お久しぶりです!すっかり暑い日が続き更新も滞り気味ですが・・・引き続き、欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”パート2では、珠玉のフェラーリ GTカーとスポーツカー(プロトタイプカー)をレポートしていきます♪(例にもれず長くなっていますので、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
1964年 フェラーリ 330 P(Ferrari 330 P)
“330 P”は、3.3リッターエンジンを搭載するスポーツカー(プロトタイプカー)“275 P”に、4リッターエンジンを換装したモデルでファクトリーチーム及び、プライベーターによって1964年シーズンを戦いました。
“330 P”と“275 P”はエンジンが異なるのみで、1964年中に両車のシャシは僅か3台が製作され、出場するレースの特性に合わせて3.3リッターエンジンと4リッターエンジンを使い分けていました。
パワーユニットは、ボア径 × ストローク:77mm × 71mm,3,967cc,370馬力のバンク角60°V型12気筒エンジンを搭載した“330 P”は、最高速度265km/hを実現したようです。
フェラーリのミッドシップ スポーツカー(プロトタイプカー)として開発された“Pシリーズ”の初期のモデルで、“275 P”も3リッターエンジンの“コロンボユニット”を搭載する“250 P”から発展したクルマになります。
これ以降、“Pシリーズ”は“330 P2”⇒“330 P3”を経て、1967年の“デイトナ24時間レース(Daytona 24 Hours Race)”で1-2-3フィニッシュを飾った伝説的な名車“330 P4”へと発展していきます。
'60年代は、まだ空力的な面でもロードカーとレースカーの境界線が曖昧だった時代で、流麗で美しいボデーラインが見られます!
また、当時のイタリアンレーサーのセオリーともいえる外装にロッソコルサ(赤)、そしてシートにアズーロ(青)の配色が良い雰囲気ですね♪
1973年 フェラーリ 365 GTB4 “デイトナ” Gr.4(Ferrari 365GTB4 "Daytona" Gr.4 S/N:16363)
365GTB4“デイトナ”のカスタマー向けコンペティションモデルは、1971年~1973年の間にシリーズⅠ~シリーズⅢの3つの仕様が、それぞれ5台ずつ製作されました。
このモデルは、1972年の“トゥール・ド・フランス・オート(Tour de France Auto)”に勝利したのを皮切りに、1972年,1973年,そして1974年のルマンでもクラス優勝を挙げています。また、1979年の“デイトナ24時間レース(Daytona 24 Hours Race)”でも2位に入るなど、長きにわたって活躍しました。
パワーユニットは、ボア径 × ストローク:81mm × 71mm,4,390cc,370馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度290km/hを実現しました。
今回の展示エリアは、すべてのクルマが甲乙つけがたい珠玉のフェラーリ達ですが、中でも時を忘れていつまでもその場にいたい!と思ったクルマが2台あります^^;
この“デイトナ Gr.4”が、まずその1台です。この個体(S/N:16363)は、いわゆる“デイトナ コンペティツィオーネ(レース仕様 = Gr.4)”のシリーズⅢとして、1973年に製作された5台のうちの1台で、フランスの電機メーカー“トムソン(THOMSON)”のスポンサードで、同じくフランスのプライベーター“シャルル ポッジ(CH.POZZI)”からルマンに参戦したクルマです。
“デイトナ Gr.4”とロードカーとの違いは、多岐にわたりますがエクステリアだけを見ても、フロントフード上の整流フィン↓や
バンパーレス化によりグリル下端まで覆うように装着されたプレクシーグラスのヘッドライトカバー↓
リヤもフロント同様にバンパーレス化され、トランクリッドを留めるラバーラッチ↓がコンペティション風情を醸し出しています。
また、エキゾーストパイプはサイド出し↓となり、
しかしトレンドマイクロ↑って・・・あのウイルスをバスターする奴じゃね?後年になって、クラシックレースイベントか何かの際に貼られたモノでしょう・・・^^;
そして、前/後7.5Jから前9J/後11Jへと拡大されたホイール&タイヤを収めるために、前後ともにオーバーフェンダーが設けられています。
1974年 ディーノ 308 GT4/LM(Dino 308 GT4/LM S/N:8020)
ベルトーネ(Bertone)によってデザインされた“Dino 308 GT4”は、V8エンジンと2+2のシートレイアウトを備えて、1973年に“ディーノ(Dino)”のナインナップに追加されました。
この展示車両は、ルイジ・キネッティ(Luigi Chinetti)の立ち上げた有名なレーシングチーム“ノース アメリカン レーシング ティーム(North American Racing Team = N.A.R.T.)”によって独自に製作されたレース車両で、1974年のルマン24時間レースに出走しました。
パワーユニットは、ボア径 × ストローク:81mm × 71mm,2,926cc,280馬力のバンク角90°V型8気筒エンジンを搭載して、最高速260km/hを実現しました。
そして、時を忘れていつまでもその場にいたい!と思ったクルマ第2弾がこの“ディーノ 308 GT4/LM”です^^;
この個体(S/N:8020)は、正に前回のレポートで、自分が“フェラーリ × アメリカ”といえば即座に浮かぶと言っていた、ロッソコルサ(赤)の車体にアメリカのナショナルカラー(白&青)のストライプが特徴的な“N.A.R.T.”の車両の1台になります!
ロードカーの“ディーノ 308 GT4”と言えば、ベルトーネ特有のウエッジシェイプが効いた直線基調のボデー↓が特徴的ですが、
※日本自動車博物館にて撮影
まず、フロントバンパーレス化に伴いリトラクタブルライトを廃止し、グリル内に固定式ヘッドランプの移設↓
ロードカーではブラックアウトされているフロントフード上のエアアウトレットはグリルレス化され、補強のためのタワーバーらしきモノ↓が見えています。
そして、最も派手にモディファイされている部分が、この↓リヤセクション^^;
ロードカーの7Jから10.5Jに拡大されたホイール&タイヤを収めるためのブリスターフェンダーをはじめとして、
通常、ロードカーではエンジンルームとトランクリッドで分割されている開口部を一体化し、そこに放熱孔を配置↓
更には、後端から大きくはみ出る様に、大型のスポイラーが追加されています!
コクピット内を覗いてみると、色々とレース用のアイテムが設置されてはいますが、2+2のシートレイアウトが、そのまま残されているようです。
また、左ドア後ろのボデーを切りぬいて、外部から一目でオイルレベルが分かるような細工↓が施されているのが、レースカーならではで面白いですね^^;
1990年 フェラーリ F40 LM(Ferrari F40 LM)
“F40”は、「ロードカー的なスタイリングをまとった(公道走行が可能な)過激なレースカー」として発表されるや、瞬く間に伝説となりました。
“F40 LM”は、プライベートレーサー向けのレース車両として開発され、数々のプライベートチームによって、アメリカのIMSAレースシリーズや欧州のBPRレースシリーズを戦いました。
パワーユニットは、ボア径 × ストローク:82mm × 69.5mm,2,936cc,720馬力のバンク角90°V型8気筒ツインターボチャージドエンジンを搭載して、最高速367km/hに達しました。
F40でのレース活動は、この“F40 LM”や後の“F40 GTE”などのほかにも、“F40 LM”をベースに外観をロードカー風にしたレース車両で、イタリアGT選手権へも参戦し圧勝していました。しかし、BPRレースシリーズがスタートした1994年や、ルマンでGT1クラスが主役となった1995年頃には、既に当時の最新マシン(マクラーレンF1 GTRなど)と比べると旧態依然としたシャシ構成などから、次第に後塵を拝するようになりました。
このことが影響してか、後継モデルとなる“F50”のレース仕様車“F50 GT”も開発されましたが、当時の社長 ルカ・ディ・モンテゼーモロ(Luca di Montezemolo)が「フェラーリのフラッグシップモデルがレースで負けるなんて、許されない!」と言ったとか言わないとか(笑)で、計画は白紙になっています^^;
以降、フェラーリのGT1カーは、“550マラネロGTS”,“575M GTC”と、V12エンジンをフロントに搭載したロードカーをベースに製作されています。
1994年 フェラーリ 333 SP(Ferrari 333 SP)
1994年、フェラーリは20年間不在だったスポーツカーレーシングの世界に、この“333 SP”とともに戻ってきました。
このクルマは、F1用をベースとした4リッターV型12気筒エンジンを搭載して、1995年,1997年そして1998年の“セブリング12時間(12 Hours of Sebring)”で勝利を挙げた他、1998年のデイトナ24時間レースにも優勝しています。
パワーユニットは、ボア径 × ストローク:85mm × 58.7mm,3,997cc,600+馬力のバンク角65°V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度320km/hに達しました。
ステアリングメーカー“モモ(MOMO)”の創業者であり、当時現役でレース活動もしていたジャンピエロ・モレッティ(Giampiero Moretti)の依頼で、アメリカのIMSAシリーズに向けて、レーシングコンストラクター“ダラーラ(Dallara)”とのジョイントプロジェクトで製作された“333 SP”。
主戦場は正に今回のテーマとなっている“アメリカ”のIMSA・WSCクラスでしたが、ルマンや欧州のスポーツカーレーシングシーンにも参戦を果たしています。
この片側2灯のドライビングランプ↓は改良型のもので、初期型は片側1灯でした。また、後年にルマンに参戦した車両には、ロングテール仕様の個体もあります。
当時のIMSA・WSC及びLMPクラスのマシンは、“ライリー&スコット マークⅢ(Riley & Scott Mk.Ⅲ)”や“クラージュ C34(Courage C34)”などのようなCカー時代のデザインを踏襲した屋根無しプロトカーが多かったのに対して、この流麗なボデーラインを持った“333SP”の存在は、際立っていたのを覚えています。
2011年 フェラーリ 458 GT2(Ferrari 458 GT2)
“458 GT2”は、プライベートチーム向けのレース車両として2011年に導入され、ルマンを含む世界中の国際格式のGTシリーズで、今日まで多くの勝利を刻み続けています。
“458 GT2”は、GT2クラスにおいて2011年,2012年,2013年にワールドチャンピオンを獲得しています。
パワーユニットは、ボア径 × ストローク:94mm × 81mm,4,498cc,465馬力のバンク角90° V型8気筒エンジンを搭載して、最高速度310km/hを実現しました。
欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”パート2は以上になります。
ムゼオ フェラーリ マラネッロの車両解説は、どれも比較的シンプルでやや淡泊なのですが、今回の展示車はどれもお気に入りと言ってもいいクルマばかりだったので、つい追記が多くなって長くなってしまいました^^;
最後まで読んで頂きありがとうございますm(_ _)m
次回は、フェラーリのロードカー(市販モデル)を中心にレポートします!
“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ(Museo Enzo Ferrari Modena)”を後にした欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015は、いよいよフェラーリの本拠地マラネッロ(Maranello)へ向かいます。(いつも通り長編のため、お時間のある時にゆっくりどうぞ~^^;)
まずはマラネッロへ向かう前に、思い出の地“モデナ駅”に立ち寄りました。
学生時代に“欧州鉄道の旅”をした際に、フランクフルト(ドイツ)から一人 夜行列車に乗って、ミラノ経由で初めて降り立ったのが、このモデナ駅でした。
当時はスマホはおろかケータイの国際ローミングもない時代、日本から印刷していったグーグルマップ(まだ当時は番地が書かれただけの本当のマップだった)を片手に、ユースホステル(安宿)を探し回ったのも、今ではいい思い出です^^;
モデナの駅前から、前回レポートした“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”方面に戻り、
通り過ぎると、5ブロックほど先にはマセラティ本社が↓あります。
ルームスターは、そのままモデナの郊外に出ました。
マラネッロはモデナ近郊の小さな町なので、そう遠くないうちにマラネッロの街中に入りました♪
マラネッロの街中には、このように至る所にフェラーリグッズショップを兼ねたミニカー屋やおもちゃ屋があります。マラネッロには、フェラーリの公式グッズショップ“フェラーリストア(Ferrari Store)”もありますが、こういった個人経営のお店は、たまにマニアックな掘り出し物も残っていたりするので、探索するとおもしろいです^^;
ちなみに、このお店“Giorgio Giochi”では過去にランチア デルタのFFベースグレード(オーバーフェンダー無し&角目ライト)の1/43ミニカーを掘り出したことがあります。爆
フェラーリ本社の正門がある“アベトーネ通り”に入りました。
正門を拝んでから、正門前の交差点を“リストランテ キャバリーノ”の方に曲がって“ムゼオ フェラーリ”に行こうとしたら、リストランテ キャバリーノ前にゲートができていて曲がれないようになっていたので、フェラーリ社の所有するテストコース“ピスタ ディ フィオラノ(Pista de Fiorano)”↓付近まで来てしまいました・・・^^;
“ムゼオ フェラーリ マラネッロ”に到着!
ここ“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”は、以前は“ガレリア フェラーリ(Galleria Ferrari)”と呼ばれ、フェラーリの歴代ロードカーやレースカー,フォーミュラーカーなどを展示していたフェラーリの総合ミュージアム的な存在でしたが、現在は前回までレポートしていた“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”と同様にテーマを設けた企画展を中心に展示しているようです。
今回の企画展テーマは、
“夢見るカリフォルニア(California Dreaming)”
エンツォ・フェラーリがレース界で成功を収めたのと同様に、自動車メーカーとしても成功を収めるためには、アメリカはとても重要な存在でした。そんなアメリカの中でも、とりわけ カリフォルニア から受けたオーダーによる利益は、マラネッロの小さなコンストラクターとって、自動車メーカーとしての成長に必要な投資のための安定した資金と手段を得るのに貢献しました。
またフェラーリは、エンツォの友人でありアメリカにおけるフェラーリ車の輸入業者でもあったルイジ・キネッティ(Luigi Chinetti)と協同で、“カリフォルニア(California)”のために特別なクルマを設計・開発してきました。その中でも、この伝説的な“あだ名”を持つ、1957年に誕生した“250 スパイダー(250 Spider)”は、最も有名な例です。
今回の企画展では、アメリカの特にカリフォルニアとフェラーリとの結びつきを表しています。西海岸において、跳ね馬が際立つ存在であるアイコンの“ラグナ・セカ レーストラック(Laguna Seca race track)”や魅力的なコンクールデレガンスの舞台として知られる“ぺブル ビーチ(Pebble Beach)”,魅力に満ちたロサンゼルス(Los Angeles)の街並み,ハリウッド(Hollywood)の映画のワンシーン、そして見逃すことのできないシリコンバレー(Silicon Vally)などを、再現しています。
この再現された世界でセルフィー(あなた自身の写真)を撮って、ハッシュタグ#MuseoferrariMaranelloと共に投稿しよう!そして友達に、あなたがマラネッロにいるのか、それとも即行でアメリカに旅行したのか、どっちか聞いてみよう!(笑)
という、最後はなんか今の時代を象徴するようなイントロダクションですが(^^;)、フェラーリにとって重要なマーケットとして欠かすことのできないアメリカ、そしてカリフォルニアとの深い関係をテーマとした企画展のようです。
個人的には、フェラーリ×アメリカと言えば、イントロダクションにも登場したルイジ・キネッティ率いる“N.A.R.T(North American Racing Team=ノース アメリカン レーシング ティーム)”が即座に頭に浮かびますが、果たしてN.A.R.Tのレースカーは展示されているかな^^;
では、さっそく観ていきましょう!前置きが長くなりましたが、“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”パート1では、フェラーリを象徴する存在と言ってもいいオープンホイールカー(フォーミュラカー)のクルマ達をレポートしていきます。
1949年 フェラーリ 166 F2(Ferrari 166 F2)
この2リッターV12エンジンを搭載した“166 F2”は、1949~1951年シーズンにかけて、ファクトリーチームやプライベーターによってレースに出場するとともに、F1カー(後述するエピソードから375 F1と思われる)にも同様のシャシーが使用されました。
F1仕様車は1951年のシルバーストーンで、フロイラン・ゴンザレス(Floiland Gonzalez)のドライブによって優勝し、フェラーリにF1世界選手権 初勝利をプレゼントしました。また、アルベルト・アスカーリ(Alberto Ascari),ファン・マニュエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio),ルイジ・ヴィロレーシ(Luigi Villoresi)などの手により、多数の勝利を刻みました。
パワーユニットは、ジョアッキーノ・コロンボ(Gioachino Colombo)設計の、ボア径×ストローク:60mm×58.8mm,1995cc,160馬力のバンク角60° V型12気筒エンジンを搭載しています。
1952年 フェラーリ インディアナポリス(Ferrari Indianapolis)
フォーミュラ1(F1)世界選手権初期の頃、インディアナポリス500マイルレースは、F1シリーズの1戦として世界選手権のレースリストに含まれていました。1952年エンツォ・フェラーリは、インディアナポリス用のクルマを製作して、アルベルト・アスカーリのドライブによって、このイベントに参加することを決定しました。
インディアナポリス仕様のレースカーは、このレースのレギュレーションに合わせたF1車両と排気量の異なる4,382ccのV型12気筒エンジンを搭載していて、オーバルコースに対応するためにホイールベースが延長されました。
展示車両は当時オリジナルの個体ですが、インディアナポリス500マイルレースの後にも改修されて、F1世界選手権のその他のレースに参戦したようです。
つまり、現在は“375 F1”に改修されて戻されているようなので、当時のインディアナポリス参戦車両は、この↑車両解説の写真の中でしか見られないことになりますね。しかし、レギュレーションの異なる“インディ500”が、F1シリーズの1戦として組み込まれているなど、なかなかF1黎明期の手探りな苦労が感じられますね^^;
こちらは、カリフォルニアのレーストラックとサーキット一覧の展示↓
中でも、恐ろしい“コークスクリュー”シケインを持つ“ラグナ・セカ レーストラック(Laguna Seca race track)”は何十年もの間、カリフォルニアのモータースポーツの象徴でもあります。
1971年 フェラーリ 312 B2 F1(Ferrari 312 B2 F1)
“312 B2”は、1971年シーズンに向けて“312 B”を発展させたF1カーです。このクルマは、ジャッキー・イクス(Jacky Ickx)のドライブで、その年のオランダGPで勝利を挙げました。
また、このクルマはアメリカの著名なレーシングドライバー マリオ・アンドレッティ(Mario Andretti)もドライブしたそうです。
パワーユニットは、マウロ・フォルギエリ(Mauro Forghieri)設計のボア径×ストローク:80mm×49.6mm,2,991.8cc,480馬力のバンク角180° V型12気筒エンジンを搭載しています。
“312 B2”の“B”は、この180°V型(当時のフェラーリの認識としては、180°V型って水平対向じゃね?的な・・・^^;)エンジンの“ボクサー(Boxer)”に由来しています。
また、リヤブレーキはインボードタイプのようで、リヤカウル後端からブレーキ冷却用のダクトがリヤディスクまで伸びていますね。
1979年 フェラーリ 312 T4 F1(Ferrari 312 T4)
1979年シーズンを戦った“312 T4 F1”は、フラット12エンジンを搭載したフェラーリのF1カーとして、最後から2番目の進化ヴァージョンになります。
このクルマは、南アフリカ出身のジョディ・シェクター(Jody Scheckter)をワールドチャンピオンにし、チームメイトには北アメリカ(カナダ)出身のジル・ヴィルヌーブ(Gilles Villeneuve)が起用されました。
パワーユニットは、前述の“312 B”シリーズから引き継がれた、ボア径×ストローク:80mm×49.6mm,2,991.8cc,515馬力のバンク角180° V型12気筒エンジンを搭載しています。
“312 T4”の“T”は、この“312 T”シリーズから採用された横置き(トランスバース:Transverse)トランスミッションに由来しています。このネーミング手法は、その後ロードカーでも取り入れられ、1989年に発表された縦置きV8エンジン+横置きトランスミッションの“348”が、それぞれクーペモデルに“348 tb”,タルガトップモデルに“348 ts”と名付けられました。
リヤブレーキは、“312 B”シリーズから引き続きインボードタイプが採用されていて、冷却ダクトもカウルと一体型になっています。
“312 T”シリーズは、ニキ・ラウダ(Niki Lauda)とジェームス・ハント(James Hunt)の戦いを描いた映画“ラッシュ(Rush)”の中でも、“312 T”,“312 T2”が登場していますね。
1987年 フェラーリ ティーポ 637 フォーミュラ カート / インディ(Ferrari Tipo 637 Formula CART / INDY)
このインディカー(Indy Car)プロジェクトは、1985年のF1レギュレーション改定案に抗議する意図で、“フェラーリはF1世界選手権からの撤退も辞さない”という政治的なメッセージを込めて、1987年に発表されました。
1986年シーズン中、秘密裏に開発されたこの“ティーポ 637”が功を奏し、F1レギュレーションはエンツォ・フェラーリの望む方向に向かったことから、このプロジェクトは中止されました。
パワーユニットは、ボア径×ストローク:86mm×57mm,2,649cc,690馬力のバンク角90° V型8気筒エンジンを搭載しています。
レース界における政治的な働きかけは、エンツォ・フェラーリ及びフェラーリのお家芸とも言えますが、こういった動きができるのも、F1界及びレース界で確固たる地位を確立しているからこその出来事ですね^^;
1991年 ローラ T91/00 アルファ ロメオ カート / インディ(Lola T91/00 Alfa Romeo CART / INDY)
前述の中止された“フェラーリ インディカー プロジェクト(ティーポ 637)”によって開発されたエンジンは、同じフィアット グループ内のアルファ ロメオ(Alfa Romeo)に引き継がれました。
“ティーポ 637”のV8ユニットは、ローラ(Lola)製のシャシーに搭載されて、1991年のインディーカーシーズンにダニー・サリバン(Danny Sullivan)のドライブで出場しました。シーズン中のベストリザルドは、第1戦 ゴールドコーストGPの4位フィニッシュだそうです。
2009年 フェラーリ F60 F1(Ferrari F60 F1)
このクルマは、F1にスリックタイヤが復活し、エネルギー回生システム(Kinetic Energy Recovery Systems = KERS)が導入された2009年シーズンを戦ったF1カーです。モデル名は、フェラーリのF1ワールドチャンピオンシップへの60年連続参戦を記念してつけられたそうです。キミ・ライコネン(Kimi Räikkönen)が、この“F60 F1”で、その年のベルギーGPに勝利しています。
パワーユニットは、ボア径×ストローク:98mm×39.7mm,2,398ccのバンク角90° V型8気筒エンジンを搭載しています。
ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”パート1は、以上になります。フェラーリのレース活動と言えば、依然としてヨーロッパ色の強い“F1”の存在が絶対的ですが、黎明期のインディアナポリス参戦や北米大陸出身のレーサーの活躍,80年代のインディカー計画など、オープンホイールカー(フォーミュラーカー)の世界でも、アメリカとの結びつきが少なからず見られた展示だと思います。
次回は、いよいよ珠玉のフェラーリのGTカー,スポーツカーをレポートしたいと思います。
こんにちは!
だいぶ時間が空いてしまいましたが、欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015は、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート3として、引き続き企画展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”の模様をレポートしていきます。(今回も長編ですので、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
前回を読み返したい方は、こちら↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35342544/
“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”編を最初から読みたい方は、こちら↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35123304/
欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015を最初から読みたい方は、こちら↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35064111/
1947年 マセラティ A6 1500 ピニンファリーナ(Maserati A6 1500 Pininfarina)
このモデルは、マセラティが最初に開発したロードカーです。このプロジェクトは、1940年にモデナでスタートし、第二次大戦中も開発が続けられました。プロジェクトは数々の問題を解決し、最終的に完成したのは1947年になってからでした。車体はバティスタ・ピニン・ファリーナ(Battista "Pinin" Farina)が製作を担当しました。
展示車両は、ミラノで行われた“第1回イタリアン カロッツェリア展覧会(1° Mostra della corrozzeria Itariana alla Triennale di Milano)”に展示されたプロトタイプ2台のうちの1台で、数年前にアルゼンチンからイタリアに戻され、近年オリジナルの状態にレストアされたそうです。
パワーユニットは、1,488cc,65馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速153.5km/hを実現しました。
マセラティ初のロードゴーイングカーということで、フロントグリル周りのデザインに、前回レポートしたマセラティのグランプリカーの面影が見られますね。
この“A6 1500”真横から見ると、かなりの“ロングノーズ ショートデッキ”なプロポーションで、グランプリカー譲りのディメンションであることが分かります!
1956年 マセラティ A6G/54 ベルリネッタ ザガート(Maserati A6G/54 Berlinetta Zagato)
1954年、“A6 1500”とシングルカムシャフトの“A6G 2000”の後に、レーシングユニットに由来するツインカムを備えた“A6G/54”の生産を開始しました。シャシはフルア(Frua),アレマーノ(Allemano),ザガート(Zagato)のカロッツェリア(ボデー架装工房)に割り当てられ、ボデーワークを担当しました。
ザガートは、1台のみ造られたスパイダーヴァージョンと20台が造られたベルリネッタヴァージョンを提案しました。ベルリネッタの20台は、すべて異なるデザインで造られ、そのうちの2台にはザガートのシンボルとして有名な“ダブルバブルルーフ”が施されたそうです。
パワーユニットは、1,985cc,150馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度210km/hに達しました。
前回のマセラティ100周年記念展のイントロダクションとともに展示されていたA6G/54のベルリネッタヴァージョンですね。そして、前回登場のA6G/54は、ボデーワークもピエトロ・フルアの担当でしたが、こちらはザガートとなっています。両車を比べてみると、芸術的な“フルア”と工芸的でマッシヴな“ザガート”。同じクルマでもカロッツェリアによって、ここまでキャラクターが変わるのも、カロッツェリア(ボデー架装工房)全盛だった時代ならではですね♪
1961年 マセラティ 3500GT トゥーリング(Maserati 3500GT Touring)
マセラティは、1957年のジュネーヴショウで“トゥーリング(Touring)”と“アレマーノ(Allemano)”が、それぞれボデーワークを担当した2台の新しい“3500GT”を発表しました。1958年から開始された量産モデルには、小径鋼管フレームとアルミニウム薄板外板を用いたスーパーレジェラ工法により、軽量化と騒音レベルが保証された“トゥーリング”のモデルが選ばれました。
“3500GT”は、ギヤボックスのアップデートとフューエルインジェクションの採用によって、1964年まで生産され、パワーユニットは3,485cc,230馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度230km/hを実現しました。
1961年 マセラティ 5000GT “インディアナポリス”アレマーノ(Maserati 5000GT “Indianapolis” Allemano)
初めて“5000GT”のプロトタイプが発表されたのは1959年で、ペルシア国王のために、レースシーンで活躍した“450S”からエンジンを流用して造られました。プロトタイプの車体は、北イタリアのミラノにあるカロッツェリア“トゥーリング(Touring)”が製作を担当しました。
この展示車両は、最初のプロトタイプの後に製作されたモデルで、コンペティション用のみならず、一般走行にも対応した新しいエンジンを搭載しているようです。初期のフレームは、顧客の望むクルマに仕上げるために、彼らの信頼するカロッツェリア(ボデー架装工房)に運ばれた後に、顧客に引き渡されました。
このクルマは、トリノのカロッツェリア“アレマーノ(Allemano)”で製作されたプロトタイプで、イタリア人カーデザイナーのジョヴァンニ・ミケロッティ(Giovanni Michelotti)によってデザインされました。マセラティ社は、この“アレマーノ”のデザインを生産ラインナップに導入しました。このクルマは、フロントグリルに標準モデルと異なるデザインを施され、アメリカの富豪に12000ドルで販売された個体だそうです。
パワーユニットは、4,941cc,325馬力のDOHC,バンク角90° V型8気筒エンジンを搭載して、最高速度270km/hを実現しました。
1966年 マセラティ ミストラル スパイダー(Maserati Mistral Spyder)
マセラティは1963年のトリノ モーターショウで、テールゲートとバンパーよりも下に設けられたエアインテークが特徴的なピエトロ・フルア デザインの新しい2シーター ベルリネッタを発表しました。また、翌1964年のジュネーブショウには、このコンバーティブル仕様も発表しています。
当初、このクルマには3,500ccと3,700ccの2種類のエンジンが搭載されましたが、1966年に4,000ccエンジンがラインナップに追加されました。“ミストラル スパイダー”は、ちょうど120台が生産され、また映画“Bobo(邦題:無責任恋愛作戦)”ではブリット・エクランド(Britt Eklund),ピーター・セラーズ(Peter Sellers)らと共にメインキャラクターを務めたようです。
パワーユニットは、3,692cc,245馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度は245km/hに達しました。
1965年 マセラティ クアトロポルテ(Maserati Quattroporte)
マセラティは、“3500 GT”のような大成功を収めたモデルのモデルチェンジが、容易ではないことを知っていました。そこでマセラティは1963年のトリノショウで、この“クアトロポルテ(Quattroporte)”と前述の2シーターベルリネッタ“ミストラル”の対照的な2台を同時に発表するという英断を下しました。
クアトロポルテは“世界最速のセダン”として、政府高官やビジネスマン,俳優,スポーツ選手などに愛用され、瞬く間にマセラティのモデルレンジにおける屋台骨となりました。展示車両は、イタリアを代表する俳優 マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)がファースト オーナーだそうです。
パワーユニットは、4,136cc,260馬力のDOHC V型8気筒エンジンを搭載して、最高速度230km/hを実現しました。
1970年 マセラティ ギブリ SS(Maserati Ghibli SS)
1966年、マセラティはトリノのショールームで“ギブリ(Ghibli)”を発表しました。デザインは、イタリアのカロッツェリア(ボデー架装工房)“ギア(Ghia)”社の自動車デザイナー ジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)が担当しました。
搭載された4.7リッターエンジンには、ルマン(Le Mans)に出場したレースカー“ティーポ151(Tipo 151)”と同様にドライサンプ方式のオイル潤滑システムを採用して搭載位置を下げることで、この極端に低いフードのデザインを可能にしました。
“ギブリ”はデビュー当時から商業的に大きな成功を収めたモデルで、この展示車両は1970年より排気量が拡大された4,930cc,335馬力のDOHC V型8気筒エンジンを搭載したモデルです。
ここからは、戦後のマセラティのレースカーとスペチアーレについて紹介していきます。
1957年 マセラティ 150GT スパイダー ファントゥッツィ(Maserati 150GT Spider Fantuzzi)
1957年、アドルフォ・オルシ(Adolfo Orsi)は3500GTと共に小排気量モデルをラインナップさせるべく、2台目のモデルを販売することを決定しました。
このプロトタイプは、レース用シャシーとわずかにデチューンされた“150S”の直列4気筒エンジンを組み合わせて製作され、ボデーワークは当時のマセラティのすべてのレース車両を手掛けていたモデナのコーチビルダー メダルド・ファントゥッツィ(Medardo Fantuzzi)が担当しました。
パワーユニットは、1,484cc,140馬力のDOHC直列4気筒を搭載して、最高速度220km/hを実現したそうです。その名が示す通り、小排気量ながら優美な曲線で構成されたボデーは、“バルケッタ”というより“GT”という言葉が似合いますね。
1954年 マセラティ 250F(Maserati 250F)
“250F”は、“芸術的な美しさ”と“機械的な効率の良さ”を兼ね備えた1950年代の典型的なシングルシーターです。1953年のジョアッキーノ・コロンボ(Gioachino Colombo)によって開発され、その後はジュリオ・アルフィエーリ(Giurio Alfieri)とヴァレリオ・コロッティ(Valerio Corotti)により、シーズンごとに改良が加えられました。
“250F”のレース生命は長く、フォーミュラ1(Formula 1)で2.5リッターエンジンが使用されている期間使い続けられました。最初の勝利は1954年のグランプリにプライベートエントリーされた“250F”が挙げ、最後のレースは2.5リッターエンジン最後の年となった1960年でした。ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)のドライブで、1954年と1957年にワールドチャンピオンに輝いたことで、このクルマは不朽の名声を得ることになりました。また、スターリング・モス(Stirling Moss)がグランプリレースにデビューするきっかけになったクルマでもあるそうです。
パワーユニットは、2,494cc,270馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度は290km/hを実現しました。
1960年 マセラティ ティーポ60 “バードケージ”(Maserati Tipo 60 “Birdcage”)
“ティーポ 60(Tipo 60)”は、ジュリオ・アルフィエーリ設計の風変わりな軽量構造のシャシを採用していたため、英国のメディアから“バードケージ(Birdcage)=鳥かご”というニックネームが付けられました。
“バードケージ”は、1,990cc(Tipo 60)と2,980cc(Tipo 61)の2つの異なる排気量のエンジンが搭載され、1960年にはスターリング・モス/ダン・ガーニー(Dan Gurney)組が、そして1961年にはロイド・キャスナー(Lloyd Casner)/マステン・グレゴリー(Masten Gregory)組が、それぞれ“ニュルブルクリンク1000kmレース”で優勝しています。数多くのダイナミック(動的な)性能を要求される“テストベンチ”としても知られる“ニュルブルクリンク”での勝利は、次代のレーシングカーの可能性を示しました。
“バードケージ”は、前述のロイド・キャスナーが立ち上げた“カモラディ(Camoradi = Casner Motor Racing Division)”をはじめとしたプライベーターの手に渡り、アメリカのレース(SCCAなど)で多くの勝利を手にし、またイタリア国内においてもオドアルド・ゴヴォーニ(Odoardo Govoni),メナート・ボッファ(Mennato Boffa)によってヒルクライムイベントで活躍したそうです。
いわずと知れた“バードケージ”ですが、展示車両は1,990cc,200馬力のDOHC直列4気筒ユニットを搭載した“Tipo 60”のようです。このプロポーションからは、とてもフロントに4気筒ユニットが入っているように見えませんが、エンジンを45°寝かせて搭載しています。
“バードケージ”の由来となった極細鋼管を無数に配したシャシフレーム構造↑
この個体は、典型的なイタリアンバルケッタの配色である外装色=ロッソ(赤),シート=アズーロ(青)の組み合わせが、カッコいいですね♪
1959年 マセラティ 5000 GT “シャー ディ ペルシア” トゥーリング(Maserati 5000GT “Scia di Persia” Touring)
1958年、ペルシア(イラン)国王はマセラティに“世界最速のクルマ”を造って欲しいと依頼しました。
マセラティはレースカー“450S”のV型8気筒エンジンをベースにした新しい5リッターエンジンを製作し、“3500GT”とよく似た構造の鋼管スペースフレームと組み合わせて、“仕立てる”ように、カロッツェリア(ボデー架装工房)“トゥーリング”を指名しました。
この最初の“5000GT”が造られた後に、世界中の上流階級に向けて計33台の“5000GT”が“アレマーノ”,“ベルトーネ(Bertone)”,“フルア”,“ギア”,“ミケロッティ”,“モンテローザ(Monterosa)”,“ピニンファリーナ”の手によって生み出されました。
パワーユニットは、4,938cc,325馬力 バンク角90°のV型8気筒エンジンを搭載して、最高速度260km/hに達したそうです。
“3500GT”に比べて、全体的にクリーンなボデーラインを持っていますが、この“鼻”↑が特徴的な造形で、ちょっとファニーフェイスな印象を受けますね^^;
1959年 マセラティ 3500 GT ヴィニャーレ スパイダー(Maserati 3500 GT Vignale Spyder)
マセラティの市販GTカーには、常に評論家の評価も高く、セールス的にも成功を収めたスパイダー及びコンヴァーチブルモデルがラインナップされていました。従ってマセラティが、自動車デザイナー ジョヴァンニ・ミケロッティによってデザインされ、カロッツェリア“ヴィニャーレ”で製作された“オープントップ ヴァージョン”をラインナップに加えるのは、自然なことでした。
この展示車両はプロトタイプの1台で、1959年のトリノオートショウでヴィニャーレブースに展示されていた個体とのことです。そのため、1960年より生産が開始された市販モデルとは、細部のディテールが異なっているそうです。パッと見た感じでも、リヤのコンビネーションランプが、市販型の一体型と異なり独立した丸4灯になっていたり、ボデーサイドのエアアウトレット形状、そしてフロントグリル周りなどが異なっていますね。フロントフェイスは、このプロトタイプの方がアグレッシヴで(笑)、カッコいいような気もします^^;
パワーユニットは、3,485cc,230馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度230km/hを実現しました。
1955年 マセラティ 300S(Maserati 300S)
“300S”は、1955~1957年の間に最も成功したスポーツカーの1台でした。設計コンセプトはフォーミュラーカーの“250F”と同様で、ドディオン式トランスアクスルを特徴としていました。
“300S”は、とてもバランスのとれたレースカーで、搭載される2,992.5cc,260馬力のDOHC直列6気筒エンジンも、非常に信頼性が高かったそうです。スターリング・モスは16戦中9勝を挙げ、“300S”はベスト オブ マセラティの名を刻みました。
展示車両は、初期に生産された個体でショートノーズの特徴を持っています。
左側にしかないサイド出しのエキゾーストパイプが、直列エンジン搭載のバルケッタであることを物語っていますね♪
ここで、また“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”のプロジェクションマッピングによる演出が始まりました♪
今回は、この企画展用に作られたと思われるマセラティ ヴァージョンです↓
戦前、レーシングカーメーカーとして活躍した栄光のヒストリーと、戦後歴代のGTカー、及びレースカー、そして偉大なヒストリーを築き上げてきた伝説のレーサー達をフィーチャーした素晴らしい演出に、またしても心を鷲掴みにされてしまいました^^;
2006年 マセラティ MC 12 ヴェルジオーネ コルセ(Maserati MC 12 Versione Corse)
マセラティは、レース活動を根幹として設立されたにもかかわらず、後年は高性能ロードカーの製造に注力していました。しかし、レースへは直接的にまたは間接的に関わりつづけていました。そして2004年、マセラティはコンペティションシーンに“MC12”と共に返り咲き、本来の“マセラティ スタイル”に戻りました。
“MC12”は2005年~2011年のFIA GT選手権(2010年,2011年はFIA GT1選手権)で圧倒的な強さを誇り、モデナ出身のレーサー アンドレア・ベルトリーニ(Andrea Bertolini)をはじめ様々なドライバーによって、コンスタントに勝利を刻みました。
パワーユニットは、“エンツォ フェラーリ”用をベースにしたバンク角65° 5,998cc,755馬力のDOHC V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度326km/hを実現しました。
この“MC12”は、個人的にとても思い入れ深いクルマです。というのも当時ボクは、このステファン・ラテル(Stephane Ratel)が立ち上げた“FIA GT選手権”に入れ込んでいました。
このレースシリーズは、設立当初はいわゆる“GT1”と呼ばれるカテゴリー(マクラーレンF1-GTR,ポルシェ911GT1,メルセデスベンツCLK-GTRなど)をトップカテゴリーとして競われていましたが、こうした次第にエスカレートしてきたルマンの“名ばかりGT”が撤退すると、その下の“GT2”クラス(フェラーリ 550マラネロGTS,サリーン S7R,リスター ストーム,クライスラー バイパーGTS-Rなど)をトップカテゴリーとするレースシリーズとして存続されました。
“GT1”のワークス対決も確かに魅力的でしたが、この“GT2”カテゴリーを中心としたプライベートチーム百科騒乱の“FIA GT選手権”も、また魅力的なシリーズとなりました。
そこに、登場したのがこの“MC12”でした。デイビッド・リチャーズ(David Richards)率いるプロドライブが開発した“フェラーリ550マラネロGTS”に代表されるような“常識的”なGTカーで競われていたGT選手権に、再び“GT1”の再来!?とも思わせる“MC12”の参戦は衝撃的でした^^;
※2005年 FIA GT選手権 第7戦 オッシャースレーベン(ドイツ)にて撮影
今回の欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート3は以上になります。この企画展、車両解説も大充実で思いのほか超大作になってしまいましたが(笑)、最後まで読んで頂きありがとうございますm(_ _)m
経営難から本業であるはずのレース事業を思うように続けられない苦悩の中で生み出された珠玉のロードカー達、そしてレースへの思いを断ち切らずに素晴らしいレースカーを生み出してきた戦後のマセラティを振り返ってきましたが、当時の自動車メーカーにとってカロッツェリア(ボデー架装工房)が、かけがえのない存在だったことがよくわかる展示だったと思います。
次回は、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”を離れて、いよいよフェラーリの本拠地マラネロ(Maranello)の“ムゼオ フェラーリ(Museo Ferrari)”を訪れます。
お待たせしました!
欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015は、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート2として、こちら↓前回お伝えした“エンツォの生家”の前に建つ、近代建築のミュージアムホールで開催されていた企画展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”についてレポートしていきます。
実はこのミュージアムホール、エンツォの生家よりも規模が大きく広大なので(笑)、2回に分けてレポートしたいと思います。今回は、エントラントの展示物と戦前のマセラティ レーシングカーの遍歴についてお伝えします!(例にもれず、大変長くなっておりますので、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
まずはエントラントの展示を見てみましょう!
1921年/1922年 アルファ ロメオ G1(Alfa Romeo G1)
この展示車は、アルファロメオの自動車技術者ジュゼッペ・メロージ(Giuseppe Merosi)によって、戦前(第1次大戦前)のラクシュアリーモデル “24HP”と“40/60HP”の進化版として開発されました。
荘厳な佇まいの“G1”は、当時アルファ ロメオによって生産されたクルマの中で最大で、当時の自動車マーケットで販売台数の増加を狙って、先代モデルより長く、そして強固なシャシを備えられました。
パワーユニットは、6,567cc,65馬力の高性能な直列6気筒エンジンを搭載したこの“G1”は、“コッパ・デル・ガルダ(Coppa del Garda)”のプロダクションカークラスで優勝するなど、レースにおいても成功を収めたようです。
この時代のレースカーは、クルマのボデーがまだ一体になっていなく、前から順にラジエーターグリル→エンジンカバー(ボンネット)→コクピット→ガソリンタンク→スペアタイヤといった感じに、シャシに載っているだけなのがスパルタンでカッコいいですね♪
1959年 モトスカーフォ ティモッシ - マセラティ KD800/900kgレーサー (Motoscafo Timossi - Maserati KD800/900kg Racer)
30年代前半から、マセラティ エンジンは水上での成功とも結びつきを強め、数々の世界速度記録(World speed record)を獲得しました。この伝統は1950年代まで続き、'59~'69年の間には800kgクラスと900kgクラスで11年連続でワールドタイトルを獲得するまでになりました。
ティモッシのパワーボートには、5,700ccや6,400ccのマセラティV8が搭載され、リーノ・スパニョーリ(Lino Spagnoli)やフラヴィオ(Flavio),ジョルジオ(Giorgio),リボリオ(Liborio)のグイドッティ(Guidotti)親子、エルマンノ・マルキジオ(Ermanno Marchisio)、ジャン・ルイジ・クリヴェッリ(Gian Luigi Crivelli)の手に委ねられました。展示されているボートは、1969年にクリヴェッリがワールドタイトルを獲得したパワーボートで、5,657cc,480馬力のDOHC V型8気筒ユニットを搭載しているそうです。
1953年 アルノ XI - フェラーリ ハイドロプレーン(Arno XI - Ferrari Hydroplane)
レーストラックでの成功がフェラーリとパワーボート界を引きつけ、マラネロで生み出されたエンジンはボートレーサー達をも魅了しました。この“スリーポイント ハイドロプレーン”は、800kgクラスのためにティモッシ(Timossi)が製作したボートで、1953年10月15日にアッキレ・カストルディ(Achille Castoldi)が操り、241.708km/hの世界速度記録(World speed record)を樹立したことで有名になった機体だそうです。
フェラーリは、この機体のために4,493.7ccのV型12気筒エンジンを提供しました。このエンジンは、1951年にフェラーリがF1で初めて優勝した際にフロイラン・ゴンザレス(Froilan Gonzalez)がドライブした“フェラーリ375 F1(Ferrari 375 F1)”のユニットでした。このF1用ユニットに、さらに2基のルーツ式スーパーチャージャーを追加することで510馬力を発揮したそうです。
このパワーボート、以前 御殿場にあった“フェラーリ美術館(松田コレクション)”にビッグスケールの模型が展示してあったので存在自体は知っていましたが、まさかここでお目にかかれるとは思いませんでした!しかも、フェラーリの歴史的にも貴重なパワーユニットをさらにチューンして搭載してしまうあたり、やはりエンツォは現役のレースでの勝利以外には興味がなかったのか・・・^^;
では、マセラティ100周年記念展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”をレポートします。
【イントロダクション】
エンツォ・フェラーリをメインテーマとしている当ミュージアムが、この“マセラティ100周年記念展”を開催することは、驚くべきことではありません。それはマセラティとの競争無しには、マラネロで生み出されるクルマ達は多くの成功、及び称賛を得ることは出来なかったからです。
マセラティは、エンツォがまだアルファ ロメオのレーシングドライバーであった1930年代から、“スクーデリア フェラーリ”の強力なライバルとして存在していました。エンツォは、アルフィエリ(Alfieri),マリオ(Mario),エットーレ(Ettore),エルネスト(Ernesto)のマセラティ兄弟をよく知っていました。そして、彼らはレースカーのシンボルとして“トライデント(Tridennt):三叉槍”を選びました。それは、ボローニャ(Bologna)市のシンボルであり、マセラティはボローニャを本拠地とする会社でしたが、モデナの実業家オルシ家(Orsi Family)に買収された際に、本拠地をモデナに移したことで、後にフェラーリと激しいライバル関係となりました。
なぜ“後に”なのかというと、マセラティが1939年と1940年に世界的に最も有名なレースの1つである“インディアナポリス 500 マイルレース”に勝利を収めていた時、フェラーリはまだ最初のクルマ(アウトアヴィオ・コストルツィオーネ 815:当時はまだ名前さえも決まっていなかった)を開発している最中でした。
“トライデント(Traident)”と“カバリーノ ランパンテ(Plancing Horse)”が剣を交えたのは戦後になってからで、その当時ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)は両方のメイクスで、F1ワールドチャンピオンに輝きました。このモデナとマラネロという僅か数kmの間で繰り広げられたライバル関係は、ロードカーにおいても同様であり、素晴らしいグランドツーリングカー(Gran Turismo)が両社から生み出されました。
モデナ、そしてイタリアのモータースポーツ界のランドマークとなった、このエキサイティングな戦いは、1960年代に一時中断されます。この時期、フェラーリがフィアットグループからの強力な支援を受け経営が安定する一方で、マセラティは親会社が幾度となく変更になった結果、レース活動を断念し、ロードカーマーケットにおいても異なる立ち位置を余儀なくされました。
この有名なトライデント(Trident)の“再生”の時は、1990年代にマセラティがフィアットグループに買収されたことでやってきました。そして、その再生は、かつてのライバルであった“フェラーリ(Ferrari)”に委ねられたのです。2003年に発表された“クワトロポルテ(Quattroporte)”が、その新しいスタートとなりました。今回の企画展ではマセラティの100周年を祝い、かつてない規模で重要かつ歴史的意義の大きいモデルや驚異的なモデル達を展示しています。
と、かなり驚異的な企画展のようです^^;
さっそく観ていきましょう♪
1954年 マセラティ A6G/54 カブリオレ フルア(Maserati A6G/54 Cabriolet Frua)
1954年にマセラティは、レーシングシーンから派生したDOHCユニットを使った“A6G/54”の生産を開始し、ボデーワークはフルア(Frua),アレマーノ(Allemano),ザガート(Zagato)のカロッツェリア(ボデー架装工房)に割り当てられました。ピエトロ・フルア(Pietro Frua)は、ベルリネッタとコンバーチブルの2つのボデーワークを提案し、2種類のボデーが架装されました。展示車両は、コンバーチブルヴァージョンの最初のクルマで、イタリアの自動車雑誌“クアトロ ルオーテ(Quattroruote)誌”で初めてカラー印刷が採用された1957年1月号で、特集された個体でもあるようです。
まずは、イントロダクションとともに展示されていたA6G/54。1965cc,150馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度210km/hを実現しました。
では、展示エリアに入っていきましょう!
1929年 マセラティ ティーポ 26B(Maserati Tipo 26B)
“ティーポ 26(Tipo 26)”は、ラジエーターグリルに“マセラティ(Maserati)”の名が初めて示されたグランプリカーで、ボローニャの会社を世界的なマニュファクチュアラーに導きました。
アルフィエリ・マセラティ(Alfieri Maserati)によって設計された“ティーポ 26”は、パワーと軽さを両立させ、そしてロードホールディング性能、制動力にも優れていました。1,100cc~2,500ccのエンジンを使用して約43種類の様々なヴァージョンが造られた“ティーポ 26”は、当時のジェントルマンドライバーのための最高水準のレーシングカーでした。
展示車両は、1,980cc,155馬力のDOHC直列8気筒スーパーチャージドエンジンを搭載して、最高速度は210km/hに達したそうです。
1926年 モトーレ マセラティ ティーポ 26(Motore Maserati Tipo 26)
このエンジンはマセラティ(Maserati)のロゴが初めて与えられたエンジンで、創業者アルフィエリ・マセラティによって設計されました。
マセラティのパワフルかつ軽量なエンジンは、初めから最先端の技術が盛り込まれ、特にDOHCヘッドとスーパーチャージャーは、1947年に“A6 1500”が登場するまでのすべてのマセラティ エンジンに特徴づけられました。
仕様諸元は、ボア径×ストローク:60 × 66 mmの1,493cc,128馬力/6000 rpmだそうです。先端に配置されたスーパーチャージャーから各気筒まで、インテークマニホールドが伸びているのが↑見られますね。
1932年 マセラティ ティーポ V4 スポルト ザガート(Maserati Tipo V4 Sport Zagato)
この“16気筒モデル”は、マセラティの仕事を継続するうえでなくてはならないものでした。アルフィエリは、前述の“ティーポ 26”の2リッター直列8気筒ユニット2個を使い、2本のクランクシャフトをギヤで結ぶことで、1つのクランクケースに組み込みました。
1929年、“ティーポV4”はクレモナ(Cremona)で“フライング10km”における世界速度記録(World speed record)に挑戦し、バコーニン・ボルザッキーニ(Baconin Borzacchini)が平均速度246km/hで、当時の世界速度記録を打ち立てました。
この展示車両は、ローマ教皇の医師をしていたガレアッツィ(Galeazzi)先生のために1932年に製作されたモデルで、このボデーは1934年にザガート(Zagato)によって、再度架装し直されたものだそうです。パワーユニットは、ティーポ26用2個分の3,961cc,280馬力,バンク角22.5°のDOHC V型16気筒エンジンを搭載しています。
16気筒を採用したクルマと言えば、キャデラックV16(1930年)そして、フェルディナント・ポルシェ博士の設計したアウトウニオン“Pヴァーゲン”(1934年)、最近ではチゼータV16T(1989年)、ブガッティ ヴェイロン16.4(2005年)などは知られていますが、マセラティにもV16を採用したクルマがあったんですね~!しかも、直8ユニットをベースにクランクシャフトまでは2本で、クランクケースを一体化している構成にも、当時の苦心が感じられますね。
しかし、こういったエンジンの作り方は、個人的にはとても興味があります。クランクケースさえなんとか造れれば、面白いエンジン出来るのになぁ~という構想、皆さんもありますよね^^;
1934年 マセラティ ティーポ 8CM(Maserati Tipo 8CM)
“8CM”は、当時の最も偉大なレーサー達に委ねられた、非常に成功したクルマでした。その2,991cc,240馬力のDOHC直列8気筒ユニットは、アルフィエリが生前(アルフィエリは1932年に他界)最後に設計したエンジンとなり、当初は前輪駆動のシングルシーター向けに開発されたユニットだったそうです。そのプロジェクトが棚上げされた時に、そのユニットは欧州で初めて油圧式ブレーキシステムを搭載したシングルシーターに転用されることになりました。
展示車両は、ワールドクラスのレーシングレジェンドの1人であるタッツォ・ヌヴォラーリ(Tazio Nuvolari)によってドライブされた個体だそうです。
1935年 マセラティ V8RI(Maserati V8RI)
このクルマは、新規格の“750kgフォーミュラカー”の規定に沿って開発され、V型8気筒ユニットと4輪独立懸架式サスペンションなどの技術革新を取り入れた最初の“グランプリカー”です。
また、エルネスト・マセラティ(Ernesto Maserati)は、フロントの左右個々のホイール(ナックル)をドラックリンクで操舵させるステアリング機構や、トランスミッションをリヤのデファレンシャルとともにマウントするレイアウトなどの、大胆で革新的な機構を考案しました。その結果、自由度の高いレイアウトから放熱性に優れ、また着座位置も低められたコンパクトなレーシングカーとなったようです。
パワーユニットは、4,788cc,320馬力のSOHC V型8気筒エンジンを搭載し、最高速度270km/hを実現したそうです。左右からエキゾーストパイプが出ているところからも、V型エンジン搭載車であることが分りますね。
それと車両解説には、“トランスアクスル”という記述は見られませんでしたが、トランスミッションをリヤデフとともに配置するということは、トランスアクスルに近いレイアウトである可能性が高いですね。この辺りを見ても、戦前のマセラティは先進的な技術開発に長けていたことが分ります♪
1937年 マセラティ 6CM(Maserati 6CM)
このクルマは、偉大なレーサー ルイジ・ヴィロレーシ(Luigi Villoresi)のお気に入りで、彼は「このクルマは確信をもって運転できる。私は勝てるだろう。」と言っていたほどでした。この“6CM”は27台が製造され、3度“タルガ・フローリオ”で優勝したほか、イタリアや海外でのマイナーレースを独占しました。
エンジンはシリンダーヘッドと鋳鉄製のシリンダーブロックをマグネシウム合金製のクランクケースに組み付けた傑作であり、独立したフロントサスペンションとステアリングホイールも、当時としては革新的な構成をしていたようです。
そのパワーユニットは、1,493cc,175馬力のDOHC直列6気筒スーパーチャージドエンジンを搭載し、最高速度230km/hを実現しました。
1938年 マセラティ ティーポ 8CTF(Maserati Tipo 8CTF)
“8CTF”は、マセラティ社にとって最も重要かつ歴史的意義の大きいクルマの1つです。このクルマは、マセラティ社の経営権をビジネスで成功を収めたモデナの実業家オルシ家がマネージメントしていた期間に、エルネスト・マセラティによって設計されました。
レギュレーション変更によって、過給機付エンジンは3リッター,過給機なしエンジンは4.5リッターまでに制限された1938年と1939年シーズン、“8CTF”はドイツ勢に対抗できる唯一のレーシングカーであると考えられていました。“8CTF”は、過酷なことで知られる“インデアナポリス500マイルレース”で2度の勝利を収めるなどにより人気を博したそうです。
パワーユニットは、2,991cc,366馬力のスーパーチャージドユニットを搭載し、最高速度290km/hに達しました。
1940年 モトーレ マセラティ ティーポ 8CL(Motore Maserati Tipo 8CL)
このエンジンは、1939~1940年にエルネスト・マセラティによって設計され、モデナで組み上げられました。
“ティーポ 8CL”は、インディアナポリスで優勝した前述の“8CTF”ユニットの後継型として開発され、1気筒あたり4つのバルブを備え、ボア径:ストローク比は1:1と現代的な設計が採用されていました。
仕様諸元は、ボア径×ストローク:78 × 78 mmの2,982cc,430馬力/6800rpmのツインスーパーチャージド直列8気筒ユニットだそうです。この時代に、既に4バルブを採用している事にも驚きですが、先端の2基のスーパーチャージャーから、前後4気筒ずつに供給されるインテークマニホールドの造形の“ただモノじゃない”感も半端ないですね^^;
1948年 マセラティ 4CLT/48(Maserati 4CLT/48)
この“4CLT/48”は、1939年から始まったボワチュレットクラスにおいて、前述の“6CM”の後継として開発され、マセラティの4気筒シングルシーターレーサーとしては、最後に開発されたクルマの1台だそうです。
シャシは鋼管スペースフレームが採用され、1948年にはパフォーマンスの向上のために、2基のスーパーチャージャーが追加されました。アルベルト・アスカーリ(Alberto Ascari)は、1948年のサンレモGP(Sanremo Gland Prix)にこのヴァージョンの“4CLT”で優勝し、偉大なるレーシングレジェンド ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)が、ヨーロッパで初めてのレースに優勝した際にドライブしたのも“4CLT”でした。
パワーユニットは、1,490cc,260馬力のDOHC直列4気筒ツインスーパーチャージドユニットを搭載して、最高速度は270km/hに達したそうです。
ここで、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”のプロジェクションマッピングによる演出が始まりました♪
ちょうど、訪問時に上映していたのと同じ動画を見つけたので、こちらからどうぞ↓
“エンツォ・フェラーリ編”的な内容で、2回の大きな大戦に翻弄されつつも“スクーデリア フェラーリ”が栄光を勝ち取る。といった感じでしょうか^^;
もう、フェラーリが、そしてイタリアが歴史を使い出したら手が付けられない!(爆)とでも言わんばかりの鳥肌モノの演出で、実際にこの空間にいたら、もれなく心を鷲掴みにされてしまいます^^;
今回の欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート2は以上になります。
個人的に、今まであまり詳しく掘り下げたことのなかった戦前のマセラティでしたが、こうして見ていくと当時のマセラティがいかに技術革新に長けたメーカーであったかが分かる興味深い展示だったと思います。最後まで読んで頂いてありがとうございました!
次回もマセラティ100周年企画展より、戦後のマセラティ ロードカーとレースカーについてレポートしていきます。
“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”は、“Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ)”パート1として、エンツォの生家を改装した展示エリアのクルマをレポートしていきます。(このミュージアム、車両解説も大変充実していて、思いのほか超大作になってしまったので(爆)、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
1903年 ド・ディオン・ブートン(De Dion Bouton)
1898年2月18日に生まれたエンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)は、父 アルフレッド(Alfredo)がフランス製の“ド・ディオン・ブートン(De Dion Bouton)”車の購入によって、モデナで初めて自動車を所有した人物であったため、“自動車(Automobile)”と呼ばれる新しい輸送手段に直接触れて、その魅力(magic)を味わう機会に恵まれていました。
このド・ディオン ブートンは、942cc単気筒,8馬力のパワーユニットを搭載しているそうです。
ちなみにこの“ド・ディオン・ブートン社”は、駆動軸を持つリヤのサスペンション方式の1つとして有名な“ド・ディオン アクスル”を発明したメーカーでもあります。
1924年 アルファ ロメオ RL タルガフローリオ(Alfa Romeo RL Targa Florio)
エンツォ・フェラーリは、1924年に南イタリアのペスカーラ市街地サーキット(Circuito di Pescara)で開催されたグランプリ“コッパ アチェルボ(Coppa Acerbo)”で、アルファ ロメオのワークスドライバーとしてこのクルマを駆り、彼の経歴で最高の勝利を挙げました。
また、前年の1923年には消耗戦として知られる“タルガフローリオ(Targa Florio)”でも、1923年仕様のこのクルマをドライブしました。
パワーユニットは、3,620cc,125馬力の直列6気筒エンジンを搭載し、最高速度180km/hを実現したようです。
このクルマに限ったことではないですが、下の画像は戦前のクルマによく用いられていた摺動式のショックアブソーバ↓
シャシ側とリーフスプリングのアクスル側の2点間に固定されて、2点の伸縮によって生じる回転時の摩擦を利用したシンプルな構造になっています。機能面やメンテナンス性などの面で、現在主流のオイルダンパーが優っていたために淘汰されたのだと思いますが、このシンプルなアブソーバは個人的に“好きな戦前車アイテム”の1つです^^;
1932年 アルファ ロメオ 8C2300 スパイダー コルサ(Alfa Romeo 8C2300 Spider Corsa)
1932年のミッレミリア(Mille Miglia)に優勝した“8C 2300”は、その勝利を祝って“ティーポ ミッレミリア(Tipo Mille Miglia)”とも呼ばれるようになりました。
“8C”は、このブレシアを起点とする伝説的なレースで、続く1933年,及び1934年と勝利を収めたことで、アルファ ロメオはミッレミリア通算6勝を実現しました。
また、この“8C2300 スパイダー コルサ(8C2300 Spider Corsa)”は、エンツォ・フェラーリがドライバーとしてのキャリアの最後に乗ったクルマのようです。エンツォが最後に出場したレースは、1931年8月9日ボローニャ郊外で開催された“ジロ・デッレ・トレ・プロヴィンチェ(Giro delle Tre Province)”で、タッツィオ・ヌヴォラーリ(Tazio Nuvolari)に次ぐ2位でフィニッシュしています。
パワーユニットは、2,336cc,165馬力のDOHC直列8気筒を搭載して、最高速度195km/hを実現しました。
昨年訪れた“ムゼオ ミッレミリア(Museo Mille Miglia)”で、戦前最強を誇ったアルファロメオについてレポートした際、展示車が“6C”のロードカーのみだったのが記憶に新しいですが(笑)、このクルマが正真正銘ミッレミリア最強を誇った“8C2300”です^^;
特徴的な3連のドライヴィングランプ↑に、リヤのスペアタイヤには空力を意識したカバー↓が設けられています。まだ、ラジエーターグリルはフロントに直立しているあたりを見ると、ちょうど流線型がクルマに取り入れられようとしていた狭間の時代の造形が興味深いですね♪
1935年 アルファ ロメオ ビモトーレ(Alfa Romeo Bimotore)
このクルマは、名前の通り2つのエンジン(Bi=2つ,motore=エンジン)を備えたシングルシーターのグランプリカーで、1つ目のエンジンはフロントに搭載され、2つ目のエンジンはドライバーの背後に搭載されました。この2つのエンジンは、1つのトランスミッションを介して後輪に伝達されています。
この“ビモトーレ”はアルファロメオの後援の元、“スクーデリア フェラーリ(Scuderia Ferrari)”のエンジニアによってモデナで製作され、ルイジ・バッツィ(Luigi Bazzi)によってテストが重ねられました。
高速サーキットで行われるグランプリでの勝利を目指して造られた“ビモトーレ”は、ドイツ ベルリン郊外の超高速サーキット“アヴス‐レンネン(Avus-Rennen)”で行われたグランプリにおいて、ルイ・シロン(Louis Chiron)のドライブによって周回平均速度260km/h近いペースで走り、メルセデスに次ぐ2位を獲得しています。
当時のドイツと言えば、ナチス政権の国威発揚プロジェクトとして開発されたメルセデス・ベンツ“W25”やアウトウニオン“P-Wagen(Pヴァーゲン)”といった強豪がひしめくホームグランプリでの2位は大健闘と言えるでしょう。
また、タッツィオ・ヌボラーリのドライブで、1935年6月15日フィレンツェ(Firenze)- マーレ(Mare)間のアウトストラーダで、321.420km/hの世界速度記録(World speed record)を更新しています。
フロントに搭載される3,165cc,270馬力のルーツ式スーパーチャージャーで加給されたDOHC直列8気筒ユニット↓
同じくリヤに搭載される3,165cc,270馬力のスーパーチャージドDOHC直列8気筒ユニット↓
“ビモトーレ(ツインエンジン)”ということで、当然タコメーターも2つ↓装備されていました♪
そして、2つのエンジンによって行き場を失ったガソリンタンクは、ラダーシャシ脇のスペース↓に収められています。
1937年 アルファ ロメオ 158(Alfa Romeo 158)
シングルシーターのこのクルマは、“1,500ccクラス(ヴォワチュレット)”での勝利を目指して製作されましたが、戦後は“F1カー”として変貌しました。
この“158”もアルファ ロメオのエンジニア達の支援を受けて、ジョアッキーノ・コロンボ(Gioachino Colombo)によって設計され、モデナの“スクーデリア フェラーリ”で製作されました。
“158”のデビューレースは、1938年7月31日にリボルノ(Livorno)で行われた“コッパ・キアーノ(Coppa Ciano)”で、エミリオ・ヴィロレーシ(Emilio Villoresi)が1位,クレメンテ・ビオンデッティ(Clemente Biondetti)が2位に入る快勝を挙げました。
1,479cc,195馬力のルーツ式スーパーチャージドDOHC直列8気筒ユニットは、改良と共に出力向上し、1952年のF1カー仕様(改良型の“159”)では、425馬力にまでアップデートされていました。
1947年 フェラーリ 125 S(Ferrari 125 S)
エンツォ・フェラーリは、ジョアッキーノ・コロンボの設計でマラネロ(Maranello)で製作する“最初のフェラーリ(Ferrari)”は、V型12気筒エンジンを採用することを決めました。
そして、その当時のレーシングシーンにおいて、極めて稀であった“V型12気筒エンジン”を採用したことが、瞬く間にフェラーリに成功をもたらし始めました。その成功は、シングルシーターの“F1”や“F2”のみならず、スポーツカーレースやGTカー、そしてロードカーに至るまで継承され続けることになりました。
この展示車両は復刻されたリプロダクションモデルで、オリジナルの“125 S”は、デビューレースとなった1947年5月25日の“ローマGP(Rome GP)”で優勝を果たして以来、現在まで行方不明のままだそうです。
“125 S”のボデーワークは社外のカロッツェリア(ボデー架装工房)で製作されたものではなく、ジョアッキーノ・コロンボのスケッチを元に、フェラーリ社内の板金職人による叩き出しで製作されました。
パワーユニットは“125”の名が示す通り“1気筒あたり125cc”×12気筒で、1,500cc(厳密には1,497.6cc),100馬力のSOHC V型12気筒ユニットを搭載して、最高速度は170km/hだったようです。
ボア径:55mm×ストローク:52.5mmの1.5リッター 12気筒ということで、シリンダー高さがギヤボックスのフライホイールハウジングの膨らみより低く、隠れて全く見えないですね^^;
これだけの小排気量マルチシリンダーユニットだと一体どんなフィーリングなのか、とても気になります(@o@ )y
社内デザイン,社内製作ということも影響しているのか、この“フェラーリ1号車”はその後の“フェラーリ(Ferrari)”の持つ華やかで優美なイメージとは反して、武骨で機械的な一面が多く見られますね。
個人的に、その度合いが顕著に表れている部分だと思うのがコクピット回り↑で、機能性に特化した工作機械の操作盤のような潔さすら感じられます^^;
1952年 フェラーリ 500 F2(Ferrari 500 F2)
アルベルト・アスカーリ(Alberto Ascari)は、このシングルシーターの“500 F2”を駆って、1952年と1953年に出場したグランプリ(1952年と1953年のF1世界選手権はF2規格で実施)で15戦中11勝と圧勝し、2度のワールドチャンピオンに輝きました。このことが決めてとなって、フェラーリは創立からちょうど5年でグランプリになくてはならない“決定的なコンストラクター”のポジションを勝ち取ることになります。
パワーユニットは、アウレリオ・ランプレディ(Aurelio Lampredi)設計の1,985cc,185馬力の直列4気筒DOHCエンジンを搭載して、最高速度260km/hだったようです。
シングルシーターのため、ドライバーの下を通ったドライブシャフトは、ドライバーズシートのすぐ後ろに配置されるデフを介して後輪に伝えられています。
1954年 フェラーリ 750モンツァ(Ferrari 750 Monza)
1954~1955年に製作された“750モンツァ(750 Monza)”は、前述のアルベルト・アスカーリによって1952年,1953年のワールドチャンピオンシップを獲得した“500 F2”に搭載されていた2リッター4気筒を、3リッター,260馬力に拡大したエンジンが搭載されました。
このエンジンの設計も“500 F2”同様にアウレリオ・ランプレディによって行われ、3リッター化の主な狙いは、燃料消費率の向上とトルク特性の改善であったようです。
ボデーワークは、モデナのボデー架装工房“スカリエッティ(Scalietti)”が担当しました。
また1955年5月にモンツァ サーキット(Autodromo Monza)で行われたスポーツカーレースのテストで、アルベルト・アスカーリのドライブする“750 モンツァ”が不可解なブレーキングによるクラッシュで命を落としてしまう悲劇的なエピソードでも知られています。このクラッシュがあった場所は、“アスカーリ シケイン(Variante Ascari)”の名称で呼ばれています。
こういった装備品↓は、50~60年代バルケッタの典型的なアイテムで美しいですね♪
個人的に気になったのが、このテールランプ↓
よく見ると、一体のランプの中にテールランプとリフレクター部分があるように見えますね。550のテールランプも、このように大きめのレンズの中にテールランプとリフレクターを一体型にさせることで、ワンテールにできないかなぁ~^^;
1964年 フェラーリ 500 スーパーファスト(Ferrari 500 Superfast)
“500 スーパーファスト(500 Superfast)”は、成功していたグランドツアラーシリーズ“400 スーパーアメリカ(400 Superamerica)”に代わって登場しました。1964~1966年の間生産された“500 スーパーファスト”は、総生産台数わずか36台にとどまりました。
主要顧客は上流階級であり、その価格は当時の新車のロールスロイス2台分に相当したそうです。その顧客には、当時のイラン国王やイギリスの俳優ピーター・セラーズ(Peter Sellers)も含まれていました。
パワーユニットは、ジョアッキーノ・コロンボ設計の4,961.57cc,400馬力のSOHC V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度260km/hを実現しています。
このエリアには、エンジン単体も多く展示してあり、中には興味深いものもあるので紹介していきます
1994年 モトーレ F134(Motore F134)
1,347cc,216馬力の2ストローク スーパーチャージド直列3気筒エンジン。詳細は不明ですが、1994年に開発された試作エンジンのようです。ベルトで駆動されているヘッド一体のスーパーチャージャーが革新的ですね^^;
1981年 モトーレ F110A(Motore F110A)
4,943cc,340馬力の180°V型12気筒の512BBに搭載されたエンジンです。
カットモデルのため、エンジンの下にギヤボックスが配置されてる2階建て構造が、よくわかりますね♪
1987年 フェラーリ F1-87 ♯28(Ferrari F1-87 ♯28)
エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)が1988年8月14日に他界してから、ちょうど“28日後”に、モンツァ(Monza)で行われたイタリアグランプリ。
この年、未勝利で不成功のシーズンを送っていた“スクーデリア フェラーリ”でしたが、ゲルハルト・ベルガー(Gerhard Berger)とミケーレ・アルボレート(Michele Alboreto)のドライブするカーナンバー“28”と“27”の“Ferrari F1-87/88C”が、このイタリアグランプリでワンツーフィニッシュを成し遂げました。
この勝利は、エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)自身が望んでいた、最高の“さよなら”となりました。
パワーユニットは、1,496ccから880馬力を絞り出すDOHCツインターボチャージドV型6気筒エンジンを搭載していました。
2002年 フェラーリ エンツォ(Ferrari Enzo)
エンツォ亡き後、フェラーリ社の社長を引き継いだルカ・ディ・モンテゼーモロ(Luca di Montezemoro)は、2002年に399台のみ生産されたこのモデルを、創始者“エンツォ(Enzo)”に捧げました。かくして、“エンツォ(Enzo)”は今以って、世界中のコレクターが熱心に探し求めるモデルとなりました。
“エンツォ(Enzo)”には、その当時ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)とともに、数々のワールドチャンピオンシップで勝利した、フェラーリの至高の技術が惜しみなく包み込まれました。
パワーユニットは、5,998cc,660馬力のバンク角65° DOHC V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度350km/hを実現しました。また、当時ピニンファリーナ(Pininfarina)に在籍していた日本人デザイナー奥山 清行(Ken Okuyama)氏がデザインを担当したことも話題になりましたね。
“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ)”パート1は以上になります。
ちょうど、訪れた時はマセラティ100周年記念展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”を開催中だったため、エンツォ・フェラーリにまつわる展示は今回のホールのみでしたが、十二分に“エンツォ(Enzo)”と“スクーデリア フェラーリ(Scuderia Ferrari)”の偉大な歴史を振り返ることができたと思います。
そして、フェラーリが鳴り物入りでオープンさせた“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ(Museo Enzo Ferrari Modena)”だけあって、車両解説も充実していて見応えのあるミュージアムです。
次回は、マセラティ100周年記念展についてレポートしていきます。
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