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しまえるシューマッハのブログ一覧

2017年02月01日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 2

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 2









こんにちは~

前回は主に“Typ 356”以前のDr.フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)の軌跡をメインに辿ってきた“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムII”ですが、今回はいよいよ“Typ 356”から始まるポルシェロードカーの歴史をポルシェミュージアムの素晴らしい車両解説と共にレポートしていきたいと思います♪(今回は“911”の登場までですが、それでも長編となってしまいましたので(笑)、お時間のある時によろしくお願いしますm(_ _)m)

前回をご覧になりたい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/39214602/

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015を最初からご覧になりたい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35064111/

1949年 ポルシェ 356/2 グミュント カブリオレ(Porsche 356/2 Gmünd Cabriolet)

第二次世界大戦後、最初のポルシェ(Porsche)のスポーツカーは、オーストリアのグミュント(Gmünd)で造られました。

1948~1951年の間に、53台の“356”が労働集約型の手作業(ハンドメイド)で製作されました。また、少量のコンバーチブルモデルの生産は、ウィーンにあるコーチビルダー カイブル(Keibl)社に外注生産していたようです。

1949年のジュネーヴモーターショウでデビューした“356/2”は、控えめな出力ながら素晴らしい加速とブレーキ性能を実現していました。

パワーユニットは1,131cc,40馬力の水平対向4気筒OHVエンジンから最高速度140km/hに達しました。

この個体はセマフォー(腕木式)のサイドマーカを備えていて、フロントにライトユニットしか存在していないため、フロント周りの造形がとてもシンプルですね。


1950年 ポルシェ 356 クーペ “フェルディナント”(Porsche 356 Coupe "Ferdinand")

1950年の復活祭前の“洗足木曜日(Maundy Thursday)”、シュトゥットガルトで造られた最初の“Typ 356”が工場から出荷され、ポルシェの歴史の新しい章が始まりました。

テスト車両にニックネームを付けるポルシェの伝統に従って、この展示車両は“フェルディナント(Ferdinand)”と名付けられました。この個体は、1950年9月3日に75回目の誕生日を迎えたフェルディナント・ポルシェ教授へのプレゼントであると同時に、“車上のテストベンチ”とも呼ばれていました。

パワーユニットは1,086cc,40馬力の水平対向4気筒OHVエンジンを搭載して、最高速度140km/hを実現しました。


1953年 ポルシェ 356 アメリカ ロードスター(Porsche 356 America Roadster)

北米市場専用に生産されたこの新しい“ロードスター(Roadster)”は、その当時生産されていたどの356シリーズよりも軽量で、軽量化されたドア構造やアルミニウム製の軽量ボデー,挿し込み式のサイドウインドウや幌によって、車重はわずか605kgしかありませんでした。

この“ロードスター”は、インテリアもスパルタンで明確にレースのために仕上げられた“スピードスター(Speedster)”の先駆的なモデルといえます。

パワーユニットは1,488cc,70馬力の水平対向4気筒OHVエンジンを搭載して、最高速度は177km/hに達しました。

この“アメリカ ロードスター”、後の“スピードスター”の祖先となったのは解説文の通りですが、個人的には1953年という時期的なことも考慮すると、フロントに開けられたブレーキ冷却孔や背面に2面装備されたグリル↑など、生産型の“550”とも共通点が見られる興味深い1台ですね。


1954年 ポルシェ 356 1500 クーペ(Porsche 356 1500 Coupe)

ツッフェンハウゼン(Zuffenhausen)でのサクセスストーリーは、この中央に支柱のないフロントウィンドウを持つ特徴的なモデルからも、一目で判ります。

中央部が曲ったフロントウィンドウ,ボデーから離れた位置に装着されたバンパー,高級感のある内装は、356シリーズが絶え間なく進化してきたことの証です。

また、この展示車両はポルシェロゴの紋章(ポルシェ クレスト)を持たない最後のモデルだそうです。

パワーユニットは1,488cc,55馬力の水平対向4気筒OHVエンジンを搭載して、最高速度160km/hを実現しました。


1954年 356 スピードスター プロトタイプ(Porsche 356 Speedster Prototyp)

この最初の“スピードスター プロトタイプ”は、発表と同時に旋風を巻き起こして伝説になりました。

ポルシェは、アメリカのポルシェインポーター マックス・ホフマン(Max Hoffman)の依頼を受けて、3,000ドル以下で販売することが可能なスパルタンな装備の356を生産しました。

この“スピードスター”は、専用のレイントップ(幌)と挿し込み式のサイドウインドウ,外部から取り付けられた低いフロントウインドシールドを特徴としていました。そして、当初はアメリカ国内のみで販売されたようです。

パワーユニットは1,488cc,55馬力の水平対向4気筒OHVエンジンを搭載して、最高速度155km/hに達しました。

この個体はプロトタイプということで、生産型の“スピードスター”と異なるディテールがいくつか見られますね♪

まずは、前回取り上げた記事にも書いていましたが、“スピードスター”の特徴でもあるボデーサイドのモールがありませんね。このモールの有無で、結構クルマ全体の印象が変わってきますね^^;

また、幌とフロントウインドウの留めつけ方法↑も、一般的な金属製のラッチとは異なり、革ストラップが使われているようです。

内装もパッと見では黒のように見えるシートとドアの内貼りは濃紺で、とてもセンスのいい組み合わせであることが判ります♪


1959年 ポルシェ ディーゼル シュレッパー“スタンダード”(Porsche-Diesel-Schlepper "Standard")

トラクターは、たとえそれが1956年に著しい効率主義の基に設計されたものであったとしても、コレクターズアイテムになり得ます。その機能的な仕様書を書く際に、フェリー・ポルシェ(Ferry Porsche)はエンジニアたちにトラクターの本質を“操作しやすい多用途な道具”と定義づけました。

トラクターは、フリードリヒスハーフェン(Freidrichshafen)のポルシェ‐ディーゼル‐モトーレンバウ社(Porsche-Deisel-Motorenbau GmbH)にてライセンス生産され、1963年までにこれらのトラクターは約120,000台が販売されたそうです。

パワーユニットは1,644cc,25馬力の直列2気筒ディーゼルエンジンを搭載して、最高速度は20km/hまで出たそうです^^;

近年、ポルシェのWEC復帰を歓迎したアウディのCMや、アウディのWEC復帰を願うポルシェのアンサーCM※でもお馴染みのポルシェ‐ディーゼルのトラクターシリーズですね♪

※詳しくは関連情報へ


個人的に気になったのは、この↑フロントホイールですが、PCD(ナット座ピッチ直径)が空冷VWや356Bまで使用されていた205mmのように見えます^^;


1962年 ポルシェ 356B カレラ 2 カブリオレ(Porsche 356B Carrera 2 Cabriolet)

0-100km/h加速、9.4秒。このクルマは、これまでの約2倍の出力を持つエンジンを搭載することで、その偉業を成し遂げました。

この最もパワフルな356の派生モデルのうち、コンバーチブル仕様は僅か34台が造られたに過ぎず、そのすべてが豪華なインテリアで仕上げられたそうです。

また、1962年4月にはポルシェがフォーミュラー1カー“タイプ 804(Type 804)”のために開発したディスクブレーキシステムも採用しました。

この(カムシャフト駆動用の)垂直シャフトを持ったパワフルな2リッターエンジンの性能は、“カレラ2(Carrera 2)”というモデル名にも反映されています。

その強力なパワーユニットは1,966cc,130馬力の水平対向4気筒DOHCエンジン(フールマン:Fuhrmann)によって、最高速度200km/hを実現していました。

356シリーズでディスクブレーキを装着したモデルは、最終型の356Cになってからで、“初期の911シリーズと共通のPCD130mm,5Lugのスティールホイールを履いている”というのが一般的な識別ポイントですが、この“カレラ2”は例外です。

ディスクロータを内側からキャリパーが掴むという特異な設計↓で、PCD205mmながらディスクブレーキ化に成功しています。

※写真はF-1カーの“タイプ804”のブレーキ廻り

ボクが常々葛藤しているのが、“ベック550スパイダー”におけるディスクブレーキとPCDの関係です。550において、スタイリング上はオリジナルと同様のPCD205mmのスティールホイールというのが1つの望ましい姿ともいえますが、ブレーキの発展性やヴァリエーションを考えるとディスクブレーキも捨てがたい^^;

本来PCD205mmはドラムブレーキありきの設計で、後年に一般的な外側キャリパーのディスクブレーキを採用したモデル(356C,911~)ではPCD130mmを採用しています。

実際、うちの550は前後とも既に通常(外側から掴むタイプ)のディスクブレーキになっているので、PCD130が正しい選択とも言えます。見た目を重視していくか、内面の落とし前を着けるか(笑)、この辺の拘りは個人の心情的な部分にもなってくるので、なかなか難しいですね・・・^^;


1964年 ポルシェ 911 2.0 クーペ(Porsche 911 2.0 Coupe)

“911”の原型は、1963年のフランクフルト インターナショナル モーターショウ(IAA)で、“356”の後継車として発表されました。

“911”はレスポンスの良い6気筒エンジンのみならず様々な点において、それまでのモデルとは異なっていました。

また、プジョー(Peugeot)が3桁の数字の中央に“0”を使うネーミングの権利を主張したことから、当初の“901”というネーミングを撤回せざる負えませんでした。そこでポルシェ社は、“911”という不思議な数字を選んだのです。

パワーユニットは1,991cc,130馬力の水平対向6気筒SOHCエンジンを搭載して、最高速度210km/hを実現しました。

いよいよ“911”の登場ですね。今でこそポルシェの代名詞となった“911”ですが、ポルシェ自身が車両解説で“不思議な数字”と言ってしまっているところが面白いですね^^;


“356”から始まるポルシェロードカーの歴史をレポートしてきた“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 2”ですが、“911”が登場したところで一端区切りにしたいと思います。

今回も長文になりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございますm(_ _)m

次回は、いよいよ“911”から始まるポルシェロードカーの歴史第2章をレポートしたいと思います♪
2017年01月22日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1











こんにちは!

フェラーリの聖地“マラネッロ(Maranello)”を後にし、雪のアルプスを越えてドイツ シュトゥットガルト(Stuttgart)に到着した“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”は、いよいよポルシェミュージアム(Porsche Museum)を訪れます。

前回をご覧になりたい方は↓
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欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015を最初からご覧になりたい方は↓
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ポルシェミュージアムは、このブログで2回目の登場ということで、どのようにレポートしようかと考えていましたが、以前取り上げたブログを読み返してみると、“欧州自動車博物館巡りの旅”初のミュージアムレポートということもあってか(笑)、結構ざっくりとしか解説していないんですね。おまけに飛ばしたクルマもあったりして・・・^^;

そこで、今回は最新の“欧州自動車博物館巡りの旅”クオリティ(爆)で再度ポルシェミュージアムの魅力に迫ってみようと思います。

また、今回のレポートは前回の記事から1年後の訪問なので、1年間でどれほどのモデルが入れ替わっているのかという点でも面白いレポートにもなると思います。

それでは、“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1”をレポートしていきます♪(今回はポルシェの礎を築いた356以前の歩みということで、車両解説も大変濃いものとなっていて(汗)超大作になりましたので、お時間のある時にどうぞ~)


1898年 エッガー・ローナー・エレクトロモビル モデル C.2 フェートン(Egger-Lohner-Elektromobil Modell C.2 Phaeton)

一見すると旧い馬車のようにも見えるこのクルマは、ポルシェが世界で一番最初に製作したモデルです。

1898年、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)は、オーストリアの老舗馬車メーカーであったローナー社(k.u.k. Hof-Wagen-Fabrik Lohner & Co.)の前輪にステアリング機構を備えたシャシに、電気モーターとべベルギヤを使ったデファレンシャル装置(差動装置)を組み込みました。

モータハウジングの8面体のデザインから“オクタゴン(Octagon)”と呼ばれたこの駆動ユニットは、3~5馬力を発揮したそうです。

電力は車両後部に搭載された約550kgのバッテリから供給され、1回の充電で最高速度25km/hで6時間の走行が可能だったようです。このクルマは機械式のブレーキのみでなく、モータによる電気ブレーキでも減速することが出来ました。また、速度は“コントローラ”によって12段階に制御することが可能でした。

この展示車両は、フェルディナント・ポルシェがVEAG社(Vereinigte Elektrizitäts-AG Béla Egger)試験部で実施したウィーン(Wien)での数々のテストに使用されたテスト車両のようで、1902年に廃棄されて以降、レストアされないままの状態で現在に至りました。

以前は、エントランスの長いエスカレータを上ると1番最初に“ベルリン-ローマ レーサー(Typ 64)”が鎮座していましたが、今回はこの“モデル C.2 フェートン”が、1番最初の展示車両になります。補足解説をすると、馬車のようなクルマにしてはガラス張りで、洒落乙(爆)な印象を受けますが、これは当時の状態を再現したエキシビジョンで、ガラスには完成当初の外装や幌をまとっていた様子が描かれています。


1900年 ラトナーベ ローナー・ポルシェ・エレクトロモビル(Radnabe Lohner Porsche Elektromobil)

フェルディナント・ポルシェが24歳の1900年、彼はパリで開催された万国博覧会(パリ万博)でセンセーショナルを起こしました。そこに展示されていた車両は、ウィーンのローナー・インペリアル & ロイヤルコーチ社(Lohner Imperial and Royal Couch Factory)と契約して製作したクルマで、フェルディナントのホイールハブモータ(Electric wheel hub motor)を備えていました。

時は正に電気やガス,ガソリンを用いて動く“自動車”の開発の真っただ中に、フェルディナントの電気工学の才能と自動車への興味が融合し、経済的かつ実現可能な解決策を提案しました。

同年、彼はガソリンと電気のハイブリッドにより推進力を生み出す最初の生産車“ローナー・ポルシェ "ミクステ"(Lohner-Porsche "Mixte")”を設計しました。これは、今日の“ハイブリッドカー”の先駆的なモデルといえます。さらにフェルディナントはこの後に全輪駆動(all-wheel drive)や4輪ブレーキ(four wheel brake)を発明しました。

以前、ベルギーはブリュッセルのオートワールドで行われたポルシェの企画展“FERDINAND PORSCHE THE HERITAGE FROM ELECTRIC TO ELECTRIC”のレポートで登場した“ミクステ”に使われていたインホイールモータですね。

1912年 フラグモータ(Flugmotor)

第一次世界大戦の前年、オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)は、ウイーナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)で航空祭(Aviasion Day)を開催できたことを喜びました。また、オーストリアのアウストロ・ダイムラー社(Austro-Daimler Motoren Gesellschaft)も、彼の飛行機に対する熱意に敬意を表しました。

この航空祭で最も栄誉ある賞を授与されたのが、アウストロ・ダイムラー社のチーフエンジニアであったフェルディナント・ポルシェでした。フェルディナントは、4気筒,6気筒,9気筒とそして12気筒の強力な航空機エンジンを開発しました。この航空機エンジンの開発は、その後ポルシェKGにより何十年にも渡って進められるポルシェの伝統にもなりました。

展示されているエンジンの解説には排気量などは掛れていませんが、1912年型の直列6気筒エンジンで120馬力を発揮するそうです。


1912年 アウストロ・ダイムラー モーターシュプリッツァ(Austro-Daimler Motorspritze)

フェルディナント・ポルシェは、まず初めに消防用自動車に注目しました。これらのクルマは、非常に速くかつ実践的に動く必要があり、そのような課題の解決に対して彼は楽しみながら働いていました。彼がチーフエンジニアとしてアウストロ・ダイムラー社に加わった後に進められた開発プロジェクトは、このような地域奉仕車両に集中していました。

彼の最初のカスタマーはアウストロ・ダイムラー社内の消防隊員で、フェルディナントは彼らに特別な消防車を開発しました。それは、初めて人員輸送と水汲み上げポンプ,ホースを1台のクルマに組み込んだ消防自動車でした。

この消防車はその後20年間、社内での任務を終えた後も、さらに36年間オーストリアのブルゲンラント州(Burgenland)で、コミュニティに貢献し続けたそうです。

フェルディナントにとって最初の経歴であるこの期間に、彼のより良い解決策を模索し続ける姿勢が高く評価され名声を得ることになりました。その姿勢は大型ラグジュアリーセダン “ADR フェートン(ADR Phaeton)”の開発にも貢献しましたが、市場投入直前の1923年、フェルディナントはアウストロ・ダイムラー社を離れることになります。

この消防自動車は、20馬力の2,010ccの直列4気筒エンジンを搭載し、最高速度55km/hを実現したそうです。速くさらに実践的でなければならないという点では、たしかに消防車もレースカーに通ずるところがあり、その点に着目したところがなんとも興味深いですね^^;


1922年 アウストロ・ダイムラー ADS R “サッシャ”(Austro-Daimler ADS R "Sascha")

“サッシャ(Sascha)”は、シチリア島で開催されるロードレース“タルガ・フローリオ(Targa Florio)”に出場するアウストロ・ダイムラーのために設計したクルマで、事実上ポルシェの偉大なモータースポーツの伝統の幕開けを飾るモデルといえます。

1922年、生産型4シーターモデルをオリジナルにもつ、この小型で高性能のクルマは初出場ながらクラス優勝するとともに1-2フィニッシュを成し遂げました。

この成功における重要な鍵は、わずか598kgしかない軽量なクルマに十分な動力性能,そしてクイックなハンドリング特性にあります。

“サッシャ”というネーミングは、このプロジェクトを金銭的に支えたスポンサーで実業家のアレキサンダー “サッシャ” コロヴワート(Alexander "Sascha" Kolowrat)に由来し、実に43ものレースで勝利を挙げました。

このスポーツで、自分の設計したモノを極端な条件下でテストできることに惹かれ、フェルディナント・ポルシェもまたレーシングエンスージアスト(Racing Enthusiast)となったようです。

この“サッシャ”において、フェルディナントはパワーウエイトレシオ(power-to-weight ratio)の基本的な原則を確立することになりました。そして、それはすべてのポルシェのスポーツカーの“鍵(Key)”となる特性になりました。

今まで、色々な書籍などで聞きかじった知識で「あ~これが“サッシャ”ね~(笑)」みたいな感じで知ったつもりでいましたが、こうしてポルシェミュージアムの提供する解説をじっくり読み解くことで、今まで気が付かなかったことが結構ありますね。今となってはクルマ好きの間では当然のように語られる“パワーウエイトレシオ”に言及したエピソードなども、目からうろこです。


1939年 タイプ64(Typ 64)

スタイリッシュ(Stylish),スポーティ(Sporty),そして速い(Fast)。クルマは、フェルディナント・ポルシェにとって“情熱(Passion)”の対象となりました。

当初、“ベルリン‐ローマ長距離レース(Berlin-Rome Long distance Race)”のために設計されたこのスポーツカーは、その気取らない“ボデー タイプ 64(Body Type 64)”という名称から、すべてのポルシェの祖先であることが判ります。

ストリームライナー(流線型)形状のアルミニウム製ボデーとその下のシャシ構造,この両者は、その後のポルシェ製スポーツカーのトレンドとなるコンセプトを、このクルマは既に示していました。

このクーペは、空気力学に基づいたデザインでも時代のはるか先を行っていました。モータースポーツの必要条件と最先端の生産技術の融合により生まれたこの完璧なツーリングカーは、一般公道において130km/hの最高速度を実現しました。

フェルディナント・ポルシェは、しばしばこの“タイプ64”をプライベートでも使用していたようです。また、戦後にポルシェ家が初めてこのクルマに“PORSCHE”の文字を印字している事実も、このクルマとフェルディナントとの関係性の高さを表しています。

“タイプ64”については、このブログでも度々取り上げていますが、タイプ64への熱い思い(笑)を読み返したい方は、こちらに↓書かれています^^;
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/33899119/


1950年 フォルクスワーゲン ケーファー(Volkswagen Kafer)

1934年1月、フェルディナント・ポルシェは“ドイツ国民のための自動車生産に関する計画(国民車構想)”について提案する時が来ました。この“フォルクスワーゲン(Volkswagen)”と呼ばれた構想は、彼が以前に開発した8番目の小型車での経験が生かされました。

シュトゥットガルトにある自身のエンジニアリングオフィスで、フェルディナントは同僚と共に、後部に搭載された空冷式のエンジン,縦方向のコントロールアームとトーションバーによるサスペンション,ベースプレートとボデーシェルからなる外装構造を持つ“国民車”の構成を描きました。

4名の乗員を収容する流線型のデザインは、今日においても有名なあの“ビートル(Beetle)”のシルエットを生み出しました。また、既に生産について考えていたフェルディナント・ポルシェは、当時の先進的な生産方法を評価するために、アメリカ合衆国へ視察に行きました。

第二次世界大戦の後、VWは実際に凄い勢いでサクセスストーリーを築いていきました。1950年には、ここに展示されている車両と同じタイプのモデルが約100,000台も販売されました。そして、2003年までには総生産台数が2150万台にも達しました。


1947年 ポルシェ タイプ 360 チシタリア(Porsche Typ 360 Cisitalia)

1946年、イタリアの起業家でレーシングエンスージアストのピエロ・ドゥシオ(Piero Ducio)が立ち上げた新しいブランド“チシタリア(Cisitalia)”のために、ポルシェ設計事務所を引き入れました。

このシングルシーターは、輝きを放つ軽量アルミ合金製のボデーに目が眩むだけでなく、技術的にも多くの点で時代のはるか先を行っていました。

1.5リッターのスーパーチャージ付き12気筒エンジンから生み出されたパワーは、4輪駆動によって地面に伝えられました。

オーストリア・アルプスの麓の小さな街“グミュント(Gmünd)”にて、戦後すぐの時代背景的にも厳しい状況の中にもかかわらず、何とかクルマは完成させることが出来ました。しかし、このクルマは財政的な問題により、テストを終えて成功を掴むことは出来ませんでした。ドゥシオによる契約には、この“タイプ360”の他にも2シータースポーツカー,小型トラクター及び発電用水車の設計も含まれていました。


1948年 ポルシェ タイプ 356 “Nr.1” ロードスター(Porsche Typ 356 "Nr.1" Roadster)

“No.1”は1つだけ存在することが出来ますが、1948年の春、“ポルシェ(Porsche)”の名を冠した“最初(No.1)”のスポーツカーが製造されました。フェリー・ポルシェ(Ferry Porsche)は、フォルクスワーゲンのスポーツ仕様車によって、彼の考えるスポーツカーを実現させました。

“ポルシェ タイプ 356 No.1”は同年6月8日に動かせる準備が整い、各種テストを公道で行うための許可もケルンテン州(Kärnten)政府から交付されました。このミッドシップエンジンのスポーツカーは、35馬力に出力が高められたVWのエンジンが搭載され、僅か585kgの車体から最高速度135km/hを実現しました。

そして、1948年7月に“No.1”はインスブルック(Innsbruck)の市街地レースで、スポーツカーとして適合することを証明しました。


ポルシェの礎を築いた車両や機構の数々とあって、解説も充実したこのエリアでブログ1回分を使い切ってしまいましたが(汗)、“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1”は以上になります。行くほどに深まるポルシェミュージアムの魅力は本当に際限が無いですね^^;

長編になりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございますm(_ _)m


次回は、いよいよ“356”から始まるポルシェ ロードカーの歴史を振り返っていこうと思います。

2017年01月14日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 インターミッション - マラネッロ⇒シュトゥットガルト編

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 インターミッション - マラネッロ⇒シュトゥットガルト編









こんにちは!

ずいぶん間が空いてしまいましたが、欧州に行ってモチベーションも高いうちに(笑)“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”のレポートも、再開したいと思います。(欧州自動車博物館巡りの旅といえば、長文です・・・^^;今回も時間に余裕のある時にどうぞ~)

“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”で、フェラーリの歴史を堪能し、大満足の後に次のミュージアムへ向かいます。

しかし、その前にマラネッロでこんな↓お宝を発見!

“Tutte le Porsche”

マラネッロに来ると、ついつい“フェラーリスイッチ”が入って、フェラーリ関係のグッズにばかり目が行きがちですが、アベトーネ通り沿いのフェラーリグッズとミニカー,書籍などを扱うお店“SF1(Shopping Formula 1 Maranello)”で、イタリアの出版社から出ているポルシェの書籍を購入しました。

この“Tutte le ~”はシリーズ本になっていて、“Tutte le Ferrari(フェラーリ版)”は以前マラネッロに来た時に購入しましたが、このシリーズなかなかマニアックで、ワンオフモデルや記念碑的な個体なども収録しているところが見逃せません!

このポルシェ版も例にもれず、

“356 No.1 ロードスター(356 Nr.1 Roadster)”や


“550 1500RS(550 Spyder)”


“550A 1500RS(550A Spyder)”と

“550”に関しては“550”と“550A”が収録されていて、“550A”へ進化した際に圧縮比が9.5:1から9.8:1に高められて、110馬力から135馬力に出力向上していることが判ります。
その他にもトランスミッションが“550”の4速から“550A”では5速に、車重も550kgから530kgに軽量化されているなど、読み込むほどに興味深いです。


また、“718 RSK”や


“356B 2000 GS-GT ドライカントシェイバー(356B 2000 GS-GT Dreikantschaber)”


“904-8 スパイダー カンガルー(904-8 Spyder Kanguruh)”


もちろん“901”や


“911R”


“911S & ST”から


“912 E”や


カレラ3.2のユニットをトランスポーターT3に搭載した“VW-Porsche B32”まで^^;

マニアック!の一言に尽きる内容になっています!

※ちなみに改訂版(英語)は、最近リンドバーグ(蔦屋代官山)でも置いているようですので、興味のある方は是非手に取ってみてください^^;


ルームスターはいよいよマラネッロを後にして、“アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)”A1号線を北上します。

途中、ピアチェンツァ(Piacenza)近郊のフィオレンツオーラ(Fiorenzuola)PAの“アウトグリル(AUTOGRILL)”で夕食をとりました。

イタリアの高速を走っていると、この↑上下線を跨ぐように建つパーキングエリアをよく目にします。このタイプは、上下線それぞれ別々に設置されているタイプのパーキングエリアよりも、比較的充実しているように感じます。

夕食は、鶏もも肉を使った“コッシュ ディ ポッロ(Cosce di Pollo)”と“キャロテ エ ピセッリ(Carote e Piselli:まんまニンジンとグリンピース^^;)”の炒め物。

A1号線は、さすがイタリアの大動脈だけあって“パナメーラ(Panamera)”や“カイエン(Cayenne)”なども、結構走っていました♪

ここで、ついでに給油も済ませました。GSのブランドは“Eni(旧Agip)”でした♪

ルームスターは、オーストリア ウィーンから933.6kmを走り、軽油44.55リッターを飲み込んだので、燃費は20.96km/Lになります。

人もクルマもお腹いっぱいになったところで、更に北を目指して走ります!

昨今のヒストリックカーブームの影響か、凄く程度の良さそうな“フィアット 850 ファミリアーレ(Fiat 850 Familiare)”↑がドナドナされていました~^^;

ミラノ(Milano)に入り、、“アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)”A1号線ともお別れです。イタリアの高速道路は日本と同じく有料なので、このように料金所でお金を支払います。

日本のETCのような“TELEPASS”というシステムがあるようで、直前までどのレーンが現金払いなのか結構迷います。上の写真↑のレーン上にある“お札とコイン”のマークが現金払いレーンの印です。行く予定のある人は、目に焼き付けていきましょう^^;

ミラノを少し過ぎたPAで仮眠し、A9号線をコモ湖・キアッソ(Chiasso)方面へ進むと、間もなくしてスイスに入ります。


スイスの高速道路の利用料金はイタリアや日本とは違い、一律40スイスフラン/年です。

最初に入国するゲートで、このような↑高速利用券(ヴィニエット)を購入します。


スイスに入り、ゴッタルド(Gottardo)峠を越えるゴッタルドトンネルに入りました。


長いトンネルを抜けると雪国であった。と言わんばかりのシチュエーションですね^^;

チューリッヒ(Zurich)を過ぎてしばらくすると、ガーミンは高速ではなく一般道をナビし始めました。

ボクは今まで、カーナビを使わずにドイツ⇔イタリア間をスイス経由で行き来する時はバーゼル(Basel)を経由していましたが、どうやらジンゲン(Singen)を経由していく方が近いようです。

ジンゲンから、いよいよ次の目的地のあるドイツに入りました!


ドイツに入り、若干夜も明けてきたので、ジンゲン近郊の“エンゲン(Engen)”PAでシャワーを借りて休憩。

ここのシャワールームは、石鹸ラックやフックなど嬉しい装備が整っていて、清掃も行き届いていてとても良かったです。5段階評価で星4つを挙げても良いでしょう。やはり、こういった設備に関してドイツは充実しています。

この後スタッフにシャワールームの鍵を返した際に、どこまで行くのかと聞かれたので、“シュトゥットガルト(Stuttgart)”まで行くと答えると、ヒッチハイカーがいるから乗せていってほしいということになり、シュトゥットガルトまで旅の相棒が出来ました^^;

カメラを後部座席に置いてしまったので、シュトゥットガルトまでは一切写真がないですが、聞けば彼はミュンスター(Münster)出身のドイツの学生だそうです。

シュトゥットガルトまでの3時間色々な話題になりましたが、印象的だったのは「アルファベットは25文字あるけど、漢字は何文字あるの?」という話し、正直今まであまり意識したことがなかった・・・^^;

日本では“漢字”を読めるかどうかのテストがあるくらい漢字がたくさんあることや、“漢字”以外にも“ひらがな”や“カタカナ”など3種類の文字を使って文章を書くこと、ちょうどカーナビに表示されていた“スピード”は英語の“speed”をカタカナで表していることなどを話したら、凄く関心を持っていました。

他にも、「ドイツは夏に長い休みがとれて羨ましい」という話しに対しての、長い休みは夏だけで年末年始も12/25と12/31~1/1くらいで、日本のように季節ごとに連休が取れるようなシステムが無いことも、目からうろこでした。

ちなみに彼はVWの“トランスポーターT3(Transporter T3)”を持っているようで、「冬は融雪剤で車体がやられるから乗らない」といっていました。この認識は、万国共通のようですね^^;

そうこうしているうちに、シュトゥットガルト・ツッフェンハウゼン(Zuffenhausen)に到着しました♪

そう!次の自動車博物館は“ポルシェ ミュージアム(Porsche Museum)”です!

このブログでは2回目の登場ですね!さてさて、どのようにレポートしましょうか^^;

早速、ミュージアムの地下駐車場にルームスターを停めて、エントランスへ向かいます。

エントランスでは、冬の装いをした“356C”がお出迎えですが、欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 インターミッション - マラネッロ⇒シュトゥットガルト編のレポートは以上になります。

相変わらずの長文に、最後までお付き合いいただいてありがとうございましたm(_ _)m


次回は、いよいよポルシェミュージアムⅡのレポートに入ります!
2016年01月24日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 ムゼオ フェラーリ パート4

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 ムゼオ フェラーリ パート4









こんにちは~

引き続き、欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015をレポートしていきます!
4回にわたってお送りしてきた“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”編のレポートも、いよいよ最後になりました。

今回はパート4として、ペブルビーチを模したエリアに展示されたフェラーリのワンオフ的なスペシャルモデルを中心にレポートします♪(今回も長編になってしまいましたので、お時間に余裕のある時にどうぞ~^^;)


フェラーリ 166 インター ベルリネッタ トゥーリング(Ferrari 166 Inter Berlinetta Touring)

“166インター(166 Inter)”は、レース用モデルの“166”のストリートヴァージョンで、1948~1950年の間に生産されました。

その際に、いくつかの異なるコーチビルダー(ボデー架装職人)が、フェラーリのために、ボデー製造を手がけました。なかでも、最もエレガントなボデーを架装したのが、この展示されている車両を手がけた“カロッツェリア・トゥーリング(Carrozzeria Touring)”でした。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:60mm × 58mm,1,992cc,90馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンから最高速160km/hを実現しました。

ペブルビーチを再現した凝った展示エリアが災いして、エレガントな横からの画が撮れないのが残念ですが(笑)、まだレースカーとロードカーの境が曖昧だった1940年代独特のフォルムが素敵ですね!


1953年 フェラーリ 166MM スパイダー スカリエッティ(Ferrari 166 MM Spider Scaglietti)

このクルマは、1953年にモロッコ カサブランカのアントワーヌ・コース(Antoine Causse)にデリバリーされました。当初は、ヴィニャーレ製のレース用ベルリネッタ(クーペ)ボデーをまとい、1953年の“ツール・ド・フランス オート(Tour de France Auto)”で6位フィニッシュしましたが、その後ロードアクシデントによって破損したため、修理のためにフェラーリのファクトリーに戻されました。

ファクトリーに戻されたクルマは、破損したベルリネッタボデーを取り除かれ、新たなボデーを架装するプロジェクトが、エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)の息子ディーノ(Dino)によって、進められました。

ディーノは、そのプロジェクトをモデナのコーチビルダー セルジオ・スカリエッティ(Sergio Scaglietti)に託しました。このプロジェクトに強く興味を惹かれたセルジオは、この新しいデザインのボデーを架装しました。このデザインは、後の“750 モンツァ(750 Monza)”や“モンディアル”のプロトタイプとなるとても重要なモデルとなりました。


パワーユニットは、ボア径 × ストローク:60mm × 58.8mm,1,995cc,140馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載しています。

今回の展示で見るまで、この個体の存在は知りませんでしたが、“166”(2リッターV12)の時代に、このスタイリングが出来上がっていたことにビックリしました。

確かに、“Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ)”パート1でも紹介した4気筒レーサーの“750 モンツァ”や“500 モンディアル”のバルケッタスタイルは、突如登場したような印象がありましたが、このクルマが原型だったということですね。

そして、そのプロジェクトを指揮していたのが、小型車向けのエンジン開発を望んでいたディーノであったことも、“750モンツァ”や“500 モンディアル”が小型の4気筒ユニットを搭載して登場したことに、合点がいきますね♪


フェラーリ 250 GT ベルリネッタ (TdF) (Ferrari 250 GT Berlinetta (TdF))

“250 GT ベルリネッタ(250 GT Berlinetta)”は、GT(グラン トゥーリスモ)カテゴリーへの参戦を目指して開発されました。しかし、僅か約80台のみが製造され、ヨーロッパ市場及びアメリカ向けにデリバリーされたに過ぎませんでした。

このクルマの正式名称は、“フェラーリ 250 GT ベルリネッタ(Ferrari 250 GT Berlinetta)”であり、車名に“TdF”という文字は含まれていません。この“TdF”という名称は、1956~1959年の“ツール・ド・フランス オート(Tour de France Auto)”での輝かしい活躍から、ファンの間で呼ばれるようになったニックネームです。

この美しい姿を保っている展示車両は、フィンランドのレーシングチーム“スクーデリア アスコリン(Scuderia Askolin)”にデリバリーされた個体で、今日でもフィンランドのオーナーのもとで所有されています。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:73mm × 58.8mm,2,954cc,240馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンから、最高速250km/hを実現しました。

“250シリーズ”のコンペティションモデルと言えば、あの伝説的な“250 GTO”が有名ですが、あの“GTO”に続く250GT系コンペティションモデルの始まりは、この“Tdf”と言えます。“Tdf”は、1959年に改良型の“250 GT ベルリネッタ SWB”に進化し、その後“250TR(テスタロッサ)”のドライサンプユニットを搭載した“250GTO”へと続きました。


トーマシーマⅢ(Thomassima III)

“トーマシーマⅢ”は、その名の通りモデナのアメリカ人 トム・ミード(Tom Meade)によって製作された3番目のモデルになります。トム・ミードは、60~70年代のフェラーリに独自の解釈を加えたスタイリングを与えました。

このモデルは、“フェラーリ 250GTクーペ(Ferrari 250 GT Coupe)”をベースに造られたクルマで、彼の作品の中でもっとも有名なモデルでもあります。それは、伝説的なスポーツレーシングカー“330 P4”を、彼なりの最高の解釈でフロントエンジンのクルマとして表現したモデルでした。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:73mm × 58.8mm,2,953.211cc,240馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速200km/hに達したそうです。

パッと見で、なんか“ホットホイール(Hot Wheel:アメリカのミニカー)みたいなクルマだなぁ(笑)”と思ったら、やはりアメリカ的な解釈のもとに造られたクルマでした^^;


フェラーリ コラーニ テスタ ドーロ(Ferrari Colani Testa D'oro)

このクルマは、一人の男が独自の解釈で造り上げたテスタロッサ(Testarossa)です。それは、ルッツ “ルイジ” コラーニ(Lutz "Luigi" Colani)によって設計されました。

このワイルドなクルマには、ターボチューニングで有名なドイツの“ローテック レーシング(Lotec Racing)”の手により、2基のターボチャージャーで加給された水平対向12気筒エンジンが搭載されました。

1991年、アメリカのユタ州 ボンネヴィルのソルトフラット(Bonneville Salt Flats)において、マイク・ストラスバーグ(Mike Strasburg)のドライブによって、触媒付き車両のクラスで351km/hの世界速度記録(World speed record)を樹立しています。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:82mm × 78mm,4,942cc,750馬力のバンク角180°V型12気筒ツインターボチャージドエンジンで最高速351km/hを実現しました。

こちらも独特なスタイリングのクルマですが、未来派デザインで知られるルイジ・コラーニの作品のようです。

コラーニ流のデザインが主体ですが、このような↑“365 GTB/4 デイトナ”と思しきモチーフも確認できます♪


2002年 フェラーリ 360 モデナ(Ferrari 360 Modena)

“360 モデナ(360 Modena)”は、フェラーリとして初めてフルアルミニウム製モノコック構造を採用したロードカーで、以降のフェラーリのプロダクションモデルの礎を築いたモデルと言えます。

アルミニウム製モノコックには、それぞれの箇所に生じる荷重や応力に耐えられるように材質の異なる数種類のアルミニウムが使用されています。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:85mm × 79mm,3,586.2cc,400馬力のバンク角90°V型8気筒エンジンから最高速296km/hを実現しました。

車両解説には特に記述がないですが、この個体は“360 モデナ バルケッタ(360 Modena Barchetta)”というクルマで、当時フィアットグループの会長だったジャンニ・アニエッリ(Gianni Agnelli)から、フェラーリ社長(2002年当時)のルカ・ディ・モンテゼーモロ(Luca di Montezemoro)に結婚祝いとして贈られたワンオフのスペシャルモデルです。

低められた専用のフロントウインドが特徴のこの“360 モデナ バルケッタ”ですが、実は2002年に東京 木場の東京現代美術館で行われた“ARTEDINAMICA 疾走するアート:フェラーリ&マセラティ”展にて、ワールドプレミアされたモデルでもあります。


2007年 フェラーリ 612 スカリエッティ セッサンタ(Ferrari 612 Scaglietti 60th)

“612 スカリエッティ(612 Scaglietti)”の名称は、セルジオ・スカリエッティ(Sergio Scaglietti)に由来して付けられました。セルジオ・スカリエッティは、モデナのカロッツェリア(ボデー架装工房)“スカリエッティ(Scaglietti)”の創業者で、“スカリエッティ”は60年代後半にフェラーリに吸収されています。

“612 スカリエッティ”は、4シーターフェラーリのフラッグシップモデルであり、2011年に“フェラーリ FF(Ferrari FF)”にその座を受け渡しました。

この展示車両は、2007年のフェラーリ創立60周年記念を祝って、60台のみが製作された特別限定モデルで、その60台はそれぞれ異なる独自のディテールで仕上げられました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:89mm × 77mm,5,748cc,540馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンから最高速315km/hに達しました。


続いて、ムゼオ フェラーリ マラネッロの最終セクション“技術展示エリア”を見ていきましょう♪


フェラーリ 360 モデナ(Ferrari 360 Modena)

車両解説は、前述の“360 モデナ バルケッタ”と同じ内容なので(笑)省略しますが、現在のフェラーリ各モデルの礎を築いたアルミニウム製モノコックを初めて採用したクルマとして、クーペモデルも展示されていました。

当時、“F355”からモデルチェンジした際には、その変貌ぶりに驚きが隠せないほどの衝撃を受けた“360 モデナ”ですが、今ではすっかりモダンフェラーリの象徴といった感じになりましたね。

フェラーリ F12 ベルリネッタ ベアシャシ(Ferrari F12 Berlinetta Bare chassis)

このメカニカルコンポーネントは、現在(2014年当時)のフェラーリの最上級モデルに位置する“F12 ベルリネッタ(F12 Berlinetta)”のベアシャシです。フェラーリ最速のロードカーの、通常では見ることのできない詳細なメカニズムを見ることが出来ます。

フロントエンジンでありながら、低重心と優れた重量配分を保証するために小型化され、エンジンルーム後方へと搭載された車両レイアウトがよく分ります。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:94mm × 75.2mm,6,262cc,740馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンから最高速340km/hを実現しています。


個人的には、やはりシャシ構造に興味がありますが、フロントには3本のアルミ角断面フレーム↑が使用されていて、エンジン側面からファイヤーウォールに向けても1本角断面フレームが通っていますね。


エンジンルームは基本的に角断面のフレームがメインのフレーム構造ですが、キャビン部分は角断面フレームとプレス材を併用する構造となっているようです。

モノコックの主要な接合部分は線溶接で結合されていますが、中間部分の接合にはリベットが使われています。

やはり、プレス鋼板をスポット溶接で留めてカタチ造る鋼製モノコックとは違い、アルミニウム製モノコックは主要な部分には、角断面フレームを使い強度を出していることが、よく判りますね^^;

フェラーリ FF(Ferrari FF)

“FF”は、フェラーリとして初めて4輪駆動システムを採用したロードカーで、モデル名(FFはフェラーリ フォー:Ferrari Fourの略)の“F”には、4輪駆動と4シーターの2つの意味が含まれています。この4輪駆動システムは、とても高度なシステムでフェラーリ社内で開発されました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:94mm × 75.2mm,6,262cc,660馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンから最高速335km/hを実現しています。


4回にわたってお送りしてきた充実の“ムゼオ フェラーリ マラネッロ”の内容は以上になります。

今回の企画展示は、“夢見るカリフォルニア(California Dreaming)”と題して、アメリカ及びカリフォルニアにおけるフェラーリをメインにした展示でしたが、なかなかユニークな企画設定で興味深い展示だったと思います。

この前に特集した“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”もそうでしたが、欧州の自動車博物館は、このように定期的に企画展を開いて展示内容に変化を持たせることで、何度訪れても面白い点が良いですよね♪

“ムゼオ フェラーリ マラネッロ”を後にして、アベトーネ通りに面したフェラーリ本社の正面玄関にきました。

1日でモデナとマラネロのミュージアムを2件梯子したこともあり、辺りはすっかり日が暮れていました^^;


正面玄関の向かいは、おなじみ“リストランテ カヴァリーノ(Ristorante Cavallino)”です。通常は、この“リストランテ カヴァリーノ”から“ムゼオ フェラーリ マラネッロ”方面へ抜ける道があるのですが、訪れた時は画像左奥↑でフェラーリの新しい施設を建設中で、通り抜け不可となっていました。


“リストランテ カヴァリーノ”の向かいには、“フェラーリ ストア(Ferrari Store)”があります。公式の最新グッズやフェラーリ公認のレアアイテムなどは、ここで購入することが出来ます。

フェラーリストアには、ディーノ 246 gt(Dino 246 gt)↑と、1962年のルマンでオリヴィエ・ジャンドビアン(Oliver Gendebien)/フィル・ヒル(Phil Hill)のドライブによって優勝した“330 TRI/62”のフロントカウル↓が展示されていました!

マラネッロには、この公式のフェラーリストア以外にも個人経営のフェラーリグッズショップが点在していて、個人的には後者の方が年代物の掘り出し物などもあって、結構おもしろかったりします。


ここ↑は、“ムゼオ フェラーリ マラネッロ”のすぐ隣にあるグッズショップ“ウォームアップ(WARM-UP)”です。ここは、グッズ販売のみならずフェラーリの体験試乗プログラムもあって、聖地マラネッロでフェラーリ(新しめのモデルばかりですが・・・)をドライヴすることが出来ます♪

今回はもう時間も遅く、やっていませんでしたが、2011年にマラネッロに来た時には、ここで“430 スクーデリア(430 Scudeia)”をドライブしています^^;

※↑↓ともに2011年撮影

スタッフも同乗で、“ここは良いストレートだらか、ちょっと待って加速だ!”とか“対向車来てないから、前のフィアット抜いちゃいな!(笑)”など、楽しめるように英語でアドバイスしてくれます^^;
そして、このようなアングル↑で、自分が乗った時のオンボード映像をDVDに焼いてくてます!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 “ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”編は、以上になります。

次回は、いよいよマラネッロを後にして、次のミュージアムへ向かいます!
2016年01月10日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 ムゼオ フェラーリ パート3

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 ムゼオ フェラーリ パート3










お久しぶりです!

前回からだいぶ時間が空いてしまいましたが、欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”パート3として、銀幕を飾ったフェラーリとロードカーについてレポートしていきます♪(今回もなんだかんだで台数も多く超大作になってしまったので、お時間に余裕のある時にどうぞ~^^;)

前回を読み返したい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/36121715/

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ フェラーリ マラネッロ編を最初から読み返したい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35903498/

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015を最初から読み返したい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35064111/

では、銀幕を飾ったフェラーリから見ていきましょう!

1970年 フェラーリ 512 S(Ferrari 512 S S/N:1016)

フェラーリは、1970年のスポーツカー選手権に参戦するために“512 S”を開発しました。

この個体(S/N:1016)は、あの有名な1971年の映画“Le mans(栄光のルマン)”のために、スティーブ・マックイーン(Steve Mcqueen)率いる“ソーラープロダクション(Solar Production)”によって購入されたクルマだそうです。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:87mm × 70mm,4,993.53cc,550馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速は340km/hに達しました。

“栄光のルマン”というと、ガルフカラーの“ポルシェ 917K(Porsche 917K)”の印象が強いですが、その正に“対抗馬”(笑)として登場していたのが、この“512 S”でした。この個体(S/N:1016)は、主に劇中の#5号車及び#6号車の撮影に使われたようです。

また、“実際の1970年ルマン”にもスイスのレーシングチーム“スクーデリア・フィリピネッティ(Scuderia Filipinetti)”から出場していて、現在は当時のカラーリングに戻されているようです。


ちなみに劇中で最も印象的なシーンの1つでもあるクロード・オーラック(Claude Aurac)の駆る#7号車の“512 S”が、インディアナポリスコーナーを突っ切って爆発炎上するシーンでは、シャシNo.1024(S/N:1024)のルーフとカウルをローラ T70(Lola T70)のシャシに被せたクルマが使用されたようです。


1964年 フェラーリ 275 GTB(Ferrari 275 GTB)

“275 GTB”は、フェラーリとして初の4輪独立式サスペンションを備えたロードカーでした。そして、先代の“250”シリーズよりもパワフルであり、車両バランスにも優れ、成功を約束されていました。“275 GTB”は、すぐさまセレブリティや王族から称賛されました。そして、当然“ハリウッドの人々”からも称賛されました。

最初のプロトタイプは、“250 GTO '64('64年型ボデーの250GTO)”の製作が終わった直後に造られ、初期の数台はレース用にアルミニウムでボデーが製作されました。

1964年のパリ モーターショーで発表された“275 GTB”は、“ピニンファリーナ(Pininfanina)”によってデザインされた“ファストバックスタイル”を筆頭に“ロングノーズ”,“カットオフテール(コーダトロンカ)”,“流麗で曲線的な造形”、“象徴的なラジエーターグリル”など、直ちに“フェラーリ”と判るスタイルで登場しました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:77mm × 58.8mm,3,286cc,280馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンから最高速258km/hを実現しました。

この個体は、特に特定の映画で使用されたというわけではないようですが、前述の“栄光のルマン”でもフェラーリ陣営のパドック裏には“275 GTB”の改良型“275 GTB/4”が停まっているシーンが映し出されているほか、スティーブ・マックイーンもプライベートで“275 GTS/4 NART スパイダー”や“275 GTB/4”を愛用していたようです。


また1976年には、“早朝のパリの街をフェラーリ 275 GTBが全開走行する”という短編映画“ランデヴー(C'etait un Rendez vous)”が“フランスの映画監督クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch)によって撮られています↓

アウトローな走りもさることながら、この12気筒サウンドには酔いしれてしまいますね^^;

ここで、何やら気配を感じて振り向くと・・・

御大が、こちらに微笑みかけていました(不敵な笑みかも^^;)


続けて、フェラーリのロードカーについて、もう少し見ていきましょう!

1961年 フェラーリ 250 GT カリフォルニア スパイダー “パッソ コルト”(Ferrari 250 GT California Spider “passo corto”)

“250 GT カリフォルニア”は、当時のレース用ベルリネッタ(クーペ)と同等の性能を持ったオープンモデルで、2,600mmのロングホイールベース(LWB = passo lunga)シャシを採用して、1958年から生産されました。

ベルリネッタ(クーペ)が、1960年型から2,400mmのショートホイールベース(SWB = passo corto)シャシを採用すると同時に、“カリフォルニア”もこのSWBシャシを採用するようになりました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:73mm × 58.8mm,2,953.211cc,280馬力のバンク角60°V型12気筒の通称“コロンボユニット”を搭載し、最高速は230km/hに達しました。

近年ではオークションでの“高値”で話題に挙がることが多い“250 GT カリフォルニア スパイダー”ですがSWBとLWBの違い以外にも、この個体のように直立したヘッドライトを持つ個体と、“250 GTO”のようなプレクシーグラスで覆われたヘッドライトを持つ個体が存在します。後者の方は、アメリカではコルベットのシャシをベースとしたキットカー(Kitcar)も販売されるほどの人気を得ています。

フェラーリ 400 スーパーアメリカ(Ferrari 400 Superamerica)

“400 スーパーアメリカ”は'60年代初期において、パフォーマンス面のみならず、贅沢でもあり、そして他を凌駕する究極のグランドツーリングカーを望んだ限られた顧客のためだけに造らたモデルでした。

そのため、このモデルには顧客の要望に応じた特別な装備や機能が備わっていることが、特徴だそうです。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:77mm × 71mm,3,967cc,340馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速220km/hを実現しました。

“ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ パート1”で取り上げた“500 スーパーファスト(Ferrari 500 Superfast)”は、このクルマの後継モデルになりますね。

1963年 フェラーリ 330 アメリカ(Ferrari 330 America)

“330 アメリカ”は、外観上は“250 GTE 2+2”と同様のスタイリングながら、4リッターのV12エンジンが搭載されています。

この“330 アメリカ”は、50台がアメリカ市場のために製作され、このスタイルのボデーを持つロードカーとしては、最後のモデルだそうです。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:77mm × 71mm,3,967cc,320馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速220km/hを実現しました。

ディーノ 246 GTS(Dino 246 GTS)

“ディーノ(Dino)”シリーズは、エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)の若くして亡くなった息子の追悼の意味を込めて名付けられ、ロードカーは1967年に2リッターの“206 GT”からスタートしました。

1969年には、排気量を2.4リッターに拡大した“246 GT”が登場します。展示車両は、取り外し可能なルーフ“タルガトップ”を備えた“246 GTS”と呼ばれるモデルで、1972~1974年の間に生産されました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:92.5mm × 60mm,2,418cc,195馬力のバンク角65°V型6気筒エンジンを搭載し、最高速240km/hを実現しました。

前後の大型化されたサイドマーカーから一目で“北米仕様”と判るディーノですが、“ホワイト(あえてビアンコではなく^^;)のGTS”というのも北米らしい個体ですね♪

フェラーリ 365 GTB/4(Ferrari 365 GTB/4)

この“365 GTB/4”は、当初プレクシグラスの下に対となる4灯の固定式ヘッドライトを備えて登場しました。

しかし、この方式のヘッドライトは当時のアメリカの車両法規に適合していませんでした。そこで、重要なマーケットであるアメリカ市場の要求を満たすため、ポップアップ式(リトタクタブル式)のヘッドライトを採用しました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:81mm × 71mm,4,390cc,352馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速は275km/hに達しました。

前回の“ムゼオ フェラーリ パート2”で取り上げた“365 GTB4 “デイトナ” Gr.4”のベース車両になります。

フェラーリ 365 GT4/BB(Ferrari 365 GT4/BB)

“365 GT4 BB(ベルリネッタ ボクサー:Berlinetta Boxer)”は、フェラーリのロードカーとして、初めて12気筒エンジンをミッドシップに配置したモデルでした。その12気筒エンジンは、4.4リッターの180° V型が搭載され、1976年に排気量を5リッターに拡大したモデル“512 BB”へとバトンタッチされました。

パワーユニットはボア径 × ストローク:81mm × 71mm,4,390cc,380馬力のバンク角180°V型12気筒エンジンを搭載し、気になる(笑)最高速は車両解説によると“300km/h”だそうです。(あの有名な“302km/h”ではないようです・・・排気量も車両解説では4,990ccになってるし、これもイタリアンジョブか・・・^^;)

しかし、背景の影響か文句なく“ザ・アメリカ”って感じに写っていますね^^;

1987年 モトーレ F40 V8 ビターボ(Motore F40 V8 Bi Turbo)

こちらは“F40”に搭載された2,936cc,478馬力のV型8気筒ツインターボエンジンです。

1995年 フェラーリ F355 チャレンジ(Ferrari F355 Challenge)

この“F355 チャレンジ”は、フェラーリ車でモータースポーツに参加するオーナーをサポートするプログラム“コルセ・クリエンティ(Corse Clienti)”のレースシリーズのために、1995年に造られ、このレースシリーズは、アメリカ、日本、そしてヨーロッパで行われました。

今日では、このレースシリーズ“フェラーリ チャレンジ(Ferrari Challenge)”は、“458 エヴォ(458 EVO)”で行われています。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:85mm × 77mm,3,495.5cc,380馬力のバンク角90°V型8気筒エンジンを搭載して、最高速度290km/hを実現しました。

フェラーリ 550 バルケッタ ピニンファリーナ(Ferrari 550 Barchetta Pininfarina)

この“550 バルケッタ ピニンファリーナ”は、ピニンファリーナ(Pininfarina)の70周年を記念して製作された“550 マラネロ(550 Maranello)”のフルオープン限定モデルです。そのために“ピニンファリーナ”の名が、車名の一部となっているようです。

このクルマの開発コンセプトは、50年代前半の“バルケッタ(Barchetta)”や“スパイダー(Spider)”と呼ばれたクルマ達の思い出を、現代に呼び起こすことにありました。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:88mm × 75mm,5,474cc,485馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速320km/hを実現しました。

“550 マラネロ”とアメリカと言えば、2003年の映画“バッドボーイズ 2 バッド(BAD BOYS 2 BAD)”の中でウィル・スミス(Will Smith)扮する“マイアミ市警のマイク(Mike)”の愛車として登場していますね。ただし、序盤のカーチェイスシーンをよく観ると、同じチタングレーメタリック(グリジオ・チタニオ=Grigio Titanio)の“550 マラネロ”と“575M マラネロ”を使い分けている事が判ります^^;

2002年 モトーレ フェラーリ エンツォ(Motore Ferrari Enzo)

こちらは“エンツォ(Enzo)”に搭載された5,998cc,660馬力のV型12気筒エンジンです。

フェラーリ SA アぺルタ(Ferrari SA Aperta)

この限定モデルは、セルジオ(Sergio)とアンドレア(Andrea)2人(SとA)のピニンファリーナ(Pininfarina)を記念して造られた“599 GTB フィオラーノ(599 GTB Fiorano)”のオープンヴァージョンです。

このクルマの特徴は、オープンとされたキャビン後方に“360スパイダー”や“F430スパイダー”などのミッドシップオープンモデルと類似した処理を施し、そこに左右対となる特徴的な“フライング バットレス(飛梁)”が設けられていることです。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:92mm × 75.5mm,5,999cc,620馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンを搭載し、最高速は330km/hに達しました。

フェラーリ カリフォルニア T(Ferrari California T)

“カリフォルニア T”は、フェラーリのロードカーとして、あの伝説的なモデル“F40”以来のターボテクノロジーが復活したモデルとなります。また、それと並行して今シーズン(2014年シーズン)からF1にもターボエンジンが復活しました。

また、“カリフォルニア T”は2+2のシート配置と折り畳み式の洗練されたメタルトップを備え、贅沢が約束されたグランドツーリングカーでもあります。

パワーユニットは、ボア径 × ストローク:86.5mm × 82mm,3,855cc,560馬力のバンク角90°V型8気筒ツインターボチャージドエンジンを搭載し、最高速316km/hを実現しているようです。

2008年に発表された“カリフォルニア(California)”のビッグマイナーチェンジモデルと言える“カリフォルニア T”ですが、ヨーロッパで主流のダウンサイジングターボの流れを受けた最初フェラーリのロードカーと言えますね。

前モデルは、ネーミングからも判るように前述の“250 GT カリフォルニア スパイダー”にインスパイアされたデザインコンセプトを採用していましたが、このモデルでは↑フロントフェンダーのキャラクターラインに、ポンツーンフェンダーを採用した'50年代の“250 テスタロッサ”の面影を見ることが出来ます♪

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”パート3は以上になります。

フェラーリ ロードカーの歴史を“アメリカ”という視点から振り返ってみると、やはり主要マーケットとして、フェラーリのラインナップにも大きな影響を与えていることが判る面白い企画だったと思います。

ロードカー特集ということで、結構あっさり終わるかと思ったのですが、車両解説だけでは物足りず(笑)追記が多くなって、結局長くなってしまいました^^;

最後まで読んで頂いて、ありがとうございますm(_ _)m

次回は、いよいよムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”編最後の“パート4”として、ペブルビーチ(Pebble Beach)を模したエリアに展示されたフェラーリのスペシャルモデルを中心にレポートします。

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