欧州自動車博物館巡りの旅 オートワールド編、パート2では前回に引き続き1階の常設展示エリアの気になったクルマ達を抜粋してレポートしていきます。今回は1920年代から第二次大戦後の1950年代のクルマが中心になります。(今回も長編です。お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
1920年代に1つの完成を迎えた自動車ですが、その後の高速化の流れにともなって自動車のカタチも進化を続けた面白い時代と言えます♪
1933年 ランチア アストゥーラ(LANCIA Astura):イタリア
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ランチアは量産車として世界初のモノコックボデーを採用した前モデル“ラムダ(Lambda)”から、このアストゥーラ(Astura)で再びプラットホームシャシーに戻しました。これによりボデーワーク コーチビルダー達は、より自由にボデー架装することができるようになりました。このカブリオレのボデーワークは、後の“ピニンファリーナ”となる“スタビリメンティ・ファリーナ”が担当しました。
1931年 フィアット type 514 MM(FIAT Tipo 514 MM):イタリア
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フィアット ベルリーナ514(FIAT Berlina 514)のスポーツヴァージョンとして製作されました。この“MM”という名前は、後にイタリアの公道レースとして有名になる“ミッレミリア(Mille Miglia)”に由来しています。
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ミッレミリアの名が冠されているだけあって、コンパクトな2シーターボデーと後端にボートテール処理を施した小粋なバルケッタですね♪
1933年 メルセデス・ベンツ マンハイム370(Mercedes Benz Mannheim 370):ドイツ
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1926年にダイムラー社とベンツ社は合併を果たして、ダイムラー・ベンツ社となりました。両社の合併後、それぞれの本拠地である“シュトゥットガルト(Stuttgart)”と“マンハイム(Mannheim)”の名を冠したモデルが発表されました。これらの車種は、当時ダイムラー社の技術部長を務めていたフェルディナント・ポルシェの主導で設計されました。
このメルセデスの横にさりげなく置かれているイェリネック・メルセデス嬢の肖像画↓が、マニアックな演出ですね♪
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イェリネック・メルセデスは、オーストリア・ハンガリー帝国のモナコ大使,オーストロ・ダイムラー社の重役などの肩書を持つエミール・イェリネックの長女です。そのエミール・イェリネック自身が考案したアイディアを基に造られたレース用のダイムラー車に、娘の名を取って“メルセデス”と付けたことが、“メルセデス”のネーミングの始まりと言われています。
1927年 ブガッティ タイプ44(Bugatti Type 44):フランス
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1927年、ブガッティは既存の2リッターエンジンを搭載したモデル“Type38”と入れ替えるカタチで、新しい3リッターエンジンを搭載したこのType44を発表しました。このType44は、様々なコーチビルダーから異なるボデーが架装されて成功を収めたモデルです。
やはり、この時代を代表するスポーツカーメーカーと言えば“ブガッティ(Bugatti)”を見逃す訳にはいきません。創業者のエットーレ・ブガッティは、イタリア ミラノの芸術家一家の生まれとあって、とりわけデザインには並々ならぬ拘りを持っていました。
当時の自動車業界において、ボデーワークのデザインに拘りを持つ者は多くとも、“直方体で構成されたエンジン”に代表されるように、メカニズムにまで芸術性を求めたのはエットーレくらいではないでしょうか^^;
1939年 ホルヒ 930V(HORCH 930V):ドイツ
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このクルマは、オーバードライブ付きの4速ギアボックスを備えたホルヒ(HORCH) V8モデルの最終バージョンです。ホルヒのカブリオレモデルは、第二次大戦中にドイツ軍のスタッフカーとして多く使われました。
ホルヒ(HORCH)自体は、1898年に創業者アウグスト・ホルヒによって設立されたドイツの自動車メーカーですが、1939年当時のホルヒはドイツ国内で台頭してきたアメリカ資本のフォードやオペル(GM傘下)に対抗するべく立ち上げられた自動車連合“アウトウニオン”の一員で、高級車市場を担当していました。
そのためラジエーターグリルには、アウトウニオンのエンブレムである“フォーシルバーリングス”が輝いています。この“フォーシルバーリングス”は、“ホルヒ”,“アウディ”,“ヴァンダラー”,“DKW”の4社連合を現していますが、第二次大戦後のアウトウニオンはヴァンケルロータリーエンジンで有名なNSU社を傘下に収めるなどの紆余曲折を経て、社名に“アウディ”の名を復活させて現在に至ります。
1937年 パナール X77 ディナミーク セダン(PANHARD X77 Dynamic Sedan):フランス
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ディナミークは、'30年代の革命的な“アールデコ(Art Deco)”デザインをクルマに取り入れた例といえます。この当時の自動車市場で最も醜いモデルと思われます。←って、車両解説に書いてありました。えぇ~^^;
ちなみに、この“X77 ディナミーク セダン”はセンターステアリングや、Aピラーの視認性確保のためのパノラミックウインドー、更には当時の空力トレンドである流線型なども取り入れた革新的なクルマに思えます。
1951年 タトラ T600 タトラプラン(TATRA T600 Tatraplan):チェコスロバキア
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このタトラプラン(Tatraplan)は、チェコスロバキア(前オーストリア・ハンガリー帝国,現在のチェコ共和国)のコプジブニツェ工場で造られ、Cd値0.32という革新的な空気抵抗係数を実現していました。1,750ccの空冷水平対向4気筒エンジンをリヤエンドに搭載し、4輪独立懸架サスペンションを備えたこのクルマは、最高速度130km/hに到達することができました。
タトラと言えば戦前、フェルディナント・ポルシェ博士と並び奇才自動車エンジニアと称された“ハンス・レドヴィンカ”を語らずにはいられません。ハンス・レドヴィンカ率いるタトラ社は、トーションバー方式による4輪独立懸架サスペンションや空冷水平対向エンジン+RR方式の車両レイアウトパッケージ,当時ツェッペリン飛行船の技術者だったパウル・ヤーライの理論に基づいた流線形の空力デザインなどを積極的に取り入れ、正に先進性の塊のようなクルマ造りを信条としてきました。
タトラプランは、戦後ハンス・レドヴィンカが共産主義政権にナチ協力者の汚名を着せられ投獄される中、戦前からのタトラの技術者によって開発が進められたモデルのようです。戦前モデルよりは、だいぶ洗練されていますが、奇才レドヴィンカのコンセプトを多分に受け継いでいるように思えます。
自分は、この時代の空力デザイン“ヤーライ理論”に基づいて造られたクルマが大好物です♪
まだ、“空気を利用してやろう”という考え方はなく、“ただただ車体全体で空気を滞りなく後ろに流す”といったコンセプトに基づいた美しさがこの“ヤーライ理論”の魅力です。この後、60年代に入ると流線形の後端をバッサリと切り落とした“カムテール(日本とイタリアでは“コーダトロンカ”の名称で有名)”が主流となっていきます。
ちなみにVWビートル(TypeⅠ)やポルシェ356も、この“ヤーライ理論”の影響を受けてデザインされています。ポルシェにおける“カムテール”の採用は904からでしょうか。そう考えると911シリーズは、現代においても356からの“ヤーライ理論”を継承している特異なモデルとも言えますね♪
1959年 プジョー 403ベルリーヌ(PEUGEOT 403 Berline):フランス
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403は、当時としても堅実なミドルクラスのサルーンカーとして開発されました。このクルマの特徴としては、ボデーデザインを担当したのが“ピニンファリーナ”であることです。現在まで長きに及ぶプジョーとピニンファリーナのコラボレーションは、この403がきっかけで始まりました。
1955年 メッサーシュミット KR200(MESSERSCHMITT KR200):ドイツ
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ドイツの戦後復興の中で生まれたこのタンデム2シーター車は、少ない材料で製作できたうえに、ガソリン消費量も少なくて済む理想的なクルマでした。製造は1940年から1944年まで戦闘機を製造していたメッサーシュミット社が行い、コクピットの形状は戦闘機から受け継がれました。
オートワールドには歴史的な車両の展示以外にも、このような↓企画展示エリアがいくつかあり、
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こちらは、ブリュッセル市内で行われたクラシックフォーミュラのリバイバルイベントの展示のようです。
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イベントの告知ポスターがクラシカルでいい雰囲気を醸し出していますが、日付が比較的近年なのが解りますね。ちなみに↑描かれているのはPorsche 718 F2のように見えます♪
この他にも、ポルシェ展にちなんで歴代911の展示↓や
1978年 911SCタルガ(911 SC Targa)
1976年 911SCタルガ ベルギー警察(911 SC Targa Belgian Police)
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911SCタルガのベルギー警察仕様車なども展示されていました。
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ベルギー警察の通報用電話番号は“901”なんですね^^;
1920年代から第二次大戦直後の1950年代までのクルマを特集してきたオートワールド part2も以上になります。
こうして見てくると、現代のクルマの原型と言えるフェンダーとボデーが一体となった“フラッシュサーフェイス”形状が主流になった過程が、正に今回特集した時代と言えますね♪
次回は、オートワールド2階部分の常設展示エリアのクルマ達をレポートします。