2016年06月30日
光の速さで その2 村上春樹風
突然ですが。
なんと・・・
インド人もびっくり!
一昔前にはやったとかはやらなかったとか
村上春樹風
でも本当にそうなのかどうかはわかりませんよっ。
ちなみに
フィクションですよ。
もちろん
登場人物は架空ですよっ。
6月にしては焼けるような日差しの下で、僕は走り始めたんだ。
そこにドリパがあって、僕はMR2に乗っていたからね。
以前と比べ変化の多い愛車に僕は少し戸惑っているようでもあり、そうでもないのかもしれない。
後方からクラウンが光の速さで迫ってくる。
それはまるで白くふっくらとした歌舞伎焼きの塊のようにね。
気がつくとリアのヨーモーメントがフロントのそれを上回り、軌跡がラインをはずしはじめていた。
まわり始める愛車のハンドルを握りながら僕は考えた。
ヘルパースプリングのことを。
でもそんなことは正直いってどうだっていいんだ。
世界にはドリフトできないやつが大勢いるし、スタッドレスにしたらうまくなった気がするとかのーてんきにはしゃいでやるやつもいる。
僕は自分に問いかけた。
ヘルパースプリングのことなんて、いったい誰が気にする?
やれやれ。僕はまわってしまったよ。
僕はギアをゆっくり1速にいれ走り出した。
それはたけのこの山よりきのこのさとであるように確実で、普遍的な行動ですらあった。
そしてとりわけインド人をびっくりさせるほどの動作でもない。
さらにいえば大穴でブラックサンダーであることはいうまでも無い。
クラウンとついた半周差について、僕は何も気にしていないし、何かをいうつもりもない。
30秒たてばクラウンはまたやってくる。
その間、待っていようが自由だ。セッティングについて考えてもいいし新しい方法を試すのもいい。
がむしゃらに追いかけてもいい。悪くない選択だ。
僕はギアを2速に入れてアクセルを踏み込んだ。
それは取り立てて印象的な動作であったわけでも、あるいは奇抜であったり特殊なことをしたわけでもない。
ドリパではある種の必然性を伴いながら、どちらかというと、好む、好まざるにかかわらず誰もが普遍的にやる動作である。
それでも整備された3Sエンジンの高らかな咆哮が背後から背中に突き刺ささる。
それは何かしら僕の「中枢」を刺激するに十分な高潔さを保持しており普遍性のあるその動作を、あるいはある種の高揚感を伴う「何か」特別な動作に変えてくれる。
もうだめだ。僕は欲望に負けた。(太宰風)
白煙でくぐもったドリパの日常的風景の中にクラウンのブレーキランプが見えてくる。
僕は喜びを感じた。
そしてそれはどちらかというと驚きの感情に近いだろう。
言うなればぼんやりとした砂煙の中にいるインド人が、近づいてみるとハウスカレーの王子様を抱えていたという驚きの感情だ。
完璧なドリフトなどといったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね。
僕が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地よい時間なんだ。
だからこそこのTKくらぶ走行会は成立する。
さて答えはそこにあったようだ。
ドリフトの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
分析にではなく、包括にある。
ヘルパースプリングでは無く、あるいは、目の前のクラウンであったよ。
今、僕はクラウンを追いかけようと思う。
もちろん問題は何一つとして解決してはいないし、また追いかけたところで、あるいは事態はまったく同じということになるかもしれない。
ただただ走るということが問題解決のささやかな試みに過ぎなくとも
それはうまくいけばずっと先、明日かもしれないし1年後かもしれないが
ヘルパースプリングの声を聞くことにつながるだろう。
やれやれ。追いついたようだ。
視界を覆いつくすのタイヤスモークもそれを物語っている。
それから少し経って、妻はこう切り出した。
「ねえ、みんなでハンバーグ食べに行かない?」
僕はこう答えた。
「今日は先に帰っていいかな。海を眺めたいんだ。」
彼女は言った。
「あなたって変わった人ね、インド人もびっくりよ。
でもね、悪くない選択よ。」
いきなりこんなんでTMG(たいへんもうしわけございません)
お話は物語で登場人物は架空です。
そしてなんとっ
インド人もびっくり!
村上春樹の小説は読んだことありませんよっ
だから完成度云々は知らないし、写真の順番がおかしいとか回り方がちぐはぐじゃないかとかいわれても知らんぷりすることは必至ですよ。
その3があるかどうか。それは存在しない人だけが知りえることですよ。
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Posted at
2016/06/30 21:51:38
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