いやいや、しばらくサボってんな~、と思ってはいましたが、1ヶ月以上も経っていたとは(トホホ)。
いつものことなんですが、今回もまた、完全に自分で書きながら自分で頷くだけのブログとなりますwww
カタログネタには違いないんですが、ポイントが激狭なので普遍性がありませんがご了承くださいw

3代目ギャランΣ 1800LX SALOON EXTRAです!!
これは、よくある拡販用のお買い得特装限定車であり、プレミアがついたりマニア垂涎の、といった限定車とは異なりますし、機構的に特徴があるわけでもないいわば「なんてことない」クルマなんですが、親父が乗っていたということで懐かしく綴ってみたいと思います(笑)
ベースは1800電子制御キャブレターエンジンの「LXサルーン」。
上記しましたように、ベースの車種に1ランク上のグレードの装備を頂いてくる、というありがちな限定車。

ベースのLXサルーンにプラスして、
①パワーウインド
②電動式リモコンドアミラー(LXサルーンは、電動リモコンフェンダーミラー)
③幅広カラーキーサイドプロテクトモール
④フェンダーマーカ(車幅灯)
⑤フルホイールカバー
⑥ウレタンステアリングホイール
⑦ボックス付きフロアコンソール
⑧エクストラバッジ
と8つの装備をプラスしたのが、この特装車だったんですね。
今からしたら、どれも大した装備にはみえませんが、なんといっても我が家初のパワーウインド!!www(ウインドゥではなくウインド、フェンダーマーカーでなくマーカ、という独特な表記が当時の三菱車のカタログや広告の特徴です。)
それは嬉しかったものですヨ!!

ほどよい趣味性、の一台です。
ギャランΣ1800LXサルーン・エクストラ登場。
「ほどよい趣味性」というものが、どんなものか堕落な生き方をしてきた当方にはよくわかりませんが、確かに突出したところもなく実用に供する足としては、なるほど「ほどよい」感じだったのかも(笑)

記されてるところによりますと
1800LXサルーン・エクストラ仕様車(ボディカラーはサラエボホワイト)ベース車:1800LXサルーン/全国限定3000台
とあります。
この限定車は昭和61年の5月に登場していますが、親父が購入したのは同じ年の10月。
拡販用の限定車とはいえ、足が遅かった特装車と言えましょう。
そもそも、昭和58年に登場したこの3代目Σは、2代目のΣがかなりの不振であったために、
「フルモデルチェンジは、4年以下のサイクルで行ってはならない。」という当時の運輸省の指導を
無視(したわけではないと思いますが)して3年4ヶ月という短さでフルチェンジしたといういわくつきで、このFFのΣは、絶対に失敗の許されないクルマであったはずです。
しかし、内容の良さは評価されても販売が好調ではなく、FF初の200馬力、シリウスダッシュエンジンの搭載、ハイソカーブーム全盛だったことにあやかって、セダンに対してかなり豪華な内外装を持つハードトップの追加などなど三菱としても、精力的に手を打ったように思えたのですが、先のハイソカーが全盛の時世とあって、優れた販売力を持つトヨタの同クラス、カムリ/ビスタ、同じく同クラスであるネームバリューの高い日産のブルーバードですら、マークⅡ3兄弟には歯が立たない、といった状況ですから販売力に劣る三菱が不振となってしまったのはやむを得ない、とは思えます。
そんな中、この昭和61年の2月には、Σとしては2年半振りにビッグマイナーを施し、1番のトピックとしてはサイクロンエンジンに換装されたこと。
周囲はツインカム24とかツインターボ、さらにはスーパーチャージャー、と盛り上がっている中、吸気や燃焼室、排気系の見直しといったエンジンにとって地味ではあっても基本中の基本、大切且つ重要な部分の改良でありながら、日本人の好きな数字には現れにくく、内容の良さとは裏腹に地味でまったく目立たない、ということで評価が高まらなかったのが辛いところ。
この特装車も、パンピー(←古い)のファミリーカーである1800キャブのクルマに、ブロンズガラスや同色モール、毛足の長い「ラグジュアリシート」などなど、ハイソカーを構成する装備の点在が涙ぐましくすらあります(笑)

当時のギャラン店のキャッチフレーズである
「BeBest for good days」いつもベストをギャラン店
のコピーが懐かしい!!
このカタログの裏面には、ご覧のとおり、って見づらいですが(汗)
2トーンカラーの写真があります。
ボディカラーの名称は、アイガーシルバー/カイザーシルバー2トーン
となっていますが、このクルマが現役だった頃このカラーって見たことなかったですねー。確かΣのハードトップのカタログにはこの塗り分けの逆パターン、上がカイザーシルバー下部がアイガーシルバーというのはカタログに載っていましたが、もちろん実車は見た覚えはありません。
(余談ながらこのカラーは、前期のΣをベースの三菱の認定中古車のリフレッシュカーにあったような気がします。)
世はハイソカーブーム、新車で販売される乗用車の8割以上が白と言われたこの頃、まして一応3000台とされた台数に白以外のクルマがあったとも考えにくいですね(もちろん皆無ではなかったでしょうが)。
ウチの親父は、この前に乗っていた前期の「シャトーベージュ」という洒落たカラーが気に入っていたようなので、「サラエボホワイト」にはあまり気に入った様子は感じられませんでしたね~。
ま、このサラエボホワイト、というのも当時を知るものにとっては、「はいはい、アレね」という由来。
1984年の冬季オリンピック、サラエボオリンピックは、三菱自動車が協賛していたんですね。
そういえば、それ以前に札幌の冬季オリンピックが開催され、世界的に札幌の名前が知れ渡ったことから、Λの輸出名が「サッポロ」だったりしましたっけwww
このクルマ、我が家ではたった2年2ヶ月で次期ギャランに代替されてしまいましたが、見かけの優しい感じとは裏腹に三菱らしくとてもタフにできていたのが印象的でした。
つい最近発見してしまった当時のCMです。
ランサーフィオーレ1500CXスーパーなる特装車は、すっかり記憶から抜け落ちていましたがどちらも当時の三菱車らしさを発奮していて、とても懐かしい気持ちになれるのです。
この後、翌年の昭和62年には、パリダカ・パジェロで一躍有名になられた篠塚健次郎氏が、会議中勢いで「ギャランで行くぜ!」でEXE(イグゼ)という特装車を出し(←オイオイw)、こちらは数回に亘って販売されるなど中々の好調だったよう。
個人的には、EXEの方が装備が良かったので悔しかったりwww
そういやあ、次のギャランを親父が買った時も、買ってすぐにVientoが出たんだよなw
まあ、「あっちは1800、ウチのは2000だから」と自分に言い聞かせてwましたが、その頃はまだ免許もなく、排気量の大小よりぶっちゃけ装備の多いVientoに嫉妬していたのは事実でしたwww
まとまりありませんが、終了です(笑)