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みどりカッパのブログ一覧

2017年10月29日 イイね!

マークⅦ納車

マークⅦ納車そこそこな雨天の日にX号に乗るのが好きです。

但し、洗車直後は勿論、せめて数回走らせた後‐と言う条件付きですが‐


なんてったって雨が天井を叩く(安っぽい)音がしません。
ガラスに当たる音が顕著になって初めて‐“結構降ってるなぁ~”とちょっと自己満足優越感に浸るんです。



苦労した甲斐あっての断熱防音加工。
イルミ打ち替えと併せ、X号を手放す気になれない愛着ポイントです。
(違う表現をすれば二度とやりたくない作業だったとも言える‐)



それにしても今年はX号(みんカラりあん)満5年‐と言うことで色々振り返れば感慨深い事も多々あり‐

例えば今日、この豪雨の中でDラーさんに出向く要件にしてもまた5年前には想像も出来なかった未来図でありました。






最初にX号が我が元に来た。
全てはココから始まった。











カラーサンプルな純正X号Miniが欲しくて大捜索をして‐

義兄(アニキ)が“あったド~~”朗報を届けてくれた。

待望の2台目がコレだった・・・



























誰???  
きみ・・・




(その後この子は120系オーナーなみんカラさんの元へ嫁入りしました)







再び大捜索を再開して‐
イマイチ頼りなさそうだった二代目担当営業さんにダメ元で頼んだら数日ほどで“さくっ”と見つけて来てくれたのが3台目のこの子だった・・・













その3台目がたった一晩我が家に滞在した後に大本命な202 Black号とチェンジになったのは、私にX号を引き合わせてくれた最初の担当営業さんのアシストだった。

4台目X号ってことですねぇ。
コレが手に入った時は本当に嬉しかったし、
もう他に何も望んでいなかったんですが‐‐‐


この子を弄り廻してProject(mini)Xでブログ・ネタしましたねぇ~。


















そして‐想定外な続編がここから続くことになります・・・




汚名返上とばかりに義兄(アニキ)がこの2台を探して来てくれました。




5台目(白)と6台目(赤) 
(もうイランわ‐とはさすがにアニキに言えず・・・)

そして、後に5号(白)はみん友さんの元へ嫁いで行って‐

6号はProject(mini G's)Xの餌食になったのでした(笑)
大事にしてるから許しておくれ‐







コレ完成させてみんカラ休眠しようと思っていたっけか‐・・・







当時はG'sの純正ミニカーは存在しない世の中でした。

純正ではないけれど、非常に精巧に出来ている前期のpremiumや中期のTRD仕様等々130系のミニカーも中々充実した世になったと思います(でも高いよねぇ~)





で、時巡り最後期登場。








まさかの最後期購入アシストを体験する事になり‐イイ歳したオッサン(50でスミマセン・・・)ちょっとふっかけてみちゃったんです・・・



“ミニカーちょうだいっ!!”



「了解ですが、今はありません」と返され、かれこれ4ヶ月‐


言った本人が忘れた頃に連絡が来ました。






納車の準備が整いました♪







こうして‐
トヨタからデリバリーされたマークXの、

通算7台目が我が元へ‐










これがマークXの私人生最後の受領となるのかどうなのか‐






未来のことは‐












さっぱり判らないっすっ!!!









えぇぇ・・
レビューのリクエストを頂きましたので・・
後程、My最後期Xについて従来車との差など・・
一生懸命述べてみたいと思います・・
なんか・・おめでとうございます‐とか祝して頂いて・・
ゴメンなちゃい・・
Posted at 2017/10/29 22:14:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小話-車入り | 日記
2017年10月26日 イイね!

午前トム氏で午後トム修理士

午前トム氏で午後トム修理士


快晴の秋空な平日休みでした。




今日は一日楽しかったデス。


嫁さんは待ち望んだ好天にて、家事諸々の模様替え、衣替えをしたいとのことだったので、朝から独りで出かけます。










向かった先は目と鼻の先ですが‐

映画観て来ました。




結構楽しみにしていた『バリー・シール』。

トム・クルーズ主演のダーティーパイロットな映画です‐
バリー・シールと言うのは実存したTWA(トランスワールド航空)の機長(だった人)の名前で、彼の波乱万丈な半生を描いた作品です。




もうちょっと凄腕パイロットだった感を映像的に描いて欲しかったかなぁ~と感想しますが、十分楽しめました。
特にコクピットでアレをアレしてア~レ~になるシーンは男的にかなり憧れてしまいますナ♪(気になる方は是非女性同伴で鑑賞下さい)

トム氏はいつまでも若いですねぇ、彼は制服が似合うなぁ~と思うのは、やはり『TOPGUN』のイメージが強いからなんでしょうか??

そのTOPGUNの続編を来年から制作するんだそうで‐

そんなに年喰った現役パイロットいないだろ‐と言う点については10才若い設定でも大丈夫だと思えたバリー~役なトム氏でしたが、もう一方の主役たるF-14が居ないのにマーベリックでもあるまいや‐とも思ってしまいます。


(最近発行された本です、かなり面白かったものの同業者かマニアじゃなければかなり難解か!?!?)

F-35に乗るマーベリックなんて見たくないっす‐

とか思いながら昼過ぎに家に戻って来てからは‐

衣替えな嫁さんの隣で、遠慮なく、

“3年振りのレストア”‐してました。
















今を去る事3年前‐

1000回以上は大戦したであろう、夫婦喧嘩で文句なしの初勝利を収めた私です。

嫁さん(別名:ヨメラ※無敵の破壊王)はこの時だけは一切反論せず‐ずっと詫び続けてました。

見かねた娘が‐お父さん、私からも許してあげて下さい‐と言われても、怒り心頭だった私‐

勝利の味は苦過ぎて・・・

夫婦喧嘩‐まさに、犬も喰わず‐ってのは現代社会の犬差別用語か!?!?




『絶対ココを触ってはいけません』の言いつけを反故にして、『私の格納庫』大掃除をしたヨメラ(※無敵の破壊王)は、我が国防空軍を飛行不能壊滅状態に追いやったのでした。

なんでもそこだけ埃を拭けなかったのがどうしても気になったそうです。




‐平たく言えば、大事にしていたプラモ群を不注意から壊されたってこと‐デス。

それも一網打尽でね、手が滑っただったか、端にダスキンが引っかかっただったか・・・とにかく大惨事・・・



‐を、バリー・シール観てご機嫌になったタイミングで治しました。








作業の途中経過画像はありません。

丁寧にティッシュで拭いて、折れたパーツを付け直し、紛失パーツは諦めて‐

6機中3機をなんとか再生しました。

それにしても3年放置していた為に風化著しく…ちょっとこの先処分するかどうか悩み中デス。
(愛着はありますけど‐)

と言う連中の内特に大事な2機をお披露目しておきましょう。

1/32のF-4S PhantomⅡ




片脚を折られて(最近実機でもありましたな‐)、後部キャノピー、スタビレーター、前縁スラット、パイロン等が脱落してました。




バブルの頃のキットで実ゴム式のタイヤが災いし、変形しておかしな倒立状態。

当時最終的なオーバーコートする度胸がなかった為、デカールが風化変色してガビガビです。



大好きだった厚木駐留のVF-151CAG機に仕立てました。







マーベリックも乗っていたF-14A TOMCAT コレも1/48





コイツは機首のダメージ大でピトー管は粉砕(暫定的にF-4Eのを嵌めてマス)
昇降ラダーやステップが吹っ飛び、両垂直尾翼も脱落。

一番大事だったコイツの惨劇を目の当たりにして発狂した3年前でした。


史上初の可変翼同士の空中戦でリビアのSu-22を撃墜したVF-41機に仕立てました。
確か25年以上前に舶来デカールを小切手払いで海外から取り寄せた覚えがあります。





この子もオーバーコートしなかったのでデカールの変色、退化が著しい・・・








記念にX号ミニと撮ってみました。

よく考えたらX号ミニは1/30、戦闘機は1/48なので、この対比では車が大きいです。



因みにF-4は2人乗り、F-14も2人乗り、マークXは5人乗り‐偉いゾ、マークXっ!!





悔い改めでX号ミニミニを出して来ました。
(制作byおん☆たんさん)



X号ミニミニは1/43、戦闘機は1/48となかなか近似値な大きさ比です、デカイぞ、戦闘機!!でも2人乗り X号は5人乗り 偉いゾ、マークXっ!!





因みに‐
同じ1/48スケールのUSAF F-4Eは再起不能でした‐胴体が真っ二つになってました。
↓残骸です…文字通り残骸…

恐るべし『ヨメラ‐ザ・無敵の破壊王』








生き残った連中は無事に書棚上のミュージアムに収納完了しました。
3年ぶりに自立している各機♪







一段落したら、

衣替えしていた嫁さんから指摘されました、天袋からコレが出て来た‐と。

う~ん・・・
押入れの肥やしな未完成品がまだ5機位残ってるのぉ~・・・


早く引退してモデラーになりたいよっと‐









Posted at 2017/10/26 22:04:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 飛び系だい | 日記
2017年10月16日 イイね!

祝 室屋選手総合優勝♪

祝 室屋選手総合優勝♪レッドブル・エアレースにアジアから唯一参戦している室屋義秀選手が悲願の年間総合チャンピオンになりました。

おめでとうございます!! 

録画していた未明の生中継を観戦し涙がちょちょぎれてしまいました。
(画像の一部はレッドブルエアレースの公式HPより転用させて頂きました)



年8戦の最終戦で逆転からの総合優勝デス。

舞台はアメリカのインディアナポリスサーキット場周。
予選から手に汗握るガチンコ勝負の連続に痺れました。
室屋選手は決勝でコースレコードを叩き出す神業級のFLTにより奇跡の様な大逆転勝利をもってCHAMPの座を手に入れたのでした。


出展:レッドブルエアレース公式HPより


あまりにもドラマチックな結果に、鳥肌立ってしまったワ‐

今年のインディアナポリスは2人の日本人チャンピオンが生まれたことになるわけですね。

佐藤琢磨選手も室屋選手の激励に来ていましたよ。

出展:レッドブルエアレース公式HPより



室屋選手はガンダム・パイロットなアムロ・レイに憧れて空の道を追い始めたそうです。

エアライン等の職業パイロットを目指すのではなく‐
エアロバティクス(曲技)パイロットになってアムロのように自由に空を飛びたい‐と夢は具体的な形に変化して行ったそうですが‐



これは、想うは易しでありまして、
特に『航空大大大後進大大大国』たる日本でその道を目指し、進む事はウルトラ級の困難であった事は容易に想像ができる私です。





だ・け・ど~

成し得たのですから凄いですね。









室屋氏がレッドブル・エアレースに参戦したのは2009年からのことで‐

途中3年間のエアレースそのものの中止(未開催)を引けば、今年が6年目のシーズンになり‐

少しづつ少しづつ、経験値を積んで来たプロセスもあって、弛まぬ努力の方であると尊敬致します。

初表彰台(3位)が2014年、初優勝が昨年(2016年)の千葉でした。

2015年にお話しを聞ける機会があった時は、TEAMも機体も自分自身も総合優勝を狙うのに期が熟したとおっしゃっていました。




2016年はアンラッキーなことが続き、結果だけ見れば悔しい結果に甘んじてしまったものの‐

まさに‐有言実行で、今年タイトルを掴んだ訳で、他人ながら涙を禁じ得ません。


出展:レッドブルエアレース公式HP


なんと今年は8戦中に1位を4回獲得したので、心・技・体が噛み合った努力の結実たる賜物だと思います。

改めておめでとうございます。



さて、蛇足ながら‐

日本ではジェネラルアビエーション(小型航空機業界)も冷や飯稼業ですが、パフォーマンス・パイロットなど、全く飯が喰える稼業になりません。



恐らく室屋氏も実生活は経済的にそんなに裕福な暮らしはしておられないのではないかと想像します。

極端に言えば、メシを喰う手段として(だけに)飛んでいないのです‐
(ちょっと羨ましいと思うのは傍観者だからか??)

その意味では近年、ファルケンとレクサスと言う日本の大企業がスポンサーに付いてもらえたのはTEAM運営の継続上、心強いのではないかと思います。

それで、レッドブル・エアレースのチャンピオンになるとどれだけの賞金が手に入るのかと言いますと‐












無給なんだそうです、
名声、栄誉が手に入るだけ‐だそうです。









その代り、参戦している全てのTEAMは転戦費用等を運営側のレッドブルがコーディネートしてくれるようで‐

その意味ではガツガツしている感じもなく、ライバル達とも大変強い絆で結ばれている雰囲気がTV観戦でも察することが出来て微笑ましく感じます。
(因みにライバルたる他国の選手は大富豪だったり、パイロット学校経営の御曹司だったり、操縦士の英才教育を若くして受けたような連中や空軍での凄い経歴な方ばかり‐これが欧米の航空文化っちゅ~こと、みたいな平たく言えばガツガツする必要もない裕福層が多いイメージです)

互いを湛え、互いのアクシデント発生時には手を貸しあう姿は、まさにエアマンシップそのものであり、個人的にはその汚れ無き空の冒険野郎達な世界の美しさに心打たれてしまったりする訳です。


出展:レッドブルエアレース公式HP












さぁ、俺も明日から頑張るよっと♪
喰うためだけど、ね・・・
(次のネタはアンチ・ヒーロー・パイロットかな??♪)
Posted at 2017/10/16 20:58:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 飛び系だい | 日記
2017年10月10日 イイね!

オタ話‐三菱F-1/T-2

オタ話‐三菱F-1/T-2F-1って言ってもレースのF-1の件じゃありません。

また、例によってどうでもイイような“飛び系”の話デス。

最近自分のブログ内容と近似のキーワードで自動識別される、その他の方の記事が‐お勧め‐を示唆する感じで並ぶようになりました。



意外に‐飛行機大好き‐な方をお見受けするにつけ嬉しく思ってしまう私です。


その中で偶然発見してしまいました。
退役した「三菱F-1支援戦闘機」のモニュメントの紹介ブログを♪♪


それで‐



我が故郷近傍のその基地にも親しみを感じますし、そのブログも微笑ましく読ませて頂いたのですが、一点だけ












もう、その一点だけが、
どうしても気になって仕方がないのです。








『T-2戦闘機』って紹介されてました、F-1戦闘機のことを。







そもそも‐、
『三菱T-2超音速高等練習機』と『三菱F-1支援戦闘機』は共通のフレームで作られており、設計開発当初から「超音速高等練習機の一部改良により支援戦闘機として使用できるものであること」と言う趣旨の開発要項が決まっていました。
またT-2練習機そのものも「緊急時において要撃戦闘機を補完する性能を有すること」と言う要求性能要項に基づき、後期型は20㎜機関砲も、対空レーダーも、赤外線ミサイル運用能力も、持っていましたし、総合演習時はそのような形態での実働訓練もしていたので広義な意味では『T-2戦闘機』と言う表現があっても良いとは思うのですが‐
















その方のブログに映っているモニュメントは紛れもなく『F-1戦闘機』なんです・・・














ケチを付ける気は毛頭ございません。
(勝手に)親近感沸きつつ拝読致しました、でも、初コメで「名前に誤認がございます」と指摘すれば、難癖つけている以外のナニモノでもなく受け止められてしまっては私本意ではございません。










こまけぇ~こたぁ~
‐とはどうか言わないでぇ。

みなさまだってスカイラインGT-Rの画像に“GTS-Tってかっけーナ”って書いてあったら、お尻がモゾモゾしちゃうでしょ!?








でしょ!?:汗
















するよね!?!?:汗汗汗





















と言う訳で正しい見分け方など、ココに人知れず勝手に綴っておきましょう。

1人乗り‐なのがF-1です。

Fの記号は模範たる米軍命名に準じて“Fighter:戦闘機”のFなんです。



2人乗り‐なのがT-2です。

Tの記号は模範たる米軍命名に準じて“Trainer:練習機”のTなんです。

※これはF-1とT-2の兄弟機識別上の便宜比喩であって、決してF-4が4人乗りだったり、F-15が15人乗りであったり、近い将来配備される(ゴキ○リみたいな形状の)F-35が35人乗りだったりする意味ではございません。





それにしてもT-2は(F-1より)恰好イイ機体だったと思います。
子ども心を捉えるのに相応しい容姿をしていました。

翼が小さくてネ、尖がっててネ、強そうでしたネ、(子ども心的にはネ)













ついでにいくつか手持ち画像を添えておきましょう‐


コレは父上が撮ってくれた写真です。

昭和47年11月3日入間基地で撮影、ある意味‐私の人生を決定付けた日(笑)
私生まれて初めて間近で戦闘機を見て、攻撃された‐日でした‐5才ネ(笑)
T-2は同年7月に部隊使用承認(正式採用・量産承認)を受けたそうなので、最新鋭機の初一般公開って事だったんでしょうねぇ。





T-2CCV

FLY BY WIRE技術を含めた運動能力向上研究機に再改造されたT-2試作3号機。
この機体が生きている姿は何度か目にしたものの‐、絶対にカメラが携行できない場所での軟禁状態だったので、心のフィルムに焼き付けるしかできませんでした‐今は、かがみがはら航空宇宙科学博物館に貸与展示されています。

みんな、カナードって言うのはコレですゼ、張りぼての重りとちゃいまっセ。







T-2練習機を支援戦闘機(後のF-1)として再開発する為、T-2の量産型6号機と7号機は新造時から追加改修を受けて「FS-T2改(T-2特別仕様機)」と命名されたF-1のプロトタイプとして誕生しました(後席が最初から潰されてます)


107号機は2006年(平成17年度)をもって退役となり‐この機体の着陸をもってT-2の35年間に渡る活動が終焉となりました。




102号機は岐阜基地の空自50周年記念塗装機となり、その後引退。

今は基地内でジュラルミン無垢を再現したモニュメントになっています。






F-1量産初号機は入間基地内の航空歴史資料館 修武台記念館で屋内保存展示されています。





我が家近隣‐淡路島のミツ精機さん敷地内で展示されている207号機。
(平日は一般公開してくれます♪ ミツ精機さんは精度高い航空機部品を生産されています)







そう言えば‐


後席を潰して‐色々‐積んでいるのは雑誌知識で知っていましたが‐
こうなってるのね!‐なレイアウトは昨年浜松広報館で初めて見て知りました。






CHECK SIX!
六時(機尾側)の視野が全然ないF-1はやっぱりDOG FIGHT(空中戦)したらダメですね。


“支援戦闘機”って言うのは、“護衛艦”と同様、世界中で自衛隊だけが使う命名です。









T-2が引退して約10年‐
先進技術実証用実験航空機として世に出たX-2(ATD-X)は脚がT-2転用品でした。


懐かしい~♪

なんだかんだと言っても、もう一度純国産の国防機が見たいなぁ~・・・

でもステルス機は恰好悪いから嫌だなぁ~・・・







最後にT-2 BlueImpulseを‐




















初めて彼女ができて、初めてデートに誘ったのはBlueImpulse見物でした‐

約束の待ち合わせの‐
“東大和市”駅と“武蔵大和”駅を行き違えて、会えませんでした。
BlueImpulseを取って、彼女を置いて行った私のせいで淡い両想いは長続きしませんでした‐


次に心動かされた女の子には‐
部屋に呼び込んだ時に褒められた‐自作でBlueImpulseに塗り分けた渾身の作なプラモを(断腸の想いで‐)プレゼントしました。

“ボクの一番大切なモノをあげるから、貴女の一番大切なモノを下さい”のつもりだったのに、プラモだけ持って行かれました…

T-2 BlueImpulseには若かった頃の切ない想い出がいっぱいダっ!!









Posted at 2017/10/10 22:14:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 飛び系だい | 日記
2017年10月01日 イイね!

遠ざかる日々達よ~♪

遠ざかる日々達よ~♪
10月になりました。

今年も残り僅か?‐年末にかけてアレコレ忙しくなりそうな予感です。

今日は出勤道中で飛鳥の入港に出くわしたので画像貼っておきましょう。





週末の勤務は‐BOSS‐不在とあってどことなくマッタリ感が漂います。

とは言っても、OFFからONへの切替わりが予告なしなケースが多い上、ONに変れば‐本気‐出さないと自分が危ない仕事なのでジッとしておくに限ります。

が‐
来年会社のお引越しが計画されているので、最近各自環境整理に余念がありません。

そんな訳で今日は私も自分断捨離を敢行しました。




資格を駆使して働く身であり、社会に出る前の専門学生の頃は『地獄の2年間』を味わいました。

もう気が狂いそうになる一歩手前まで(実際、精神的に追い込まれたり、体調を崩したりして離脱して行く仲間も数人いましたけど)追い込まれましたから、後の人生で随分根性も身に着いたと思います。

その後、社会に出てからもより高みを目指し、21、23、25、27才と1年おきに猛勉強の後、資格拡張の国家試験を受験して“自分の武器”を増やして来ました。

ここまでの文字通り、血と汗と涙の結晶たる資料数十冊と使い古した教科書類‐ダンボールにしてざっと3箱分を一気に処分することにします。




会社に置いていたのは、勿論時々めくり返して活用する機会も皆無ではなかったものの‐

何より頑張って来た自分の勲章のように囲っていたものですが、最近の電子データ化された最新資料に接するに辺り、20年以上前の‐、それもなんだかんだと青臭い自作資料など、あまり活用できる機会もめっきり無くなりました。


もうこの際、“昔取った杵柄”と体一つで居直ってしまいましょう。


懐かしさを反芻しながら、“焼却処分ゴミ”に格下げしていきました。






そんな中に紛れ込んでいた1冊のポケットファイルを発見です。

なぜココに封印されていたのかも判らないけれど、若かった頃の自分スナップが‐、それも、時巡り先に星になってしまった同僚と笑っている写真が出てきたりと改めて懐かしかったです。



そう、
みんな若かったし、若い故に熱意に包まれていたよねぇ。




さすがに私スナップを添えるのもナニなので‐


おぉ~、こんなの撮ったよね‐な何枚かの接写を添えてみます。







鶴丸の747でしょ、










モヒカンの747でしょ、




なんとTDAのDC-9でしょ、





飛行機ばっかりではナンですから、こんなのも出て来ましたよ。
(以前何枚かはネガスキャンして紹介しましたね‐)







これは社会に出て3年目位の仕事中ショットかな??
(って仕事してないよな:笑)



ベルガーかな??





嗚呼、アイルトン・セナ・・
これはマクラーレンがHONDAと決別した翌年のMP4/8かな??
確か奇跡の優勝を飾った筈です、彼に会えた最後だったと記憶します。






そう言えば、マクラーレン・ホンダも、また見納めな今年の鈴鹿まであと僅かですね。



大丈夫、きっとまた栄光の時代が巡って来る筈ですよ。



良い時も悪い時もあるのが時の流れだし‐

辛いことの積み重ねがやがて大きな花を咲かす‐んだと私は思います、とか〆てみる‐


Posted at 2017/10/01 20:46:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小話-車無し | 日記

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