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2017年01月22日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1











こんにちは!

フェラーリの聖地“マラネッロ(Maranello)”を後にし、雪のアルプスを越えてドイツ シュトゥットガルト(Stuttgart)に到着した“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”は、いよいよポルシェミュージアム(Porsche Museum)を訪れます。

前回をご覧になりたい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/39176578/

欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015を最初からご覧になりたい方は↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/35064111/

ポルシェミュージアムは、このブログで2回目の登場ということで、どのようにレポートしようかと考えていましたが、以前取り上げたブログを読み返してみると、“欧州自動車博物館巡りの旅”初のミュージアムレポートということもあってか(笑)、結構ざっくりとしか解説していないんですね。おまけに飛ばしたクルマもあったりして・・・^^;

そこで、今回は最新の“欧州自動車博物館巡りの旅”クオリティ(爆)で再度ポルシェミュージアムの魅力に迫ってみようと思います。

また、今回のレポートは前回の記事から1年後の訪問なので、1年間でどれほどのモデルが入れ替わっているのかという点でも面白いレポートにもなると思います。

それでは、“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1”をレポートしていきます♪(今回はポルシェの礎を築いた356以前の歩みということで、車両解説も大変濃いものとなっていて(汗)超大作になりましたので、お時間のある時にどうぞ~)


1898年 エッガー・ローナー・エレクトロモビル モデル C.2 フェートン(Egger-Lohner-Elektromobil Modell C.2 Phaeton)

一見すると旧い馬車のようにも見えるこのクルマは、ポルシェが世界で一番最初に製作したモデルです。

1898年、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)は、オーストリアの老舗馬車メーカーであったローナー社(k.u.k. Hof-Wagen-Fabrik Lohner & Co.)の前輪にステアリング機構を備えたシャシに、電気モーターとべベルギヤを使ったデファレンシャル装置(差動装置)を組み込みました。

モータハウジングの8面体のデザインから“オクタゴン(Octagon)”と呼ばれたこの駆動ユニットは、3~5馬力を発揮したそうです。

電力は車両後部に搭載された約550kgのバッテリから供給され、1回の充電で最高速度25km/hで6時間の走行が可能だったようです。このクルマは機械式のブレーキのみでなく、モータによる電気ブレーキでも減速することが出来ました。また、速度は“コントローラ”によって12段階に制御することが可能でした。

この展示車両は、フェルディナント・ポルシェがVEAG社(Vereinigte Elektrizitäts-AG Béla Egger)試験部で実施したウィーン(Wien)での数々のテストに使用されたテスト車両のようで、1902年に廃棄されて以降、レストアされないままの状態で現在に至りました。

以前は、エントランスの長いエスカレータを上ると1番最初に“ベルリン-ローマ レーサー(Typ 64)”が鎮座していましたが、今回はこの“モデル C.2 フェートン”が、1番最初の展示車両になります。補足解説をすると、馬車のようなクルマにしてはガラス張りで、洒落乙(爆)な印象を受けますが、これは当時の状態を再現したエキシビジョンで、ガラスには完成当初の外装や幌をまとっていた様子が描かれています。


1900年 ラトナーベ ローナー・ポルシェ・エレクトロモビル(Radnabe Lohner Porsche Elektromobil)

フェルディナント・ポルシェが24歳の1900年、彼はパリで開催された万国博覧会(パリ万博)でセンセーショナルを起こしました。そこに展示されていた車両は、ウィーンのローナー・インペリアル & ロイヤルコーチ社(Lohner Imperial and Royal Couch Factory)と契約して製作したクルマで、フェルディナントのホイールハブモータ(Electric wheel hub motor)を備えていました。

時は正に電気やガス,ガソリンを用いて動く“自動車”の開発の真っただ中に、フェルディナントの電気工学の才能と自動車への興味が融合し、経済的かつ実現可能な解決策を提案しました。

同年、彼はガソリンと電気のハイブリッドにより推進力を生み出す最初の生産車“ローナー・ポルシェ "ミクステ"(Lohner-Porsche "Mixte")”を設計しました。これは、今日の“ハイブリッドカー”の先駆的なモデルといえます。さらにフェルディナントはこの後に全輪駆動(all-wheel drive)や4輪ブレーキ(four wheel brake)を発明しました。

以前、ベルギーはブリュッセルのオートワールドで行われたポルシェの企画展“FERDINAND PORSCHE THE HERITAGE FROM ELECTRIC TO ELECTRIC”のレポートで登場した“ミクステ”に使われていたインホイールモータですね。

1912年 フラグモータ(Flugmotor)

第一次世界大戦の前年、オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)は、ウイーナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)で航空祭(Aviasion Day)を開催できたことを喜びました。また、オーストリアのアウストロ・ダイムラー社(Austro-Daimler Motoren Gesellschaft)も、彼の飛行機に対する熱意に敬意を表しました。

この航空祭で最も栄誉ある賞を授与されたのが、アウストロ・ダイムラー社のチーフエンジニアであったフェルディナント・ポルシェでした。フェルディナントは、4気筒,6気筒,9気筒とそして12気筒の強力な航空機エンジンを開発しました。この航空機エンジンの開発は、その後ポルシェKGにより何十年にも渡って進められるポルシェの伝統にもなりました。

展示されているエンジンの解説には排気量などは掛れていませんが、1912年型の直列6気筒エンジンで120馬力を発揮するそうです。


1912年 アウストロ・ダイムラー モーターシュプリッツァ(Austro-Daimler Motorspritze)

フェルディナント・ポルシェは、まず初めに消防用自動車に注目しました。これらのクルマは、非常に速くかつ実践的に動く必要があり、そのような課題の解決に対して彼は楽しみながら働いていました。彼がチーフエンジニアとしてアウストロ・ダイムラー社に加わった後に進められた開発プロジェクトは、このような地域奉仕車両に集中していました。

彼の最初のカスタマーはアウストロ・ダイムラー社内の消防隊員で、フェルディナントは彼らに特別な消防車を開発しました。それは、初めて人員輸送と水汲み上げポンプ,ホースを1台のクルマに組み込んだ消防自動車でした。

この消防車はその後20年間、社内での任務を終えた後も、さらに36年間オーストリアのブルゲンラント州(Burgenland)で、コミュニティに貢献し続けたそうです。

フェルディナントにとって最初の経歴であるこの期間に、彼のより良い解決策を模索し続ける姿勢が高く評価され名声を得ることになりました。その姿勢は大型ラグジュアリーセダン “ADR フェートン(ADR Phaeton)”の開発にも貢献しましたが、市場投入直前の1923年、フェルディナントはアウストロ・ダイムラー社を離れることになります。

この消防自動車は、20馬力の2,010ccの直列4気筒エンジンを搭載し、最高速度55km/hを実現したそうです。速くさらに実践的でなければならないという点では、たしかに消防車もレースカーに通ずるところがあり、その点に着目したところがなんとも興味深いですね^^;


1922年 アウストロ・ダイムラー ADS R “サッシャ”(Austro-Daimler ADS R "Sascha")

“サッシャ(Sascha)”は、シチリア島で開催されるロードレース“タルガ・フローリオ(Targa Florio)”に出場するアウストロ・ダイムラーのために設計したクルマで、事実上ポルシェの偉大なモータースポーツの伝統の幕開けを飾るモデルといえます。

1922年、生産型4シーターモデルをオリジナルにもつ、この小型で高性能のクルマは初出場ながらクラス優勝するとともに1-2フィニッシュを成し遂げました。

この成功における重要な鍵は、わずか598kgしかない軽量なクルマに十分な動力性能,そしてクイックなハンドリング特性にあります。

“サッシャ”というネーミングは、このプロジェクトを金銭的に支えたスポンサーで実業家のアレキサンダー “サッシャ” コロヴワート(Alexander "Sascha" Kolowrat)に由来し、実に43ものレースで勝利を挙げました。

このスポーツで、自分の設計したモノを極端な条件下でテストできることに惹かれ、フェルディナント・ポルシェもまたレーシングエンスージアスト(Racing Enthusiast)となったようです。

この“サッシャ”において、フェルディナントはパワーウエイトレシオ(power-to-weight ratio)の基本的な原則を確立することになりました。そして、それはすべてのポルシェのスポーツカーの“鍵(Key)”となる特性になりました。

今まで、色々な書籍などで聞きかじった知識で「あ~これが“サッシャ”ね~(笑)」みたいな感じで知ったつもりでいましたが、こうしてポルシェミュージアムの提供する解説をじっくり読み解くことで、今まで気が付かなかったことが結構ありますね。今となってはクルマ好きの間では当然のように語られる“パワーウエイトレシオ”に言及したエピソードなども、目からうろこです。


1939年 タイプ64(Typ 64)

スタイリッシュ(Stylish),スポーティ(Sporty),そして速い(Fast)。クルマは、フェルディナント・ポルシェにとって“情熱(Passion)”の対象となりました。

当初、“ベルリン‐ローマ長距離レース(Berlin-Rome Long distance Race)”のために設計されたこのスポーツカーは、その気取らない“ボデー タイプ 64(Body Type 64)”という名称から、すべてのポルシェの祖先であることが判ります。

ストリームライナー(流線型)形状のアルミニウム製ボデーとその下のシャシ構造,この両者は、その後のポルシェ製スポーツカーのトレンドとなるコンセプトを、このクルマは既に示していました。

このクーペは、空気力学に基づいたデザインでも時代のはるか先を行っていました。モータースポーツの必要条件と最先端の生産技術の融合により生まれたこの完璧なツーリングカーは、一般公道において130km/hの最高速度を実現しました。

フェルディナント・ポルシェは、しばしばこの“タイプ64”をプライベートでも使用していたようです。また、戦後にポルシェ家が初めてこのクルマに“PORSCHE”の文字を印字している事実も、このクルマとフェルディナントとの関係性の高さを表しています。

“タイプ64”については、このブログでも度々取り上げていますが、タイプ64への熱い思い(笑)を読み返したい方は、こちらに↓書かれています^^;
https://minkara.carview.co.jp/userid/1499353/blog/33899119/


1950年 フォルクスワーゲン ケーファー(Volkswagen Kafer)

1934年1月、フェルディナント・ポルシェは“ドイツ国民のための自動車生産に関する計画(国民車構想)”について提案する時が来ました。この“フォルクスワーゲン(Volkswagen)”と呼ばれた構想は、彼が以前に開発した8番目の小型車での経験が生かされました。

シュトゥットガルトにある自身のエンジニアリングオフィスで、フェルディナントは同僚と共に、後部に搭載された空冷式のエンジン,縦方向のコントロールアームとトーションバーによるサスペンション,ベースプレートとボデーシェルからなる外装構造を持つ“国民車”の構成を描きました。

4名の乗員を収容する流線型のデザインは、今日においても有名なあの“ビートル(Beetle)”のシルエットを生み出しました。また、既に生産について考えていたフェルディナント・ポルシェは、当時の先進的な生産方法を評価するために、アメリカ合衆国へ視察に行きました。

第二次世界大戦の後、VWは実際に凄い勢いでサクセスストーリーを築いていきました。1950年には、ここに展示されている車両と同じタイプのモデルが約100,000台も販売されました。そして、2003年までには総生産台数が2150万台にも達しました。


1947年 ポルシェ タイプ 360 チシタリア(Porsche Typ 360 Cisitalia)

1946年、イタリアの起業家でレーシングエンスージアストのピエロ・ドゥシオ(Piero Ducio)が立ち上げた新しいブランド“チシタリア(Cisitalia)”のために、ポルシェ設計事務所を引き入れました。

このシングルシーターは、輝きを放つ軽量アルミ合金製のボデーに目が眩むだけでなく、技術的にも多くの点で時代のはるか先を行っていました。

1.5リッターのスーパーチャージ付き12気筒エンジンから生み出されたパワーは、4輪駆動によって地面に伝えられました。

オーストリア・アルプスの麓の小さな街“グミュント(Gmünd)”にて、戦後すぐの時代背景的にも厳しい状況の中にもかかわらず、何とかクルマは完成させることが出来ました。しかし、このクルマは財政的な問題により、テストを終えて成功を掴むことは出来ませんでした。ドゥシオによる契約には、この“タイプ360”の他にも2シータースポーツカー,小型トラクター及び発電用水車の設計も含まれていました。


1948年 ポルシェ タイプ 356 “Nr.1” ロードスター(Porsche Typ 356 "Nr.1" Roadster)

“No.1”は1つだけ存在することが出来ますが、1948年の春、“ポルシェ(Porsche)”の名を冠した“最初(No.1)”のスポーツカーが製造されました。フェリー・ポルシェ(Ferry Porsche)は、フォルクスワーゲンのスポーツ仕様車によって、彼の考えるスポーツカーを実現させました。

“ポルシェ タイプ 356 No.1”は同年6月8日に動かせる準備が整い、各種テストを公道で行うための許可もケルンテン州(Kärnten)政府から交付されました。このミッドシップエンジンのスポーツカーは、35馬力に出力が高められたVWのエンジンが搭載され、僅か585kgの車体から最高速度135km/hを実現しました。

そして、1948年7月に“No.1”はインスブルック(Innsbruck)の市街地レースで、スポーツカーとして適合することを証明しました。


ポルシェの礎を築いた車両や機構の数々とあって、解説も充実したこのエリアでブログ1回分を使い切ってしまいましたが(汗)、“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 ポルシェミュージアムⅡ part 1”は以上になります。行くほどに深まるポルシェミュージアムの魅力は本当に際限が無いですね^^;

長編になりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございますm(_ _)m


次回は、いよいよ“356”から始まるポルシェ ロードカーの歴史を振り返っていこうと思います。

2017年01月14日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 インターミッション - マラネッロ⇒シュトゥットガルト編

欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 インターミッション - マラネッロ⇒シュトゥットガルト編









こんにちは!

ずいぶん間が空いてしまいましたが、欧州に行ってモチベーションも高いうちに(笑)“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”のレポートも、再開したいと思います。(欧州自動車博物館巡りの旅といえば、長文です・・・^^;今回も時間に余裕のある時にどうぞ~)

“ムゼオ フェラーリ マラネッロ(Museo Ferrari Maranello)”で、フェラーリの歴史を堪能し、大満足の後に次のミュージアムへ向かいます。

しかし、その前にマラネッロでこんな↓お宝を発見!

“Tutte le Porsche”

マラネッロに来ると、ついつい“フェラーリスイッチ”が入って、フェラーリ関係のグッズにばかり目が行きがちですが、アベトーネ通り沿いのフェラーリグッズとミニカー,書籍などを扱うお店“SF1(Shopping Formula 1 Maranello)”で、イタリアの出版社から出ているポルシェの書籍を購入しました。

この“Tutte le ~”はシリーズ本になっていて、“Tutte le Ferrari(フェラーリ版)”は以前マラネッロに来た時に購入しましたが、このシリーズなかなかマニアックで、ワンオフモデルや記念碑的な個体なども収録しているところが見逃せません!

このポルシェ版も例にもれず、

“356 No.1 ロードスター(356 Nr.1 Roadster)”や


“550 1500RS(550 Spyder)”


“550A 1500RS(550A Spyder)”と

“550”に関しては“550”と“550A”が収録されていて、“550A”へ進化した際に圧縮比が9.5:1から9.8:1に高められて、110馬力から135馬力に出力向上していることが判ります。
その他にもトランスミッションが“550”の4速から“550A”では5速に、車重も550kgから530kgに軽量化されているなど、読み込むほどに興味深いです。


また、“718 RSK”や


“356B 2000 GS-GT ドライカントシェイバー(356B 2000 GS-GT Dreikantschaber)”


“904-8 スパイダー カンガルー(904-8 Spyder Kanguruh)”


もちろん“901”や


“911R”


“911S & ST”から


“912 E”や


カレラ3.2のユニットをトランスポーターT3に搭載した“VW-Porsche B32”まで^^;

マニアック!の一言に尽きる内容になっています!

※ちなみに改訂版(英語)は、最近リンドバーグ(蔦屋代官山)でも置いているようですので、興味のある方は是非手に取ってみてください^^;


ルームスターはいよいよマラネッロを後にして、“アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)”A1号線を北上します。

途中、ピアチェンツァ(Piacenza)近郊のフィオレンツオーラ(Fiorenzuola)PAの“アウトグリル(AUTOGRILL)”で夕食をとりました。

イタリアの高速を走っていると、この↑上下線を跨ぐように建つパーキングエリアをよく目にします。このタイプは、上下線それぞれ別々に設置されているタイプのパーキングエリアよりも、比較的充実しているように感じます。

夕食は、鶏もも肉を使った“コッシュ ディ ポッロ(Cosce di Pollo)”と“キャロテ エ ピセッリ(Carote e Piselli:まんまニンジンとグリンピース^^;)”の炒め物。

A1号線は、さすがイタリアの大動脈だけあって“パナメーラ(Panamera)”や“カイエン(Cayenne)”なども、結構走っていました♪

ここで、ついでに給油も済ませました。GSのブランドは“Eni(旧Agip)”でした♪

ルームスターは、オーストリア ウィーンから933.6kmを走り、軽油44.55リッターを飲み込んだので、燃費は20.96km/Lになります。

人もクルマもお腹いっぱいになったところで、更に北を目指して走ります!

昨今のヒストリックカーブームの影響か、凄く程度の良さそうな“フィアット 850 ファミリアーレ(Fiat 850 Familiare)”↑がドナドナされていました~^^;

ミラノ(Milano)に入り、、“アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の高速道路)”A1号線ともお別れです。イタリアの高速道路は日本と同じく有料なので、このように料金所でお金を支払います。

日本のETCのような“TELEPASS”というシステムがあるようで、直前までどのレーンが現金払いなのか結構迷います。上の写真↑のレーン上にある“お札とコイン”のマークが現金払いレーンの印です。行く予定のある人は、目に焼き付けていきましょう^^;

ミラノを少し過ぎたPAで仮眠し、A9号線をコモ湖・キアッソ(Chiasso)方面へ進むと、間もなくしてスイスに入ります。


スイスの高速道路の利用料金はイタリアや日本とは違い、一律40スイスフラン/年です。

最初に入国するゲートで、このような↑高速利用券(ヴィニエット)を購入します。


スイスに入り、ゴッタルド(Gottardo)峠を越えるゴッタルドトンネルに入りました。


長いトンネルを抜けると雪国であった。と言わんばかりのシチュエーションですね^^;

チューリッヒ(Zurich)を過ぎてしばらくすると、ガーミンは高速ではなく一般道をナビし始めました。

ボクは今まで、カーナビを使わずにドイツ⇔イタリア間をスイス経由で行き来する時はバーゼル(Basel)を経由していましたが、どうやらジンゲン(Singen)を経由していく方が近いようです。

ジンゲンから、いよいよ次の目的地のあるドイツに入りました!


ドイツに入り、若干夜も明けてきたので、ジンゲン近郊の“エンゲン(Engen)”PAでシャワーを借りて休憩。

ここのシャワールームは、石鹸ラックやフックなど嬉しい装備が整っていて、清掃も行き届いていてとても良かったです。5段階評価で星4つを挙げても良いでしょう。やはり、こういった設備に関してドイツは充実しています。

この後スタッフにシャワールームの鍵を返した際に、どこまで行くのかと聞かれたので、“シュトゥットガルト(Stuttgart)”まで行くと答えると、ヒッチハイカーがいるから乗せていってほしいということになり、シュトゥットガルトまで旅の相棒が出来ました^^;

カメラを後部座席に置いてしまったので、シュトゥットガルトまでは一切写真がないですが、聞けば彼はミュンスター(Münster)出身のドイツの学生だそうです。

シュトゥットガルトまでの3時間色々な話題になりましたが、印象的だったのは「アルファベットは25文字あるけど、漢字は何文字あるの?」という話し、正直今まであまり意識したことがなかった・・・^^;

日本では“漢字”を読めるかどうかのテストがあるくらい漢字がたくさんあることや、“漢字”以外にも“ひらがな”や“カタカナ”など3種類の文字を使って文章を書くこと、ちょうどカーナビに表示されていた“スピード”は英語の“speed”をカタカナで表していることなどを話したら、凄く関心を持っていました。

他にも、「ドイツは夏に長い休みがとれて羨ましい」という話しに対しての、長い休みは夏だけで年末年始も12/25と12/31~1/1くらいで、日本のように季節ごとに連休が取れるようなシステムが無いことも、目からうろこでした。

ちなみに彼はVWの“トランスポーターT3(Transporter T3)”を持っているようで、「冬は融雪剤で車体がやられるから乗らない」といっていました。この認識は、万国共通のようですね^^;

そうこうしているうちに、シュトゥットガルト・ツッフェンハウゼン(Zuffenhausen)に到着しました♪

そう!次の自動車博物館は“ポルシェ ミュージアム(Porsche Museum)”です!

このブログでは2回目の登場ですね!さてさて、どのようにレポートしましょうか^^;

早速、ミュージアムの地下駐車場にルームスターを停めて、エントランスへ向かいます。

エントランスでは、冬の装いをした“356C”がお出迎えですが、欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015 インターミッション - マラネッロ⇒シュトゥットガルト編のレポートは以上になります。

相変わらずの長文に、最後までお付き合いいただいてありがとうございましたm(_ _)m


次回は、いよいよポルシェミュージアムⅡのレポートに入ります!
2017年01月08日 イイね!

欧州自動車博物館巡りの旅2016⇒2017 “トレイラー エディション”

欧州自動車博物館巡りの旅2016⇒2017 “トレイラー エディション”









遅ればせながら、あけましておめでとうございます!

今年も550とRossoの2台体制で、充実したカーライフを送っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

実は年末年始に、久々にヨーロッパをドライブしてきました♪

前回ヨーロッパを訪れたのが2年前の年末だったので、ちょうど2年ぶりの渡欧となりました。

ちょうど、2年前。僕がヨーロッパから帰って1週間も経たない1月7日、パリでシャルリー・エブド襲撃事件が発生し、ヨーロッパにおいてテロリズムの脅威が高まりました。

それ以降、ヨーロッパは変わってしまったのではないか。僕の好きなヨーロッパは、もうそこにはないのではないか。という思いもあり、今回はそれを確かめる旅でもありました。

旅の記憶が、写真の中の記憶になる前に雑感を書いておくと、たとえクリスマスマーケットをセキュリティサービスが守るようになっても、駅前に警官が多く配置されていても、そこには今までと変わりない欧州の人々の暮らしがあり、歴史ある素晴らしい街並みがあり、そしてもちろん宝石箱の様に素晴らしい自動車博物館の数々もあります^^;

そういったヨーロッパの魅力は不変であり、相も変わらず素晴らしいモータリゼーションのメッカであることを、今回の旅を通して改めて強く感じました^^;

そんな訳で、前回の旅のブログもなかなか筆が進まないでいましたが、なにかこの2年間のモヤモヤしていたモノが取れたよい旅でもありました。

前回の旅のネタもまだまだ大量にあるので、この旅のブログがいつになったら書けるのか分らないですが(笑)、さっきやっと写真整理を終えたばかりのデータの中から、サムネイル版を作成しましたので、どうぞ~↓


↓今回の旅で、よくカーラジオから流れてきたThe Weekendの“I feel it coming ft. Daft Punk”

Daft Punkがコラボした楽曲ということもあってか欧州でもフランスに限らず、よくかかっていました。

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「ゴールデンウィークのカート乗り比べ体験記 http://cvw.jp/b/1499353/47700125/
何シテル?   05/05 12:59
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