お待たせしました!
欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015は、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート2として、こちら↓前回お伝えした“エンツォの生家”の前に建つ、近代建築のミュージアムホールで開催されていた企画展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”についてレポートしていきます。
実はこのミュージアムホール、エンツォの生家よりも規模が大きく広大なので(笑)、2回に分けてレポートしたいと思います。今回は、エントラントの展示物と戦前のマセラティ レーシングカーの遍歴についてお伝えします!(例にもれず、大変長くなっておりますので、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
まずはエントラントの展示を見てみましょう!
1921年/1922年 アルファ ロメオ G1(Alfa Romeo G1)
この展示車は、アルファロメオの自動車技術者ジュゼッペ・メロージ(Giuseppe Merosi)によって、戦前(第1次大戦前)のラクシュアリーモデル “24HP”と“40/60HP”の進化版として開発されました。
荘厳な佇まいの“G1”は、当時アルファ ロメオによって生産されたクルマの中で最大で、当時の自動車マーケットで販売台数の増加を狙って、先代モデルより長く、そして強固なシャシを備えられました。
パワーユニットは、6,567cc,65馬力の高性能な直列6気筒エンジンを搭載したこの“G1”は、“コッパ・デル・ガルダ(Coppa del Garda)”のプロダクションカークラスで優勝するなど、レースにおいても成功を収めたようです。
この時代のレースカーは、クルマのボデーがまだ一体になっていなく、前から順にラジエーターグリル→エンジンカバー(ボンネット)→コクピット→ガソリンタンク→スペアタイヤといった感じに、シャシに載っているだけなのがスパルタンでカッコいいですね♪
1959年 モトスカーフォ ティモッシ - マセラティ KD800/900kgレーサー (Motoscafo Timossi - Maserati KD800/900kg Racer)
30年代前半から、マセラティ エンジンは水上での成功とも結びつきを強め、数々の世界速度記録(World speed record)を獲得しました。この伝統は1950年代まで続き、'59~'69年の間には800kgクラスと900kgクラスで11年連続でワールドタイトルを獲得するまでになりました。
ティモッシのパワーボートには、5,700ccや6,400ccのマセラティV8が搭載され、リーノ・スパニョーリ(Lino Spagnoli)やフラヴィオ(Flavio),ジョルジオ(Giorgio),リボリオ(Liborio)のグイドッティ(Guidotti)親子、エルマンノ・マルキジオ(Ermanno Marchisio)、ジャン・ルイジ・クリヴェッリ(Gian Luigi Crivelli)の手に委ねられました。展示されているボートは、1969年にクリヴェッリがワールドタイトルを獲得したパワーボートで、5,657cc,480馬力のDOHC V型8気筒ユニットを搭載しているそうです。
1953年 アルノ XI - フェラーリ ハイドロプレーン(Arno XI - Ferrari Hydroplane)
レーストラックでの成功がフェラーリとパワーボート界を引きつけ、マラネロで生み出されたエンジンはボートレーサー達をも魅了しました。この“スリーポイント ハイドロプレーン”は、800kgクラスのためにティモッシ(Timossi)が製作したボートで、1953年10月15日にアッキレ・カストルディ(Achille Castoldi)が操り、241.708km/hの世界速度記録(World speed record)を樹立したことで有名になった機体だそうです。
フェラーリは、この機体のために4,493.7ccのV型12気筒エンジンを提供しました。このエンジンは、1951年にフェラーリがF1で初めて優勝した際にフロイラン・ゴンザレス(Froilan Gonzalez)がドライブした“フェラーリ375 F1(Ferrari 375 F1)”のユニットでした。このF1用ユニットに、さらに2基のルーツ式スーパーチャージャーを追加することで510馬力を発揮したそうです。
このパワーボート、以前 御殿場にあった“フェラーリ美術館(松田コレクション)”にビッグスケールの模型が展示してあったので存在自体は知っていましたが、まさかここでお目にかかれるとは思いませんでした!しかも、フェラーリの歴史的にも貴重なパワーユニットをさらにチューンして搭載してしまうあたり、やはりエンツォは現役のレースでの勝利以外には興味がなかったのか・・・^^;
では、マセラティ100周年記念展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”をレポートします。
【イントロダクション】
エンツォ・フェラーリをメインテーマとしている当ミュージアムが、この“マセラティ100周年記念展”を開催することは、驚くべきことではありません。それはマセラティとの競争無しには、マラネロで生み出されるクルマ達は多くの成功、及び称賛を得ることは出来なかったからです。
マセラティは、エンツォがまだアルファ ロメオのレーシングドライバーであった1930年代から、“スクーデリア フェラーリ”の強力なライバルとして存在していました。エンツォは、アルフィエリ(Alfieri),マリオ(Mario),エットーレ(Ettore),エルネスト(Ernesto)のマセラティ兄弟をよく知っていました。そして、彼らはレースカーのシンボルとして“トライデント(Tridennt):三叉槍”を選びました。それは、ボローニャ(Bologna)市のシンボルであり、マセラティはボローニャを本拠地とする会社でしたが、モデナの実業家オルシ家(Orsi Family)に買収された際に、本拠地をモデナに移したことで、後にフェラーリと激しいライバル関係となりました。
なぜ“後に”なのかというと、マセラティが1939年と1940年に世界的に最も有名なレースの1つである“インディアナポリス 500 マイルレース”に勝利を収めていた時、フェラーリはまだ最初のクルマ(アウトアヴィオ・コストルツィオーネ 815:当時はまだ名前さえも決まっていなかった)を開発している最中でした。
“トライデント(Traident)”と“カバリーノ ランパンテ(Plancing Horse)”が剣を交えたのは戦後になってからで、その当時ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)は両方のメイクスで、F1ワールドチャンピオンに輝きました。このモデナとマラネロという僅か数kmの間で繰り広げられたライバル関係は、ロードカーにおいても同様であり、素晴らしいグランドツーリングカー(Gran Turismo)が両社から生み出されました。
モデナ、そしてイタリアのモータースポーツ界のランドマークとなった、このエキサイティングな戦いは、1960年代に一時中断されます。この時期、フェラーリがフィアットグループからの強力な支援を受け経営が安定する一方で、マセラティは親会社が幾度となく変更になった結果、レース活動を断念し、ロードカーマーケットにおいても異なる立ち位置を余儀なくされました。
この有名なトライデント(Trident)の“再生”の時は、1990年代にマセラティがフィアットグループに買収されたことでやってきました。そして、その再生は、かつてのライバルであった“フェラーリ(Ferrari)”に委ねられたのです。2003年に発表された“クワトロポルテ(Quattroporte)”が、その新しいスタートとなりました。今回の企画展ではマセラティの100周年を祝い、かつてない規模で重要かつ歴史的意義の大きいモデルや驚異的なモデル達を展示しています。
と、かなり驚異的な企画展のようです^^;
さっそく観ていきましょう♪
1954年 マセラティ A6G/54 カブリオレ フルア(Maserati A6G/54 Cabriolet Frua)
1954年にマセラティは、レーシングシーンから派生したDOHCユニットを使った“A6G/54”の生産を開始し、ボデーワークはフルア(Frua),アレマーノ(Allemano),ザガート(Zagato)のカロッツェリア(ボデー架装工房)に割り当てられました。ピエトロ・フルア(Pietro Frua)は、ベルリネッタとコンバーチブルの2つのボデーワークを提案し、2種類のボデーが架装されました。展示車両は、コンバーチブルヴァージョンの最初のクルマで、イタリアの自動車雑誌“クアトロ ルオーテ(Quattroruote)誌”で初めてカラー印刷が採用された1957年1月号で、特集された個体でもあるようです。
まずは、イントロダクションとともに展示されていたA6G/54。1965cc,150馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度210km/hを実現しました。
では、展示エリアに入っていきましょう!
1929年 マセラティ ティーポ 26B(Maserati Tipo 26B)
“ティーポ 26(Tipo 26)”は、ラジエーターグリルに“マセラティ(Maserati)”の名が初めて示されたグランプリカーで、ボローニャの会社を世界的なマニュファクチュアラーに導きました。
アルフィエリ・マセラティ(Alfieri Maserati)によって設計された“ティーポ 26”は、パワーと軽さを両立させ、そしてロードホールディング性能、制動力にも優れていました。1,100cc~2,500ccのエンジンを使用して約43種類の様々なヴァージョンが造られた“ティーポ 26”は、当時のジェントルマンドライバーのための最高水準のレーシングカーでした。
展示車両は、1,980cc,155馬力のDOHC直列8気筒スーパーチャージドエンジンを搭載して、最高速度は210km/hに達したそうです。
1926年 モトーレ マセラティ ティーポ 26(Motore Maserati Tipo 26)
このエンジンはマセラティ(Maserati)のロゴが初めて与えられたエンジンで、創業者アルフィエリ・マセラティによって設計されました。
マセラティのパワフルかつ軽量なエンジンは、初めから最先端の技術が盛り込まれ、特にDOHCヘッドとスーパーチャージャーは、1947年に“A6 1500”が登場するまでのすべてのマセラティ エンジンに特徴づけられました。
仕様諸元は、ボア径×ストローク:60 × 66 mmの1,493cc,128馬力/6000 rpmだそうです。先端に配置されたスーパーチャージャーから各気筒まで、インテークマニホールドが伸びているのが↑見られますね。
1932年 マセラティ ティーポ V4 スポルト ザガート(Maserati Tipo V4 Sport Zagato)
この“16気筒モデル”は、マセラティの仕事を継続するうえでなくてはならないものでした。アルフィエリは、前述の“ティーポ 26”の2リッター直列8気筒ユニット2個を使い、2本のクランクシャフトをギヤで結ぶことで、1つのクランクケースに組み込みました。
1929年、“ティーポV4”はクレモナ(Cremona)で“フライング10km”における世界速度記録(World speed record)に挑戦し、バコーニン・ボルザッキーニ(Baconin Borzacchini)が平均速度246km/hで、当時の世界速度記録を打ち立てました。
この展示車両は、ローマ教皇の医師をしていたガレアッツィ(Galeazzi)先生のために1932年に製作されたモデルで、このボデーは1934年にザガート(Zagato)によって、再度架装し直されたものだそうです。パワーユニットは、ティーポ26用2個分の3,961cc,280馬力,バンク角22.5°のDOHC V型16気筒エンジンを搭載しています。
16気筒を採用したクルマと言えば、キャデラックV16(1930年)そして、フェルディナント・ポルシェ博士の設計したアウトウニオン“Pヴァーゲン”(1934年)、最近ではチゼータV16T(1989年)、ブガッティ ヴェイロン16.4(2005年)などは知られていますが、マセラティにもV16を採用したクルマがあったんですね~!しかも、直8ユニットをベースにクランクシャフトまでは2本で、クランクケースを一体化している構成にも、当時の苦心が感じられますね。
しかし、こういったエンジンの作り方は、個人的にはとても興味があります。クランクケースさえなんとか造れれば、面白いエンジン出来るのになぁ~という構想、皆さんもありますよね^^;
1934年 マセラティ ティーポ 8CM(Maserati Tipo 8CM)
“8CM”は、当時の最も偉大なレーサー達に委ねられた、非常に成功したクルマでした。その2,991cc,240馬力のDOHC直列8気筒ユニットは、アルフィエリが生前(アルフィエリは1932年に他界)最後に設計したエンジンとなり、当初は前輪駆動のシングルシーター向けに開発されたユニットだったそうです。そのプロジェクトが棚上げされた時に、そのユニットは欧州で初めて油圧式ブレーキシステムを搭載したシングルシーターに転用されることになりました。
展示車両は、ワールドクラスのレーシングレジェンドの1人であるタッツォ・ヌヴォラーリ(Tazio Nuvolari)によってドライブされた個体だそうです。
1935年 マセラティ V8RI(Maserati V8RI)
このクルマは、新規格の“750kgフォーミュラカー”の規定に沿って開発され、V型8気筒ユニットと4輪独立懸架式サスペンションなどの技術革新を取り入れた最初の“グランプリカー”です。
また、エルネスト・マセラティ(Ernesto Maserati)は、フロントの左右個々のホイール(ナックル)をドラックリンクで操舵させるステアリング機構や、トランスミッションをリヤのデファレンシャルとともにマウントするレイアウトなどの、大胆で革新的な機構を考案しました。その結果、自由度の高いレイアウトから放熱性に優れ、また着座位置も低められたコンパクトなレーシングカーとなったようです。
パワーユニットは、4,788cc,320馬力のSOHC V型8気筒エンジンを搭載し、最高速度270km/hを実現したそうです。左右からエキゾーストパイプが出ているところからも、V型エンジン搭載車であることが分りますね。
それと車両解説には、“トランスアクスル”という記述は見られませんでしたが、トランスミッションをリヤデフとともに配置するということは、トランスアクスルに近いレイアウトである可能性が高いですね。この辺りを見ても、戦前のマセラティは先進的な技術開発に長けていたことが分ります♪
1937年 マセラティ 6CM(Maserati 6CM)
このクルマは、偉大なレーサー ルイジ・ヴィロレーシ(Luigi Villoresi)のお気に入りで、彼は「このクルマは確信をもって運転できる。私は勝てるだろう。」と言っていたほどでした。この“6CM”は27台が製造され、3度“タルガ・フローリオ”で優勝したほか、イタリアや海外でのマイナーレースを独占しました。
エンジンはシリンダーヘッドと鋳鉄製のシリンダーブロックをマグネシウム合金製のクランクケースに組み付けた傑作であり、独立したフロントサスペンションとステアリングホイールも、当時としては革新的な構成をしていたようです。
そのパワーユニットは、1,493cc,175馬力のDOHC直列6気筒スーパーチャージドエンジンを搭載し、最高速度230km/hを実現しました。
1938年 マセラティ ティーポ 8CTF(Maserati Tipo 8CTF)
“8CTF”は、マセラティ社にとって最も重要かつ歴史的意義の大きいクルマの1つです。このクルマは、マセラティ社の経営権をビジネスで成功を収めたモデナの実業家オルシ家がマネージメントしていた期間に、エルネスト・マセラティによって設計されました。
レギュレーション変更によって、過給機付エンジンは3リッター,過給機なしエンジンは4.5リッターまでに制限された1938年と1939年シーズン、“8CTF”はドイツ勢に対抗できる唯一のレーシングカーであると考えられていました。“8CTF”は、過酷なことで知られる“インデアナポリス500マイルレース”で2度の勝利を収めるなどにより人気を博したそうです。
パワーユニットは、2,991cc,366馬力のスーパーチャージドユニットを搭載し、最高速度290km/hに達しました。
1940年 モトーレ マセラティ ティーポ 8CL(Motore Maserati Tipo 8CL)
このエンジンは、1939~1940年にエルネスト・マセラティによって設計され、モデナで組み上げられました。
“ティーポ 8CL”は、インディアナポリスで優勝した前述の“8CTF”ユニットの後継型として開発され、1気筒あたり4つのバルブを備え、ボア径:ストローク比は1:1と現代的な設計が採用されていました。
仕様諸元は、ボア径×ストローク:78 × 78 mmの2,982cc,430馬力/6800rpmのツインスーパーチャージド直列8気筒ユニットだそうです。この時代に、既に4バルブを採用している事にも驚きですが、先端の2基のスーパーチャージャーから、前後4気筒ずつに供給されるインテークマニホールドの造形の“ただモノじゃない”感も半端ないですね^^;
1948年 マセラティ 4CLT/48(Maserati 4CLT/48)
この“4CLT/48”は、1939年から始まったボワチュレットクラスにおいて、前述の“6CM”の後継として開発され、マセラティの4気筒シングルシーターレーサーとしては、最後に開発されたクルマの1台だそうです。
シャシは鋼管スペースフレームが採用され、1948年にはパフォーマンスの向上のために、2基のスーパーチャージャーが追加されました。アルベルト・アスカーリ(Alberto Ascari)は、1948年のサンレモGP(Sanremo Gland Prix)にこのヴァージョンの“4CLT”で優勝し、偉大なるレーシングレジェンド ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)が、ヨーロッパで初めてのレースに優勝した際にドライブしたのも“4CLT”でした。
パワーユニットは、1,490cc,260馬力のDOHC直列4気筒ツインスーパーチャージドユニットを搭載して、最高速度は270km/hに達したそうです。
ここで、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”のプロジェクションマッピングによる演出が始まりました♪
ちょうど、訪問時に上映していたのと同じ動画を見つけたので、こちらからどうぞ↓
“エンツォ・フェラーリ編”的な内容で、2回の大きな大戦に翻弄されつつも“スクーデリア フェラーリ”が栄光を勝ち取る。といった感じでしょうか^^;
もう、フェラーリが、そしてイタリアが歴史を使い出したら手が付けられない!(爆)とでも言わんばかりの鳥肌モノの演出で、実際にこの空間にいたら、もれなく心を鷲掴みにされてしまいます^^;
今回の欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート2は以上になります。
個人的に、今まであまり詳しく掘り下げたことのなかった戦前のマセラティでしたが、こうして見ていくと当時のマセラティがいかに技術革新に長けたメーカーであったかが分かる興味深い展示だったと思います。最後まで読んで頂いてありがとうございました!
次回もマセラティ100周年企画展より、戦後のマセラティ ロードカーとレースカーについてレポートしていきます。
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