
今日は午後から下関駅ビルへ。
今朝の朝刊に『大好き!山陽本線』
模型と資料展が開催されるのを知って、
更にコロナ感染対策の一環で翌日から
5月末まで市の屋内施設が閉鎖される為
今月のラストチャンスになりました。
※予め、施設の方に展示物の撮影の許可を確認しました。

明治21年(1888年)に山陽鉄道会社の設立許可が降りて
神戸から馬関:ばかん(のちの下関)まで鉄道が引かれることになりました。
明治34年に神戸から馬関までが全通して明治39年に国有化され
明治42年に神戸から下関まで山陽本線になりました。
明治45年には新橋から下関まで日本で最初の特別急行列車が走り出します。

意外なことに最初の食堂車は山陽鉄道だったようで・・・・・

当初のメニューには『お刺身』なんかもあったみたいで
ビフテキなどかなり高級志向ですね。

現在はリゾート特急にしか連結されなくなった食堂車ですが
登場当時はかなり華やかですよね。
私が初めて利用したのは東京⇒博多の『あさかぜ』だったと思います。
0系新幹線の食堂車も好きでした。

昭和3年当時の全国鉄道地図の福岡・山口です。
この当時は門司と下関を結ぶ関門鉄道トンネルは開通していなく
鉄道連絡船で結ばれていました。

昭和17年に関門鉄道トンネルが開通して

現在の位置に下関駅が出来て、山陽本線は門司までに。
山陽本線は幼少の頃からお世話になりました。

6歳の時に左側の特急『しおじ』に乗って、大阪万博に行きました。

大阪万博からの帰りは583系の『月光』か『金星』でした。

高校時代は153系で通学、高2から117系1500番台に変わりました。

大学生の時に有名な『オリエント急行』が走って感動しました。
下松にある日立製作所笠戸事業所で日本で走れるように改造を施され
試運転では山陽本線を走りました。

485系が九州からも来てました。
低窓タイプの421系も大好きでした。

通学は最寄りの『長府駅:ちょうふ』からでしたが
昔はお隣の『新下関駅』が『長門一の宮駅』でした。
山陽新幹線が開通して変わりました。

『あさかぜ』は下関発着のものもあって乗車してました。
大学卒業して、熱海で就職するときにも『あさかぜ』でした。

そんな下関駅も三角屋根がシンボルでしたが・・・・・
平成18年に放火事件が起こって

現在は昔のイメージを残した感じに。
すっかり、懐かしい気分に浸った後は・・・・・

カミさんと『たこそば』を食べに近くのお店へ。

お花をプレゼントして

ケーキでお祝いしました。
貴女を差し置いて勝手に妄想ドライブしたりしてごめんね。
また一緒にセリカで走ろうどこまでも・・・・・
今後ともよろしくお願いします!!!
Posted at 2021/05/22 22:18:32 | |
トラックバック(0) |
鉄ネタ | 趣味