがうまい。
まず、モックアップ写真と349台限定販売、7500万円という価格、スペックを先に発表した。購入希望者は予約の手続きとして、7500万円の小切手を持って来ることをアナウンスしたら、3500人の希望者があった。これを一旦すべて受け取って、銀行に預けて、その金利だけで開発費が捻出できた。非常にうまいやり方だった。
その後、予約者からフェラーリ複数台所有者、レース経験者、有名人、有力者などとランク付けして、売ってあげてもいい人をルカ・モンテゼモロ社長が349人ピックアップした。落選者には7500万円を返還した。
これが日本の会社だったら、3500台に増産するかもしれないし、5000万円、3000万円にして、もっと沢山売ろうとするかもしれない。
だが、フェラーリはそうはしない。そうしないことが価値であり、顧客の満足度であり、ブランドなのである。
フェラーリは社員3000人。うち600人がF1部門。予算の40%(←記憶が曖昧)がF1のために使われている。まさにF1をするために会社がある。そのために車を売ってる。それを買う側が理解している。客との一体感があるし、企業の哲学がある。
余談だが・・・・。フェラーリのデザイン製作過程をお話しましょう。
通常、車のデザインはボディ色をシルバーで行う。1/4モックアップ、1/1モックアップはクレイをシルバーで塗装する。
ところで赤色でデザインすると車が重く見える。フェラーリは最初から赤色でデザインプロセスを進めている。
逆にフェラーリをシルバーにするとやせてみる。シルバーでデザインしていった車は、赤にすると重く見えるものだ。
赤はイタリアンカラーというが、フェラーリにとっての赤は血の歴史(レースでの事故死)の色であり、レースを戦う色であり、会社のイメージそのものである。
最近、手で絵を書くことは大事だなと改めて思っている。
実際に手を動かして線を描いていくこと。線からインスピレーションが生まれ、手がまた違う線を描いていく。
手で書くということは、クリエイティブな部分で刺激を受けやすい。改めて手を使うスタイリングを見直している。
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フェラーリのデザインプロセスは他社と違っていて、通常は1/4サイズから検討し、1/1サイズへ移行するところを、最初から1/1のサイズで作る。それも、クレイを使わず、エポウッド(2液混合硬化性の樹脂)で作る。
エポウッドは硬いので、クレイと違って面の張りに緊張感が出るのだ。固いから作業がやりにくく、修正もしにくい。固まるのに午前中かかって、削るのに午後からの作業となる。時間が掛かるが、柔らかいクレイと違って、硬質感があってシャープに仕上がる。
ミケランジェロなどは大理石を一発で削っていった。ミスしたら修正できない緊張感がある。
立体化するときに、クレイのように簡単に盛ったり削ったりデザイン調整できないので、スケッチなどの2D段階で非常に細かく検討することになり、デザイナーも力が入る。
1/1モックアップは、とても作りこんであって、ドアのパーティング(ドアパネルとボディパネルの隙間、溝)もすべて中までエグってあり、見る角度で溝の深さ、ドアのパネルの厚さ感が変わる感じも再現しているし、ピラーの中のガラス接合部の黒い部分なども再現してる。
ハイライトチェック(映りこんだ光の線がヨレたり曲がったりしていないか。つまり綺麗な面形状になっているかの最終チェック。)は、モックアップ作成段階、つまりモデリング作業としてはやらない。形を作る作業をしている人が、最後のフィニッシュをやらない。
ハイライトチェックは、塗装職人の仕事になっている。恐ろしくスキルの高い職人が、塗装前に面を触り、観察し、確認し、面出しをしていく。こんなやりかたは他社ではない。塗装職人が手で触って、面を確認し、チェックして、弟子がサンディング(パテ盛り、サンドペーパーで削り込み)をする。
これをCADCAM測定(モデルが出来た段階で測定し、面がどうなっているかをコンピュータ上で確認。修正箇所をCAMに落として削り込んでいく。これを何回かフィードバックする。)すると10日間ぐらい掛かるが、職人だと2時間とか半日で出来る。
こんなことが出来る職人は、トリノにも3人しかいない。そういった職人の手を使って、フェラーリは出来上がっていく。
こういったプロセスを見てると、これからの日本にも参考になる部分があると感じている。
話を戻そう。
ビジネスアイディンティティとは何か。
アイデンティとは何か。何か元になっている情報と一致しているということ。原本一致ということ。アイデンティファイ=
同一性である。
デザインアイデンティティとは、既存知識、消費者の期待値にどれだけ一致しているか。それがアイデンティティの基本である。
作る側の現場としてアイデンティティと、消費者のアイデンティティ。その一致が大切だ。
それがブランディングとなっていくのだ。
金融の世界では、ブランディング、アイデンティティの確立は「コモディティ化」といわれる。
価格とコスト。価格とコストの関係が不透明であると。そこに大きいマージンが生じる。それがブランディングの一番基礎となることだ。
例えば、アメリカで売ってるものを日本で輸入販売するのに、現地価格が不明だと好きな値段をつけられる。
しかし、情報が発達し、現地の価格が知られれば、その価格で値段を見られてしまう。
商品情報を不足させること。これが大切だ。どうゆう素材で、どうやって出来ていて、どういう流通に乗っているかなどが解れば、
価値は計られてしまう。
対象の価値が主観的であること。
つまり、誰がどうだろうが、俺は買いたいと思わせること。他人が、社会が認めているから欲しいのではなく、とにかく自分は欲しいと思わせること。主観的価値と他人的価値の違いだ。
ブランドとは主観的価値である。
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マーケットが小さいため、標準が存在しないこと。
あまりにも小さい市場で、他に比べる対象もなく、それしか存在しないという状態も、ブランディングになる。
イタリア人はこれらのブランディングが非常に上手いと感じている。日本はブランディングで矛盾しているところが多い。
ブランディングの基礎はコストと価格を不透明化するということ。日本ではあまりない、イタリアではよくある戦略。
そしてイタリアは主観的価値を見出すのがうまい。
日本は社会的基準が勝り、価格を設定する。主観的ブランドに価値がつきにくい。プラダなどのファッションブランドなどイタリアの主観的価値による製品が、社会的価値として認められて、初めてブランドが立ち、売れる。
ところが、社会的価値を生じさせ続けないとブランドが維持できないため、数年で陳腐化する。ブームとなって終わってしまう。日本はブランドを立てにくい国。
日本は、流通に乗せるとコストと価格が透明化し、マージンがどれくらいあるか知られ、価格競争になる。
社会的価値が必要だから、マージンが解り、価格競争になり、ブランドが崩れるのだ。
日本は個人の判断能力が薄く、社会での受け止められ方を見て判断する。
マスコミなどによって地すべり的価値観、マーケットの移動が起きやすい。マスコミが扇動すればブームが起き、簡単にブームが変わってしまう。
そういう日本で、ブランドを生むにはどうすればいいか。
1つ目は、「マーケット変化を待つ。」
しかし、それは当分無理である。マジョリティの変化は遅い。主観的価値間を持った人がマジョリティを持つにはまだ先だろう。
2つ目は、「作り手によって、主観的価値を作ってやる。」
需要を多くし、供給をすくなくする。価格設定、数量、F1やってる、赤い、それがキャラクターであり、それを欲しいと思う人を作る。
マスでもない、ニッチでもない中間市場、解りやすくいうとオタク市場に注目している。大きくないが小さくもない市場、熱狂的に欲しがる人の市場を作る。つまり愛好家市場。そこに向けた商品作りをすればブランディングしやすい。サッカー、F1など熱狂的愛好家向けに作るのだ。
3つ目は、「コストと価格の不透明なものを作る。」
ソフトウェアだったり、それこそデザインだったり。
よりよいものを小さく作って、大きく売って、会社は小さくて、買った人は長く満足できるものを売る。これは難しいことだが、不可能ではない。
各国における地域性の違い、文化の違いはどうか。
アメリカは発明型である。
セグウェイ、PCのマウス、インターネットetc。そういう今までなかったものが生まれて、市場ができるのがアメリカの特徴。
これは背景にフロンティア精神がある。独立して、リスクがあるところにチャレンジし、そういうチャレンジに投資する人たちがいて、それもまたチャレンジである。
ドイツ的な作り方は、技術革新を機軸にしている。
ドイツは経済観念が発達してて、ケチで几帳面。より効率的に、より機能的に、無駄なものを省いていき、改良を加えていく「改良型」になる。
イタリア的なモノの作り方は、希少価値。職人の技、作り手の技を使う。
グッチ、プラダなどの加工技術、フェラーリなどがその例だ。
イタリア人は起用だ。今までいろんな国で仕事してきたが、一番器用な人たちだと思う。それに、アメリカよりも裕福層が多いように思う。そして彼らは伝統的なものや古いものが好きだ。
イタリア人は、まず形から入る。道理や哲学はあとまわしである。例えばスキーなどすると、フォームやファッションから入り、理論は後である。
自分の好きなものをよく知ってる。つまり自分をよく知ってる。自分を持っている。
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日本人はどうすればいいか。
新しいものが好き、哲学好き、集団行動が好き、決断が遅い、自分で考えない。おせっかいでおっちょこちょい。それが日本人である。
工夫好き、夢を見るのが好き、想像力がある。
日本は他人のことを気にし、他人の嗜好を考えているので、他人が欲しいものを創造し、哲学にするのがとても上手なのである。普段からそうやってマーケティングリサーチしているのである。だからマーケティングリサーチは日本で発達し、世界で一番進んでいる。
欧米では他人のことをそこまで考えないから、必要最低限のマーケティングリサーチしか行われていない。ましてやイタリア人にはそんな感覚は絶対無い。
思いやり、心遣いなんていう言葉は、英語にもイタリア語にも訳せるような適当な言葉が無い。他人の気持ちがわかる、他人に配慮する。それが日本の大きな特徴である。
企画から開発、販売までのスピードは依然として日本がめちゃくちゃ早い。ところが、時として全然まとはずれなところがある。
世界中の人種と仕事してきたが、日本人は全然勤勉だと思わない。客観的に見てイタリアンのほうが勤勉に思える。
日本人には良心がない。アメリカ人のほうが非常に良心的であり、正義を重んじている。
もうこれだけ情報が発達すると、日本には地域性がなくなっている。どこでの考え、文化、生活が画一化している。
昔ながらの伝統的な職人芸がなくなってきている。速いペースでモノづくりしているために、職場で人を育てる、職人にするというプロセスがない。会社という組織で、それが成り立たないスピードでモノを作っている。新しい世代の職人技なんてものがなくなってきている。これは最近、いろんな会社で悩みの種になっている。
日本の発展をささえたのは、ホワイトカラーじゃなく、ブルーカラーの人たちが支えていた。ブルーカラーのクオリティが高いから、レベルが高いから、製造業は支えられてきていた。
それがあるがゆえに、管理職のスキルが高くなく、他国よりも劣っていると思う。米国、欧州の管理職の人を見ていると、まだまだ日本人は管理手法など勉強することが多いと思う。
日本文化はどんどん変わってきている。ビジネスのあり方、クリエイティブも変わっている。
クリエイティブクラス(リチャードフロリダさんが3年前に自書で唱えたキーワード)という言葉がある。この言葉、考え方はこれから注目されるだろう。
これはクリエイティブなクラスと、そうではないクラスとがあるという考え方。ホワイトカラーとブルーカラーという分け方でなく、クリエイティブな立場であるかどうかということだ。
クリエイティブとはテクニカル、アーティスティック、エコノミカルに分類される。つまり考える仕事ということだ。それが従業員の1/3以上になってくると、企業が発展し、国の産業が発展する。
良心に頼ってモノづくりをする時代は崩壊した。ブルーカラーが改善というクリエイティブ作業をしたから成功したのがトヨタ。質を上げるには創造力を引き出さないといけない。あらゆるクラスでクリエイティブクラスとしてものを考えていかないといけない。
世界でも教育レベルの高い労働力にささえられたのが日本の発展。管理職の優秀さではない。
今後はクリエイティブクラスとしてもっと創造力を使っていかないとならないだろう。たとえブルーカラーであっても、知識労働者でないといけない。
モノづくりの作業はグループワークであり、コミュニケーションが大切である。イタリア人は話がうまい。コミュニケーションがうまい。
なんだかずっと自分の動作を口にしているときがある。まずはこれをこっちに持ってきて、これをこっちにどけて、右手でこれをつかんだらこうやって回して…などと、動作を交えてしゃべり続けていたりする。
職人さんはまさに知識労働者である。
フェラーリの塗装職人の話をしたが、彼は年収3000万円である。欧州の大会社の偉い人たちが彼に頭を下げ、車で空港に迎えに行く。これほどまでの職人はトリノでも3人しかいない。
一方で、天童木工の職人の知人は、年収200万円である。素晴らしいスキルを持っているのに、それが活かされてないし、社会での価値も低く見られている。
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デザイナー個人の価値観、ピニンファリーナ社としての価値観、クライアントの望んでいる価値観。これらを3つの輪として例えるなら、すべてが重なっているゾーンに提案が出来るのがベスト。
しかし、そこまでピタっと一致するプロダクトはそんなにない。
デザイナー、ピニンファリーナが満足しても、クライアントが満足しない時もある。
ピニンは満足しないが、デザイナーとクライアントが満足するような提案の場合、デザイナーはヘッドハンティングに合う。
クライアント、ピニンが満足し、デザイナーが満足しないとき、デザイナーは辞めていくだろう。
しかし、このようないろいろな価値観がぶつかり合い、混在しているほうがいい。そういう状態が組織の環境変化対応力になる。画一化されると、刺激がなくなり柔軟性もなくなり拙い。
情報、コミュニケーションは大事。
何千人居ても情報が直接流れるようにする。会議での出席人数が増えてきている。中間層が情報カットせず、直接現場の担当が会議に同席するのだ。つまり、皆が正しい方向でモノづくりをするということだ。
これまで日本人は他人のためにモノを作ってきた。でも他人という基準点がそもそも実体がないものだ。
日本人は、いざ自分のためにモノづくりしょうとなっても、どうしていいのかわからない。
イタリア人は自分のためにモノが作れる。デザイン界ではそれが悪いことのように言われてきたが、これからは自分のための価値観がないといけないだろう。自分のためのブランドを作る、それをマーケットに応用していく。自分基準、自分のためによく考えて作りましょう。自分の価値観が会社に、社会に寄与できるのであれば、転職しても自分の価値を別の会社でも行かせるはずだ。
日本人の価値観を考え直してみよう。
日本人の価値観を主観的に改めていこう。
創造性が必要で、創造性を発展させるメカニズムが必要。
目的意識があるとモノが作りやすい。ぜひ自分のためにモノを作ってみませんか。
-完-
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以上、アップロードテスト。
なにせ聞きながらその場でメモってるので、誤字脱字、おかしなところはご容赦ください。
またフェラーリ記念モデルが発表される記事を見たので、このメモを思い出した次第です。
フォトにアップロードしたのは、ここが一番長文を上げられそうだったからー。
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