ベートーヴェンの『第九』ですね。
正確な曲名は『交響曲 第九番 ニ短調 作品125 合唱付き』です。
この曲が必ず年末に演奏されるようになったのは、いろいろな説がありますが、
日本だけだ、というのは昔、聞いたことがあります。
この曲の第4楽章、合唱で歌われる「歓喜に寄す」は、あまりに有名で、
『第九』を語る上で、必ずクローズアップされる部分で解説書などもたくさんあるので、
合唱の部分よりも、それまでの部分について私的見解を述べてみたいと思います。
まずその前に、この曲の成立について。
ベートーヴェンは第9番の作曲構想としては、全く別のものを考えていて、
第10番に声楽付きの曲を構想していました。
これとは別に、シラーの「歓喜に寄す」にも付曲することを随分前から考えていました。
ベートーヴェンは作曲過程をスケッチとして数多く残しているので、
研究者の間でも良く知られています。
第9番は、実質的には1822年後半から1824年初春の約1年半ほどの間に
作曲されましたが、シラーの詩と第9番が結びつくのは、
1823年になってからのことだと考えられています。
結果、第10番は未完成のまま、ベートーヴェンは逝去してしまいました。
未完成とは言っても、シューベルトの『未完成交響曲』のように、
途中まで作曲してあるのではなく、断片的なスケッチを記すのみで、
本格的な作曲には至っていません。
この第10番については学生時代に、ぶ厚い解説書とCDが一緒になったものを、
物珍しさから購入しましたが、あまり真剣に聴いてないですねぇ。
では、ここから先はあくまで私的見解ですので、予めご了承下さいね。
“第1楽章”
第4楽章よりも、この第1楽章の方が好きです。
静かに始まり、この楽章の第1主題の冒頭の断片が第1ヴァイオリンに現れます。
曲が進むにつれて楽器が増え、盛り上がってきて第1主題の完全形が
トゥッティ(総奏:すべての楽器で演奏すること)で奏されるのですが、
ここに至るまでの、小節数にするとたった16小節は、宇宙的な感覚に捉われます。
喩えるならブラックホールとホワイトホール、それを繋ぐワームホールの関係でしょうか。
理論的なツッコミはこの際、無しでお願いしますね。
①ブラックホールが自分、ホワイトホールがこの曲だとした場合
ブラックホールへ入り(最初の始まり)、ワームホールを進む自分を
導いてくれる音(第1主題の断片)、ホワイトホール(この曲)に近づくにしたがって
盛り上がっていき、出たところにこの曲の全容が現れる。
自分がこの曲に近づいていくパターンですね。
②ホワイトホールが自分、ブラックホールがこの曲だとした場合
ワームホールの向こうから、最初は音ではなく振動のみ(最初の始まり)が伝わり、
それが近づくにしたがって音となり(第1主題の断片)、目の前に現れたときには
この曲が現実となっている。曲が自分に近づいてくるパターンですね。
聴き方によってどちらとも取れるのですが、ここで私がいつも思い出すのは
スタートレックシリーズですね。歳がバレルかもしれませんが、好きだったなぁ、
「新スタートレック」、「DS9」、「ヴォイジャー」。
話がそれましたが、とにかくこの冒頭は、それくらい壮大なものを感じます。
その後は、木管楽器群にのんびりとした旋律、同時に弦楽器群にそうさせまいとする
煽るような音形が現れたり、重力に逆らうかのように飛び上がるような旋律など、
次々に現れ、この楽章の最後に向かってクライマックスを築いていきます。
音楽的にも構成的にも大規模な第4楽章を携えるにふさわしい冒頭楽章です。
“第2楽章”
第1楽章の壮大さとはうってかわって、コミカルでリズムを楽しむといった感のある楽章です。
しかし、一定の拍子で続いてきた旋律に、すべての楽器が突然休止する部分や、
不規則なリズムなどが現れて、緊張感をさりげなく感じさせるような楽章です。
“第3楽章”
第1楽章の壮大さ、第2楽章のコミカルさをすべて包み込むような、
美しく静かだけれど、雄大さを併せ持った楽章です。
最初のメロディが変奏されて何回か出てくるのですが、その都度楽器が増え、
音の厚みが増していき、最後は永遠をも感じさせるような和音の余韻で終わります。
“第4楽章”
冒頭から合唱かと思いがちですが、合唱に至るまでに
管弦楽とソリストのアンサンブルなどがあります。
美しい第3楽章の後、それまでの楽章すべてを打ち砕くような大音響で始まります。
実際、第1、2、3楽章のテーマが現れますが、低弦(チェロとコントラバス)の
レチタティーヴォ(語り)がそれを否定していきます。
ベートーヴェンのスケッチ段階では、歌詞がつけられていたそうです。
この部分と、シラーの「歓喜に寄す」については、関連情報URLをご覧下さいね。
その後、歓喜の主題の冒頭が現れ、やっとレチタティーヴォがそれを肯定します。
その後、同じく低弦で歓喜の主題の完全形が演奏されるのですが、
この演奏は、やっと見つけたメロディをベートーヴェンが愛おしみ、慈しんでいるように聴こえます。
この楽章では、この部分が1番好きですね。
このメロディは楽器を代え、厚みを増し、トゥッティへと進んでいきます。
そしてまた、冒頭の大音響。
この後、バリトンソロから始まり、ソリストのアンサンブル、合唱で歌われる歓喜の主題へと続きます。
この主題も、トルコ行進曲風、コラール風とその姿を代え、最後には合唱も含めた
すべての楽器があらゆる力を振り絞って、歓喜に満ち溢れるかのように、
この曲を締めくくります。
この曲の初演の際に指揮をした(お飾りで指揮台に立たされた、という説もありますが)
ベートーヴェンはその聴力を全く失っていて、聴衆の大喝采も聞こえなかったそうです。
余談ですが、CDが最初に開発された時の最長録音時間の規格(74分)として、
この『第九』が基準になっていました。
クラシックの名曲で、もっとも演奏時間の長いものにあわせようという
ことだったそうです。
最近では、更に長時間のCDも製作されていますが。
今年も大晦日に、NHK教育テレビで『第九』が放送されますね。
これを読んでご興味を持たれた方は、是非お聴きになってみて下さい。
今年のソプラノは森麻季さんという方で、最近私もヘンデルのアリア収録の
CDを聴いていますが、楽しみにしている点でもありますね。
それから、ベートーヴェンの交響曲は全曲、フランツ・リストの編曲による、
ピアノ独奏版が出版されています。
管弦楽のように豊かな音ではないかもしれませんが、さわりの部分が
試聴できる
サイトもありますので、そちらもお試し下さい。
参考資料:ベートーヴェン事典(東京書籍)
“An die Freude”の詩と真実-「第九」定訳への道-(2001愛環音楽連盟編)
全音スコア ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125『合唱付き』
(全音楽譜出版社)