2012年11月16日
第2話で宿泊した合掌造りのやど、我々の部屋は3階でした。
一番上の三角になってて合掌造りを実感できる部屋でした。
僕もこうした宿は初めて。もちろん彼女の。不思議な気持ちでした。
第三話 深夜の金沢で!
藁葺き屋根を眺めながら彼女は話を続けた。
「美瑛での出会いにはどんな意味があったのか考えてるの」
「人の出会いに意味なんてないよ。偶然の産物」
当時の私は物理学者を目指す大学院生。筋金入りの「理系」で論理的解釈こそ「正」
ロマンスの欠片もなし。彼女は私の言葉に笑っていた。
「私はね、必要な時に必要な人が現れると信じてるの。だから出会いは必然とおもう」
「なるほどね」
私は彼女の方を向いて横になった。
「それで、答えは出そうなの?」
「そうね、意味はわかったわ」
彼女はここで話を止めた。
30分も沈黙が続いたろうか。
既に私の意識は半分別世界に飛んでいたが、物音が。
彼女が何やらやっていたが、気にせず寝入ってしまった。
翌朝。私が目を覚ますと、彼女は私の布団で一緒に寝ていた。
(あれ?!なんで!・・・)
彼女はまだ寝ている。
(いつから?でもなんで?)
自問自答を繰り返していると 「おはよ」 彼女は笑いながら目を覚ました。
「今日はどうするの?」
「えっ。あっ、今日ね。」
私はドギマギしていた。
彼女は私の腕枕の中で目を覚まし、下を向くと彼女の目がすぐそこに。
東北を旅している時に所謂「ホテル」で一緒に寝ていたが、「抱いて」寝ていたわけではない。
ベッドの中でも「一定の距離」を保ち寝ていたのに・・・。
「それで?今日はどうするの?」
「か、金沢へ行こうかと」
「飛騨高山は?昨日通っただけだったでしょ。」
「そうだね。じゃあ高山を見てから金沢へ行こうか」
「うん。ありがと」
「朝食ですよ!」
囲炉裏の間から声がした。
白川郷から高山に戻り、高山を観光。
武家屋敷やら本陣を歩いてめぐり、昼食に飛騨牛を食べた。
何故か会話は少なかった。彼女は話していたが、私の返事が「そうね」とか「うん」だけ。
昼食を済ませてバイクに戻ると彼女は地図を広げた。
金沢までさほど距離がないとわかると、今度は石川県の観光スポットのページを見始めた。
「能登半島行きたい」
「輪島?」
「この、なぎさドライブウエイは?」
「いいよ。じゃあ、金沢に直接行かないで、富山に向かって七尾経由で能登半島を横断していこうか」
1時過ぎに高山を出発。
八月の日差しの中を富山方面へ向かった。
砺波、高岡を経て氷見を経由して七尾へ着いた時には既に4時。
七尾の道の駅で休憩をとり、国道159号線で能登半島を横断した。
なぎさドライブウエイについたのは太陽が日本海に沈もうとした時だった。
バイクを砂浜に入れ、オレンジ色に染まる波打ち際を走った。
浜辺にバイクを止めて、日が沈むのを眺めていた。
すっかり日も落ち、夜の漁へ出る漁船の漁火が見えるまで彼女は海を眺めていた。
私は彼女の横に黙って座っていた。
「さ、いこう。金沢までどれくらい?」
「3、40Kmってところかな。時間にして1時間かからないよ」
「お腹すいた」
「そうだね。金沢でなにか食べようか」
金沢についたのは21時少し前。まだ宿泊が決まっていない。
彼女もそのことはわかっていたようだが、心配していないようだ。
市内でファミレスに入り夕食を採った。
食事が終わりコーヒーを飲んでいると彼女が口を開いた。
「海に行こうよ」
「これから?泊まりは?」
「どうにかなるでしょ。」
地図を見ると海浜公園があったので、そこに向かった。
駐車場にバイクを止め、海岸線に出て、二人で歩いた。
「昨夜のこと覚えてる?」
「いや、あんまり・・・」
「えっ?出会いの意味を話したでしょ」
「ああ、そっちね。覚えてるよ」
「必要の時に必要な人が現れる。今の私にはあなたが必要だったのよ。普段ならバイクの後ろなんて
絶対乗らないし、初めてあった人と一緒に旅行なって考えられない」
「まぁ、普通はそうだよね」
私は肩をすくめた。
「それで?僕はなぜ必要だったの?」
「うーん。今は言えない。でもいつか話すから」
「そう。っで、どう?楽しい?」
「うん。すごく楽しいのは確か」
彼女は満面の笑みを見せてくれた。
凪の海に月が写り、幻想的な景色の中で彼女は僕と腕を組んで笑いながら歩いている。
必要の時に必要な人が現れる・・・。私にとって彼女はなぜ現れたのか?
私にとってその答えはどうでも良いことだった。
元々、美瑛で彼女の話を聞いて、彼女に傷心旅行ではなく、一生思い出に残る楽しい旅をしてもらいたいと思ってタンデムをする決意を固めたのだ。
目的は果たしている。私はそれで満足だった。
23時を過ぎ、睡魔が押し寄せてきたので、そろそろ宿泊をと思い、駐車場へ向かい歩き始めた。
駐車場の方が何やら騒がしい。
夏の海につきもの・・・暴走族が・・・。
ありゃ、めんどくさいのがわんさかいるよ。どうしよかなぁ。
駐車場にはバイク、車を合わせ4、50台が集結し、バイクが爆音を立てていた。
私のバイクはその真っ只中。
しかも少しだけいじってある。オーリンズのサスにDEVILのマフラーが入っている。
サスは良いとしてもDEVIL菅は彼らを刺激するには十分すぎるほど。
彼女はというと特に怖がる様子もなく、つかつかとバイクに向かっていく。
「ちょっと様子見ない?」
「なんで?あの子達だって旅行者に何かしようとは思わないでしょ」
彼女は笑っていた。
落ち着いているというか、世間知らずというか・・・。
彼女は私が制止するので仕方なく止まっていた。
しばらくすると、公園の入口に別働隊が現れた。
しきりに挑発している。
どうも対立している他県のグループらしい。
数はどんどん増え、彼らも駐車場に入ってきた。
これには彼女も危機感を感じたらしく、「バイクだけ移動したら?」というので
駐車場の入り口付近でにらみ合っている彼等の隙をみて、バイクを海側の隅の方へ移動し、二人で様子を
見ていた。
対立グループが駐車場に入り、ただならぬ雰囲気が漂い、すぐに事は始まった。
「よかったねバイク移動して」
だが、乱闘の輪はエスカレートし広がっていく。
「こっち来ちゃったよ!」
「喧嘩、強い?」
「え?まぁ、それなりに昔はやんちゃしてたよ」
「じゃ大丈夫ね」
「なに見てんだよ!みせもんじゃねんだよこら!」
「ほらきた」彼女は笑っている。
「ちょっと、ほらって、逃げて逃げて」
「あれ、守ってくれないの?」
一人が木刀でパニアケースを叩いた。
「僕ら旅行者だから。相手はあっちだよ」
「なんだこら!そんなの関係ねぇんだよ!」
タンクに向けて木刀をふり下ろそうとしたのでとっさに手が出てしまった。
「やんのかこら!」
しょうがないなぁ・・・。
バイクを壊されないようにだけ気をつけて「防衛」をしていると、駐車場の外はパトカーで埋め尽くされていた。
駐車場の出入り口は封鎖され、盾を持った警察官が押し寄せてくる。
暴走族たちは逃げるので精一杯になり右往左往していた。
2、3人が警官に追われ私のバイクの方に走ってくる。
「お前もにげろ!」「え?僕は関係ないよ」「いいからにげろ!」
腕を掴まれたところに警官が来た。
「おとなしくしろ!」「えっ、僕は旅行者です」
あえなく検挙。
午前2時を回ったところで彼女が「もらいさげに」金沢西警察に来てくれた。
大笑いしている。
「けがはない?」
「ありません。笑い事じゃないよ」
「あら、でもバイクも私も守れたじゃない」
彼女は笑っていた。
僕も何故か笑いがこみ上げた。
第4話に続く
Posted at 2012/11/16 12:07:55 | |
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企画もの | その他
2012年11月12日
第二部の第1話では、ZZRで東京を出発して、上高地大正池の辺まで走りました。
8月の最終週でしたが、朝晩はかなり冷え込みました。
私は関東に住んでいるので、上高地はちょっと足を伸ばすという程度で行ける距離ですが、
彼女は沖縄出身で福岡在住でしたので、上高地や大正池はテレビでしか見たことがなかったそうでう。
イメージとしては避暑地。皇室だったそうです(笑)
私たちが宿泊したホテルも、当時大学院生だった私にとっては「かなり贅沢」な施設でした。
第2部 第二話 2000mオーバー
昨夜は夕飯は間に合わなかったので、松本の街中で済ませ、上高地に向かった。
松本から上高地へは国道158号線を安房峠に向かい進み、トンネルの中で上高地方面に
分岐する。
梓川を遡り、道の終着点が河童橋に程近いところになる。
ホテルについたのは7時近く。まだ明るかったので、ホテルからかっぱ橋まで散歩をした。
テレビでよく見る風景に彼女は満足のようだった。
部屋に帰りTVをつけると、折しも旅番組で飛騨高山の紹介をしていた。
本陣や合掌造り。「行きたいんでしょ?」「え?近いの」
西の出身の人にとって、地理感がないので信州と飛騨高山が日本アルプスを挟んで反対側ということは
知らなかったようだ。
「山を越えていけば飛騨に出れるよ。明日、行ってみる?」
「合掌作り見れる?」「夏だからイメージとは違うよ」私は笑いながら言った。
「明日、僕は走ってみたい道があるんだ」「どこ?」
「乗鞍スカイライン。日本で一番高いところを通っている道」「へー。飛騨高山には行けるの?」
「ほんのちょっと遠回りだけどね」「そうですか。じゃあ許可します」彼女は微笑んだ。
翌日、朝食を済ませ、8時にホテルを出発。少しだけ松本方向に戻り、乗鞍スカイラインへ入った。
現在の乗鞍スカイラインは一般車両は通行禁止になっているが、当時は時間規制はあったが、通行は可能であった。
快晴の乗鞍高原を快適に走っていたが、バイクに異変を感じていた。
標高1000mを越えたあたりで、明らかにパワーダウンを感じ、2000m近くなって、完全に吹け上がりが悪く、アクセルを開けても、リッターバイクのトルク感が全く感じない。
彼女を不安にさせたくないので、バイクの不調は口にしなかったが、流石に半月近くリッターバイクの
後ろに乗っていた彼女が「バイク、なんか変だよね」っと気がついてしまった。
頂上付近の駐車場に入り休憩をとり、私はバイクの異変の原因に気がついた。
標高である。頂上付近では2500m近い。そう、酸素濃度が低いのだ。
キャブのバイクで高地に来たのが初めてだったのでわからなかった。
現在はインジェクションが一般的になり、O2センサーがついているので、コンピュータが自動補正し、
混合比が変化するが、キャブはそうはいかない。酸素が薄くなってもガソリン噴射量は一定なので、ガソリン過多状態になり、吹けなくなっていた。
彼女に説明をすると、「バイクって繊細なのね」っと笑って終わってしまった。
乗鞍岳の頂上までは往復で2時間ほど。散歩を楽しみ、昼前に出発した。
山を越えて158号線に再び入り、高山で少し遅めの昼食をとり、白川郷へ向かった。
昨日ホテルのコンシェルジュにお願いして今日は白川郷の合掌作りの宿を予約しておいた。
宿に4時過ぎに到着。チェックインを済ませ、合掌作り見学に出かけた。
夕方6時に宿に戻り、囲炉裏を囲んで、地産の夕食に舌鼓を打った。
夜、並べて敷かれた布団に入り、彼女が笑いながら「今日はバイクが動かなくなるかと思ってハラハラしました」と話し始めた。
「この辺は日本の真ん中くらいでしょ。私達、日本を半分一緒に走ったんですね」
「そうだね。北海道からだからね。僕もこんなに走るのは初めてだよ」
「何キロ走ったの?」「美瑛を出てから、仙台までが大体1000kmくらいかなぁ。東京からここまでが500kmそこそこだから、1500kmだね」「あと何Kmくらいで福岡?」「そうだな、800から900ってところかな」
旅の終わりが近づく中、彼女が何を言いたかったのか、その時はわからなかった。
第3話に続く
Posted at 2012/11/12 16:06:12 | |
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企画もの | 日記
2012年11月08日
秋も深まり、気がつけば立冬をすぎ初冬に。
秋の夜長を楽しく過ごすために、読み物シリーズを再開したいと思います。
さて、今年の春、90年代に私が実際に体験したロングルーリングでの出来事を途中まで書かせていただきました。
初めての北海道ロングツーリングで、出会い有り、事件ありの出来事満載のツーリングを経験しました。
前回からかなりの時間を開けてしまったので、今回は第1部のあらすじを前書きにします。
第1部あらすじ
90年代初頭。私はそれまで載っていた750からリッターバイクに乗り換え、夏休みに初めて北海道にキャンプツーリングを敢行しました。
そこで、一人の女性と知り合います。
彼女は傷心旅行で一人旅をしていました。
美瑛で出会い、ひょんなことから一緒にキャンプをすることになり、その後、タンデムで日本を縦断することになります。
北海道から本州へ渡り、青森、秋田、山形、宮城と走り、仙台へ。
そこで私が熱射病でダウン。
仙台の病院に入り、バイクを残し新幹線で東京へ帰宅。
旅先でどんなことがあったかは今年の5月24日から続くブログを読んでください。
第二部 第1話 「西へ」
仙台から新幹線で帰宅した私達は、先ずは私の実家に行った。
当時私は実家から歩いて10分ほどのところでアパートを借りてひとり暮らしをしいた。
6畳一間、トイレ共同風呂なし、家賃3万という住まいだったのと、体調がまだ優れなかったのが理由。
実家では上を下への大騒ぎになってた。
仙台の病院に入るとき、彼女は私の実家に連絡を入れていた。
実家では私が入院したことより「女性」から私の事態を知らされたことに騒いでいたのだ。
転院のために退院をするときも、彼女は「本人との関係」の欄になんと「妻」っと記載。
「だって、いちいち説明するの面倒なので、こう書けば誰も質問しないでしょ」っと彼女は笑いながら。
そういう問題じゃ・・・。
そんな騒ぎの中、夕方に帰宅。彼女に両親を紹介した。
私の家庭は、父は星一徹並みの頑固者で下町の職人。母は下町の「おばさん」を絵に書いたような人。そんな二人は私が旅先で何をしたのかと気がかりでなかったよだ。
帰宅当日の夜、布団をどう敷くかで一悶着。
結局彼女の「彼と一緒の部屋で構いませんよ」の一言で二人を黙らせた。
その後4日間、彼女は私の実家に滞在し、母と買い物に出かけたり、父と私と彼女の3人で飲みに行ったりと色々あったのだが、ここでは割愛する。
3日目の夜、両親と彼女の前で、私は彼女を福岡までバイクで送るつもりであることを打ち明けた。
彼女は飛行機で帰宅すると言っていたのだが、私の最後まで責任を果たしたいという気持ちを大切に
してくれ、タンデムで福岡まで行くことを承諾してくれた。
もちろん両親は大反対。「うちの車にしなさい」と父がいうと、彼女は「私、バイクがいいです」と微笑んでいた。
当時、バイクのタンデムでの高速道路走行はNGであった。従って、福岡までの約1200Kmを下道で走ることになる。通常は東海道、山陽道、関門海峡を渡り九州へ入るのがスタンダードなルートだが、
彼女は「せっかくだから観光していきましょうよ」っとはしゃいでいた。
こうして東京から一路西へ向かう二人旅が再開された。
バイクはZZR1100(D1)。クラウザーのパニアケースのトップケースだけを装着して荷物を積んだ。
朝4時。まだうす暗い東京を先ずは松本に向けて走り出した。
私の選択したルートは、日本海側を走るルートであった。
8月の最終週。まだ真夏の炎天下。トラックの交通量が非常に多い太平洋側よりも日本海側の方が走りやすいだろうという判断からであった。
また、インカムをヘルメットに装着。私が持っていたレースで使っていたインカムを流用した。おしゃべりしながら走れるようになったと彼女は喜んだ。
渋滞を避け早朝に都内を抜け、20号線を長野方面へ。
大垂水峠を越え甲府を抜け、韮崎の道の駅で昼食。
バイクを降りると、彼女は「こっちのバイクの方が乗りやすい。なんでこれで北海道に来なかったの?」
「まさかタンデムで帰ってくるとは思ってなかったから」「そうよね」っと笑った。
昼食後「今日はどこまで走るの?」「ないしょ」「意地悪!」そんな会話をしていたが、どこまで走るか、まだ
考えていなかった。
韮崎を出て、諏訪を抜け塩尻峠を越えて松本に入った時には4時少し前。そろそろ今日はどこまで走るか
決めないといけない。松本で休憩をしていると彼女が地図を広げていた。
「上高地って近いの?」「そんなに遠くはないと思うよ」
「行きたいの?」「大正池ってよくテレビで見るけど、九州に住んでると縁がないのよね」
「じゃあ、松本駅で旅館を紹介してもらおう」こうして駅へ向かった。
10分程で駅に到着。観光案内所で上高地の宿を紹介してもらった。
当時、上高地はマイカー規制がされ、一般車両は沢渡までしか行けなかったが、バイクは通行が許可されていた。西へ向かう1日目は上高地の温泉旅館に宿泊することになった。
第二話へ続く
Posted at 2012/11/08 18:50:32 | |
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その他 | 日記
2012年11月07日
長く車やバイクに乗っていると一度は経験する故障。パンク。
こればっかりは整備状態が良くても、何かの拍子で異物を踏んでしまう事ありますしね。
私はこの25年間で車で1回、バイクで2回パンクしました。
車は浜松の隣の袋井にすんでた頃、河川敷を走ってる時に、前の車が落とした廃材を避けきれずに踏んでしまって、左フロントのパンク。後にも先にもこれだけですね。
バイクは、ロングツーリングで四国でと、福岡在住の時、タンデムで長崎にいった帰り。
ロングの時はパンク修理キットをいつも持ち歩いているので、どおって事ないのですが、この時はちょっとお手上げでした。
徳島と香川の県境の超山の中を友人と二人で走っていました。
道がダートになり、地図によると5km程なのでこのまま突っ切ることに。友人はBMWの1200GS、私はいつものGSX-R1100。(笑)
峠の頂上付近に「秘境のうどん屋」と書かれた看板。流石香川。こんなところまでうどん屋が。友人と休憩して、勿論うどんも食べてきました。駐車場には大きな水溜まりがありそこで旋回したとき、
なんとビンをリアタイヤが踏んでしまって。細かい穴が沢山空いてしまったようでした。走り出したときはまだ空気は抜けてなかったのですが、ダートから出て舗装道を走り出すと空気圧が下がり、そこでパンクに気が付きました。
ぱっとみて、大きめの穴が二ヶ所有ったのでそれをパンク修理キットで修復し、携帯ボンベで空気を入れてみると、極端には抜けていなかったので取り合えず徳島港まで走りました。が、やはり漏れは止まっていないようで、港近くのスタンドで空気を入れ、和歌山に渡り、和歌山でパンク修理剤を購入。その日は和歌山に宿泊予定だったので、修理剤を入れて一晩様子を見ることに。
翌朝、圧は正常。東京まで無事帰りつきました。
もう10年以上前の話です。でも、これを期にロングの時はパンク修理キットと修理剤、両方持つようになりました。
それ以来自分のパンクで使ったことはないですが、北海道で何回かバイクを助けたことはありました(笑)
最近新車を買うとスペアタイヤは付いていなくて、パンク修理剤が車載されている見たいですね。でも、修理剤を使うと、後処理が大変ですよ。ホイルにベットリ修理剤がゴム化してくっつきますから。一度は修理剤の説明書に目を通す事をおすすめします。
Posted at 2012/11/07 17:50:24 | |
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その他 | 日記